匂いにつられて
旅館で朝ご飯を食べ終わると、商会メンバーはこれから仕事なのかほとんどの人がいなくなった。銀の風のメンバーも護衛としての役割があるので、身近な人は誰も残ってはいない。
そうなると残っているのは俺とルンバくらいのもので、一階のロビーでは静かな時間が流れていた。
「アル、今日はどうする?」
対面のソファーに座るルンバが尋ねてきた。
「んー、こうやって女将の淹れてくれた緑茶を飲みながらまったりするのも悪くないかな?」
そう言いながら、女将の淹れてくれた温かい緑茶をすする。
独特の苦みがある緑茶の味がたまらない。茶葉の味が十分に出ているな。
「……せっかくの観光だぞ? 一日旅館にいるのは勿体なくないか?」
「そうかな? こうやって異国の地の旅館だって寛ぐのも悪くないと思うけど?」
外に出てしまうと女将や三之助が付いてきてくれないじゃないか。
こうやってロビーでゆっくりしていると女将や三之助がお茶を淹れてくれたり、お菓子を出してくれたりもてなしてくれるんだぞ?
異国の風景を眺めながら皆で喋ったり、お世話されたり大いに結構ではないか。
「相変わらずアルは普通の子供とは思えない発言だな。普通異国に来たら外に出るもんじゃねえか? 滅多に来れないんだから外に出ようぜ? な?」
いや、俺が空間魔法の転移があるから、もはやいつでも行くことができるのだが。
しかし、ルンバは外に出たいのか明らかに不満そう。
とは言っても、ルンバはいつでも行ける訳でもないしな。
マイホームに住ませてあげてるとはいえ、俺がここに来られたのはノルド父さんを説得してくれたルンバのお陰だし、遠いコリアット村から付いてきてくれからな。
ルンバは一日旅館でボーっとできるような性格でもないし、外に出るとしますか。
「……わかった、それじゃあ、外に出ようか」
「おお! やっぱり子供はそうじゃねえとな!」
俺が外に出る決意を示すと、ルンバが嬉しそうに立ち上がる。
外に出られることが嬉しくて堪らないというような感じだ。ソファーに座っている俺を見下ろして、今か今かと犬のように待っている。
「よし、俺も立ち上がって――あれ? 何か力が出ないや」
立とうとしても立ち上がれない。おかしいな、俺は心で外に出るんだと決めたはずなのに、身体がついてこない。
立ち上がろうと考えると、柔らかいソファーがそれを阻むように全身の力を奪っている気がする。
朝の温かい日差しに柔らかいソファー。それに美味しい緑茶。これは人をダメにしてしまうな。
「お? どうしたんだよ?」
「……ソファーが気持ち良くて立ち上がれない」
どこか力の抜けた声で答えると、ルンバが突然俺の腕を引っ張って持ち上げた。
それから米俵を担ぐかのようにルンバの右肩に乗せられた。
「じゃあ、俺が運んでやる! 外に行くぞ!」
ルンバはそう言いながらノシノシと歩いて玄関へと向かう。
「おー、これも中々悪くないな。じゃあ、これで行こう。あっ、ルンバ。玄関にある俺の靴取って」
◆
ルンバに担がれて外に出ると、カグラの大通りは今日も人々で賑わっていた。
色鮮やかなカグラ服が入り乱れる様は花畑のようで見ているだけで楽しい。ましてや、今日は肩車でもなく、担がれているときた。
こんな体勢で景色を眺めることなんて滅多にないしな。
ルンバの肩で後ろ向きに担がれた状態の俺は、のほほんと辺りを眺める。
しかし、何故だろう。先程から俺の方へと随分と視線が集まっている気がする。
俺とルンバの姿が黒髪じゃないし目立つのは当然なのだが、視線の色が奇異ではなく、不安や恐れのような気がする。
仮に大人に担がれているのが奇異に見えても、このような視線は向けてこないだろう。
人々の視線を不思議に思っていると、ルンバの後ろを歩いている男性が声をかけてきた。
「……えっと、僕大丈夫なのかい? 目が凄く死んでいるし、身体から力が抜けているけど?」
「大丈夫ですよ。お構いなく」
俺がきっぱりと言うと、男性は不安そうな声で囁く。
「本当に大丈夫かい? なんか担いでいる人怖いし、実は誘拐とかされているんじゃない?」
なんと、先程から妙に不安そうな視線が向けられていると思ったら、そのような勘違いをされていたのか。
まあ、ルンバってば強面だし眼帯つけているし、如何にもヤクザみたいな風貌をしているから仕方がないのかもしれない。
「いえ、本当に大丈夫です。ちゃんとこのオジサンは知り合いなので……ルンバ、そろそろ自分で歩くよ」
「おう? そうか?」
この体勢は自分で歩かなくていいので楽なのだが、このような誤解を行く先々でされては堪らない。なので、俺はルンバの肩を叩いて降りることにした。
俺とルンバの気安げなやり取りを見ると、後ろにいた何人かがホッとした様子をしていた。
「アル、どこか行きたい所はあるか?」
「うーん、昨日とかに主な所は回ったし、朝食も食べたところだしな。今日は大通りから離れた場所とかに行ってみたいかな」
「わかった。じゃあ、そこら辺を自由に歩いてみるか」
ルンバの言葉に頷いて、俺は大通りから逸れた道を歩く。
大通りから離れると、道幅が途端に狭くなって住宅が立ち並ぶようになる。
俺達は閑静な住宅街をあてもなくブラブラ。道を歩いていると主婦らしき女性が洗濯物を干していたり、子供達が狭い道ながらも鬼ごっこをしていた。
実に平和な光景だ。
大通りとは違って、住宅街には派手さがないのでルンバには退屈するかもしれないと思ったが、ルンバも異国の暮らしぶりが見られて楽しいのか楽しんでいる様子だ。
そんなのほほんとした住宅街をルンバと進んでいくと、大きな川辺へと出てきた。
向こう側にも同じように住宅街があり、そちらへ行けるように綺麗なアーチを描いた木製の橋がかけられている。
中々に立派なもので結構な長さがあるなぁ。
橋から川の景色も見るのも悪くないので早速移動するか。
「お? なんかいい匂いがするな」
橋へと移動しようとすると、後ろを歩くルンバが鼻をスンスンと鳴らしながら呟く。
「えー? 露天街でもないし住宅街からも少し離れているから食べ物の匂いなんてしなくない?」
「いや、するぞ。これは魚の焼ける匂いだ」
ルンバはそう言うけど、俺の鼻にはまだ届いていないぞ。
「橋の下辺りからするぞ! 行ってみるか!」
俺が首を傾げていると、ルンバが足を進めて橋の下の方へと向かっていく。
おお、ルンバの食い気のお陰で橋の上から橋の下になったぞ。
まあ、いいや。俺ってば橋の下の秘密基地のような空間も大好きだし、間近で川を眺めるのも悪くない。
俺は先導するルンバについていって橋の下を目指す。
「あっ、本当に魚の焼ける匂いがしてきた」
「だろ?」
大股なルンバに遅れないように小走りすると、ルンバの言う通りに魚が焼ける匂いがしてきた。魚の塩焼きだろうか? とても香ばしくていい匂いだ。
少し歩き回って小腹が空いた胃袋がいい感じに刺激される。
その匂いに誘われるように歩くと、丁度橋の下ではいくつもの魚が串に刺されて焼かれていた。
「……誰かが焼いていたのかな?」
「それにしては人影が見えねえけどな」
ルンバと一緒に辺りを見渡してみるが、人の気配はどこにもなかった。
では、一体誰がこの魚の塩焼きを用意したというのやら。
「「…………」」
俺達の目の前では丁寧に塩を振りかけられた美味しそうな魚が焼けている。
昨日とかに露天街で売っているのを見た魚だから、マズい魚ではないはず。
魚の無駄な水分が飛び、表面も綺麗に焼けている。まさに今が食べごろと言っていい状態だ。
俺とルンバは魚の塩焼きを見下ろしてゴクリと喉を鳴らす。
「……このままずっと焼いていたら丸焦げになっちゃうよね?」
「ああ、そうだな。それは魚も魚を焼いた人も俺達も幸せにならないことだな」
となると、ここで幸せを無駄にしないためには、魚が焦げない内に俺達が食べるということだな。
俺とルンバは顔を見合わせると頷き合って、魚の塩焼きへと手を伸ばす。
「ちょっと待てい! それは俺が捕まえて丁寧に焼き上げたものだぞ!?」
すると、突然川からフンドシ一枚だけを巻いた男性が出てきた。
……丁寧に焼き上げたか。そう言われると無性に食べたくなってしまうな。
俺とルンバは男性に一瞥だけやると、すぐに魚へと視線を戻して齧り付く。
「焼いた本人が目の前にいて止めてるんだから齧るな!」