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11月13日……5

「……ということなんですが」


 それは、作戦開始の一時間前まで遡る。

 オオスズメバチを倒す計画を立て終えた僕達は、作戦実行の許可を得るために立花市長の元へと来ていた。


「一つ、質問があるのだが」


 作戦の概要を聞いた後、市長は疑わしげにリコを睨む。


「秋丁字琢磨が皿久米高校に攻めてきたら、どうするつもりなのだね?」


 市長の言葉に、一同はハッと息を飲んだ。


「戦力を分散した状態では、市民を守り切れるとは思えないのだが……」

「やはり、お気づきになられましたか! さすがですミスター!」

「当たり前だろうが! 君は私を馬鹿にしているのかね!?」


 いけしゃあしゃあとしているリコに、市長は鋭く突っ込みを入れてくる。


「実は、その点を相談したくて来たのですよ。我々の考えた作戦、色々と穴がありまして」

「……言ってみろ」

「現在、我々人間とオオスズメバチ、そして秋丁字が三竦みのような状態にあるのはご存知ですね? 誰かが動けば均衡は崩れてしまい、最後に残った一人が漁夫の利を得てしまう……」

「つまり、先に動いた者が負けてしまうんだな?」

「はい。我々がオオスズメバチに攻撃を仕掛けると、秋丁字に有利になってしまうのですよ。ミスターの言う通り、作戦中に秋丁字が市民を狙うこともあり得ますし、その逆にオオスズメバチの命を横から掻っ攫われてしまう可能性もあります。更に言えば……秋丁字にオオスズメバチを横取りされた挙句、市民の命も奪われるという最低最悪な事態も起こりうるわけです」

「そうなったら、絶望的じゃないか」

「ええ。ですから、市民の皆様にも協力して頂けないでしょうか?」

「それはもちろん。だが、我々に何ができるというんだ?」


「そうですね。まずは……先に皿久米高校から脱出してください」

「脱出? 何故そんなことをする必要が?」

「間違いなく秋丁字は、近い内に皿久米高校に攻撃を仕掛けるでしょう。そうなったら正直、全メンツが揃っていても市民を守れる気がしません」


 市長の素朴な疑問に、リコは間髪入れずに答える。


「オオスズメバチを倒せたら、ツインタワーへの道が開けます。そうしたらすぐに避難できるよう、予めタワーの近くで待機していて欲しいのです」

「…………」


 市長は口を噤んで俯く。


「言いたいことは分かる。しかし、そんなことをしたらオオスズメバチや秋丁字に各個撃破されてしまうのでは……?」

「させません。市民の皆様にはこれを持っていてもらいますから」


 リコは自分のしている退魔の手袋を外すと、そのまま市長に差し出した。


「なんだそれは? 手袋か?」

「はい。こちらの手袋は、肌にさえ触れていれば蟲から身を隠せる……魔法のアイテムのようなものです。繊維自体に呪が施されているので、糸一本レベルまで分解しても十分効果があります」

「それはすごいな……」

「これを市民に配布します。そして、少人数で移動してもらうのです」

「…………」

「ミスター・タチバナ?」


 退魔の手袋を握りながら、市長は悔しそうに唇を噛みしめていた。


「こんな便利なものがあるなんて……何故、黙っていたのだ? これがあれば、今まで死んでいった者達も……」

「いや、死んだんじゃないっスか?」


 センチメンタルな雰囲気をブッ飛ばすように、コルちゃんは言ってのける。


「そもそもこの作戦、今だからこそできるんスよ。昨日の状態だと、市民の数が多すぎてアイテムが足らなかったし」

「だ、だが……もし昨日、これがあったら」

「『秘書が助かったかもしれないのに』? あんたできるんスか? 生き残るべき人間の選別なんて」

「ぐっ……」


 コルちゃんの正論に、市長は何も言い返せないようだった。


「それにこれ、秋丁字とドロセラには効果がないんスよね。だから、死ぬときゃ死にやすよ」

「なんだと? それでは、移動中に秋丁字に見つかる可能性も……」

「当然、あるっスね」

「そ、それは……危険すぎるのではないか?」

「ええ、危険ですよ?」


 当たり前のことのように、リコは頷く。


「ここはもう、賭けに出るしかないのです。人間が人間として生き残るためには、命を投げ捨ててでもあのタワーに縋るしか方法はありません」


 動揺する市長を気遣うことなく、リコは淡々と事実を述べていく。


「どうしますか? このままここに残って全滅を待ちますか? それとも、危険を冒してアタシ達と共に戦いますか?」


 どこまでも冷静なリコの問いかけに、市長はぐっと息を飲んだ。

 しかし、すぐに顔を上げると――


「……分かった。君の言う通りにしよう」


 と、言い切ったのだった。


「では我々は、避難をすればいいのだな?」

「ええ。ですが少人数だけ残って、作戦に協力していただけたらと思うのですが」

「作戦……? それは、オオスズメバチの巣を強襲する方のことか?」

「いえ、秋丁字捕獲作戦です」

「んん? ちょっと待ってくれ」


 立花市長は、額に手を当てて考え込んでしまう。


「今日の標的はオオスズメバチだろう? それが何故、秋丁字捕獲作戦に……?」

「先ほども言った通り、秋丁字は我々がオオスズメバチに攻撃を仕掛けた後、間違いなく市民に手を出します。だってオオスズメバチが居なくなったら残りは人間だけなんですから、殺さないはずがないでしょう?」

「あ……」

「ですから、オオスズメバチ強襲作戦と秋丁字捕獲作戦は平行して行われるものと思っていただけますと幸いです」

「なるほど、そういうことか……」


 そこでようやく市長も納得したらしい。ふむふむと話を咀嚼するように頷いていた。


「作戦の内容は簡単です。秋丁字を市民が居なくなった後の皿久米高校におびき寄せ、罠を仕掛けます」

「罠とは、どのようなものなのだ?」

「一言でいうと、牢獄のような効果を発揮する魔法陣ですね。秋丁字とドロセラに魔法陣を踏ませた上で呪を唱えれば、その中に閉じ込められます」


 リコの横に立つコルちゃんが、魔法陣を作る術具を市長に見せる。


「問題は、その魔法陣をどうやって秋丁字達に踏ませるのか? そして、呪を唱える時間をどう稼ぐのか……ということなんですが」

「それは、君達ではできないんだな?」

「ええ。校舎には異端審問官も残していきますが、彼らの誘導では秋丁字もすぐに罠だと気付いてしまうでしょうから」

「…………」


 市長はまた深く考え込んでしまう。

 だが今回は、すぐに結論が出たらしい。ゆっくりと顔を上げると、


「魔法陣の上におびき寄せるくらいなら、私でもできるだろう」

「……え? 市長自らやるんですか?」


 その発言があまりにも立花市長らしく思えなかったので、つい口に出てしまった。

 すると市長は寂しそうに目を細め、


「ああ、やるよ。今の私には、これくらいしかできないのだから」


 そう言い切ったのだった。

 その時僕は初めて、立花市長を尊敬した。僕達のように特別な力もないのに、この人は戦おうとしている。生き残ろうと足掻いているんだ。


「だが、その後の時間稼ぎが難しそうだな。相手の状態によっては会話もできないかもしれないし……」

「ならば、時間稼ぎは我々が請け負おう」


 市長の言葉を引き継ぐ形で、その後ろに居た男が名乗りを上げる。


「アナタ達は?」

「自衛隊員だ」


 格好を見れば分かるだろう? と言いたげに自衛隊員は頷く。


「君達は忘れていたかもしれないが……日本政府は、我々も派遣していたんだよ」

「そういえば……」


 まだ平和だった頃、毎晩市内を巡回していたのは自衛隊だったっけ。発言こそしていなかったけど、いつも作戦会議には来ていたし……。


「それじゃあ、アンタ達にも協力してもらいましょう。駒が多いに越したことはないわ」

「で、問題はどこに魔法陣を仕掛けるのかってことなんスけど……」

「……体育館の中はどうだろうか」


 顎に指を当てながら、自衛隊員がつぶやく。


「体育館の床なら、あらかじめ魔法陣とやらが書かれてしてもバレにくい。また、万が一目標が陣内に入れない場合も、体育館を囲むように魔法陣を書き直すことができるのではないか?」

「確かに、それはできるけど……。でもその場合、アンタ達はどこで時間稼ぎをしてくれるの?」

「無論、体育館内だ。二階部分なら潜伏もしやすいだろうからな」

「でもそこだと……体育館の外に魔法陣を書く場合、アンタ達も巻き込んじゃうけどいいわけ?」

「動けなくなるだけで、死にはしないのだろう? ならば問題ない」

「……ふぅん。じゃあ、アンタの言う通りにするわ」


 潔い自衛隊員の言葉に、リコは感心したふうに頷く。


「とりあえず……こっちは、アンタ達にも秋丁字達が目視できるように、退魔の手袋を最優先で破壊するわ。そうすれば今の作戦で問題ないはず……任せたわよ?」

「ああ、任せてくれ」


 リコの呼びかけに、全員しかと頷いたのだった。


   ◆◆◆


 そして、作戦はほぼ予定通りに実行された。


 僕達は協力をして、秋丁字達の退魔の手袋を破壊した。秋丁字が予備の手袋を持っているというハプニングこそあったものの、秋丁字は自分から退魔の手袋を手放してしまった。

 そして立花市長は、上手い具合に秋丁字達を体育館に誘導した。

 だが、ドロセラが予想以上に大きく成長していたため、そこに仕掛けていた魔法陣は使えない。だから代わりに、市長と自衛隊員が新たに魔法陣を組み立てる時間を稼いだ。

 それから異端審問官が、その間に体育館を囲むように魔法陣を完成させた。


 ただ、それだけのことなのだ。


「さーて、これからどうしよっかな?」


 リコはかなりご満悦らしい。わざわざ秋丁字の視界に入るように、僕の隣からドアの中を覗き込んでいる。


「超メンドイことに、ただ攻撃してもアンタ達には通用しないのよねー。だったら、異端の力でも使って呪い殺してやろうかしら?」

「い……異端の力にまで頼るのですか、貴方は……!」

「異端者を撲滅するためなら、アタシ達はなんだってするわよ。目的さえ果せば、きっと神様もアルカイックスマイルで許してくださるわー。ま、神様が居たらの話だけど」

「くっ……なんて胸糞悪い……!」


 さすがの秋丁字やドロセラも、強力な封印の前に身動きすらできないらしい。起き上がろうと腕を付いたりしているが、すぐに力尽きてしまう。まるで、地面に体が縫い付けられているかのようだ(ちなみに市長と自衛隊員は、封印のショックで気を失っている)。


「すごいわね。これだけ強力な魔法陣の中に居るのに、まだ動けるなんて」

「一瞬だけのようっスけどね」

「でも油断はできないわ。さっさと殺しましょう」


 そんな二人を見下しながら、リコ達は迅速に行動を開始していた。会話なんて悠長なことはせずに、さっさとトドメを刺すつもりらしい。


 ……これはもう、勝ったな。


 血が滲み出る右足を抑えながら、ぼんやりと思考を飛ばしていると、


「ドロセラ。聞こえていますか、ドロセラ」


 秋丁字の囁きが聞こえてきた。

 振り返ると、秋丁字は眼球だけを動かしてドロセラを仰ぎ見ていた。彼が転げ落ちた場所は、ドロセラの目と鼻の先。会話をするだけなら問題ない距離だ。


「パパ……」


 一方ドロセラは、見ていて可哀相になるくらいしょげていた。涙で表面張力を起こしている眼で、秋丁字を見つめている。

 多分、二人の会話を聞いているのも僕だけだろう。特に興味があるわけでもなかったが、僕はそのまま彼らに注目していた。


「このままでは私達は殺されてしまうでしょう。計画が水泡に帰した今、私はそれでも構わないのですが……ドロセラ、貴方はどうです?」

「いやだよぉ。ドロセラ、こんなところで死にたくないよ……」

「勝ちたいですか? ドロセラ」

「うん。だって、こんなのくやしいよ……。ドロセラ、パパと一緒に生きたい……」


 するとドロセラは、まるで人間のように泣き出したではないか。人の頭ほどありそうな瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちてくる。

 それを見て、秋丁字は静かに微笑んだ。


「そうですか。では、許可してあげましょう」

「え? 許可って……?」


「『よし』」


 その一言を聞いた途端、ドロセラはぴたりと静止した。

 封印に対する抵抗も止め、呼吸さえもしなくなる。獣だから表情なんて分からないはずなのに、彼女が苦悶に顔を引きつらせているのが、僕にも伝わってきた。


 ……何かが、おかしい。

 異端審問官達もドロセラの異変に気付いたんだろう。全員、訝しげに顔をひそめた――次の瞬間。


 ドロセラは、秋丁字に食らいついていた。


 たったの一口。

 それだけで秋丁字は、下半身をもぎ取られてしまった。ドロセラはくちゃくちゃと、咀嚼するように秋丁字の脚を味わっている。その大きすぎる瞳から、涙を止めどなく流しながら……。


『……躾の言葉だ』


 混乱する僕の脳内で、柚彦がつぶやいた。


『犬にする最初の躾だ。食事や行動の際に「許可をする」という意味合いで使われることがある……』

「じゃあ、今の『よし』っていうのは……」

『自分を食って良い、という合図であろう……』


 ああ……なんで、その可能性を失念していたんだろう。

 いくらペットとして躾けられているとはいっても、この蠱毒の器の中では誰だってエサになりえるのだ。

 そうだ。人間も器に放り込まれた時点で、僕達は察するべきだったのではないだろうか。


 ――「何故ドロセラは、一番身近に居る獲物を食べないのか?」と。


「誰でもいい! 秋丁字琢磨にトドメを刺しなさい!」


 先ほどまでの余裕をかなぐり捨てて、リコが高らかに叫ぶ。


「このままじゃ、ドロセラに力が……! そうなったらもう、勝ち目なんてないわよ!?」

「しかし、今は封印の陣があってこちらの攻撃も通りません!」

「なら今すぐ解いて! 早く!」


 しかし、その刹那。


「……これで、『君』と一つになれる……」


 秋丁字の体は、光となって消え失せてしまった。

 幸せそうな、笑みだけを残して。


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