女将と三之助
窓から差し込む日差しによって俺の意識は浮上した。
太陽の光に眩しさを感じて目を細めながら、俺はゆっくりと身体を起こした。
いつもの時間帯に比べれば何となく早い時間な気がするが、たまには早起きも悪くはないな。
「ふわぁ……」
衝動のままに欠伸をして、朝の新鮮な空気を身体に取り込む。
それから座った状態のまま、身体の筋肉を揉み解すように伸びをする。
昨夜はかなり卓球をやっていたからなぁ。
トリーに卓球を説明していると、ゾロゾロと商会の男達も出てきた皆が卓球に興味を持ちだした。
当然二十人以上の男が卓球をやるのに一台では全く足りないので、俺は皆の期待の眼差しに応えて卓球セットを増産。
カグラの情緒が溢れる庭には、卓球台が追加で五台生産された。
台を追加すれば、その分球であるコルクも必要ということで、商会にある貴重なワイン瓶が五つ開けられることになった。
赤ワインを呑みながら、楽しくコルク球を打ち合う姿はまさに貴族の遊戯と言ってもいいであろう。
これにはさすがのトリーも苦笑いをしていたが、新しい商売の投資と考えて許したそうだ。
そんな太っ腹なトリーではあるが、最初にアーバインとモルトがかっぱらってきた「オリガの赤ワイン」はトリーが楽しみにとっておいた物らしく酷く落ち込んでいた。
いつも飄々としているトリーが明らかに落ち込む様子は面白かったな。
コートを隔てた卓球は、昨夜のような騒がしく下品な騒動を起こす事もなく、皆が楽しんで無事に夜を終えた。
付け加えるならば、俺を含む数人の白熱者が汗をかいてしまい再びお風呂に入るハメになったことくらいだろう。
昨夜の疲労を残さないためにも朝のストレッチで入念にほぐしておこう。
健康な七歳児の身体だから、あれぐらいの運動で身体に響いたりはしないとは思うが念のためにだ。
人間二十歳を越えたあたりで、途端に身体が老化していくからな。前世では生活習慣病、運動不足というものがあってか、年齢の割に身体がヘロヘロだった気がする。
今世では豊かなスローライフをおくるためにも、前世のような不健康な身体にしないようにしないとな。人間健康に生きられるのが一番だから。
そう思いながら、俺は立ち上がってラジオ体操をしはじめる。
ラジオ体操が終わって身体の調子が問題ないことを確認すると、俺は部屋にある窓を大きく開いた。
旅館の二階から見える景色は広く、今日も大通りでは朝早くから働きに出ているカグラ人達が行き交っていた。
聞こえてくる独特な喧騒と吹き込む柔らかな風を感じていると、コンコンというリズムよく跳ねる音が下から聞こえてくる。
「あっ、これ意外と面白い!」
「相手のコートに打ち返すだけのシンプルさがいいですよね。あんまり激しく動かないのでカグラ服を着ながらでも楽しめます!」
「そうよねー。私達女性用のカグラ服だと、気楽に運動をしづらいんだもの。この卓球? とかいう遊戯はそれを配慮してくれているからいいわー」
視線を下にやると、旅館の女性従業員が楽しそうに卓球をしながら会話をしていた。
卓球は浴衣のような激しく動けない服装の人でも、気軽に楽しめる遊びだからな。着物のような服を着ているカグラ人でも気楽に楽しめるのだろう。
従業員の言葉を聞いている限り、これはカグラ人の受けが良さそうだな。
日本の旅館のように旅館といえば卓球で遊ぶ。みたいなイメージになってくれると面白いな。
「あー、こうして遊んでいると私達の息抜きにもなりますよねー。女将ずっとここに置いてくれないですかねー?」
「うーん、さすがに庭師さんが許してくれないんじゃないの? うちの旅館って、庭とかも景観として売りにしているし……」
そんな風に呑気に会話をしていると、玄関の方から女将と三之助が庭に出てきた。
「あなた達、いつまで休憩しているんですか? そろそろお客様が起床する時間です。仕事に戻ってください」
「「は、はい! ただいま!」」
女将に注意をされて、いそいそと仕事に戻り出す女性従業員。女将に言われて慌てながらでも、見苦しくない楚々とした佇まいは訓練の賜物だろうか。どこかにいる姉に見習わせたいな。
俺が感心していると女性従業員を見送った女将が卓球台に近付き始めた。
それから女将は卓球台を確認するかのようにペタペタと触り出す。
そんなに土魔法でできた卓球台が面妖だろうか? 何の変哲もない台なのだが。
女将は台に置かれたラケットを握って、昨夜の俺達を真似するかのように素振りをした。
昨夜ばっちりと見ていたせいだろうか。その素振りは妙に様になっていた。
女将はラケットを手に持つと打ちたくなったのか、置かれているコルク球をネット代わりの壁にぶつける。
さすがにその様子を見ると、女将がラリーをしてみたいと察したのか三之助が無言で近寄って、対面でラケットを構え始めた。
それを見た女将が照れくさそうに微笑んで、ラケットでサーブを打つ。
見ていたせいか基本的なルールも覚えてしまったようだ。きちんと自分のコートでワンバンさせている。
コンコンとバウンドしたコルク球を三之助が丁寧に返球。
「えい!」
高くバウンドしたコルク球を女将が可愛いかけ声と共に打ち返した。
声とは裏腹に緩い球が三之助のコートに飛ぶ。
そしてそれを三之助が優しく打ち返した。
その表情はいつもながらのぶきっちょなものだが、心なしか表情が柔らかい気がする。
「へえ、二人だけだとあんな風なんだな……」
「――っ!?」
感心した風に呟くと庭にいる女将に聞こえてしまったのか、焦ったように顔を上げてくる。
驚きに染まったその表情を見れば「今の見た!?」という感じだろうか?
女将がこちらを見上げたせいか、返球されることのなかったコルク球が虚しく地面を転がる。
別に二人がキスをしていちゃついていた訳でもないのに大袈裟だな。
「おはようございます」
「……おはようございます、アルフリート様」
とりあえず朝の挨拶をすると、女将と三之助がラケットを台に置いて丁寧な動作で腰を折る。その凛とした表情と佇まいを見ていると、先程まで和やかに卓球をしていたのが嘘のようだった。
「……えっと、俺に構わず卓球をどうぞ」
「……いえ、朝食の準備がありますから」
朝食の準備があるというのに無邪気に庭で卓球をしていたのだろうか? さっきは従業員を注意していた
のに……。
「…………」
そんな感じの俺の視線を感じたのか、女将が少し気まずそうな表情をする。
「……すいません、卓球楽しかったです。カグラ服を着ていても楽しめるので、カグラで人気が出るかもしれませんね」
女将はそう言うと、綺麗な一礼をして玄関へと戻っていく。三之助も続くように礼をして、女将の背中についていった。
ラリーをするだけの卓球であるが、三之助と女将の夫婦らしい様子が見られた瞬間だったな。早めに起きてよかった。




