濃い味派、薄味派
鮭の処理をしたら塩焼きにしてしまう。
やはり和食といったら鮭の塩焼きだしな。ご飯に合う焼き魚は、鮭やブリの照り焼きではないだろうかと俺は思う。
それから、ほうれん草を茹でて水に浸す。冷えたらしっかりと水気を切って、食べやすい長さに切る。
それが終わると、醤油、みりん、少量の出汁を入れて混ぜておくだけだ。
暑いこの季節にシャキッとして水気のあるほうれん草は美味しいからな。最後に氷魔法で少しだけ冷やしておこう。
その二つが終わると、次は味噌汁だ。
すっかり濃厚な香りのするなめこ鍋の火を強め、沸騰直前になってから味噌を溶いていく。
今回はなめこの旨味があるために出汁はいらない。味噌となめこの味だけで十分なのだ。
味噌を溶いてかき混ぜていくと、味噌の濃厚な香りが辺りに漂う。
「ああ、いい匂い」
「あれだけ濃い匂いをしていた味噌も、溶かすとこれだけ落ち着くんだな」
味噌汁の匂いを嗅ぎながらホッと呟くと、バルトロもどこか柔らかい表情で言った。
味噌汁の匂いって、本当にどこか落ち着くよな。
仕事が忙しくて食欲がない時でも、この匂いを嗅げば不思議とリラックスできて食も進んでいた。野菜をいくつも投入すれば栄養だって満点だし、よく助けられたなぁ。
しみじみとそんな事を思っていると、厨房の出口の方からボソボソと声が聞こえてきた。
「あれがカグラ料理ですかね? いい匂いがします!」
「何だかホッとするような不思議な香りです」
「本当ね」
厨房から漂う味噌の香りは屋敷にも広がり、メイドのミーナとサーラ、そしてエルナ母さんを引き寄せてしまったようだ。
エルナ母さんはともかく、ミーナとサーラは大丈夫なのだろうか? まあ、サーラもいるわけだし、仕事を放り出しているってことはなさそうだな。
扉から覗く、三つの顔を無視しながら俺はバルトロへと振り返る。
「ちょっと味見してみる?」
「おう、そうだな! 頼む!」
バルトロがそう返事するのと同時に扉から「ああ!」と羨むような声が聞こえてきたが気にしない。
俺は突き刺さる視線を無視して、小皿に味噌汁をよそってやる。
バルトロは小皿を受け取ると、ゆっくりと味噌汁をすすった。
すると、バルトロが強面の表情を穏やかなものにする。
「……お、おお。飲むだけで心が落ち着くぜ」
「バルトロさんのあんな柔らかな表情は見たことがないです! それほどまで美味しいのでしょうか?」
「…………」
「……私も味見してみたいわね」
エルナ母さん、わざと俺達に聞こえるように言っていますね?
それとサーラ、視線だけで味見したいアピールをしないでください。言葉がないと逆にそれはそれで怖いから。
「味噌がいい味をしているでしょ?」
「ああ! これなら色々な具材を入れても問題なさそうだな。だけど、ちょっと味が薄い気がするな。いや、俺はこれくらいの薄さがちょうどいいんだけど、濃い味を好むやつもいるし……」
ああ、なるほど、この屋敷でも薄味と濃い味を好む人がいるからな。
ノルド父さんやシルヴィオ兄さんは薄味を好み、唐揚げや串揚げ、揚げパンといった濃い味の物は好まない。メイドでもサーラはこっち側だ。
一方でエルナ母さん、エリノラ姉さん、ミーナ、メルといった面々は濃い味のものを好み、濃い味のものでもたくさん食べる。
ちなみに俺は中間だ。薄味を好む時もあれば、濃い味を好む時もある。さすがにエルナ母さんやエリノラ姉さんのような揚げ物や甘い物をどか食いしないが、食べる時は食べる。
食に飽和した前世を生きたせいか、気分によって変わるってことが当たり前だったしな。
「それぞれの人に合う味付けを探さないとね」
「……そうだな。まあ、それには実際に味見をしてもらう方がいいんじゃねえか?」
そう言いながらチラリと扉の方に視線をやるバルトロ。
扉では俺達の会話が聞こえたのか、期待の眼差しを送ってくる三人が。
「そうだね。屋敷にいる皆に味見をしてもらおう。その意見を聞きながら味付けをしていこうか」
俺がそう言った瞬間、エルナ母さん、ミーナ、サーラが嬉しそうな表情をして厨房へと入って来た。
本当は誰か一人にノルド父さんとシルヴィオ兄さんを呼んでもらいたいんだけど、言えそうにないな。
「じゃあ、俺はノルドとシルヴィオを呼んでくるぜ」
「わかったよ」
女性陣を見たバルトロは苦笑しながら、厨房から出ていく。
なんだかんだとバルトロは面倒見がいいよね。
俺は女性三人分の小皿に味噌汁を注ぎ、それを手渡していく。
意外な事に一番に手をつけたエルナ母さん、二番目に手をつけたサーラが口をつけない。
それを疑問に思っていると、二人の視線は三番目に受け取って口へと運ぼうとしているミーナへと注がれていた。
「熱いです!」
一番に口をつけたミーナが熱がると、エルナ母さんとサーラは小皿にふうふうとお上品に息を吹きかけた。
ミーナを実験体にすることで熱さを確認していたのか。
エルナ母さんとサーラはズルいな。だけど、こういう人が世の中を要領よく生きているんだと思う。
エルナ母さんとサーラが味噌汁を少し冷ますと、ゆっくりと小皿をあおる。
それから目を瞑り味わうように飲み下すと、カッと目を開いた。
「「もう一杯」」
「ちゃんと感想を言ってよ」
「美味しいわ」
「美味しいです」
俺が感想を尋ねると、揃ってそんな単純な感想を述べる二人。
そんなエリノラ姉さんみたいな反応はいらないんだ。
「いや、味の濃さがちょうどいいかなんだけど……」
「わかったわ。もう一度確かめるから注いでちょうだい」
「初めての味でしたからね。もう一度飲めば、判断できると思います」
俺達の会話を聞いて、明らかに意味を理解していたというのにシレっとそんな事を言う二人。
「……落ち着く味ですねぇ。あっ、私ももう一杯お願いします」
ミーナに至っては、建前すら存在していない。ちゃんと味見の意味を理解しているのだろうか。買いもしない試食客を相手にしている気分だ。
まあ、それほど気に入ってくれたって事なのだろう。そこについては安心できたから良しとするか。
そう納得しながら、俺は突き出された三人の小皿を受け取って味噌汁を注いでいく。
そうして再びの味見をしてもらうと、今度こそ味付けについての感想をもらう。
「美味しいけど、私はもう少し濃い味付けの方が好きね」
「私もです!」
「私はこのままで十分にいいと思います」
と、見事に濃い味派と薄味派の意見が分かれてしまった。
「えー? もう少し濃い方が美味しくないですか?」
「これくらいがちょうどいいのです。これ以上濃くすると、新鮮ななめこの味が損なわれてしまいますよ」
「もうちょっと濃い味付けの方がご飯に合いますって!」
「ご飯と食べるだけが全てではないです」
おお、珍しい事にミーナとサーラが味付けで口論している。
いつも穏やかな二人がこうも強く言い合うのは珍しいな。
逆にエルナ母さんは何か反応がないのだろうか?
味には一番うるさいはずのエルナ母さんが静かだと怖いな。
そう思ってミーナの隣を見てみるが、そこにいたはずのエルナ母さんの姿がない。
慌てて周囲を見渡すと、エルナ母さんは味噌汁の鍋の前にいた。
しかも、勝手にスプーンで味噌を掬って味を濃くしようとしている。
「ちょっと待って! エルナ母さん! 何勝手に味付けを変えようとしているのさ!」
「邪魔しないで! この味噌汁にはもう少しの味噌が必要なのよ! それでようやく完成するわ!」
「料理なんて滅多に作らないエルナ母さんが何言ってるのさ!」
「ああ、サイキックでスプーンと味噌を取り上げるなんて卑怯よ!」
危ない、俺がサイキックでスプーンと味噌を取り上げなければ勝手に味を濃くされるところだった。
「……私にも無属性魔法が使えれば」
「俺はエルナ母さんが無属性魔法を使えなくて良かったと心底安心しているよ」
これほど厄介な母親なのだ。無属性の適性がなかったのは正解だと思う。
「アルだけズルいわ。遠くにある物をサイキックで引き寄せたり、持っていったり、動かずに鍵をかけたり扉をしめたり。火魔法と水魔法の適性なんていらないから、私にも無属性の適性が欲しかったわ」
ガックリと項垂れたエルナ母さんが珍しくブツブツと不満を漏らす。
なんだかんだと言ってもエルナ母さんも無魔法が使いたかったのだろうな。同じ面倒くさがりだからこそ、俺が使う無魔法は羨ましく思えたのだろう。
無属性魔法はかなり汎用性が高い魔法で便利だからな。
羨む気持ちはわからないでもないな。まあ、だからって俺が気を遣って使わないという事はあり得ないんだけど。
もはや俺の生活の中で、魔法は必須のものとなっているからな。
「おや、いい匂いがするね」
「あなた、これが味噌汁よ。味見してみて」
俺がそんな事を思っていると、ノルド父さんとシルヴィオ兄さんが厨房に入って来た。
そして、項垂れていたエルナ母さんが即座にお玉で味噌汁を小皿に入れて、ノルド父さんの下へと持って行った。
さっきまでの不満面はなんだったのか。
エルナ母さんにはノルド父さんがいるし、無魔法なんてなくても幸せそうだな。
「味はどうかしら?」
「美味しいね! 僕好みの味の濃さだよ!」
エルナ母さんがにこやかに問いかけるが、ノルド父さんはきっぱりと反対の感想を漏らした。
「本当だね。すごく優しい味をしているよ。僕もこれくらいの味が好きかな」
続いてシルヴィオ兄さんも爽やかな笑顔をしながら、薄味派を主張。
これにはエルナ母さんとミーナも思わず固まってしまう。
それから数秒経つと、二人はにこやかな笑顔を俺とバルトロの方へと向けてくる。
……目が笑っていないから怖いんだけど。
俺とバルトロが思わず後退ると、エルナ母さんが近寄って腰を下ろし、俺の肩を掴む。
「アルはどっちなのかしら? 勿論濃い味派よね?」
「……エルナ母さん、肩に指が食い込んでいるよ? というか、選択肢がすでに切られているよね?」
傍から見れば、母親が優しく息子の肩に手を置いているように見えるが、実際は全然違う。
俺が薄味派を主張すれば、この肩が壊れると言いたげに肩に指が食い込んでいるのだ。
これでは脅されているも当然だ。
「バルトロさんはどうなんですか?」
「ええ? いや、俺はどっちだったかなぁ?」
バルトロもこの状況を理解しているのか、必死に言葉を濁して誤魔化そうとしている。
しかし、この状況でそんな甘い答えは許されない。
業を煮やしたミーナが、思いついたかのような声音で言う。
「確かバルトロさんは濃い味が好きでしたよね? じゃあ、味噌汁も同じですね!」
「あら! じゃあ、バルトロは濃い味で決定ね!」
「お、おう」
女性二人のプレッシャーに屈して、バルトロはあっさりと頷いてしまう。
こうして濃い味派と薄味派の票は互角になったわけで、全ては俺にゆだねられる事になってしまった。
これには薄味派を主張するノルド父さんも黙っていられず、
「アルは落ち着いた味が好きだよね? いつもバルトロは素材の味を生かすのが上手くて美味しいって言っていたじゃないか」
「そんなことないわよ。アルは揚げ物やお菓子を好んで作るのよ? 濃い味が好きに決まっているわ」
「いやいや、エルナ母さん。俺は別に好んでお菓子を作っているわけじゃ――いたたたたたたっ!?」
俺が少し間違いを訂正しようとしただけで、凄く指が食い込んできた。
「エルナ、アルが痛がっているよ?」
おお! ノルド父さんが初めて俺の悲鳴に反応してくれた。
「久しぶりにカグラから帰ってきたのだもの。愛しい子供とは触れ合っていたいわ」
……なんだろう。今そう言われると俺達親子の絆がひどく軽く思えてしまうのだが……。
「それでアル、どっちなの?」
「どっちなんだい?」
エルナ母さんとノルド父さんが、笑顔の裏にプレッシャーを滲ませながら尋ねてくる。
視線を逸らそうにもエルナ母さんが手で肩を押さえつけ、ノルド父さんが圧力をかけてくる。
重苦しい空気に堪えながら、俺はしどろもどろに答える。
「……両方……じゃダメ?」
「「ダメ」」
味噌汁を入れる時に個々の味を調節してやればいいと考え付くのは、これから五分悩んだ後だった。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします!




