お刺し身を食べよう
今回は文量が少し多めです。
「おいおい止めとけって! そんなの絶対美味くないぜ? 人間の食べられるものじゃねえって!」
「好奇心旺盛なのは子供の特権だが無茶が過ぎるぞ!?」
アーバインとモルトが叫び声を上げて止めてくる。
「大丈夫だって、きちんと料理すれば美味しく食べられるから! きっとアーバインとモルトも気に入ると思うよ?」
「「それは絶対にねえ!」」
俺が指さしながら語りかけるもアーバインとモルトは即座に否定する。
何を言うか。このうねうねと動き回り、足の裏には無数の吸盤を持つ茶色の体を見れば、食欲が湧いて……こないな。
どう見ても食べられる見た目をしていないや。昔の人って本当に凄い。
うん、下処理して茹でればエビのように赤くなるから大丈夫だよ。そこまでいけば美味しそうに見えるから。
怯んだ俺を見てアーバインが再度警告してくる。
「止めるなら今のうちだぞ?」
「大丈夫。きちんと美味しく仕上げてみせるから」
前世で釣り好きの友人がいたせいか、タコの下処理も行ったことがあるのだ。
異世界特有の構造がない限り失敗することはないと思う。それにタコってば魚に比べると下処理はずっと楽だし。
「……毒見は絶対にしないからな?」
やけにアーバインが止めてくると思ったらそれを恐れていたのか。それにしても毒見とは失礼な。
「大丈夫だよ。毒見はさせないから」
俺が屈託のない笑顔でそう答えると、アーバインがあからさまにホッとしたような顔をする。
味見はさせるかもしれないけどね。
「お伽話で出てくる勇者よりも、アルの方が勇者に思えるぞ」
「……本当に食べるのか」
モルトとダグラスさんが心底驚いた声を出す。
「まあ、アルなら美味しくできるだろう? できたら食わしてくれよな!」
「ルンバは怖くねえのか?」
豪快に笑ってタコを食べると宣言するルンバに、ダグラスさんが恐る恐る尋ねる。
「アルは普段から新しい料理を開発しているしな。アーバインとモルトもコリアット村の食堂で食っただろ? スパゲッティやら卵焼きやらを」
「食べましたけど……。あれってアルフリート様が作ったやつなんすか?」
「そうだよ」
恐る恐るルンバに尋ねるアーバインだが、その質問には俺が自慢げに胸を張ることで答えた。まあ、スパゲッティは前世の知識を軽く流して、バルトロが完成させた品だけれどね。
「嘘だ! こんなゲテモノを食おうとしている奴が、あんな美味しくて洗練された料理を作れるはずがない! あれはミスフィリト王国でも最先端の流行と人気を誇る料理なんだぞ!?」
タコを食べると言っただけで酷い言いようだ。
それにしてもスパゲッティがそのような位置付けにいるとは知らなかった。
まあ、パンの代用にもなる料理だし人気になってもおかしくはないか。そこまで腹持ちは良くないけど。
「あの料理を作ったアルフリート様なら、これも美味しくできるかも……いやいや、さすがにタコは無理だろう?」
モルトがタコに視線を向けながら唸っている。
食べたくないのならそこまで無理強いはしないけど、料理が完成したら食べたくなると思うよ?
◆ ◆ ◆
そんな訳で俺はダグラスさんと厨房の料理長にお願いして、厨房の端っこを借りる事となった。
しかし、小さな子供一人だけでは何が起きるか心配なので、助手の料理人が一人つくことになったのである。
今回俺の助手を務めてくれるのは、料理人歴五年のエラムだ。
金髪碧眼に優しげな垂れ目が特徴の若い男性である。
料理人なので甲板にいる筋骨隆々な船員とは違って体格はとても華奢で、清潔な白のコック服を着ている。
「……あのぅ、本当にやるんですか?」
「やります。タコを料理します」
恐る恐る尋ねるエラムにきっぱりと答えると、エラムがどこか遠い目をしだした。
俺達の会話を聞いていた料理人や怖い物見たさで見学しているアーバイン達が、エラムを憐れむように見ている。
大丈夫だって、大丈夫だって。別に死にやしないから。
タコの調理といえば手順は簡単なものだ。一、頭の中身を取り除く。二、目を取り除く。三、水洗いをする。四、塩もみする。五、茹でる。六、冷やす。以上の手順を踏めば問題ない。
「では、エラム君。まずは締めてください。それから下処理として頭の中身を取り除きます」
呆然とするエラムにまな板の上にいるタコを指さしながら指示を出すと、エラムがハッと我に返る。
「頭に内臓があるのですか?」
「そこ以外にどこかに内臓があるように思えますか?」
「……頭以外にはなさそうですね」
タコは八本の足が腕、目の部分が頭部、そして上にある膨らんだ頭のようなものが胴体という構造になっているので、内臓と言った部分は膨らんだ胴体に詰まっていることになるのだ。
「……それで、アルフリート様。どうやって締めるのですか?」
包丁を持ったまま固まり怪訝な表情を見せるエラム。
「目と目の間に神経があるので包丁で刺してください。目の下五ミリ辺りです」
「こ、ここですか!?」
「はい、きちんと締めることができれば白色に変色するはずです」
「や、やってみます!」
エラムを不安にさせないように迷いのない口ぶりで答える。
すると、エラムが包丁をゆっくりとタコに近づける。
「ああ、忘れていましたがタコの吸盤をまな板に吸着させて下さい。そうしないとタコが暴れ――」
「ヒイイアアアアアアアアアアアアアアアァァッ!? しょ、触手が! 腕に! 助けてー!?」
ふと注意点を思い出したが遅かったらしく、エラムの右腕にタコが巻き付いていた。
ヌメヌメとした触手状の生き物に巻き付かれたエラムは、悲鳴を上げながら振りほどこうとブンブンと腕を振る。
しかし、タコの吸盤がその程度で離れるわけがない。
エラムの腕から決して離れまいとタコはより足を巻き付かせる。
それに気付いたエラムは発狂しながらも、何とか左手でタコを掴むがヌメヌメとしているせいかロクに掴むことができない。
うわあ、右腕がタコに呑み込まれている。
「ちょっと誰か取って下さい! こいつ離れないし、掴もうにもヌメヌメしていて取れないんです!?」
「おい、待てエラム! こっちに来るな! こっちに来たらお前をクビにするぞ!」
「料理長っ!?」
厨房仲間に助けを求めたエラムだが、恐れをなした料理長がバッサリとエラムを切り捨てた。
唖然としたエラムの表情が埴輪のようになっており大変面白いが、これ以上放置してやると泣いて逃げ出しかねないので助けてやる。
「ほら、エラム。俺が締めてやるから腕をこっちに出して」
「は、はい!」
俺がそう言うとエラムが即座に巻き付かれた右腕を差し出した。
それから俺は慎重にタコの様子を伺い、ガッと胴体を左手で掴む。
それから右手で持った包丁を眉間にある神経にスッと刺し込んだ。
包丁は綺麗に神経を切断できたようで、タコの色が赤みのある茶色から灰色のような白色へと変色した。
締めることができたお陰か、タコの体から力が抜けていきエラムは腕からタコを何とか引き剥がすことができた。
「……腕が……」
荒い呼吸をしながら腕を確認するエラム。
エラムの腕はタコの吸盤で強く吸い付かれたせいか、無数の吸盤の痕がついていた。
あまり言いたくないがちょっと気持ち悪い。
俺は表情が強張るのを抑えて、気を取り直すように明るく言う。
「それじゃあ、頭の内臓を取りましょう」
「は、はい」
エラムの精神が大きく削れたようだが、へこたれなかったようだ。
魚以外にも海の色々な生物を料理したことがあるだろうから、エラムもきっとすぐに慣れるさ。
「この頭の部分に指を入れて、クルッとひっくり返すんだ。そしたら肝やワタが入っているから手で取って。黒い墨袋だけは割らないように慎重にね」
俺が説明していくとエラムが頭の隙間に手を突っ込んで、クルッと中身をひっくり返した。
あまり料理をしない人にはショッキングな絵面だが、魚料理で内臓の処理は慣れているせいか、エラムは顔をしかめながらもテキパキと内臓を取っていく。
それからエラムにタコの目玉を落としてもらい、タコの下処理は終了だ。
「下処理は終わったので次はヌメリ取りです」
まな板にタコを載せたまま、俺達は流し場へと移動する。
それと同時に流し場にいた他の料理人が一気に端っこへと移動する。
蛇口の上にあるスイッチを押すと、俺の体内から僅かに魔力が吸われて水が流れる。
「さあ、助手のエラム君。タコを水洗いして下さい」
「うえええええっ!? わ、私がですか?」
「こんな風に木箱の上に乗ったまま洗うのは難しいのですよ。あと地味に力もいりますし」
決してタコのヌメリを取るのが面倒とか、あまり触りたくないなどというような理由ではない。これは手が大きく力のあるエラムがやった方が効率がいいのだ。
「……もう、触りたくない……」
「貴族の特権を行使します」
泣き言を言うエラムに俺は厳かな口調で命じる。
「もっとこう、新鮮な肉が食べたいとか、酒が飲みたいとか、海の珍味と呼ばれる海竜を食べたいとか言ってくれてもいいんですよ!?」
……何だそれ。一般的な貴族はそんな無茶を言うのか。無茶苦茶じゃないか。
「……エラム、タコを手で洗うんだ」
「我儘を言わない親しみやすい貴族だって聞いていたのに……っ!?」
エラムは涙目になりながら渋々と言った様子で、タコに手で洗う。
「タコを横にして頭から足に滑らせるように洗うんだ」
「ヒイイイイィィィィッ!?」
気持ちはわかる。俺も最初に洗った時は同じような感じだったから。
手をタコに滑らせるように洗う時のヌメヌメとした感触といったらもう……。
それからエラムは悲鳴を上げながら、タコをしっかり水洗いし、塩をもみ込んで洗っていく。
塩を揉み込む頃になるとエラムは悲鳴を上げなくなったが、段々と表情がなくなっていったのが気になった。
きっと、エラムもタコに慣れたに違いない。
◆ ◆ ◆
料理をしているうちに夕方になったのか、空や海が茜色に染まり出した。
空色から赤みがかかっていくグラデーション。夕日を反射してキラキラと光る波が美しい。
俺が厨房に籠っている間に魚が大量に釣れたらしく、今夜は甲板で宴をすることになった。
甲板の上は船員が掃除したのか綺麗に磨かれており、今や長テーブルがずらりと並べられていた。
テーブルの傍にはすでに船員や銀の風のメンバー達が座り、色鮮やかな魚料理を前にして楽しそうに会話をしていた。
俺の作ったタコ料理は、度胸試しとばかりに各テーブルのど真ん中に置かれているのが気になった。
「おーい、アル。こっちだぜ」
タコ料理とドスマグロの刺し身が多く置かれているテーブルは、俺の特等席らしくアーバインが手を振っていた。
「さあ、飯だ! 今日は大量に釣れたからおかずも豪華だぞ! 皆、存分に食え! だが、明日も航海があるから酒はほどほどにな」
ダグラスさんの最後の言葉に皆が残念そうにする。
酒で酔ったりしたら明日の仕事ができなくなるからね。
「くっ! これほどの飯を前にして酒がお預けとは……」
「弱い果実酒くらいならいいじゃねえか? ダグラスさんもほどほどならいいって言ってるしよ」
「我慢なさい。お酒ならエスポートで浴びる程呑んだでしょ?」
「二人が呑むとほどほどじゃ済まないのでダメです」
体を震わせて呻くアーバインとモルトをアリューシャとイリヤが嗜める。
そう言えば、海の旅を乗り越えるために英気を養う大宴会だったな。すっかり忘れていた。
俺は相変わらず酒が吞めないので生殺しの気分だけれど。
今回は刺し身があるというのに……。
「それじゃあ乾杯だ!」
「「乾杯っ!」」
ダグラスさんの音頭に合わせて、皆が果実水やワインの入ったコップを打ち付ける。
アーバインやモルト、俺も勿論果実水だ。
俺のテーブルの前には、土鍋で作ったタコ飯、タコのカルパッチョ、生ダコのお刺し身、きゅうりとタコをアカラの実で混ぜ合わせたもの、タコ足の塩焼きなどが置かれている。
ちなみにタコだが、エラムと一緒に味見をしたが問題なかった。むしろ、今までの中で一番美味しくてビックリしたくらいである。
やはり獲ってすぐに食べるのは格が違うのだなと痛感した。
エラムも「……美味しい」という言葉を漏らして複雑そうな顔をしていたのが面白かった。
あとは、ドスマグロのお刺し身盛り合わせ、ドスマグロのステーキ、白身魚の塩焼きと豪勢な魚料理だ。
「うん? これ何? カルパッチョなのはわかるんだけれど、この赤いやつは見たことがないわね……」
「本当ですね。何でしょうこの赤いものは? 魚とは違うようですね」
アリューシャとイリヤが早速目の前にあるタコのカルパッチョに目をつけた。
あれだけ甲板で騒いでいたのだが、二人は魔法の練習に熱中していたようで気付かなかったらしい。
それに気付いたアーバインとモルトが笑みを交わして頷き合う。
「それ美味いぞ。食ってみろよ」
「甘みがあってコリコリしてて面白いぞ?」
俺がエラムに試食させる時に言った言葉まんまだな。
当然ながらこの二人、タコをまだ食べていない。アリューシャとイリヤに食べさせてから挑戦するつもりのようだ。
他のメンバーも様子を見たいのか、誰もタコだとは教えてやらない。皆それとなく会話をしながら窺うような視線を向けているだけだ。
「そうなの? じゃあ、頂くわね」
「楽しみです」
黒い笑みを隠したアーバインとモルトの意図に気付かない二人は、笑顔でタコのカルパッチョを口に入れる。
近くにいた船員がごくりと唾を呑み込む音が聞こえる。
「コリコリしていて美味しいわね! 貝の仲間かしら?」
いいえ、タコです。
「青臭さも全くないですしね! 歯ごたえがあって私は好きです。多少、この歯ごたえが苦手に感じる人もいるかもしれませんが」
確かにこのくにゅっとした感触を苦手に感じる人は多いだろうな。
何はともあれ、二人はタコを気に入ったようでタコのカルパッチョを次々と口に入れていく。
「……マジか。あれ、美味いのか」
などという言葉がどこからともなく漏れた。
アーバインとモルトは二人を怪訝そうに見ながらも、恐る恐るタコ足の塩焼きに手を伸ばした。
「……これ、意外と美味いな。噛めば噛むほど甘さと塩の風味が広がるし、歯ごたえもある」
「ああ。見た目はグロいんだがこりゃいけるな」
アーバインとモルトが心底驚いた声を出す。
口の端からタコの足を覗かせながら食べるアーバインの姿が特に似合っている。老け顔なせいだろうか。
「「ただ、酒が欲しいっ!」」
二人は果実水をぐっと煽ると、切実な声音を出しながらコップをテーブルに叩きつけた。
それと同時に他の勇気ある船員もタコに手を伸ばしたのか「意外と美味いぞ!?」と驚くような声が上がる。
ほら、美味しいでしょ?
俺はそんな様子を満足げに眺める。
それから今日一番のお楽しみのドスマグロを刺し身に手を伸ばす。
トリーから貰ったカグラの醤油を軽くつけてから口へと入れる。
脂身の乗った身が口の中でほろりと溶ける。決して青臭くない濃厚な魚の肉だ。
その脂身を少し抑えつつも、飽きないようにアクセントをつける醤油の働きが素晴らしい。
「……ああ、やっぱり獲れたては違うなぁ」
ドスマグロの美味しさにほうっと息を漏らす。
コリアット村の近くに海がないのが悔やまれる。
しかし、今回旅をしたお陰でいつでも転移魔法で海にこられるのだ。
そう思えば、これからは楽しみなことばかりだな。
後ろ向きに考えるよりも前向きに考えて人生を楽しむべきだ。
ドスマグロのお刺し身を堪能した俺は、次に生ダコを味わうべく手を伸ばす。
生ダコのせいでフォークでは取りにくかったが、何とか突き刺す事で取り皿へと入れることができた。
生ダコの刺し身に少し醤油をつけて、こちらも頂く。
タコを噛むごとに、タコの濃厚な味が広がる。くにゅくにゅとした触感や吸盤を噛む時のギシッした感触が面白い。
スーパーで買ったタコでは味わえない濃厚な味だ……。タコを釣るとはアーバインもいい仕事をするじゃないか。
「……おお、タコを生で食うのか……」
生ダコの刺し身を食べる俺を見て、アーバインが呻く。
「……ちょっと待って。今なんて言った?」
アーバインの呻いた言葉を聞いてしまったのか、アリューシャが真顔でアーバインに問いかける。
隣にいるイリヤもカルパッチョを口に入れてピタリと固まった。
もう脳内では想像がついているのか、イリヤの顔がとても青白いものになっている。
「……何でもございません」
「言いなさい」
「嫌です」
「言っても怒らないから」
ついに出てしまった。古来より守られたことのない約束が。
アーバイン、その言葉を信じてはならない!
「……嘘だ! 言ったら絶対にアリューシャは怒る!」
さすがはアーバイン。長年生きているだけにその程度の知識はあるようだ。
それに対してアリューシャはにっこりと笑い。
「怒らないわ。……でも、嘘を言ったり、後で知ったりしたら怒るわよ?」
「…………」
惑わされるなアーバイン。そんな甘い囁きに耳を貸すな。
それは『今言わなかったら後でボコる。今言ったらちょっと手加減しなくもないけど?』
という紙よりも軽くて、信用できない口約束なのだ。決してアーバインの安全が保障された約束などではない。
「…………た……」
「た?」
「……タ――」
止めろ! アーバイン!
「いやあ、アーバインの釣ったタコは美味いな!」
「言ったろ? アルが料理すれば美味くなるって」
アーバインが意を決して言おうとした瞬間、俺達のテーブルにダグラスさんとルンバがやってきた。
間の悪い二人を見て、俺はあーあと心の中で嘆息する。
「た、タコおおおぉぉぉぉぉっ!?」
アリューシャが悲鳴を上げて、イリヤがふらりと倒れた。
思わぬ二人のせいで約束は守られることがなく、アーバインは容赦なくアリューシャに杖で叩かれた。
船の旅は滅多に描写できないので多めに書きましたが、次話からは少し早めに進みます。