スライムがいなかったわけ
「……暑いから水球を纏って移動していたって……常に三つの水球を維持し続けていたってことじゃない」
勘違いされた原因である水球を説明するなり、アリューシャが呆れの声を上げた。
「そうは言うけど、水球はたった三つだしそれほど難しくないよ?」
「いや、他の事をしながら維持し続けるのが難しいでしょ。魔力の消費も多いし、神経だって使うじゃない」
特に派手に動かすわけでもなく、トールとアスモに付着させるような形で維持するだけなので簡単だと思うのだが。
「あ、はは。相変わらずアルフリート様は魔法の制御がずば抜けていますね」
イリヤがどこか苦笑いを浮かべながら呟く。
生活を豊かにするには魔法を使うのが一番手っ取り早いからね。魔法の制御もたくさん練習したさ。今こうして役に立っているのも、俺のたゆまぬ努力のお陰だろう。
「そういえば、どうしてアリューシャ達はこの森にいるの?」
ノルド父さんと卓球の話し合いが終わったので、そろそろ王都に戻るとトリーは言ってた。
「トリエラさんが、もうすぐ王都に帰るのは知っているわよね?」
「うん」
だからこそ、トリーの護衛である銀の風のメンバーは、それに付いていく準備をしないといけないと思うのだが。
「トリエラさんが旅の間でもスライム枕の研究がしたいとかで、コリアット村周辺にいるスライムを捕まえていたんですよ」
俺が疑問に思っていると、イリヤが大きな革袋を見せてくる。
その中にはいくつものスライムが入っているが、餌を与えられてそれを消化するのに夢中なのか大人しかった。
「えー、じゃあ、今日歩き回ってスライムがいなかったのはイリヤ達が捕まえていたせいってこと?」
「アルフリート様もスライムを探していたんですか? えっと、ごめんなさい。この辺りのスライムは大体捕まえてしまったので、そうだと思います」
俺が森をうろついていた理由を告げると、イリヤが申し訳なさそうに言う。
「んだよ! 道理でスライムが一匹も見つからねえわけだよ」
「冒険者に乱獲されていたらねえ」
「ご、ごめんなさい!」
「え、いや、別にいいです」
「お仕事なので仕方がないと思います」
半日丸々歩きまわされるはめになったトールとアスモは文句を垂れるが、可愛くて素直なイリヤに謝られるとあっさりと許した。
二人共顔を赤くして敬語になっていやがる。
まあ、イリヤは冒険者とはいえ伯爵令嬢で貴族だ。コリアット村の女性とは違って、お淑やかで気品もあるし、何より優しい。
トールとアスモがたじろいで許してしまうのも仕方がないだろうな。
俺も半日歩かされたので文句を言ってやりたい気分だったが、イリヤに謝られてしまうと霧散してしまった。
「えっと、どうしましょう? 少しくらいなら融通できると思いますが……」
「欲しいのは三匹だけど、近くにトリーがいるから相談することにするよ」
俺が貰ったせいで足りなくなるとか、トラブルになったら困るからな。
これだけ大量に集めているので、そのような事態にはならないと思うが念のためだ。
「わかりました」
銀の風のメンバーは仕事として引き受けたわけだし、文句は帰ってからトリーに言うことにしよう。
「しかし、不思議なものだなー。これ涼しいのか?」
「うわ、本当に水球だな!」
「川の中にいるみたいに涼しいよ」
アーバインとモルトは水球の事が気になるのか、アスモの纏う水球をパシャパシャと手で叩いていた。
アスモの纏う水球に腕を突っ込んだり、はしゃいだりする姿はどこかシュールだな。
「アル、この水球代えてくれよ」
俺がアスモ達を眺めていると、トールがこちらに近付いて頼んでくる。
トールは地面で尻餅をついて転げ回ってしまったせいか、水球が汚れてしまっていた。
緩やかに流れる水球には砂や草が混ざっており、纏っている事自体が不快そうだ。
「もー、仕方がないチキン野郎だな」
「誰がチキンだよ!」
「『うわああっ! 魔物か!? どこにいるんだアル、アスモ!? とにかく逃げるぞ!』」
自覚がないトールのために、チキンであるシーンを大袈裟に再現してやるとトールが慌てて掴みかかってきた。
「そ、そそ、そんなこと言ってねえし!」
「ああっ、やめろよ! 近付いてくるなって! 俺の綺麗な水球がトールの汚い水球と混ざって汚れるだろ!」
さすがに汚れてしまうと、俺も水球を取り換えないといけない事になる。
トールのように砂や草が混ざるのは勘弁してほしい。着ている服まで汚れてしまうだろう。
「だったら、嘘を言うのは止めろよな!」
「うわああああああああっ!?」
トールが追いかけてくるので、トールのチキンな悲鳴を再現してやる。
「お前、本当にやめろよな!?」
するとトールが顔を真っ赤にして叫んだ。
そんな叫び声と、皆の笑い声が森の中で響いた。
◆
銀の風のメンバーとコリアット村に戻った俺は、予定通りトリーに相談してスライムを三匹わけてもらった。
トリーの乱獲依頼のせいで、半日歩きまわされた事を考えるともっとぶんどりたくなるが、これ以上スライムを貰っても仕方がないし、勘弁する事にした。
そんな訳で、目的であるスライムを手に入れた俺達はそれぞれの帰路へと着く。
空に浮かんでいた太陽は少し傾き、昼間よりも薄暗くなっている。
「……帰ったら文句を言われるだろうね」
「まあな。けど、今日一日楽しく遊べたから、母ちゃんのネチネチとした小言ぐらい何でもねえよ」
「何か仕事をやらされても、今日の楽しい思い出と次に遊ぶことの楽しみを胸に抱けば耐えられるよ」
何だかんだと言っても、怒られるであろう事実が待っていると憂鬱になる事は確かだろう。
だが、トールとアスモは晴れやかな笑顔でそう言い切った。
そんな二人の笑顔はどこかで見たことのある表情だった。
そう、それは前世の社畜サラリーマンが思い出や楽しみを心に灯して日々を乗り切る笑顔だ。
いつの間に二人はそんな強い表情を浮かべるようになったのだろうか。傍にいる俺としては嬉しいような悲しいような成長だと思えた。
「「だから、アル。明日も俺達を連れ出してくれないか?」」
「いや、それは問題の先送りにしかならないと思うよ」
むしろ、問題が何倍にも膨れ上がると思う。
俺は前世でそれを散々学んだ。
だけど、それでも再び繰り返してしまうのが人の弱さってやつかな。
「それでもいいんだ! 明日も楽しく過ごせれば!」
「どうしたんだよ急に!? 先が明るかろうと暗かろうと今の時間は変わりないんだろ?」
「んな訳あるか! 先が明るかったら今の時間は何倍も楽しいし、先が暗かったら今の時間が何倍も暗くなるもんなんだよ! あんなもの所詮、他人事だったからこそ言える気休めの台詞だ!」
うわぁ、こいつ酷い事を言いやがる。
まあ、どれだけポジティブに生きようとも限界はあるしな。
暗い出来事や事実は毒のように人の心をゆっくりと苛んでいくものだから。
「……アル」
「どうしたのアスモ?」
黙っていたアスモの方へと振り返ると、アスモは遠いところを見る表情で、
「……帰りたくない」
自分の心情を吐露する真っ直ぐな言葉を吐いた。
トールとは違って、人に言伝を頼むような形での抜け出し。前世の会社とか関係なくアウトだ。
無言でばっくれるよりはマシであるが、それは一番ダメなだけであって、その次にダメとも言える行動だ。
なんせ他人を盾として、自分への叱責を逃れる行為なのだからな。だけど、それをやってしまう気持ちも俺にはよくわかる。人間、時には逃げたくもなるからな。
俺は遠い表情をするアスモの肩に手を置いてやる。
「……それでも俺達は帰らないといけないんだ」