怠惰な感情に素直に
船にある後方部。そこに置かれている木製の椅子に座って、俺とアリューシャとイリヤは優雅にティータイムを過ごしていた。
ティーカップを傾ける傍ら、俺達の髪や頬を海風が撫でる。
コリアット村の平原よりも少し荒々しい風だが、不規則に流れる感じが面白い。
絶え間なく響く波の音や海鳥の鳴き声。地上とは違った自然の良さが海にもあるものだ。
遠くにある水平線はとても綺麗で、海と空が入り混じっているようだ。
その遥か上にある空では、大小様々な形をした雲が自由を謳歌するかのように流れている。
いや、流れているのは俺達の方か。 今は船に乗って進んでいるのだし。
こうして広い海の上を船で進んでいると、世界には俺達しかいないのではないだろうかという錯覚すら覚えてしまうほどだ。それほどまでに海とは広大で人を感慨深くさせるな。
「海が綺麗だな」
俺が海を眺めていると、正面に座るアリューシャが紅茶を口にして目を見開いた。
「……これ美味しいですね。今まで飲んだ紅茶の中で一番美味しい気がします」
それは俺が貴族であり依頼者であるから気を遣っての言葉というのではなく、心の底から驚いたような声音であった。
「確かこの茶葉はロイヤルフィードですよね?」
同じくイリヤが驚いて言う。
イリヤは伯爵令嬢なのだ。紅茶にはよく嗜んでいたのであろう。ピタリと言い当ててみせた。
これがアーバインやルンバなら、どや顔で違う銘柄を言うに違いない。
「そうだよ。ロイヤルフィードだよ」
勿論この世界には様々な種類の紅茶が存在するのだが、その中でもロイヤルフィードは香りよく、癖もない上品な味わいなので一番気に入っているのだ。
砂糖を少し入れて楽しむもよし、砂糖なしでそのままの香りや味を楽しむのもありだ。
というかうちではエルナ母さんが大のロイヤルフィード好きなので、まずこれを飲まされるのだ。
それで結局は、俺達姉弟はエルナ母さんの血を引いているせいか全員がロイヤルフィードを気に入って飲み続けることになるのだ。
それまで紅茶に興味を持たなかったエリノラ姉さんでも、ロイヤルフィード以外は嫌だというくらいだ。
「屋敷で飲んできたのよりもずっと美味しいです」
「アルフリート様って、ご自分でも淹れられるくらい紅茶が好きなんですね」
「ま、まあね」
うちには紅茶を淹れるのが下手だと怒る人がたくさんいるんですよ。そのせいで身に付いた使用人スキルです。
まあ、俺ってば空間魔法で転移して、外で紅茶を飲んだりもするから厳しく教えてもらった甲斐はあるのだけれどね。お陰でいつでも美味しい紅茶が飲めるし。
カップを傾けて紅茶を口に含む。
すると、温かさと共にロイヤルフィード独特の上品でいてまろやかな香りがじんわりと広がる。
それをじっくりと舌で味わうように飲み、ホッと息を吐いた。
安心するいつもの味だな。エルナ母さんやサーラには遠く及ばないけど及第点は貰えるレベルだと思う。
そんな事を思いながら紅茶を飲んでいると、視界の端で波が大きく跳ねた。
突然の大きな音にビックリしてそちらに視線をやると、蛇のような長い体がチラリと見えた。それから長い体は海に沈んで見えなくなる。
「……今のなに?」
「多分シーサーペントですよ。海にいる大きな蛇の魔物です」
俺が思わず尋ねると、アリューシャが平然と答える。
いやいや、大きな蛇だとかウツボとかはいるのは前世でも見たし、知っているよ?
でも、今見たあの影だと人の大きさを何倍も超えているよね?
人間なんか丸呑みにされちゃうんですけど。
俺が怯えた表情でいると、イリヤが大丈夫とばかりに穏やかな声を出す。
「大丈夫ですよ。シーサーペントはそんなに対処が難しい魔物ではないですから」
そ、そうですよね。そのためにルンバや銀の風のメンバーがいるんだしね。
それにいざとなれば空にも逃げられるし、転移だってあるのだから大丈夫。
俺はそう自分に言い聞かせて、気持ちを落ち着かせるように紅茶を口にした。
それから何となく気を紛らわせるように談笑をしていると、突然アリューシャが言い出した。
「アルフリート様の魔法っておかしくないですか?」
「おかしいって、どういう事?」
「氷魔法も使えるし、詠唱だって無詠唱でできますよね? 本当に子供ですか?」
前世の年齢と合わせて考えると三十四歳だが、この世界に生まれてからは七年しか経っておりませんよ。
「氷魔法と詠唱の省略は頑張れば出来るんじゃないの?」
俺が首を傾げて何となく答えると、アリューシャがバンッとテーブルを叩いた。
「できないから!」
「気持ちはわかりますけどアリューシャ落ち着いて!」
身を乗り出したアリューシャをイリヤが諫める。
心なしかイリヤも俺を責めているかのように感じられる。
氷魔法は適性の問題があるかもしれないけれど、詠唱は簡単に省ける気がするけどなあ。
俺がそんな事を思っていると、腰を落ち着けたアリューシャが尋ねてくる。
「氷魔法ってどうやったら使えるんですか?」
ここでセンスとか適性とか才能とか言うと、アリューシャの心がズタボロになるだろうな。
大体俺ってば、神様に全属性の適正を貰ったものだから使えるまでの過程など説明しても伝わるかどうか……。
苦労したのは魔力を増やすのと、魔力を制御することだし、想像力なんかは前世で主に培われたものだ。
俺がアドバイスできることなど、神様から言われたあの言葉くらいしかないのではないだろうか? あとは個人的な事で効果があるかわからないし。
「……魔力制御を突き詰めたらできるんじゃないかな?」
「「魔力制御ですか?」」
俺のひねり出した言葉に、二人の声が重なる。
俺は見本とばかりに水魔法で水球を作り出す。
「……さらっと無詠唱をするのね」
アリューシャのこめかみが引きつっているが気にしない。魔法を発動させる度に詠唱などをしていては面倒くさいじゃないか。
それから目の前に浮かべた水球を鉄球のような形をしたり、龍を模してみたり、二十個以上に分離させて回してみたりする。
思えば俺が氷魔法を使えるようになったのって、これくらいの芸当ができるようになった後だった気がする。
次々と形を変える水球や縦横無尽に動き回る水球を見て、アリューシャとイリヤが目を見開く。
「凄いコントロール力ですね。私では精々五つが限界です」
「水球が一、二、三……十、十一。ちょっと動かさないでよ! 今数えているの!」
「アリューシャ、敬語が抜けていますよ」
アリューシャが必死に数えるのがつい面白くて、水球を動かしてしまう。
露骨に動かして邪魔するとアリューシャが怒るので、俺は動きを止めてこっそりと水球を分裂させてやる。
「……二〇!?」
「ええ? どうみてもそれ以上は数がありますよ?」
「あれ!? 増えている!?」
ようやく数え終わったアリューシャだが、イリヤに指摘されて素っ頓狂な声を上げる。
いつも冷静なアリューシャが慌てふためく姿が面白い。
まあ、簡単な動きだけだと六十くらいには分裂させて動かすことができる。
雪合戦で使ったサイキックのように。
それだけの数を用意してエリノラ姉さんを撃破できなかった俺って、操作が下手なのではないかと思う時がある。
あれが化け物だとは重々承知しているが、ちょっとへこんでいるのだ。あれから魔力制御と魔法の操作には一層力を注いで訓練するようになったくらいだ。
「…………三〇。つまり、これくらいの魔力制御と操作ができないと氷魔法は使えないのかしら……」
アリューシャが遠い目をしながら呟く。
気を遣ってアドバイスをしてみたつもりだが、結果的に心をへし折ってしまったような気がする。
まあ、これだけの制御を身に付けるのは一日中魔法だけを考えて、食っては魔法、寝てはまた魔法という生活を送ればいいと思う。
あとは魔力量を増やすために必死になって魔力を空にすればいい。魔力が増えれば多く練習ができるようになるのだから。身体が気怠くなる中、さらに魔力を使い続けるのはツラいけどね。
「俺の言った方法が絶対とは限らないからね?」
「いえ、氷魔法を使える事で有名な第三王女レイラ様も魔力制御に長けているから、きっとそれが重要なのよ」
「そうなの?」
第三王女とやらはパーティーにも来ていなかったので見たこともない。軽くロリ……ユリーナ子爵達から氷魔法が使える足の悪い王女だと聞いた程度だ。
俺が不思議そうな顔をしていると、イリヤが口を開く。
「王都では行事がある時に、レイラ様が市民を楽しませるために大きな氷像を作ってくださるんですよ。その時の氷像も、本当に魔法で作ったのかと疑うような造形をしているんです。王都に住む人々の楽しみの一つとして有名ですね」
へー、そんなに綺麗な氷像があるなら見てみたいな。
やれば自分でも作れると思うけど、自分が作ったのと他人が作ったのとでは印象が違うだろうしね。この世界の人が想像して作り出した作品にも興味がある。
王都には転移でいつでも行けるのだから、今度何か行事があったら顔を出してみよう。
そんな事を考えているとイリヤがおずおずと尋ねてきた。
「アルフリート様、詠唱破棄にはコツとかあるのですか?」
それに対する答えはこれしかないと思う。
「詠唱を面倒臭いと思う事」
「はい?」
「…………」
イリヤがクリッとした目を瞬かせて、アリューシャが無言になる。
「だって詠唱なんて慣れれば必要のなくなる、教科書みたいなものでしょ? そんなものを必死に覚えて唱えるより、魔力の制御と想像に意識を割いていた方がよっぽどいいよ」
前にエルナ母さんにも説明を求められた時にも、俺はそう答えた。
そして、エルナ母さんも「なるほど、確かに面倒くさいわね。まさにアルの考える通りだわ」と頷き、数か月後にはいくつかの魔法を無詠唱、詠唱破棄して使ってみせたのだから。
これに決まっている。
詠唱破棄とは効率よく魔法を使いたい、速く魔法を扱いたいなどと上っ面な事を考えていてはできないと思う。
ただ己の感じた怠惰な感情のままに、面倒臭いから失くしちゃえと思えばいいのだよ。
そう、俺やエルナ母さんのように。
俺のそのような説明を聞いたイリヤは目を丸くし、アリューシャは肩を震わせた。
「ふざけんな――――――!」
アリューシャの叫び声が、広い海と空に響いた。
水を汲むのは面倒。火をつけるのは面倒。だから、もっと楽に水を手にいれたい。楽に火を起こしたい。本来、魔法使いとは面倒くさがりなものなのだと思います。




