言ってやりたい言葉
「……え? 本当に?」
小次郎が突然仕事を辞めると言い出したので、俺は驚きのあまりに問いかけてしまう。
「ああ、刀士を辞めて俺はうな丼の店を開く!」
「本当にいいの?」
「刀士を辞めていいのか?」
「ああ、刀士は辞める! そして俺はこのうな丼の美味しさをカグラに広めるんだ! 刀を極めて二十年余りの人生。自分に他にできることもやりたいこともないと思っていたが、今更になってやりたい事が見つかるとは思わなかったぞ!」
俺とルンバが念を押すように言うも、小次郎は心底嬉しそうな表情を浮かべてそう言い放った。
おお、まさか軽い気持ちで教えたウナギ料理が、小次郎の心に希望を灯してしまうとは思わなかったな。
これが前世でのサラリーマンが言い出したことなら、小一時間くらい厳しさを言うところなのだが、ここは異世界。さらにこのカグラでは米や醤油といったものはあるものの、ウナギ料理はまだ開拓されていないという。
ウナギだって格安で仕入れられるし、タレも自分で作れるし、お米だってある。大して苦労せずに現地で食材を手に入れられるので、カグラでウナギ屋を開くことは悪くないことだと思える。
それに魚の塩焼きの丁寧さや手際の良さから小次郎自身が料理も慣れているようだし、問題ないのではないか。
仕事を辞めて、貯まった貯金で料理屋を開く。
料理を作って、お客さんの笑顔を見る。
時にお客さん楽しく話しながら毎日を穏やかに過ごすのって良い事だよな。
俺も前世では老後にはお洒落な喫茶店を開いて、コーヒーや軽食でも作りながら穏やかに暮らせたらいいと思っていたよ。
「いいねえ、刀士を辞めてウナギ屋を開くの。充実した楽しい生活がおくれそうだね」
「だろう? ウナギはこれだけ美味いんだ。店が開いたら客がこぞってやって来るぞ」
俺と小次郎はその光景を思い浮かべながら空を仰ぐように呟く。
「その時は皆がウナギの美味しさに驚くだろうね」
「ああ、皆不味いと思っているからな。知り合いが驚く様が今から楽しみだ」
クックと無邪気に笑いながら言う小次郎。身近にいる知り合いを想像しているのかその表情はすごく楽しそうだ。
小次郎を微笑ましく眺めていると、ルンバがこちらに近付いて尋ねてくる。
「なあ、アル。ウナギってコリアット村にもいたよな?」
「うん、いるよ。俺が普段遊んでいる川でもたまに見かけるからね」
「なら、良かった。これで村に帰っても食えるな!」
今まではタレとなる醤油がなかったから放置していたが、醤油が手に入ったので存分にウナギ丼を食べることができる。
それがわかったからか、ルンバは安心したように笑った。
「小次郎、ウナギ屋を開くなら、他のメニューや簡単な注意点を教えておくよ」
自分が作りやすいということは他人も真似をしやすいということ。小次郎が苦労して作ったうなぎ丼を真似されては堪らない。
「……アルとルンバは、俺が仕事を辞めてウナギ屋をすると言ってもバカにしないんだな」
「バカになんかしないよ?」
「俺は冒険者だしな。仕事をやるもやらないも辞めるも本人の自由だと思うぞ?」
俺とルンバがきっぱりと告げると、小次郎は呆気にとられたような顔をする。
「どしたの?」
「……いや、すまん。そのような言葉を今までかけてもらった事がなかったのでな。何だか不思議な気分だ。主に仕えろだとか、刀に生きろとしか言われた事がなかったからな。それ以外の事で応援してもらえる事がこんなにも嬉しいことだとは……」
目頭を摘まみながら涙を堪える小次郎。
お、おう、小次郎が所属する刀士のグループはそんなにも厳格だったのか。仕事を辞めたかった小次郎からすれば、その言葉は重みでしかなかっただろうな。
俺は小次郎に寄り添い腰をポンポンと励ますように叩く。ルンバも同じように優しげな表情で肩を叩いていた。
「これからは自分のために生きるんでしょ?」
「刀じゃなくてウナギに生きるんだな! 次に持つのは刀じゃなくて包丁だ!」
ルンバがガハハと笑いながらバシバシと叩くと、小次郎は袖で目元を荒々しく拭った。
「……ああっ! その通りだ! これからはウナギ料理を極める! さあ、アル! そのために他のメニューや注意点を教えてくれ!」
小次郎のこれ以上ないほど嬉しそうな笑顔を見て、俺はひつまぶし、うまき、白焼きといった他のウナギ料理を教えていく。
これらは大して手間のかかるものでもないので簡単だが、やはりウナギ屋を開くことで一番に注意したいのはタレだ。
小次郎がウナギ屋を開いてうな丼を振る舞うことで、多くの者が正しく調理をすればウナギは美味しいものだと理解するだろう。そうすえば、小次郎と同じようにウナギ屋を開くものがでてきてもおかしくはない。
そんな場合になった時でも、打ち勝てるようなどこよりも美味いウナギ料理を作らなければならない。ウナギ自身の処理の仕方、捌き方、焼き方という技量の差もあるが、一般の人が一番理解しやすいのはタレの味だろう。
小次郎の店が一番美味しいと思える秘伝のタレを作るのだ。
さすがに俺はウナギ料理のプロではないので、詳しく伝えることができない。
精々がベースなるタレの作り方、ウナギの頭や骨を焼いて、ベースのタレでじっくり煮込む方法くらいである。
「タレの作り方はそれくらいしか知らないや。ごめんね」
「いやいや、アルは十分すぎるほどに教えてくれた。後は俺が自分でやらなくてはいけない課題だ。美味いタレは自分で研究してみせる!」
拳の握り込みながら息巻く小次郎。
この様子ならば根気強くタレを研究してくれそうだな。
「じゃあ、まずは練習のためにもっとウナギを捕まえようか。捌き方の練習もしないといけないし」
「そうだな! よし、ウナギをもっと捕まえるぞ!」
「おお、潜るか!」
俺がそう言うなり、即座にカグラ服を脱ぎ捨てるルンバと小次郎。
それから多くのウナギを捕まえ、小次郎にウナギの捌き方を練習させて、たくさんのウナギ料理を食べた。
◆
三人でウナギ料理を満喫して昼頃になると、小次郎は今日の分の仕事があるらしく帰る時間となった。
「ふふ、これほど仕事に行くのを楽しいと感じたことはないぞ。何せ、俺は今から仕事を辞めるのだからな。くくく、今日の俺は無敵だ! 母上や妹が来ようとも負ける気はしない!」
不敵に笑いながら立ち上がる小次郎。
無敵のメンタルタイムと言う訳か。まあ、これから仕事を辞めるためだけに現場に行くとなると、その気持ちもわからなくもない。
「ちゃんと仕事を辞めてくるんだぞ?」
「ああ、任せろルンバ!」
「同僚や上司、身内に説得されても耳を貸しちゃダメだよ? せめて後輩が戦力になるまでだとか同情していたらいつまで経っても辞められないから注意するんだよ?」
「……あ、ああ。何だかアルの言葉は妙に現実感があるな」
俺の忠告にちょっと引き気味になる小次郎。だが、それは十分にあり得ることなのだ。
一時の感情に流されてズルズル従うといつまで経っても辞められないしな。
「君に辞められると困るんだよとか言われたら、そんな大事な人材をボロ雑巾のようにこき使っていたんですかって言ってやるといいよ」
「それもそうだな! アルはいい言葉を思いつくな!」
元社畜である俺と、現社畜である小次郎はそう言って笑い合う。
俺が前世で言ってやりたかった台詞ナンバーワンだ! 言う事ができなかった俺の代わりに小次郎には是非言ってもらいたいものだ。
「お前達、目が死んでて笑ってないから不気味だぞ?」
笑い合う俺達を見てルンバがちょっと引いていたが気にしなかった。
「満足のいくものができたら店を開く! その時は必ず来てくれ!」
「わかったー! またカグラにやってくるよ!」
「美味いうな丼を食わせてくれよな!」
俺とルンバは颯爽と駆けていく小次郎の後姿を見送りながら、そう声をかけた。
……仕事を辞める……か。前世の俺には到底できなかった事だな。
会社を辞めたからといって他にお金を稼ぐ方法もなかった。田舎でスローライフをおくりたいという漠然とした望みはあったが、実際にそうするにも勇気やお金がなかった。
勿論、小次郎もこれまで散々苦労してきただろうが、こんな風に仕事をさっぱりと辞めて、自分の好きなように生きられることは羨ましく思えるな。
「……どうしたアル? なんか面白いものでも見つけたか?」
そんな事を思っていると、隣にいるルンバが声をかけてくる。俺がボーっとしているのはいつものことなので『どうした? ボーっとして』とは尋ねてこない。
前世だけの俺なら羨んでいたが今の俺なら違う。なぜなら今の俺は小次郎に負けないくらい好きに生活を満喫しているのだから。
「小次郎がちゃんと仕事を辞められるといいなって」
「そうすれば、ここで美味いうな丼が食えるようになるしな! 小次郎が店を開くのはいつだろうな?」
「わからないけど、ちょっと時間がかかると思うよ。でも、また時間を見つけたら食べに行ってあげようか」
来週には書店で並んでいるかと思います。
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