10月21日
■十月二十一日
最初に聞いたのは、君の独り言だった。
「危ないところだった……。ヘタをしたら、秋丁字と鉢合わせするところだったな……」
僕がいつものようにほわほわと夢の中を漂っていると、人間の声が殻の外から聞こえてきた。
その声は、どこまでも冷静で、固くて……でも、とてもとても綺麗な音色をしていた。
こんなに心地よい声を出すなんて、どんな奴なんだろう? 僕はカチカチになった膜の中から体を起こすと、そっと外の様子を伺ってみた。
「しかしあいつ、蟲を使役しているのか。生身のままで遭遇したら間違いなく殺されるな。ならば私も、蟲を使役するべきか……?」
そこに居たのは、あり得ないくらい綺麗な男の人だった。
なんなの、この人間! すっごくきらきらしてる! 人間にもこんな個体が居るんだ!
僕は一種の感動を覚えながら、その人間を観察することにした。もちろん、単なる好奇心からだ。
「生き物を『式』にする方法は……ふむ、これに載っているな。素人の私でも問題なく行えそうだ。しかし、使役するにしてもどの蟲がいいのであろうか……?」
その人間は、よく分からないことをぶつぶつとつぶやいていた。その囁きすらも子守唄みたいで耳が気持ちいい。
「哺乳類は……好かんな。大体あいつらは、喋れぬくせに自己主張が激しくて煩わしいのだ。かといって昆虫も好かぬ。あいつらは見た目からして気持ちが悪い。だったら……」
最初は空を舞う鳥を。次に地を這うコオロギを。
顎に手を当てながら、そいつはぼんやりと生き物を観察していた。
それから――
「……なんだこれは?」
彼は、木の影に隠れている僕を見つけ出したのだった。
相手から蛹の中身が見えているわけでもないのに、思わずどきりとしてしまった。僕が見ていることはバレてない……よね?
「ほお、珍しいな。この時期にオオミズアオの蛹とは……」
人間は、目を輝かせながら僕をじろじろと眺めていた。
声も見た目も成体のように見えるのに、その反応は思っていたより子供っぽい。
そういえば人間は、精神の成長が外見に伴わない場合が多いと聞く。彼もそうなのだろうか? 成体に見えるが子供なのか?
「しかし貴様、運がいいな。まったく動けない身の上であるのに、この蠱毒の器の中でまだ生きているなんて……」
ああ、そうか。そういえば今は、生き物同士で殺し合いをするように、自然のルールが変更されているんだっけ。おしゃべりカラス達がそんなことを話していたのを聞いた覚えがある。
「……そうだ。貴様にしよう」
え? 何が?
「確かオオミズアオは、『アルテミス』と称されるほど美しい昆虫だったはずだ。それならば、他の昆虫より嫌悪感も湧かないだろう」
人間は、そっと僕に手を伸ばす。
「喜べ、オオミズアオよ――月の女神よ。貴様は、これから私と共に生きてゆくのだ」
何を思ったのか、人間は慈しむように僕を撫でてくれた。
それは彼の心の美しさを表すような、優しい優しい手だった。
――そして彼は、自転車のサドルを外し『僕』をその中へ入れた。
身動きの取れない『僕』を育てるには、他の媒体が必要だったからだ。
そうしていつしか……僕の体は溶けて、自転車と同化してしまったのだった。




