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醤油をホタテに

 

「一体これをどこで何時何分に手に入れたんだ!?」


「落ち着いて下さいっすアルフリート様! 前かがみ状態で襟を掴まれると話しにくいっす!」


 俺がトリーに詰め寄ると、少し苦しそうにしていたので一先ずは解放。トリ―が慌てて居住まいを正す。


 俺はその間にテーブルの上にちょこんと載せられた小さな壺の蓋をずらす。


 するとそこからは醤油独特の塩っ気のある香ばしい匂いが漂い、中を覗くと黒っぽい液体が入っていた。


 あー、これだよ。日本人が愛してやまない調味料。醤油。


 これがあればお刺身だって焼き鳥だって、焼きおにぎりだって作れちゃう。卵かけご飯が完成するし、ネギを盛って醤油で食べる事なんかもできる。


 ああ、素晴らしきかな醤油。お前という調味料が増えるだけで料理のレパートリーがかなり増えたよ。


「で、どこにあったの?」


「今朝、カグラからエスポートに届いたばかりっすよ。醤油はカグラにあるっすからね」


「あれ? トリーはすでにカグラに行ったことがあるんだろ? どうして醤油の発見が今頃になったんだ?」


 俺が当然の疑問を投げかけると、トリーがおずおずとした様子で尋ねてくる。


「言っても怒らないっすか?」


「………………もちろん」


「今、すごい間が空いたっすよね?」


「あー、わかったよ。怒らないよ……多分」


 世の中に絶対なんてない。そんなもの話の内容を聞いてみないとわからないじゃないか。


『怒らないから言ってみなさい』という女性が使う言葉は古来から守られた事のない約束なのだし。


 トリーはそんな俺の言葉を聞いて不安そうにしながらも口を開いた。


「前回はお米しか頼まれていませんでしたし、その時は醤油というものをよく知らなかったんすよ。カグラから帰ってからアルフリート様に醤油の話を聞いたんっすよ。それで情報を集めながらアレかなー? とは目星は付けていたっすけど」


「じゃあ、もう一回カグラに入って買ってくれれば良かったじゃないか」


「その頃にはリバーシが好調でカグラに行ける時間がなかったんすよ。黙っていて申し訳ないっすけど、うちも大事な時期だったので……」


 と申し訳なさそうな表情をするトリー。


 くそ、それならリバーシなんて作るんじゃなかった。そうすればトリ―にとんぼ返りさせてカグラへと派遣したのに。


 お金がないというのならスロウレット家が出資して……あれ? それも俺の出したリバーシのお陰でできる事だよな? という事は、結局はリバーシを出さないとトリーをカグラに派遣することもできなかったわけで。結局はこうなるのか?


 ……まあ、それでも遠い国に行ってお米を買ってきてくれたし、今回はこうして同行させて連れて行ってくれるんだ。俺が文句を言える立場じゃないだろうな。


 何も醤油だけが生きるすべてでもないし、料理のすべてというわけでもないのだ。


 この一年はコリアット村にある食材でバルトロと試行錯誤しながら料理を作ったりもした。


 そんな日々は決して無駄なんかじゃなくて、とても楽しいものであった。むしろ、そんな早くから醤油やお米などを手にしていたら、前世の料理ばかりを再現しようとしていたのかもしれない。せっかく異世界に転生したというのに、前世の料理の後ばかりを追いかけるのは悲しい事だ。どうせならこの世界にしかない食材をして味わってみたいしな。


 まあ、それでもたまに前世の料理を食べたくなってしまうのだけれどね。


「まあ、いいよ。今こうしてカグラに連れていってくれるんだし」


 俺がそう答えると、トリーは目を丸くした後にホッと胸を撫で下ろした。


「いやー、そう言ってもらえて嬉しいっす。アルフリート様が怒ってしまうんじゃないかとドキドキしたっす」


 ふっ、俺がそんなに器の小さな男なわけがないだろう。


「ちなみに今ここで手に入れた理由は?」


「カグラに着いていきなり醤油を見つけたら、絶対ぶっ飛ばされると思ったんすよ」


 なるほど。カグラに到着してすぐに醤油を見つけていたら、トリーを絶対ぶっ飛ばしていたわ。


 ついさっきカッコつけて答えてしまったが故に今更そんな事は言えない。


 ここは海よりも器の大きい貴族、アルフリートの威厳を知らしめる為に鷹揚に頷いて許しておこう。


 というか、これはこういう風に仕組んでの会話の流れだったのではないだろうか? 何となくそんな気がする。


「ちなみに味噌や大豆はあるの?」


 醤油があるのだから原料である大豆もあるのではないだろうか。あと、できれば味噌汁もあるとありがたい。


「それらも調べたところ、カグラにあるみたいっすよ」


「本当か!?」


 いやー、その情報を聞いてますますカグラの到着が楽しみになってきたなー。


 トリーの話を聞くようだと、かなり和風な文化があるようじゃないか。その街並みはきっと美しく、風情があって落ち着いているのだろう。


 カグラが気に入ったら、マイホームを建ててたまに転移魔法でお邪魔するのも悪くないな。


 俺がそんな風にまだ見ぬカグラの地を夢想していると、ルンバがずいっと顔を出していた。


 心の中で思い描いていた華やかな和風の景色が、むさ苦しいルンバの顔によって粉微塵に吹っ飛んだ。


「これはそんなに美味いものなのか?」


 酒をジョッキに注ぎ終わったルンバが、壺の中を覗いて鼻をスンスンと鳴らす。


「飲むなよ。調味料だからな?」


 ルンバだったら試しに飲んでみるという暴挙を犯しかねないからな。


 これからカグラに行けば手に入るとはいえ、海鮮料理を前にして醤油が使えないという悲劇は回避したい。


 そんな風に思っていたのだが、それは杞憂だったようでルンバは舐める事すらせずに咳き込んだ。


「ゲハッ! ゴホッ! 何だこれ? 鼻がツーンとするぞ?」


 醤油の匂いは大分濃いからな。大きく息を吸えばそうなるであろう。


「そんなに匂いがキツイのか? 俺にも嗅がせてくれよ」


 咽るルンバの様子を見て気になったのか、アーバインとモルトが身を寄せ合って醤油の匂いを嗅ぐ。


「確かに鼻にツーンとくるな」


「でも辛いとか刺激が強いんじゃなくて、しょっぱそうな感じがするな。というか、黒に近い色してるけど大丈夫なのか?」


 顔をしかめては壺に顔を近づける二人。


 どうやら二人も醤油の事は知らないようだ。


 そんな風な事を思っているのがわかったのか、トリーが答えてくれる。


「『銀の風』のメンバーもカグラに行くのは初めてっすからね。知らないのも無理ないっすよ。もちろん、海の旅は何回も経験しているっすけどね」


「カグラにはまだ行った事がなかったんですよね。だから、今回の依頼は私達にとって嬉しいものなんですよ」


「そのお陰か今回は皆さんテンションが高いですよね」


 と付け加えるように斜めに座るアリューシャとイリヤが言った。


 なるほど、まだ見ぬ地を冒険したくなるのが冒険者の性って奴か。


 コリアット村からロクに出た事もないトールが胸を張ってそんな事を宣っていた気がする。俺からすれば観光はいいけど、冒険はお断りかな。

 魔物との血肉湧き上がる戦闘とか物騒すぎるので特に。あんな奴等と戦っていたら命がいくつあっても足りないや。


「これ、塩っ辛いな!」


「うへー、味が濃すぎだろう」


 対面ではアーバインとモルトがスプーンで醤油をすくって舐めるという、未知への冒険をしている。


「醤油だけで味わうものじゃないからね。辛いに決まっているよ」


「じゃあ、この調味料は何に使えるんだ?」


「これだけ匂いがキツイと使うのが難しそうだけどな……」


 醤油の壺を俺に返して呟く二人。


「使い道なら目の前にあるよ」


「「「どれだ?」」」


 声を揃えて身を乗り出す二人とルンバ。聞かせるよりは見せる方が早いだろう。


 そう思い、俺は網の上で焼かれているホタテに醤油を適量かける。


 貝殻の上に載っているホタテに醤油が染みて、じゅーという音が鳴る。


「ああっ! そんな物をホタテにかけたら……っ! ……めちゃくちゃいい匂いがするな」


 ホタテに醤油をかけたのを見て驚いたアーバインだが、すぐに鼻をスンスンと鳴らして座り直した。


 網の上ではプリッとした大振りのホタテが炎に焼かれて、とろりとした濃厚なうまみを吐き出している。ホタテそのものの出汁にバターの溶けだしたエキスがぐつぐつと泡立ち、弾けて濃厚な魚介の匂いを撒き散らす。


 ――そこへ少量の醤油が垂らされ、混じり合う事でホタテからは香ばしい匂いが漂う。


 さっきまでわいわいと騒いでいたアーバイン達だが、焼き上がっていくホタテの匂いに堪らなくなったのか、生唾を呑み込みながら凝視している。


 そんな風に身を屈めて焼き上がり直前のホタテを見れば……。


 パキンッ! 


「ぎゃあああああああああああああああ!? ホタテがっ! ホタテの汁がっ!」


 ホタテの汁が顔にかかるわけで、アーバインが狭い長椅子で暴れ回る。


 同じく凝視していたルンバやモルトは哀れな犠牲者を見て、同じ目に遭いたくないと思ったのかサッと背筋を伸ばした。


 アーバインのお陰で無駄な犠牲者は出ずに済んだ。


 それからホタテがプスリと音を立てたり、泡を破裂させる音、殻が割れる音にビクつきながらホタテを見守る。


 特にアーバインは先程のホタテの熱い汁がかかったせいで、その怯えようは半端なかった。


 ぐつぐつとホタテが泡を吹くようになったので、身をひっくり返して少し焼く。


「よし、もう焼き上がったよ!」


 俺がそう言うと、アーバインにモルトにルンバが待ちくたびれたとばかりに網からホタテをかっさらう。


 貴族パーティーでエリックが放った突きよりも鋭いトング捌きだったな。


 一口で食べるのには大きいし熱いのだが、そんな事は構わないとばかりにフォークを差し込む三人。


 俺には少し熱すぎるのでふーふーと息をかけながら、ナイフとフォークで小さく切断。


 フォークの上に濃厚なうまみを身に纏った大きな貝柱が載せられる。


 ホタテから白い湯気が上がると同時に暴力的なまでの磯の香りが漂う。


 もう、堪らん!


 俺はもはやホタテの身を冷ますことすら忘れて、ホタテを一気に口へと差し込んだ。


 火傷しそうな程熱いが、それすらも醍醐味としてそれをしっかりと噛みしめる。


 するとむっちりとした貝柱独特の触感とホタテの旨みが広がる。


 ホタテの甘みとまろやかなバターが絡み合い、口内を占めていく。


 俺は噛みしめる度にあふれ出る味に、目をぎゅっとつぶって味わう。


 そこから出てくる感想は一言。美味い。


 それからホタテの身がほろほろと崩れるまで味わった後、お酒と一緒に飲み込もうと手を伸ばしたが、目の前にあるのはオレンジジュースであった。


「……これと一緒にお酒が味わえないなんて……」


 俺が悔しさの言葉を漏らしている間に、ルンバやアーバイン達はゴクゴクと喉を鳴らし。


「「「ぷはーー! うめぇっ!」」」


 と、実に満足そうな表情をしながら、ジョッキをテーブルに叩きつけた。


 う、羨ましい。素直にそう思えるほどの良い表情だ。


「ははっ! お子様にはまだ早いぜ! あと七年は我慢しな!」


 そんな俺の物欲しそうな視線に気付いたのか、アーバインがジョッキを見せびらかすように言ってくる。


 こいつはこの醤油が誰の物か理解していないのだろうか?


「そんな意地悪を言うアーバインには醤油の使用を禁じる」


「んなっバカな!」


 アーバインが愕然とした表情をさらしているのをモルトが「うひゃひゃ」と笑いながらからかう。


 俺がその様子を見て笑っていると、斜めに座るアリューシャが声をかけて来た。


「アルフリート様! 私達も醤油をちょっと頂いてもいいでしょうか?」


 ふと気が付けば、俺達のテーブルの周りには醤油の匂いを嗅ぎ付けた従業員達がいた。


 アリューシャやイリヤ同様。どこか期待に満ちた視線を俺へと向けてくる。


 これは、断れない。


「皆で使っていいよ。無駄に多くかけたりしないでね?」


「「ありがとうございます!」」


 俺が了承すると、アリューシャやイリヤ、周りにいた従業員が揃って声を出す。


 この馬鹿な感じの纏まり。コリアット村にいる村人みたいで嫌いではない。


 元より、カグラに着くまではなかった物なのだ。どうせ今なくなっても一週間くらいすれば手に入る。


 今は皆で楽しむ食事会。つまらぬ考えをするよりも皆と分け合った方がいいだろう。


 その方が楽しいしね。


 俺の前にある醤油の壺が隣へと移動し、またその隣へと。そして、醤油の移動した足跡を残すかのように香ばしい匂いとジュ―ッとした音が鳴っていく。


 それに伴い各テーブルから拍手やら歓声が上がり、男女の楽しげな笑い声や雑談が溢れる。


「さすがっすね。アルフリート様」


 喜ぶアリューシャ達を見ていると、隣に座るトリーが近付いてきた。


「まあ、どうせカグラに行ったらあるんだしね」


 正直に言って、海鮮バーベキューで醤油がもう使えないのはかなり残念だ。この人数で回すのだからあの小さい壺の量ではほとんど残るまい。となればホタテに醤油をかけて味わうのはできないというわけで……。

俺がそんな風に思っていると、トリ―が俺の肩に手をかけて言った。


「大丈夫っすよアルフリート様。念の為に醤油の壺はあと二つ買っているっすから!」


「それを早く言えよ」




気がつけばスローライフを連載して1年が経ちました。去年の昨日に、私は1話を投稿したんですね。

何というか、いつの間にそんなに月日が経ったのやら。

去年の今頃にはここまで連載して書籍になっていることなど想像すらしていませんでしたしね。

何はともあれ、これからも『転生して田舎でスローライフをおくりたい』をよろしくお願いします!

読み続けている読者様に感謝を!


あと、11月25日には『俺、動物や魔物と話せるんです』という作品が発売しますので、そちらもどうかよろしくお願いします!


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こちら新作になります。よろしければ下記タイトルからどうぞ↓

『異世界ではじめるキャンピングカー生活~固有スキル【車両召喚】は有用でした~』

― 新着の感想 ―
[一言] 風呂、食、スイーツ、和食におもきを置くと途端に駄作になる。数多あるなろうのダメパターン。食事で現地人を虜にするならせめて食材は現地特有のもので調理方法のヒントだけにして欲しい。よくあるように…
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