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11月9日……1

■十一月九日



 眼前に、山吹先生が腕を組んで立ち塞がっていた。

 眉をひそめ口元を歪ませながら、僕の傍らにある物体を眺めている。その表情からは「こいつとどう接していいのか分からない」という、どうしようもなさが感じ取れた。


「おい夏見。それはなんだ」


 山吹先生の、実にシンプルな問い。

 僕は視界を遮る前髪を掻き上げると、自分でも胡散臭いと思える笑顔で頷いた。


「もちろん……自転車です!」


   ◆◆◆


 その日。皿久米高校の二年生は、校外授業でツインタワーにやって来ていた。

 ツインタワーというのは俗称で、正式名称は皿久米市総合ツインタワービルとか言うらしい。

 実はこの皿久米市は、巨大生物大量発生事件が起こるまでは近未来的国際観光モデル都市として開発が進められていたようだ(郊外に建ち並ぶ建設途中のビルは、その名残らしい)。

 その開発におけるシンボルが、このツインタワーだ。


 ツインタワーの主な役割は、地上デジタル放送の送信である。関東地方では高層ビル群の電波送信妨害を懸念してスカイツリーが建設されたが、この地域ではツインタワーが作られた。

 高さ八百十メートル。展望デッキの収容人は千人。かつて『世界一のタワー』と謳われたスカイツリーのスペックをあっさり抜いてしまったツインタワーは、現在ギネスワールドレコーズ社より世界一高いタワーとして認定されている。

 またこのツインタワーは、万全の耐震、耐風、耐火性能を備えており……


 って、そんなのどうでもいいんだよ。

 問題は、僕がツインタワーの中に自転車を持ち込もうとしていることだった。


 点呼が終わり、クラスメイト達が続々とツインタワーに入場している中、僕は入り口で山吹先生に足止めを食らっていた。


「夏見。分かっていると思うが、ツインタワーは公共の施設だ。自転車を入れることはできない」

「分かってます。分かっているんですが……!」

「だったら、その自転車を駐輪場に置いてくるんだ」

「それは嫌です! お願いします山吹先生! タイヤも綺麗にしますし、なるべく隅っこにいるように心がけます! 人を怪我させるような真似は絶対にしません! だから――」

「落ち着け、夏見。お前も病みあがりで心細いのは分かる。だが、自転車だけは……」


 このままじゃ埒が明かない! 僕は咄嗟に、山吹先生の手を握った。


「お願いします、山吹先生! 大事な自転車なんです。片時も離れたくない、大切な大切な自転車なんです。あいつが傍に居るだけで、何かが思い出せそうな気がするんです!」


 先生の黒目がちな目を覗き込みながら必死に訴える。


「お願いです、先生……!」

「や、やめろ夏見。そんな目で見るな……」


 すると山吹先生は、頬を真っ赤に染めてうろたえだしたではないか。

 よし! ここはもうひと押し!

 握った手に力を入れ、更に距離を詰めようとすると――


「いいじゃん、自転車くらい。入れさせてあげればさぁ」


 欠伸混じりの声が、背後から浴びせられた。

 振り返るとそこには、うちの学校の制服を着たイメクラ嬢――じゃない。リコと、安そうなスーツに身を包んだイケメン外国人が居た。服装が違うから分かりにくいが、昨日リコの隣に居た下僕だろう。


「ねぇ、そこの女教師。今、柚彦の色仕掛けにコロッと落ちそうになってなかった? マジ傑作なんだけど」

「そ、そんなことは……!」


 山吹先生は慌てて僕を突き放すと、異様な闖入者に向き直る。


「それより、あなたは誰です? うちの生徒ではありませんね?」

「あれ、分かっちゃった? 完璧に変装してきたつもりなんだけどなー」

「だから言ったんスよ。オジョーサマにその格好はキツイって」

「アタシ、年齢的にはまだ子供なんだけど? キツイとかマジありえないし!」

「年齢が問題じゃないんスよ。オジョーサマはグラドル体型な上フケ顔だから、そういう格好をしてもコスチュームプレイにしか見えな――」

「うるさい、お黙り!」


 バシッ!


「ありがとうございます!」


 なんだろう、このコント。

 突っ込む気にもなれなくて黙っていると、リコがパンッ! と大きく手を叩いた。


「ってぇことでー、自転車の持ち込みはオッケーでいいんじゃない? センセ?」


 そう言ってリコは、山吹先生にキスしてしまいそうなくらい近づきながら言う。瞼を最大まで開いて、掘るように覗き込みながら。瞳孔開きっぱなしなその眼が、傍から見ていて異様だった。

 その途端、山吹先生は力なく頷いて――


「そう、だな。自転車くらい良いか……私が直接交渉してやろう……」


 そうつぶやいて、ふらふらとツインタワーの中へ入ってしまった。口を半開きにして、焦点の合わない視線を彷徨わせながら。

 ……あんな様子の人を、見た覚えがある。

 リコ達の下僕に捕まっていた時の雪柳だ。


「リコ、山吹先生に何かしたでしょ」

「そ、暗示を掛けたの。とにかく、自転車持ち込みの許可が貰えて良かったじゃん」


 僕の指摘を華麗に流し、リコは無邪気に微笑みかけてくる。


「さぁ、デートとしゃれこみましょっか?」


   ◆◆◆


 ツインタワー・フロア702。

 床がほぼ全面ガラス張りとなっている展望デッキを歩きながら、僕は思わず嘆息を付いてしまった。

 さすがギネスにも登録された『世界一のタワー』だ。ビルや住宅が豆粒のように見える。


「それにしてもアンタ、無茶するじゃん」

「え? 何が?」

「自転車よ、自転車。いくら蟲が宿ってるからって、公共の施設に自転車を持ち込むとかマジ無いわー。アンタ、どんだけクソ蟲に依存してるワケ?」

「仕方ないじゃん。自転車が傍にないと、不安になるのは本当なんだから」


 リコにわざわざ説明する気はないけど……実は昨日、家でも同じことをしていたのだ。

 遅すぎる帰宅に心配してくれた母さんを騙して、解き伏せて。自転車を自分の部屋へと運び込む。手袋が風に飛ばされたら困るから、もちろん窓は全て締め切って。

 そこまでしてもやっぱり落ち着かなくて、昨日はなかなか寝付けなかったんだよね。


「あとさ、この子のことを『クソ蟲』って呼ぶのは止めてくれる? ちゃんと『椿』って立派な名前があるんだから」

「へぇ。コイツ、名前なんてあったんだ?」


 リコは面白そうに、僕の横に居る自転車を覗き込む。

 当たり前のことだけど、そこには白いドレスを身に纏った花嫁の姿はない。

 多分、巨大生物が夜しか現れないのと同じ現象だと思う。朝からどれだけ話しかけても反応は返ってこないし……。


「ねぇ椿。アタシの声、聞こえてるんでしょ? アンタほど成長してる蟲だったら、昼間でも会話をするくらい余裕っしょ?」

『チッ……うるさい女だ』


 脳内に微かに響く舌打ちと暴言。


「なっ、なんだよ椿、起きてたの!? それなら言ってくれればいいのに!」

『…………』


 あ、またスルーされた! む、むかつく! 全然可愛くない!


「さーて。主賓も集まったことだし、そろそろ初めよっか?」

「……あれ? 雪柳が居ないけど、いいの?」


 昨日のリコの言葉から、てっきり雪柳もメンバーに含まれていると思ったのに。


「あの女? いいのよ、アタシが気になってるのはアンタだけだし」

「そ、そう……?」


 意味ありげな視線に、居心地の悪さを感じる。

 それでも僕が聞く体勢に入ると、リコはすぐに話し始めた。


「じゃあまずは、アタシ達の所属する組織について説明してあげよっかな。今のままじゃアタシ達、ただの不審者だしぃ?」


 そう言いながら、リコは胸元の十字架を見せつけるように掴みあげた。

 昨日見た時はただの十字架かと思ったけど、よくよく観察すると緑色になっている。


「これはねぇ、異端審問官の証なの。異端審問のことは、世界史を勉強した時に一度は聞いたことがあるんじゃない?」


 聞き覚えがあるような、ないような。

 自分の少ない記憶をたどりながら、僕は制服のポケットからスマホを取り出した。

 記憶喪失になってからは、知識に訴えかけられるような話題に滅法弱くなってしまった。だから、これで検索でもして思い出すしかない。


『異端審問とは……』


 画面を操作し始めた途端、僕を制するように脳裏で冷めた声が響く。


『中世ヨーロッパのカトリック教会において、公式に定められた教義から逸脱した者、または教会の制度を批判した者――総称・異端者を矯正する制度だ。異端審問官とは、それを行っていた者のことだな』

「あ……ありがとう椿、説明してくれて」

『……ふん』


 その時、椿が得意げに足を組み替えている姿が見えたような気がした。


『しかし驚いたな。異端審問制度は一八三四年に廃止されたはずだが?』

「表向きにはね。でも裏では、こっそり活動を続けてたのよ。異端者を討伐する国際的な組織として」


 得意げに腕を広げながら、リコ言う。


「実は聖庁っていうのは、元々『人類にとっての異端』を粛清するための組織だったのよ。黒魔術・邪法・超能力なんかを悪事に利用する、法では裁ききれない奴らをね。カトリック教会の教義が云々かんぬんっていうのは、単なるカモフラージュに過ぎないわ」

『では、中世で異端者として裁かれた連中は……?』

「全て、『人類にとっての異端』を犯した者達よ」


 ……『人類にとっての異端』、かぁ。


 そんな非現実的なものがこの世に存在するの? そもそも、国際的な組織を作ってまで排除するほど、発生しているの?

 と突っ込みそうになったが、やめた。

 よくよく考えたら、皿久米市に巨大生物が発生している時点でこの世はどこかおかしいのだ。きっと僕が知らなかっただけで、日常の裏側では色々なことが起こっていたに違いない。


「そういえばリコは昨日、異端者を捕まえるためにこの街に来たとか言ってたね」

「そうよ! 正式に、日本政府から依頼されてね!」


 僕の言葉に、リコは満面の笑みで答える。


「どう? これでアタシ達の身元については納得してくれたよね?」

『馬鹿馬鹿しい。するわけがないだろう。身分証明書すら出さない人間の戯言など信じるに値しない』

「そっか。じゃあパスポートと聖庁所属証明書を……」

『言っておくが今更出されても信じぬぞ。どうせ、偽造されたものだろうからな』


 バッサリとした椿の言い方に、異端審問官二人の表情が固まった。これから本題に入ろうってところだったから、そのイラつき具合はハンパないだろう。

 まずい。このままじゃリコ達がへそを曲げて帰ってしまうかもしれない! まだ、僕が知りたいことは何も聞けてないのに!


「そ、そんなことより異変って何なの!? リコ達の身元はなんとなく分かったから、そこんところ詳しく教えてよ!」

「え、ああ……そういえば、アンタには詳しい説明はしてなかったんだっけ」


 僕の必死の話題転換で、リコの意識は椿から逸れたようだった。表情を和らげながら、こちらに向き直ってくれる。


「この街はね、蠱毒に犯されているのよ」

「蠱毒……? 何それ?」

「蠱毒っていうのは、飼い馴らした毒虫――蟲を使って呪詛する邪法よ」

「たまーに少年漫画や小説なんかで取り上げられることもあるんで、聞いたことくらいはあるんじゃないっスか?」

『ああ、それなら知っている』


 イケメンの問いかけに、椿がふむ、と頷いた。


『確か……壺の中に、トカゲや蛇、蜘蛛、ムカデなどの毒虫を入れて食い合いをさせるものだな? それで、最後に生き残った奴を使って術を掛けるとかなんとか……』

「そう! 創作ならそれで間違いじゃないっス。でもぶっちゃけそれは、動物学的に無知な人間の考えることっスよ」

「え? そうなの?」

「だってそうじゃないっスか。元から蛇はトカゲを喰いますし、ムカデだって大きい奴なら蜘蛛くらい余裕って食いやすよ。そんな奴らを一緒の場所に閉じ込めたところで、呪術なんかになるわけないっス。それはただ、蛇やムカデを飼育してるだけっスよ」

「ああ、確かに……」

「だから本来の蠱毒は、ムカデならムカデ、蛇なら蛇って感じで同種の生き物を食い合いさせるものなんス。まぁ、そんなふうにしたところで特別な手法を用いない限り、共食いをする可能性は限りなく低いっスけどね。難しいんスよ、邪法ってのは」


 そう言ってイケメンは、つまらなそうにため息を付いた。


「とにかく、そうやって蟲を極限の状態まで追い詰めることで、術の媒体となる生命力の強い個体を厳選できるんスよ」

「……で、その生き残りを使って何をするの?」

「そりゃあ……宿敵を呪ったり、式として使役してみたり……用途は色々あるっスね」

「ふーん……」


 イケメンの言葉に、僕は曖昧に頷くことしかできない。


「でも、その術が皿久米市に掛かってるってどういうことなの? その術と皿久米市がどう関係しているのか、良く分からないんだけど」


 僕の素朴な疑問に、リコは呆れた風にため息をついた。


「アンタ、バカねぇ。そんなの、この皿久米市自体が蠱毒の器になってるに決まってんじゃん」


 それは、これまでの不可解な現象を一発で説明できる圧倒的な一言だった。

 そうだ。最初に巨大生物――蟲を見た時、母さんは言っていたじゃないか。「蟲は何故か、皿久米市から出ることができない」と。それはつまり、蠱毒の壺に入れられた生き物は、最後の一匹になるまで外に出られない……ってのと同じなんだ!


 そして、蟲同士が殺し合いをした時に起こる、勝者が敗者の力を吸収しているようなあの現象。あれも「最後は強い個体だけが生き残る」という蠱毒のルールを考えると、分からなくもない!


 だけど、その『蠱毒』というキーワードだけでは説明できないことがいくつかあって……。


「どうして、『人間』は除外されているの?」

「は?」

「だってリコの話を信じるなら、僕達だって壺の中に居ることになるんでしょ? だったら、蟲から相手にされていない今の状況はおかしいんじゃない? あと、夜にしか蟲が出現しないのもおかしいよ。普通に壺に入っているっていうなら、蟲は昼夜問わずに活動しているはずでしょ?」

「アンタ、本当に頭悪いのね。んなもん異端の力で制御してるに決まってるでしょ?」


 リコは、出来の悪い生徒を見るような目で僕を見下してくる。


「うそ! 異端の力って、そんなに万能なものなの!?」

「そうよ。ある程度の知識と実力があれば、今回のように条件付けることなんて超余裕! ま……それには、並大抵じゃない努力が必要なんだけどねー」

「……言ってることが矛盾してない?」

「うるさい!」


 僕の突っ込みに、リコは間髪入れず吐き捨てる。


「とにかく! そんな面倒をしてまで人間を蠱毒から除外したってことは、異端者が市内に潜伏しているのは間違いないのよ。分かった!?」

「な、なんとなく……」


 リコの話を脳内で反芻しながら、一人頷いてみる。


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