11月14日・午後……4
僕のたった一言で、戦況は大きく変わってしまった。今は戦いも止まり、誰もが僕に注目している。
「な、なんでいきなりそんなことになるのよ!?」
その中でもいち早く我に返ったリコが、大声を張り上げる。
「っていうか、秋丁字に妹なんて居たの!?」
「うん! さっき、秋丁字の遺書を読んだんだよ。そうしたら、動機のこととか書いてあって……」
僕は素早くリコの隣に降り立つと、秋丁字の遺書を手渡した。リコは小首を傾げながらも、黙って遺書に目を通し始める。
「あの子が茉莉だって考えれば、全ては繋がるんだ! 茉莉がどうして死ななきゃいけなかったのか。秋丁字がどうしてあのタイミングで術の構成を変えたのか……!」
「……なるほど。確かにあの女が死んだのは、術の構成が変更される直前だったな」
僕の考えをすぐに理解したんだろう。柚彦がふむ、と頷いていた。
「もしかしたら、茉莉が掛かっていた病というのは寄生虫だったのかもしれない。そのせいで茉莉は、初期状態の蠱毒でも搾取対象になっていた。だからあの日、蟲に襲われて命を落としてしまった……」
遺書の内容と目の前の少女の状況をすり合わせながら、柚彦は推理を組み立てる。
「それを知った秋丁字は自暴自棄に陥った。茉莉を守るために人間だけは術の対象外にしていたのに、意味がなかったのだからな。それならばもう、他の人間も巻き込んでしまえばいい……そう思うのだって無理はないのかもしれない」
「だからあの女の死が確認された後、すぐに術の構成が変わったっていうの?」
遺書を読み終わったんだろう。リコがひどくおびえた声を発した。
「待ってよ。そうは言っても、術の構成が変わったのはあの女が死亡した直後だったじゃない。多分、一分も経ってなかったわ。どうして秋丁字がそんなに早く、妹の死を知ることができるのよ?」
「教えてもらったからだよ」
「……誰に?」
「コルちゃんに」
そう言い切った時のリコの表情ときたら、痛々しかった。
唇を歪めて、まるで悪夢でも見てしまった童女のように震えているのだから。
「は、はぁ……? コルチカムが? どうやって……?」
「あの時コルちゃんは、携帯電話で救急センターに連絡していたよね。蟲に襲われて致命傷を負っていた、茉莉を助けるために」
「それが、どうかしたの? まさか、救急センターにたまたま秋丁字が居たとでも言いたいの? そんな上手い事あるわけ――」
「違うよ。僕が言いたいのは……そもそも、あの時コルちゃんが連絡していたのは救急センターなんかじゃなくて、秋丁字本人だったってこと」
「お、憶測で物を言わないでくれる!? コルチカムはアタシの部下よ! そんな、異端者の連絡先なんて知っているはずがないじゃない!」
「じゃあなんで、通話履歴に救急センターの番号が乗っていないの?」
「……え?」
僕の問いかけに、リコは顔をしかめる。
「ほら、見てよ。これはコルちゃんの携帯電話だ。ここ数日間の通話記録は綺麗に並んでいるのに、救急センターの番号がない」
「…………」
僕が提示した携帯電話のディスプレイを、リコは信じられないものを見るような目で見ている。
「あれは確か……午後の五時半くらいのことだったかな。その時間帯、コルちゃんが電話を掛けた先はオルペラさん宛になっている。この番号が秋丁字のものなんじゃないの?」
「そ、そんな馬鹿なことがあるはず――」
「調べてみないと分からないよ。むしろ、調べてみたら一発なんじゃないかな」
目を逸らそうとするリコを、無理やりこちらに向かせる。
「コルちゃんはあの時、救急車を呼ぶふりをして実況中継をしていたんだよ。秋丁字に、茉莉が死に近づく様子を克明に教えてあげていたんだ」
「……嘘よ。そんなの、でたらめよ!」
「コルチカムと秋丁字を繋げるものは、それだけではない」
僕の推理を引き継ぐように、今度は柚彦が喋り出す。
「秋丁字の持っていた、退魔の手袋だ。何故秋丁字は、退魔の手袋の効果を熟知していたのだろうか? 私はあいつと直接話したから覚えているのだ。あいつはこう言った。『肌に接触するように身に付けてさえいれば、効果があると聞いた』とな」
柚彦は、リコを完全に無視してコルちゃんを見ていた。でもコルちゃんは、キョトンと目を瞬いているだけで。
「秋丁字は、どこでその情報を手に入れたのだ? 退魔の手袋の情報は、異端審問官と一部の者しか知らないはずだ。ならば、それを秋丁字に教えた何者かが居ると思って間違いない」
「そんなの……異端審問官とは限らないじゃない。アンタかもしれないし、雪柳かもしれない。アタシは異端審問官以外にも退魔の手袋を渡していた!」
「なるほど。手袋の件に関しては、百歩譲ってそれもありえるかもな。だが一番致命的なのは、蠱毒の術に関することだ」
柚彦はちら、とリコを見やる。
「貴様が手にしている遺書によれば、今回の蠱毒は、基盤だけ私に手を借りて作ったものらしい。そして、それ以外の部分は秋丁字本人が作った……ということになっている。が、これは本当にあり得るのだろうか?」
「本人がそう言っているんだから、そうなんでしょう!?」
「残念、それは不正解だ。秋丁字は自らこう言っていたではないか。『自分には、異端の術を使う才能もなければ知識もない。だが、説明書さえあれば話は別』とな」
いたって冷静に柚彦は答える。
「この発言から、秋丁字に『説明書』を作ってやった人物が居ると推測できる。しかもただの説明書じゃない。『人間を術から除外』して『夜のみ発動』という高度な条件付の説明書だ。こんなものを作れるのは、世界中を探しても異端の研究をしている異端審問官くらいしか居ないだろうよ。異端者という可能性も考えられなくないが、それだったら最初から私のような素人に基礎体を作らせる必要はない」
「そんなの、ただの憶測よ……」
「おや、まだ納得せぬか。では、もう一つ材料を提示しよう。夜の街で私達と秋丁字、そして異端審問官が初めて顔を合わせた時のことを覚えているか? あの時ドロセラは、邪魔をしてきた貴様に大層腹を立てていた。今にも攻撃を加えてもおかしくないほどだったのに、秋丁字がその寸前で止めていたな。あれは、貴様の傍に共犯者が居たからじゃないのか? 仲間を巻き込んで傷つけるわけにはいかないから、止めたのではないか?」
そこまで一気に言い切ると、柚彦は効果的に言葉を止める。
「その仲間とは……コルチカムではないのか?」
「それも単なる憶測じゃない……!」
もうリコは、涙声になっていた。遺書をくしゃくしゃに握りしめながら、嗚咽を漏らしている。
「だから、コルちゃんの通話記録を調べなよ。あの時誰に掛けていたのか分かれば、コルちゃんの無実は証明できるはずだよ」
念押しするように言うと、僕はコルちゃんに視線を移した。
「ねぇコルちゃん。さっきから聞いているんでしょ?」
「コルチカム! こんな戯言、さっさと否定しなさいよ!」
「…………」
しかしコルちゃんは、先ほどと変わらず棒立ちしていた。まるで、僕達の話なんて全然聞いていなかったかのように。
でも、すぐにニッと微笑むと、
「あちゃー。もしかしてバレバレっスか?」
と、まったく悪びれない様子で言ったのだった。
「それじゃあ、じゃれ合うのは止めましょっかねー。ほらほら茉莉チャン、どーどー!」
「はぁーい……」
しかも驚いたことに、コルちゃんは茉莉を従えているらしい。コルちゃんがちょっと手を引いただけで、あの茉莉がしょんぼりと項垂れてしまったではないか。
その隙を見て、雪柳がなりふり構わず逃げ出してくる。
「あーあ。さすがに携帯の履歴を消さなかったのは、マズかったかもしれないっスねー」
コルちゃんは、普段とまったく変わらないテンションだった。雪柳が逃げたことも気にしていないらしい。髪の毛をかき上げながらクスクスと笑っていた。
「だって物的証拠ってソレだけっスよね? っていうかその前に、携帯電話にロックを掛けるべきだったんスかね? ああーマジやっちまったっス」
「は……? 何を言ってるの、コルチカム……?」
「オジョーサマ、サーセン。全部全部、柚彦サン達の言う通りっスよ」
放心気味のリコに、コルちゃんははっきりと言い切る。
「俺が秋丁字の共犯者っス!」
その告白に、リコは完全に思考停止したらしい。
それまで悲痛に歪んでいた顔が、感情も何もかも欠如したようにまっさらになってしまった。
だが、コルちゃんの告白はそこで止まらない。
「そうっスね。更に具体的に言うなら……秋丁字に蠱毒の使用を勧めたのも、秋丁字に夏見家を紹介したのも、柚彦サンが作った術に付属効果を付けたのも、そんでもって秋丁字に茉莉の死の実況中継をしたのも……みんなみんな俺っスよ!」
「どうして……そんなことをしたの?」
「決まってるじゃないっスか。異端の術の完成を間近で見てみたかったからっスよ!」
僕の質問に、コルちゃんはあっさり答える。
「やっぱ異端の術って超面白いっスよねー。マジすげーっスわ。都市部をも巻き込む異端なんて、迫力もハンパないっスよね!」
「それじゃあコルちゃんは、たったそれだけのためにこの街を……?」
「そうっスよ。俺はでっかい異端が見てみたかったんス」
コルちゃんは堂々と胸を張っていた。
「今まで仕事で何回か異端の術を使ったことがありやすけど……それってやっぱり、超ちっさいものなんスよね。術を相殺したり、抑えたり、なんかもう超地味っていう感じでー」
当時のことを思い出しているのだろうか。コルちゃんは術の構成をするように指を動かしている。
「でも、そんなちっさい術でも面倒な手順を踏んで色々やらなきゃいけないんスよね。すっげー奥深いんス。それで俺、異端のことをもっと知りたいなーと思ったんスよ! っていうか、もっともっとすげー異端を試したいと思ったんス!」
元気いっぱいに、コルちゃんは拳を握っている。
「そんなことを考えていた時に、秋丁字から相談されたんスよ。妹を助けるために何か手立てはないかって。そんなのさー、異端者の処刑しか能のない俺に相談する内容じゃないっスよねー! 秋丁字ってばうっかりさんなんだからー!」
何がおかしいのだろうか。コルちゃんは腹を抱えて爆笑していた。
「でも茉莉チャンの病状を聞いて、思ったんスよ。これは、専門外の東方の異端を試す……大大大大チャンスじゃないかって」
「専門外とはどういうことだ?」
「前にも言ったと思うんスけど、実は俺、仕事場の本拠地が本拠地だけあって、東方の異端にはあんまり詳しくないんスよ。陰陽師とか祈祷師とかって超クールっスよねー。資料でしか見たことないけど、マジ憧れるっス!」
「だから秋丁字に、夏見家の俺に接触しろと勧めたのか?」
「そうそう。やっぱ分からないことは専門家に聞くのが一番じゃないっスか」
何を当たり前のことを、と言いたげにコルちゃんは笑う。
「それにしても、柚彦サンの作った術の基礎体、マジ美しかったっスよー! あんなに丁寧で綺麗な公式が高校生に作れちゃうものなんスね! 柚彦サン、結構異端の才能あると思いやすよ! あっはははははは!」
そこからコルちゃんは、大爆笑の渦に呑まれて行った。
もう言いたいことは全て言い切ったのだろう。罪を看破されたというのに、妙に晴れやかな表情をしているのが気に障る。
「一つだけ聞きたいんだけど……」
「ん? なんスか椿チャン?」
「コルちゃんは、最初から茉莉が蠱毒に巻き込まれて死ぬって分かってたの? それとも……」
僕の問いに、コルちゃんはわざとらしく肩を竦めた。
「そんなの、分かっていたに決まってるじゃないっスか。体内に蟲を宿した人間がどんな扱いになるのか、実験もしてみたかったっスし」
それを聞いた時、目の前の人物が心底悍ましく思えた。
コルちゃんと秋丁字がどんな関係だったのかは知らない。でも、助けを求めてきた相手の目的を無視して、実験を優先させるのはどうなんだ? 同じ異端でも、さすがにそれは異常なのではないだろうか。
もしかしてコルちゃんは、異端者を裁いて行く内に、異端の術に魅入られてしまったのでは……。
「さーて。そろそろおしゃべりも終わりにしましょっか。――茉莉チャン!」
「はぁーい!」
コルちゃんの呼び掛けに、茉莉は素直に手を挙げる。
おそらく、これから二人で連携して僕達と戦うつもりなのだろう。茉莉という実験体を最後の一匹にするために……。
――と、思ったら。
「げほっ」
なんと茉莉は、コルちゃんが手にしていた杖で自分の胸元を貫いていた。




