シーラ懐柔作戦5
本日、LINE漫画更新です。
「はぁ~、美味しかった」
「だね」
五平餅と焼きおにぎりを食べ終わったシーラさんとアスモが、満足そうな表情を浮かべて言う。
「醤油と味噌、どっちも美味しかったね」
「焼きおにぎりとか五平餅みたいにかけて食べるだけでも全然違うね~」
「味噌に野菜をつけるだけでもかなり美味しくなりそう」
「あっ、いいね~。瑞々しい野菜だったら、味噌の濃い味と凄く合いそう!」
俺とトールがこれからの交渉に思案する中、アスモとシーラさんがまったりとした会話をする。
シーラさんはまだしも、アスモは完全に自分が関係ないって表情だな。
まあ、実際にそうなのだが、もう少しこちらに協力する意思を見せてくれてもいいと思う。
そんな事を思いつつも、俺は気をとり直すように咳払いをする。
「そろそろ話をさっきの話をしてもいいかな?」
「いいですよぉ~。えーっと、何でしたっけ?」
俺が改まって言うと、シーラさんがにへらっと笑いながら尋ねてくる。
快適な気温の中、美味しい料理を食べてすっかりと満足した様子だな。
トールやアスモがこんな風に笑って、すっとぼけた事を言っていたら軽くしばいているところであるが、そういう気持ちが微塵も起きないのはシーラさんだからであろう。
「……俺とトールの頼み」
「ああ! そうでした! それでアルフリート様とトールの頼みってなんですか?」
これは理解していながら惚けているのだろうか? シーラさんが優位性を保つための演技?
疑問に思うが不思議そうに首を傾げるシーラさんからは何も情報が読み取れない。
一体、どう進めたものか。
俺がシーラさんの表情を窺っていると、隣にいるトールが歯切れ悪そうに言う。
「頼みってのはあれだよ。その、さっき俺とアルが言い合ってた……」
「ああ! エマとエリノラ様の悪口だね!」
納得とばかりに言うシーラさん。
やはり俺達の会話は丸聞こえだったか。
「頼みっていうのは、その事を黙っていてほしいってことですか?」
「……まあ、そういう事だな」
俺の代わりに答えるトール。
……何だろう、今は凄く主導権がシーラさんに持っていかれているような気がする。
俺達が主導権を握って、シーラさんの口をつぐませないと後に裏切りといった火種を抱える事になりそうだ。
ここは何とかしてこちらが主導権を握り、優位に進めたい。
「俺達は夏であるというのに氷魔法を使用してシーラさんにも快適な場所を提供し、異国の調味料で美味しい料理を振る舞った!」
「……私が食べた後にそういう風な事を言うのはズルいと思いますよ?」
俺が少し高圧気味に言うと、シーラさんがムッとした表情をしながら言う。
「交渉事だからね。というか、そういう風に進めたのはシーラさんだよ。俺は元より、シーラさんが一口食べた時点で交渉を持ちかけるつもりだったんだ」
「ああっ! それって私が首を縦に振らなかったら焼きおにぎりと五平餅を取り上げる気だったんですね!?」
俺の一言でここまで察することができる脳の回転力。
ボーっとした印象を持つシーラさんも、やはりコリアット村の女性だな。これは侮れないぞ。
心の中で一段階警戒心を上げながら、俺は余裕たっぷりの表情で、
「さて、何の事かな? でも、最初にシーラさんは言ったよね? 『端っこにいさせてくれるだけでいい』って。だから、別に俺が料理を振る舞う必要もなかったんだよ?」
「……私も料理を手伝いましたよ?」
「あれはシーラさんから頼み込んでやっただけで関係ないよ」
ふっ、料理を少し手伝っただけで、自分も料理にありつけるなどと言う考えは安易だな。
誰もシーラさんに料理を食べさせるなどとは言っていない。
「む~、エリノラ様が、アルフリート様を狡いと言っていた意味がわかった気がします」
頬を膨らませながら言うシーラさん。
というかエリノラ姉さん、俺を狡いとか嘘っぱちな噂を広げないで欲しいのだが……。
お陰でシーラさんに妙な誤解を受けてしまったぞ。
「何かアルが商人っぽいぞ」
俺は貴族だ。トールは俺の事を何だと思っているのか。
「本当だね。どこか迂遠で嫌らしい感じがそれっぽい」
それは俺が嫌らしい奴だという意味なのか?
とにかく後でトールとアスモはしばいておこう。
「以上の恩義を受けたシーラさんは、俺とトールが言った姉への悪口をチクらない。それでこの取引は成立だよ」
「その恩義は、全部アルフリート様がやったものなんですけど、いいんですかぁ?」
……ふむ、そう言われてみれば確かに今回はほとんど俺の力のような……。
氷魔法を使って部屋を涼しくしたのは俺だし、カグラの調味料をお土産として持ってきたのも俺。料理作ったのもほとんど俺で、トールは自分のおにぎりを握って、焼きおにぎりを焼いたくらいだろうか?
たったそれだけしか労力を使っていないトールと、色々と頑張っている俺の条件が同じあるという事が疑問に思えてきた。
「おい、アル! 惑わされるんじゃねえよ!?」
「いや、でも言われてみればその通りだし……」
「……俺達は一蓮托生だろ?」
俺の肩に手を置きながら言うトール。
今日ほどその言葉が煩わしいと思える日はないな。
「あー! もう! 目を覚ませアル! これはシーラの罠だぞ!? 俺達の仲を引き裂いて自分の有利な状況に持っていこうとしてるんだ! ここで俺達が仲間割れしても何の意味もねえだろ!?」
「そ、そうだね!」
確かにトールの言う通りだ。ここで俺達が仲間割れをしても何の得にもならない。
例え俺かトールの片方が裏切ったとしても、恨みによるチクリで姉への悪口がバレるのは確実だ。ここは二人で生き残ることが重要なんだ。
そう心の中で思うものの、やはり釈然としない気持ちがあるのも事実。
おのれ、シーラさんめ。たった一言で俺の心をここまで揺らすだなんて……。
俺は心を強く保つように心がけ、気をとり直すように居住まいを正す。
「大体は俺っぽいけどいいんだよ。取引は成立でいいかい?」
「う~ん、ちなみに醤油と味噌って、あの壺の分しかないんですか?」
台所に置いてある醤油壺と味噌壺に視線を送りながら言うシーラさん。
「あのサイズの醤油と味噌をトール家とアスモ家に一つずつ渡す予定だよ」
「うちはよく食べる人が多いし、初めての調味料で試行錯誤するからもうちょっと欲しいかな~」
さすがはシーラさん、冷気と既に終わったものである食事では動きはしまいか。
「あっ、この野郎! 強請る気だな!?」
シーラさんの言葉を真に受けたトールが、思わず身を乗り出して叫ぶ。
「あれ? 何だかエマに会いたくなってきた~」
「おいおい! それじゃ、話が違えだろ!?」
「落ち着けトール。ここからが次の交渉だ」
「は、はぁ?」
猛るトールを手で制止して落ち着かせると、トールは不思議そうな顔をしながらも座った。
こいつは狡い事を考えさせたら天才的ではあるが、こういう交渉事には弱いな。
「何でこっからが次の交渉なんだよ? 冷気と飯でどうにかすんだろ?」
「しているよ。でも、向こうはこちらの決定的な弱みを握っているんだ。少しでも利益を取りたいと思うのは当然の考えだよ」
「ちくしょ! これだから女って奴は……っ!」
トールの最初に言っていた言葉がそのまま再現されることになったな。
悔しくはあるが仕方がない。
ここはお互いの妥協点の探り合いだ。
「じゃあ、シーラさんの家に醤油壺と味噌壺を追加で一つずつつければいいかな?」
「ん~、もう一声!」
「それは難しいかな。馬車で一週間、船で一週間もの期間がかかっているんだ。醤油や味噌自体の値段も高いし、全体量もない。現実的に俺が譲れるのは今の提示したのが精一杯だよ」
本当は転移で一瞬でいけるし、向こうでは醤油や味噌は大量生産されて比較的庶民レベルの値段だ。屋敷で貯蓄している分はそれほど多くないが、空間魔法で大量に貯蓄もしている。
本当の事実はそんなとこであるが、俺はそんな事をまったく表情に出さずに力説した。
「……もしかして、これって現実的に考えたらすげえ値段がするんじゃねえか?」
トールが恐る恐る醤油壺を持ち上げる。
「そこにいる人がきちんと価値を認めるかが重要だけど、ちゃんとした場所に持っていけば結構な値段になるかもね」
「お、おお。こんな美味しくて貴重な物をありがとな」
「……何かトールに改まって礼を言われると気持ち悪いね」
「んだよ! 俺だって礼くらい言えるわ!」
ごめんなさいはできないけどね。
「姉ちゃん、これくらいで勘弁してあげてよ」
今まで黙っていたアスモがようやくシーラさんを宥めにかかる。
というか、それができるならもっと早くしてよ。
アスモが最初から真摯に頼み込めば何とかなったんじゃないだろうか。
「そうだね~。アルフリート様には日頃お世話になっているしね」
そう思っているのなら最初から無条件で黙ってほしかった。
なんて心の中の突っ込みは我慢しておこう。憂うことなく終わる方が重要だし。
「じゃあ、取引は成立という事で!」
「はい!」
俺が腕を伸ばすと、シーラさんもにっこりと笑って手を重ねた。
「ふう、これで俺達の安全は保たれるな」
「そうだね」
俺とトールが安堵の息を吐くと、玄関から扉が開く音が聞こえた。
「ちょっとトール、アスモ! あんた達いつまで休憩してるのよ! そろそろ仕事に戻りなさ――って、何これ涼しい!?」
「えっ!? お母さん、家の中が涼しいってどういう事!?」
その後、ミュラさんやエマお姉様が入ってきて涼んでいたのだが、そこにいたシーラさんは悪口の事をチクることなく、のんびりと過ごしていたのだった。
◆
「……姉ちゃん、実はアルとトールが言った悪口なんて聞いてなかったよね?」
「えへへ、やっぱりわかった? 隣で何か叫んでいるのは聞こえていたけど、どんな内容なのかはさっぱりだったよ」
「やっぱり。交渉してる時の姉ちゃんの顔は、何も知らない時の顔だったから」
「でも、いいでしょ? うちで使える醤油と味噌が増えたんだから! アスモもそれがわかっていたから黙っていたんでしょ?」
「うん、これで家でも焼きおにぎりや五平餅がたくさん食べられるからね」