シーラ懐柔作戦
「よし、それじゃあ冷気を送り込むぞ」
「おう!」
トールが頷くのを確認すると、俺はアスモの家の窓へと手をかざして氷魔法を発動する。
すると、手の先から冷気が放出された。
外に出ているために暑い空気が入ってきたが、氷魔法を使ったために即座に辺りの空気がヒンヤリとしだした。
窓の隙間から冷気を流し込むために、いつもよりも少し低めの温度の冷気を強く放出する。
そうやって、五分くらいやり続けた頃だろうか。
「……え? なんか涼しい?」
アスモの家の方から、人が移動するような足音と微かな声が聞こえ始めた。
恐らくシーラさんは流し込まれた冷気によって、部屋が涼しくなっている事に気付いたのだろう。シーラさんの気配らしきものが、ふらりふらりとこちらに近付いてくるのを感じる。
「よし、これで十分気は引けた。撤収だ」
「おう!」
俺が氷魔法の発動を止めて身を引くと、トールが鮮やかな動きで木窓を閉めた。
「「…………」」
それから俺達は窓に耳を当てて、向こう側の音と気配を探ろうと静かに佇む。
すると、アスモの家にいるであろうシーラさんの声が微かに聞こえる。
「あっ! 何か窓側が涼しい!」
シーラさんのとても嬉しそうな声。
どうやら窓側が涼しいのだと明確に理解してくれたようだ。
シーラさんの気配が迷いなく移動するのが手に取るようにわかる。
よし、窓側までやってきてくれたらこっちのものだ。
息を静めていた俺とトールはニヤリと笑って立ち上がる。
「いやー、さすがはアルだぜ! 氷魔法で冷気を出せるとはな! お陰で家の中が涼しいぜ!」
「暑い空気の中じゃのんびり昼寝もできないしね。やっぱり涼しい空気の中でゆったりとするのが一番だよ!」
「夏なのに涼しい空気の中、氷入りの水を飲むだなんて贅沢だよなぁ! なあ、アスモ!」
「うん、そうだね。家にいるよりここにいる方が何倍も涼しいよ」
と、隣の家にいるであろうシーラさんにわざわざ聞こえるような声量で会話する。
多少口調がわざとらしかったかもしれないが、こちらが如何に天国な状況かは伝わったであろう。
俺達が伺うように窓の方を見ると、アスモの家の方からドタドタと移動する音が聞こえた。
「……多分、姉ちゃんが窓を開けるための棒を取ってるんだよ」
アスモがそう言った、数秒後にアスモの家の窓が開く音がし、トールの家にある窓までもが開かれた。
棒で突かれた事によってこちら側の窓が開いて、シーラさんが顔を出してくる。
「ああ! なんかトールの家が涼しい! アルフリート様の魔法のお陰でしょ! 私もそっちに行きたい!」
頬を膨らませながらまくし立てるように言ってくるシーラさん。
柔らかい顔立ちをしているせいか、そんな表情がとても可愛らしい。
これほど頬を膨らませるのが似合う少女というのも結構珍しいな。
「姉ちゃん、こっちに来たいの?」
「うん! だって、そっちだけ涼しいとか羨ましいよ~。端っこにいさせてくれるだけでもいいから、そっちに行かせて!」
アスモが尋ねると、羨みの気持ちを素直に口にするシーラさん。
「って、姉ちゃんが言ってるけどいい?」
「俺は別に構わねえぜ。アルもいいか?」
「シーラさんとは知らない仲でもないしね。勿論いいよ」
「やった! ありがとう! それじゃあ、そっちに行くね!」
俺達の会話を聞いたシーラさんは嬉しそうに笑顔を浮かべると、器用に棒を操ってこちら側の窓を閉めた。それから自分の家の窓を閉め、移動するような足音が聞こえる。
「よっしゃ! まずは第一段階クリアだな!」
「そうだね」
◆
「はぁ~、涼しい。こっちは天国みたいだよ~」
リビングに入ってきたシーラさんが、気持ちよさそうな声を出して目を瞑った。
この部屋に漂っている心地よい冷気を全身で堪能しているのだろう。
クーラーも扇風機もない夏の家の中。いくら風通しがよい田舎の家であろうと、暑さが不快という事実には変わらないからな。
人間として心地よい温度の中で過ごしたいと思うのは当然であろう。
「シーラさん、氷水入れたよ」
「ありがとうございます! アルフリート様!」
俺が新しく入れた氷水をテーブルに置くと、シーラさんが嬉しそうにやってきて椅子に座る。
それから土魔法で作ったコップを手に取ると、それを一気に傾けた。
「ぷはぁっ! 美味しい!」
目の前に垂涎たる水があっても、俺達みたいに下品に喉を鳴らしたりしない辺り女性らしさを感じるな。俺達と同じような台詞を吐いているのに、全然おっさん臭くないな。
これが女子力というやつなのだろうか? エリノラ姉さんとかは「ぷはぁ」とかじゃなく、「くはぁ!」とか言っちゃう辺り女子力の低さが伺えるものだ。
「お代わりもいる?」
「はい! ありがとうございます!」
俺がそう尋ねると、シーラさんが嬉しそうにコップを差し出してきた。
そこに水魔法で水を注いでやると、今度はゆっくりとシーラさんが一口含んだ。
味わうように水を飲み込むと、ふうと息を吐いた。
それからほっこりするような笑顔を浮かべながら、
「夏なのに涼しい空気の中で冷たい氷水が飲めるって贅沢ですよねぇ」
「そうだよねー」
「こんな贅沢をしていると何だか貴族の令嬢にでもなったみたいです」
「氷の魔導具は貴重で貴族でも持っていない家も多いから、下手な貴族よりも贅沢してるかもね」
「そうなんですか!? 今、私は下手な貴族よりも贅沢をしているんですね。そんな贅沢を魔法で実現できるアルフリート様は凄いですよ~」
「魔法は生活を豊かにするためにあるからねー」
何だかシーラさんと話していると随分と落ち着くなぁ。
会話に棘もないし、突拍子もない事を言い出さない。無理矢理稽古に引っ張っていったりもしないし、きっと怒ったとしても暴力は振るわないだろう。
シーラさんみたいな穏やかな人が姉だったら俺の生活はもっと平和だったのかもしれないな。
「ああ、テーブルがひんやりとしてる~」
「本当だー。この絶妙な冷たさが気持ちいい」
テーブルに頬をつけると、気持ちのいい冷たさが伝わってくる。
この冷たすぎない冷たさが最高なのだ。
「……何かこの二人、妙に落ち着いているな」
「草食動物が日向ぼっこしているみたいだね」
同じくテーブルに頬をつけたトールとアスモがそんな事を言う。
二人共冷たさを堪能したいがために、頬を強く押し付けているせいか顔が大変な事になっている。あまり
こっちを見ないでほしい。
前方の絵面があまりにも酷いので、俺は隣にいるシーラさんの可愛らしい顔を見ながら尋ねる。
「シーラさん、冷気は大丈夫? 涼しすぎない?」
「大丈夫ですよ。ちょうどいいくらいです」
ならよかった。懐柔するつもりが寒すぎて風邪を引かせたとあったら台無しだからな。
「アルフリート様ってば、本当に優しくて気が利きますよね。エリノラ様がついつい甘えちゃうのもわかる
なぁ~」
そんな事を考えているとシーラさんが突然妙な事を言ってくる。
「……エリノラ姉さんが甘える? 俺に対してのあれはただの我儘じゃないの?」
「エリノラ様とは一緒に遊んだり、稽古をしたりして長く一緒にいますけど、アルフリート様がいつも言うような態度は見たことがありませんよ。きっとアルフリート様だからこそ、甘えて素の態度でいるんですよ」
「……それはエリノラ姉さんの中で一番俺が地位が低いからでは?」
俺なら何をしても許される。何をしても反撃しても返り討ちにできる。エリノラ姉さんの中でそういう確信があるからではないだろうか?
「違いますよぉ。アルフリート様とエリノラ様が一緒にいる姿を見れば、その違いくらいわかります」
訝しむ俺の考えをやんわりと否定するシーラさん。
ふーむ、そうなのだろうか? 俺にはいまいちエリノラ姉さんが理解できない。
何を餌に与えればどんな行動をとるとか、気にくわないだとかは手に取るようにわかるというのにおかしなものだ。
「逆にエマとトールの関係とかはアルフリート様が懸念している関係に近い――」
「そんな事はねえ! 俺の地位が一番下だなんて認めねえぞ!」
シーラさんの言葉を遮るようにして、トールがバンッとテーブルを叩いて叫ぶ。
「でも、事実」
「違えよ!」
ぼそりと呟いたアスモにトールが反応して即座に否定。
まあ、それを否定したい気持ちはわからなくもない。だが、それは数年経つと、悟りへと突入してそれが当たり前の事実として受け入れられるのだ。
前世の俺はまさにそんな感じだった。
「あっ、これは秘密だったね。アルフリート様、忘れてください」
思い出したというように、シーラさんがそんな事を言う。
大丈夫だろうかこの人は?
今から俺達で懐柔して口をつぐんでもらわなければいけないというのに、これでは心配になってしまうぞ……。