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11月14日・午後……1

■十一月十四日 午後



 いつからこうしているのだろう。

 黒一色の世界で、僕はぽつんと立ち尽くしていた。


 おかしいなぁ。さっきまで昼間だったはずなのに、何故こんなに暗いんだ?

 それに僕は、今まで何を――


「……あっ!」


 そこまで考えたところで思い出した。


 そうだ柚彦! 柚彦はどうしたんだ!?

 ついさっきまで僕は、リコと戦っていたんじゃないか! それで僕は負けて……柚彦と離れ離れになって、自転車が破壊されて……!


「柚彦! どこに居るの!? 聞こえていたら返事をして! 柚彦!」


 しかしどちらを向いても、柚彦の姿はおろか、自転車の欠片すら見つけられなかった。どこまでも深い闇が広がっているだけだ。


 やはり、柚彦は死んでしまったのだろうか? それとも僕が死んでしまったのか?

 どちらにせよ、僕が柚彦を守り切れなかったのには変わりない。だって僕の体は、柚彦そのものだったのだから。

 あ、なんか悔しすぎて涙出てきた。


「うぅ……柚彦ぉ……僕を置いていかないでよぉ……」

「人を勝手に殺すな。この阿呆が」


 感傷に浸っている僕を呼び覚ましたのは、あまりにも冷静な一言だった。

 この声には聞き覚えがある。冷たくて、固くて、でもとても綺麗な音色で――


「おい貴様、聞いているのか?」


 振り返ってみて僕は驚いた。

 だってそこには、初めて出会った時と寸分変わらぬ姿をした……『夏見柚彦』の姿をした男が立っていたんだから。


「な、なんで僕がそこに……えっ!? っていうか、なんで柚彦……ええ!?」


 そこまで喋って、ようやく気が付いた。

 僕の声が、異様に高い! 今までの心地よい低音ボイスから一変。普通の女の子みたいな声になっている。

 と、いうことは……?


 恐る恐る自分の姿を見下ろすと、そこにはウエディングドレスを身に纏った華奢な体があった。そのまま触ってみると、柚彦ではありえなかった場所に膨らみが確認できる。しかも顔の角度を変えるだけで、銀色のサラサラとした髪が視界に入るのだ。髪型からして、今の僕は『柚彦』じゃない。


 僕は……完全に、『椿』の姿になっていたのだ。


「ぎゃあああああああ! ぼ、ぼぼぼぼ僕が女の子になってるるるるるううう!?」

「ええい落ち着け! 元々貴様は女であったろうが!」

「はっ! そ、そうだった!」


 一人で喚きだした僕に、男がすかさず突っ込みを入れてくる。

 しかしこの、やけに偉そうで勿体ぶった喋り方は……まさか!


「あ、あの……つかぬ事をお伺いしますが、あなた様は夏見柚彦さんでございますでしょうか……?」

「それ以外の誰に見えると言うのだ? この戯けが!」


 台詞の合間に、自然と入ってくる罵倒が懐かしい。

 間違いない! 彼は……彼は、柚彦なんだ!


「よ、良かったぁ……! 無事だったんだね柚彦!」

「ああ、なんとかな。貴様も生きているとは意外だったが」


 感極まって縋りつくと、柚彦はポンポンと背中を叩いてくれる。言葉こそ辛辣だが、その手つきは優しかった。

 しかし、そこで僕は違和感に気付いた。


「……あれ? なんで僕、君と抱き合えてるの? 僕の体、スケスケだったはずなのに」

「ふむ。どうやら今の貴様には実体があるようだな」


 確かめるように体のラインを撫でながら、柚彦はつぶやく。


「ひょっとしたら、自転車と完全に融合してしまったのかもしれぬ」

「う、うん……」


 大好きな柚彦と触れ合っているという事実に、テンションがどうしようもなく高まっているのが分かった。柚彦が僕の体の観察に夢中になっている間に、僕も柚彦の肩口にぐりぐりと顔を押し付ける。

 それまで自分の魂が入っていた身体なのに、柚彦本人だというだけで大分感じ方が違う。


 柚彦って、こんなに大きな体をしていたっけ? こんなにいい匂いがしていたっけ? こんなに、滑らかな肌の感触をしていたっけ?

 ああ、なんて心地よい温かさなんだろう……。


「どうした、椿? 何をしているのだ?」

「なっ……な、ななななんでもないよ!」


 しまった! あまりにもクンクン匂いを嗅いでいたから、不審がられてしまった!

 こ、ここは話題を変えないと――!


「ええと……そういえば僕達、どうしてこんなところに居るの? そもそもここはどこなの?」

「貴様の言葉を借りるのなら、結界の中ではないか?」


 僕の顔を覗き込みながら、柚彦は答える。


「結界? でもそれは、柚彦の力じゃ発生させられなかったんじゃないの?」

「先日まではそうだったようだな。正直、私にも何が起こったのか分からん。貴様が異端審問官共にリンチされ、自転車が破壊されたところまでは覚えているのだが……」

「じゃあ柚彦も、気が付いたらここに居たんだ?」

「ああ」


 僕の問いかけに、柚彦は明瞭に答えてくれる。


「だが聡明なる私は、貴様が眠っている間に一つの仮説を立てたぞ」

「仮説……?」

「まず第一の疑問。『何故我々は死亡していないのか?』。それに対する解は、『死亡する寸前にこの結界に入り込んだから』で間違いないだろう。この場所は以前貴様も言っていた通り、外からの干渉を一切受けぬようにできているらしいからな」


 遠い目で闇を眺めながら、柚彦はつぶやく。


「そして第二の疑問。『何故結界を作り出すことができたのか?』……これに対する解は、最後のあの瞬間に『私と貴様の精神がシンクロしていたから』だと思われる」

「僕と……柚彦の気持ちが?」

「ああ。そもそも精神が入れ替わった後の私と貴様は、お互い触れ合わないと戦うことすらままならなかっただろう? しかも、二人揃っていたとしても結界を作り出すことは叶わなかったし、精神を元の状態に戻すこともできなかった。これは何故か? 恐らく、二人の精神が同一でなかったためと思われる」

「それは……まぁ、そうだよね」


 僕と柚彦はまったく別の個体なのだから、思考がバラバラなのは当然のことだ。


「でも、それがシンクロしたっていうのは……?」

「つまり貴様も私も、あの瞬間は同じことを考えていたのだ。異端審問官に自転車から落とされた時、貴様はどのような気持ちだったのだ? 試しに、その時の感情を言ってみろ」

「それは……もちろん、柚彦のことしか考えられなかったよ。だってあの時、柚彦……」


 すぐにでも、泣いてしまいそうだったし……。


「僕は……柚彦を守りたいと思ったよ。柚彦の傍に居たいと思った。だから……」


 先ほど見た夢のことも考えると、なんとも言えぬ気持ちになってしまう。

 でも、今こうして柚彦と話しているのも、僕の想いが柚彦に届いたからなんだよね? 想いが通じ合えたからなんだよね……?


「……そういうことだ」

「へ?」


 感動の余韻を引き裂くように、柚彦は言い切る。


「つまり二人の思考回路が同一のものとなったため、結界が自動的に発動したのだ。そして同時に、二人の精神も正常な器に入れ替えられたのであろうな」

「は、はぁ……そのようですね……?」

「と、いうことで、この件に関する説明は以上だ。では、疑問も晴れたところで今後のことについて話したいのだが――」

「い……いやいやいや。待って! そうじゃないでしょ! 違うでしょ!?」

「何がだ?」


 僕の体から腕を離しながら、柚彦は首を傾げている。


「き、君さぁ……今、思いっきり説明を省いたよね? 二人の想いがシンクロしているっていうなら、柚彦も僕に対しての想いを語るべきなんじゃないの? そうじゃないと柚彦の説の証明にならないし、僕が一人で勝手に語り出したみたいで恥ずかしいじゃん! 柚彦も言ってよ! あの時、どんな気持ちだったのか!」

「貴様……阿呆か?」


 僕の必死の追及に、柚彦は真顔で答える。


「そんな小っ恥ずかしいこと、私がわざわざ言うはずなかろう」

「なっ……!」


 身も蓋もない言い方に憤慨すると同時に、僕はふと疑問を覚えた。


 ……そういえば柚彦って、僕のことをどう思ってるんだ?

 僕が柚彦を好きだっていうのは、十分伝わっているはずだ。柚彦自身がそう言って励ましてくれたこともあるんだから、これは確定と言っていいだろう。

 けど僕は、柚彦の気持ちをちゃんと聞いたことがない気がする。


「というわけで本題に戻るが……貴様、この結界はあとどのくらい持つのだ?」


 柚彦は、僕の思考を遮る絶妙のタイミングで聞いてくる。


「それによって、これからの行動も変わってくると思うのだが」

「どうだろう……多分、以前より成長しているから数十分は持つと思うよ」


 力の残量を確かめるように、胸に手を当てながら僕は答える。


「でも、この後も異端審問官と戦うのなら早めに結界を解除した方がいいね。そうしないと、ガス欠で負けちゃうかもしれないし」

「貴様は、まだ戦うつもりなのだな」

「うん、戦うよ。だってリコ達に勝たないと生き残れないじゃない。倒すか倒されるか……そのどちらかしかないんだ」

「……そうか」


 僕の答えを聞いて、柚彦は安心したふうに微笑んでいた。


「しかしそのためには、一つ実験をしなければならないな」

「え?」

「体が元に戻り、貴様が本来の力を発揮できるようになったのはいい。だがその代わりに、私がただの人間に戻ってしまったではないか」

「あ……」


 そうか。しかも柚彦は蟲の力を一度も吸収していないから、秋丁字のように戦うこともできない。


「私がまだ、貴様の力を借りられるかどうか……全ては、それに掛かっている」


 そう言うが否や、柚彦はそっと僕の手を取った。

 その途端、それまで体の奥底に眠っていた何かが沸騰するような感覚に陥った。


 力が――爆発する!


「わっ!」


 瞬間、僕と柚彦を包むように銀色の膜が展開した。

 これは……柚彦の――いや、僕の得意とするシールドだ!


「……ふむ。いけるようだな」


 確かめるように拳を握りしめながら、柚彦は満足げに頷いている。


「力を貴様に借りるという形でなら、私も戦えるようだ。まだ、回路は残っているらしい」

「それじゃあ……!」

「ああ。共に戦おう」


 柚彦はふわりと微笑みかけてくれる。手を繋いだままだから……その言葉が、彼にとっての本心だと伝わってくる。

 僕は返事をする代わりに、満面の笑みで彼の手を握り返した。


「っ……!」


 すると柚彦は、バッと顔を逸らしてしまう。


「い、言っておくが、貴様、結界から出たら地獄を見ると思うぞ」

「え? なんで?」

「なんと言っても貴様は、絶食状態だったのだからな。相当体がダルくなっているはずだ。今は精神体だから実感は湧かぬだろうが……」

「でもその辛さは、今まで柚彦が我慢していたものなんでしょう? だったら僕は甘んじて受け止めるよ」

「……ふん。単細胞の阿呆が」


 柚彦の心の声が伝わってくる。僕のことを、心の底から馬鹿だと思いながらも尊敬してくれている。

 心地良い……綺麗な声だ。


「それより、柚彦の方が大変だと思うよ?」

「どういうことだ?」

「だって、右足はもう使い物にならないし……あと、最後に異端審問官からリンチされたから、腕とか折れてるかも」

「くそっ。そういえばそうであったな」


 柚彦はギリリと悔しそうに歯を食いしばる。だが、それも一瞬。


「まぁ、いい。貴様に耐えられたものが私に耐えられぬわけがない」


 と、自信満々に胸を張った。


「行くぞ、我が戦友よ。結界を解き、最終決戦の時を迎えるのだ!」

「うん!」


 そう頷き合った瞬間、闇が徐々に晴れていくのが分かった。

 進むべき道を示すように、光が一筋、また一筋と差していく。


 そうして僕達は、現実へ帰って行く――。


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