シーラ懐柔作戦2
「アル、どうする? ここらで交渉しておくか? 今でも十分いけると思うぜ」
「でも、その後お土産の試食とかするでしょ? どうせならシーラさんが料理を一度口に入れてから交渉に入ろう。そこで断れば料理は回収という手を使えば、食べ物が大好きなシーラさんは首を縦に振らざるを得ないはずだ」
「……鬼だ。アルの美味しい料理を一口だけ食べさせてから回収するだなんて……。そんなの姉ちゃんが耐えられるはずがない……!」
俺の作戦を聞いてわなないているアスモ。
姉を理解している弟がここまで言うのだ。これなら上手くいくだろう。
「それに理由を与えてあげれば、シーラさんの口をつぐむ罪悪感も薄くなるはずだしね」
人というのは理由を欲しがる生き物だ。
例えそれが悪いことであろうとも、その人にとっての明確な理由さえあれば行動してしまうこともあるほどだ。だからこその等価交換。
「シーラの憂いまでカバーするとはさすがだな!」
「まあ、姉ちゃんがそこまで思い詰めることはないと思うけどね」
シーラさんの性格上、そこまで深刻に考えなくていいことは知っていたが念のためだ。やっておいて損ではないはず。
「よし、それじゃあお土産を開けようか! トール、台所借りるよ」
「おう、いいぜ!」
きちんとトールの許可を取った俺は、木箱をサイキックで浮かせて台所へと移動。
異国の調味料が気になっているトールとアスモが好奇心旺盛な表情で付いてくる。
「なになに? アルフリート様のお土産? 食べ物?」
シーラさんが俺達の会話と様子を見て感じとったのか、嬉しそうな顔をしてやってくる。
いきなり食べ物と聞いてくる辺り、アスモとそっくりだな。
「カグラっていう国の調味料だよ。今からそれを使って料理するんだ」
「本当!? 私も料理したいです!」
野郎三人で料理をするよりも華がある女性と料理した方がいいに決まっている。
俺達の作戦からすれば、シーラさんはもてなされる側なのだが、本人が強く料理に加わることを希望しているのだ。これくらい構わないだろう。
トールに視線で「大丈夫だ」と伝えて、頷き合ってから返事をする。
「いいよー」
「ありがとうございます! 外の国の調味料……どんなのだろぉ?」
シーラさんの口元を見ると、微かに涎が出ているような。
「……姉ちゃん涎出てる」
「ち、違うよ! これはさっき頬っぺたをテーブルに押し付けていたからだよ!」
それもそれで女性としてどうなのだろうか?
そっちが本当なのか、調味料と聞いて涎を垂らしてしまったのか俺には見分けがつかないな。
シーラさんの涎を拭う姿を見ないようにして、俺は木箱の開封にとりかかる。
「トール、味見用の小さなお皿を適当に出してー」
「わかった! ……あれ? いつもの場所に小皿がねえぞ?」
そう返事をして食器棚から小皿を漁るトールであったが、中々小皿が見つからない様子。
「昨日ミュラさんが、一個下の段を位置にするーって叫んでいたよね?」
「うおお! 本当だ! ったく、こっちはいつもの場所で把握してるんだから位置を変えるなよ。わからなくなるだろうが」
下の段から見つけたトールがぶつぶつと不満を漏らす。
「というか、そんな細かい事情までアスモはわかるんだね」
「たまたまだよ。ミュラさんが、トールやエマが困らないように何回も叫んでいたから聞こえたんだよ」
「結局覚えているのは、隣の家で聞いていたアスモだっていうのは何か面白いね」
こういう事が起きないようにミュラさんは何度もトールに忠告していたはずなのにね。ミュラさんが少し可哀想だ。
トールが台に小皿を並べると、俺は醤油の壺と味噌の壺を取り出して並べる。
今回、トールとアスモの家にプレゼントするのは普通の濃口醤油だ。
これが一番使いやすいと思うので一種類だけにしてある。
いきなり溜まり醤油とか持ってこられても、使いこなすのは難しいだろうしね。
「これが調味料か? どっちもすげえ匂いだな」
「味が濃そう」
醤油と味噌の強い匂いに、トールとアスモが顔をしかめながら言う。
塩や胡椒、砂糖に比べれば匂いは何倍も強いので無理はない。
「なんていう名前なんですか?」
シーラさんは醤油と味噌の匂いが平気なのか平然としているようだ。
「醤油だよ。まずは少し味見してみようか」
そう言って、俺は醤油壺と一緒に持ってきた細長いお玉を使って醤油をすくい上げる。
それから小皿へとゆっくりと垂らし、黒々とした醤油を注いだ。
「……これ、本当に調味料だろうな? 何か食べられない物を持ってきて俺達をからかったりしてねえよな?」
「何で俺がそんな事をするんだよ」
まったく、人がせっかくお土産を持ってきてやったというのに何という言い草だ。
……でも、それはそれで面白いアイディアなので、今度お土産を持ってくる機会があれば是非やってやろうと思う。
「味見って、これを飲んでもいいの?」
「醤油は味が濃いから飲むのはダメだよ。指先にそっとつけて舐めるくらいが丁度いいよ」
俺がそう答えると、アスモはじーっと醤油を見たまま固まった。
先程トールが余計な事を言ったせいか、味見を躊躇っているのかもしれない。
「じゃあ、早速味見してみるね~」
そんな事を思っていると、シーラさんが恐れることなく一番に腕を伸ばした。
白い腕をスッと伸ばして、指先に醤油をチョンとつける。
それから指先を口まで持っていくとパクリと口に咥えた。
「あっ、本当! 味が凄く濃い! しょっぱいけど、ほのかに甘いかな?」
平気そうに感想を漏らすシーラさんを見て、アスモとトールも恐る恐る手を伸ばす。
この光景、つい最近屋敷でも見たことがあるような気がするな。
俺は醤油を指につけて口に運ぶトールとアスモを見守る。
「うおおっ! 本当だ。しょっぱくて甘いな!」
「薄味の料理にかけると味が引き締まりそう」
醤油の味の濃さに驚くトールとアスモ。
「砂糖と一緒に煮込むと、いい感じのスープができそうだよね~」
「そうだね。もう少し薄めて柔らかい味にすれば良くなる」
料理ができるアスモとシーラさんは、早速醤油の使い道を考えているようだ。
まだ醤油を味見したので反応は曖昧だが、嫌がっている様子はないようで一安心だ。
「じゃあ、次は味噌だね」
三人の様子に安心しながら、俺は味噌の壺から同じように小皿へと盛り付ける。
それを見るなりトールが真顔になって、
「……おい、アル」
「わかってるけど絶対言うなよ? 土とかアレとか言ったら叩くからな?」
トールの事だ。初っ端から食欲を削ぐような下品な事を言いかねないので、早めに釘を刺しておく。すると、トールは短くうめき声を漏らしながらも口を閉ざした。
「トールが変な事を言い出すから味見する勇気がなくなっただろ」
「仕方ねえだろ、そう見えたんだから!」
「何がそう見えたの?」
「…………」
シーラさんの純粋な問いかけに思わず、無言になってしまうトール。
困ったトールは助けを呼ぶようにアスモに視線を向けるが、アスモは味噌に興味があるようなフリをして無視した。
「とりあえず味見をしてみようよ。こっちも少し味が濃いけど、旨味が感じられて美味しいよ」
「本当ですか!?」
俺がそう言いながら味見用のスプーンを渡してやると、見事に気が逸らす事ができた。
トールはホッと息を吐いて、視線で礼を告げてきた。
まあ、トールへの小さな貸し一つという事にしてやろう。
スプーンを手に取ったシーラさんは、小さく盛り付けられた味噌を少し掬って口に運ぶ。
「こっちも味が濃いですけど、旨味があって美味しいです!」
「本当だな。見た目の割にいい味してるな」
続いて自分のスプーンで味見をしたトールが小さく呟く。
見た目の割にという言葉は余計だと思うけど、慣れていない人からすればそう思うのも仕方がないか。
「これも醤油と同じでいい味になりそう」
同じく味見をしたアスモもそのように感想を漏らす。
「だよね~。新しい味が増えると思うと楽しみだね~」
よし、シーラさんも苦手じゃないなら問題ないな。
醤油と味噌を使った簡単な料理でシーラさんを懐柔してやろう。