懐かしき香り
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「はー、久しぶりの畳だー」
風呂上がりの一杯を終えた俺は、夕食まで時間があるので自室で横になっていた。
屋敷のダイニングルームほど広さのある部屋は、畳が敷かれており和室といった感じだ。
落ち着きあるクリーム色に上質な木材を使われた壁は、閉塞感を与えることなく安心感を与えてくれる。
……何だろう。こういう和風な室内は随分と久し振りで少し舞い上がり、懐かしくも思うな。
こうして寝転ぶと畳の匂いがほのかに漂う。
ああ、懐かしい匂いだな。昔はおばあちゃんの家にある和室でよく昼寝をしたものだ。
風通しが良い和室で風鈴の音を聞きながら、スイカを食べて、昼寝をして……。
匂いっていうのは思い出と密接に繋がっているものなんだな。
久し振りに畳の匂いを堪能した俺は、立ち上がって窓の方へと寄っていく。
身長が足りないので設置されている椅子の上に乗って窓を開く。
俺がいる一室は旅館の二階だ。当然旅館となると周りの建物よりも造りが大きいわけで、二階であっても結構な高さであり、周囲の景色が良く見えた。
遠くに海に沈んでいく夕日と、茜色に照らされるカグラの街並みがよく見える。
「……いい景色だな」
窓の縁に肘を置いて、風景を眺めながら俺は呟く。
ふわりと漂う風が頬を撫でるようで気持ちがいい。前髪が微かに揺らめくのを感じる。
旅館の二階から大通りを見下ろすと、色鮮やかなカグラ服を着た女性、渋い色のカグラ服をゆったりと着こなし歩く男性などと色々な人々が見える。
木製の何かを担いで走り回る男性や、楽しそうな声を上げて走り回る少年少女達。
一体あの男性は何の仕事をしているのか、あの子供達が手に持って遊んでいる物は何なのかと想像するだけでも楽しい。
かつて暮らしていた日本とは同じようで、全く違う暮らしや文化なのだろう。何せこちらには魔法があるのだし。
どちらにせよ似たような文化を持っていても、それは昔の時代のことであって現代を生きていた俺は、歴史の教科書やドラマという表面的な部分しか知らないので、わからなくて当然だな。
昔の日本の風景はこのような感じであったのだろうか。そう考えると過去にタイムスリップしたかのような気分になれて面白いな。
ちょっと楽しい気分になって観光したくなってきたなあ。
でも、今日はもう日が暮れるし、疲れているのでダメだ。明日にはできるのでそれを楽しみにしておこう。
「おーい! アル! 飯だぞ!」
「早く行くぞ!」
「うわっ、この部屋いいな。やっぱり部屋は広さよりも住みやすさだよな」
そんな事を考えながらボーっと風景を眺めていると、突然扉が開いてルンバとアーバイン、モルトが入って来た。
「呼んでくれたのは嬉しいけどノックくらいしてよ」
「そんなことよりも今は飯だ! 行くぞアル!」
俺が注意するもルンバの頭の中は飯で一杯のようで、急かすように背中を押してくる。
まあ、俺もお腹は空いているし急ぐけどね。
何ていったって初めてのカグラ料理であり、旅館の晩御飯だからね。
俺は期待を膨らませながら、室内に用意されている下駄を履く。
勿論、ルンバ達も揃って下駄を履いている。
真新しい靴は新鮮で楽しいし、裸足で履けるから楽だもんね。
俺も同じく下駄を履き終えると廊下に出る。
『今回もあれをやるか?』
『ああ、当然だ。弾の確保に抜かりはないな?』
『当然です。女将や従業員にバレぬよう他の部屋からもかっぱらってきました』
『なら、問題ない』
廊下には、荷物の運び込みと湯あみを済ませたトリエラ商会の従業員がゾロゾロと歩いていた。皆で夕食を食べるらしい。
あっという間に廊下は人々の話し声に包まれて、何だか修学旅行のようだ。
それにしても弾とかかっぱらってきたとか何を言っているのだろうか? ちょっと気になる。
皆が歩くごとにカッコカッコと下駄の音が鳴るので聞こえにくい。
「この下駄ってやつ楽だなー。俺絶対これ買って帰るわ」
「裸足でもすぐに履いてうろちょろできるのがいいな。底が高いお陰で外歩いても砂が入りにくいし」
アーバインとモルトが口々に下駄について話す。
そうだな、俺も下駄を買って帰るのは決定だな。他の皆にはスリッパがあるし必要ないかもしれないのでいらないかな? 今履いているやつのように底が高いと歩きにくいとか言われて嫌がるかもしれない。
いや、でも底が低いやつならもっと歩きやすいので、これから訪れる夏の季節には涼しいし喜ばれるかもしれないな。
ただ、これをエリノラ姉さんに渡すと怒らせた時が怖い。スリッパとは違って結構な硬度を持っているから当たったら凄く痛いと思う。悩ましいな……。
「カグラ飯楽しみだな!」
ま、今はいいや。カグラ飯だよね。ルンバの言葉に同意だよ。
◆ ◆ ◆
旅館内にある一回の和室、椿の間。そこは俺が過ごしていた部屋とは比べ物にならないくらいの一室であり、大宴会でもするのかと思うくらいの広さであった。
ここまで畳がずらりと並べられると気持ちがいいものである。
椿の間の広さに驚きながら下駄を脱いで上がる。
畳の上には長いテーブルがいくつも並べられており、その上には色鮮やかなカグラ料理が並んでいた。
おっ、さすがカグラ。お刺し身もあるし醤油もあるな。
「うおー、随分と綺麗だな。華やかな貴族飯とは違うんだな」
アーバインが並べられたカグラ料理を見て感嘆の声を上げる。
ちなみに貴族飯という呼び方は、主に貴族に仕えるメイドや執事、騎士などが使う言葉である。王都のパーティーでメイドや執事が『貴族飯食いてえ』とかぼやいていたのを廊下で聞いたことがある。
「俺達の席はどこだ?」
早く席について食べたくてしょうがないルンバが辺りを見回して呟く。
辺りのテーブルにはすでに商会の従業員達が座っており、ぱっと見でどこか空いているのか判断しずらい。
「俺が一応貴族だから上座の方だと思うよ。ほら、あっちにトリー達がいた」
入り口から遠い奥のテーブルには、トリーにアリューシャ、イリヤが座っており、そこだけぽっかりと座布団が四つ残っていた。
俺が指さすと向こうも気付いたのか、笑って手を振ってくれる。
俺達の席が見つかったので移動して座布団の上に座る。
秘書さん、ルンバ、トリー、俺。
アーバイン、モルト、イリヤ、アリューシャという並び方である。正面には浴衣を着たアリューシャとイリヤがいるので実に視界が華やかである。
「それにしても豪華な夕食だね」
「アルフリート様はカグラ料理を楽しみにしていたっすからね。食事が美味しい宿を選んだっすよ」
テーブルに並ぶ料理はご飯、魚の塩焼き、ステーキ、山菜の煮物、お刺し身の盛り合わせ、見たことのない一品、蓋をされた茶碗などと実に豪華であった。
立体的で美味しく見える盛り付け方、鮮やかな色の野菜、飾り切りされもの、食材にあった皿の選定と、食べる前からお客を楽しませるものであった。
バルトロにも見せてあげたら絶対に喜んだだろうな。こういう美味しく見せる技術は、一般の料理にだって応用できると思うし。
「これ何だ? おお! ご飯か!」
テーブルの中央にある大きな器を開いたルンバが喜びの声を上げる。
「はい、それはご飯をお代わりする時に使って下さい。なくなれば私達に申し付ければ新しく持ってきますので」
いつの間にやってきたのか、女将が後ろから声をかけてくる。
「おお! お代わりし放題か!」
「そうです!」
ああ、あの大きな器五杯分はルンバ一人でなくなるだろうな。
「……タコではないようね」
「……ですね。よかったです」
アリューシャとイリヤは、目の前にある刺し身の盛り合わせをチェックしてホッとしているようだった。
どうやら知らぬうちにタコを食べてしまった二人は軽くトラウマになってしまったようだ。
食べないと言われているタコが旅館で出てきたら俺もビックリだよ。
「お? 何だこれ? 蓋が開かねえぞ? 何か引っ付いてんのか?」
アーバインがお茶碗の蓋を持って疑問の声を上げている。
それは吸い物の時によく起こるやつだ。
確か温かいものを入れて蓋をすると、温度が下がって体積が小さくなるので減圧され蓋が密着するのだとか。
ここはご飯のあるカグラだし、味噌汁というものを期待してしまう。
「ああ、それは碗を押して空気を入れれば開きやすくなりますよ」
女将がすっと反対側であるアーバインの傍に移動して開けて見せる。
「おお、何だこの茶色いスープは?」
「お味噌汁というお吸い物。スープのようなものですね」
そこには俺の予想通り味噌汁があった。
さすがはカグラ、味噌までも作り上げているだなんて。俺ってば朝は和食派だから本当に嬉しいな。
これからは朝食にご飯と味噌汁に魚、卵焼きという和食セットが出来上がるんだね。ローガンも大喜びだよ。タコ焼き器とかを作ってもらう交渉に使おうっと。
俺達が軽く料理の説明を受けている間に、全ての従業員が揃ったのかトリーが立ち上がる。
皆今か今かとうずうずしながら杯を手に持っている。
ちなみに俺はお酒が飲めないので緑茶だ。寂しい。
「さあ、皆席に着いたっすね? いやー、ようやくカグラに着いたっすね。長いようで短い旅だったっすよ。まあ、こんな美味しそうな食事を前にして色々言うのもあれっすし、旅の疲れを癒して英気を養うために存分に食べて、飲んで下さいっす! 乾杯!」
「「乾杯!」」
トリーの乾杯の声に合わせて、皆が杯を掲げた。
そう、ようやく俺達はカグラに着いたんだ。
書籍の口絵や特典ポストカードを見て、驚いた方がいたのではないでしょうか?
イラスト担当である阿倍野ちゃこさんから記念イラストを二枚貰いました。エリノラやアル、シルヴィオのイラストがあるので錬金王のTwitterを覗いてみて下さい。