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11月13日……2

 そして、校庭のど真ん中。そこで僕達は顔を見合わせていた。


 これから話し合うのだ。

 ――いかにして生き残るのか、を。


「実は、柚彦達が居ない間に大体のことは決めてあるの」


 僕と柚彦を見やりながら、リコがつぶやく。


「今回の事件は、今日明日で決着が付くといっても過言じゃないわ。昨日の魔法陣消去で時間制限がなくなったこともあって、人間を除いた蟲は残り僅かしか生き残ってない」

「柚彦サンに、ドロセラ――秋丁字の犬。そしてオオスズメバチ。これで全部っスね」


 指折り数えるコルちゃんを眺めながら、僕はごくりと唾を飲み込んだ。

 言われてみれば、周りで異端審問官が戦っているのもオオスズメバチだけだ。

 つまりあとは、ドロセラとオオスズメバチさえ倒せば……全てが終わる。


「だから今日は、オオスズメバチを根絶やしにするわ」

『犬ではなく、先にオオスズメバチを狙う理由は?』

「ドロセラには勝てないからよ」


 柚彦の質問に、リコは悔しそうに答える。


「一昨日の勝負で分かったわ。正面から戦っても、アタシ達ではドロセラを殺せない。だから、他の蟲を倒して力を吸収しておく必要がある」

「それに、今のところ一般人を狙ってくるのもオオスズメバチだけっス。あいつらを倒しておけば、ある程度一般人の生存率は高まるはずっスよ」

『……なるほどな』

「で、これから出撃する場所なんスけどね。皆さんツインタワーって覚えてやす? あそこの連絡通路に、オオスズメバチの巣があるみたいなんスよ」


 コルちゃんの説明に、僕はすぐさまツインタワーを仰ぎ見た。

 連絡通路っていうと、二本のタワーの間に通っている通路でいいんだよね? 確かにそこには、オオスズメバチの巣だと思われる大きな黒い影が見える。


「ここだけの話なんスけど……あの巣さえ落とせれば、人間を蠱毒から除外できるかもしれないんスよ」

「えっ、どうして!?」

「ほら。ツインタワーって、上層部が青い壁からはみ出てるじゃないっスか。実はあの部分、蠱毒の範囲外っぽいんスよ」

「じゃあ、あそこに行けば……!」

「そう。蠱毒の器から脱出できるんス!」


 コルちゃんの提案に、僕と柚彦は顔を見合わせる。


「実は市外の人間も、ツインタワーの屋上にあるヘリポートに何度か着陸してるみたいなんスよ。だからこれは、間違いないっス」

「僕達の居ない間にそんなことが……」

『着陸したヘリコプターはどうなった? 当然、人が乗っていたのだろう?』

「それは……」


 柚彦のもっともな質問に、コルちゃんは気まずそうに目を逸らす。


「タワーの中に入って、青い壁を通過するところまでは順調だったんスよ。でも市内に潜入した途端、オオスズメバチに狩られたっぽくて……」

「そ、そうなんだ……」

『ならば外からの救援は、当てにしない方がいいな』


 柚彦は冷静に物事を考えているようだ。追加情報にションボリする僕とは真逆に、感心したふうに頷いている。


『ということは、ツインタワーの上層部に住民を避難させればいいのか? そうすれば、あとは純粋な蟲同士の戦いになる……と?』

「そういうことっス。だからこそ、その途中にあるオオスズメバチの巣が邪魔になってくるわけっスよ」


 作戦の概要が理解できたところで、今度は僕から聞いてみた。


「でも、ツインタワーの上層部には市民全員入りきらないよね? あぶれちゃった人はどうするつもりなの?」

『それは愚問だな』


 僕の疑問に、柚彦が皮肉な笑みを浮かべる。


『ツインタワーは、ギネスにも記録されている世界最大のタワーだぞ。確か、展望デッキの収容人数は最大千人だったはずだ。今居る生き残りが、果たして何人いると思う?』

「正直、全然余裕なんですよね……」


 後ろで、雪柳がぽつんと囁く。


「昨日の昼間の時点で四千人でしたけど、今は更に減ってますし……」


 その声に、はっと我に返った。

 そうだ。ここはもう、昔の平和な皿久米市じゃないんだ……。


「けど、オオスズメバチって言えばかなりの強敵だよね」


 話の流れを無理矢理戻すように、僕は早口で言う。


「倒しても倒してもキリがない上、何故か力を吸収できない。あれは何でだろう?」

「それはオオスズメバチが、巣全体で一つの蟲としてカウントされているからだと思います」


 専門分野の話題を振られて、気を取り直したんだろう。雪柳が慌てて答える。


「本体は女王蜂だから、その手足である働き蜂を倒したところで意味ないんですよ。どれだけ倒しても数が減らないところを見ると、女王蜂は無限に働き蜂を生み出す能力を持っているようですね。だから、女王蜂さえ倒せば働き蜂達も消えるはずですよ」

『しかし、どうやって女王蜂を仕留めるつもりだ?』


 興味津々、といった様子で柚彦が身を乗り出す。


『オオスズメバチは、普通の昆虫としてもやっかいだったはずだが』

「それは、殺虫剤と似た効果のある術具を使おうと思っています」


 雪柳は得意げに微笑むと、オオスズメバチの巣の図が描かれた紙を取り出す。


「オオスズメバチの巣は、ミツバチの巣と違って出入り口が一か所しかないんですよ。だから殺虫剤を吹き入れてから出入り口を塞げば、安全に駆除できるんです。それを今回、応用します」

「その術具はこちらで用意させてもらいやした。聖庁オリジナルっスよ」


 コルちゃんが意気揚々と、丸い鏡のようなものを掲げる。さすが、たった一日で特殊呪文すら作り上げた異端審問官だ。仕事が早い。


「ただこの戦い方だと、巣まで接近しなくちゃいけないんですよ。問題は、誰が術具を仕掛けるかなんですが……」

「アタシがやるわ」


 即答したのは、リコだった。


「アタシなら術具の使い方は心得たものだし、槍をロープみたいに応用できるから、空中での作業も問題ない。手袋さえ付けていれば相手にも気付かれないしね」


 片手に付けた手袋を見せつけるようにしながら、リコは言い切る。


『そもそも、術具など異端審問官にしか使えぬしな。貴様らに頼るしかない』

「そうね。でも、トドメはアンタが差さないと意味がないわ」


 柚彦を真正面から見ながらリコは言う。


「だから、アタシが術具を発動させたらすぐにオオスズメバチの巣に攻撃を仕掛けるのよ。そうすれば、最後に攻撃をしたのが柚彦だと判定されるはずだから」

『……分かっている』


 リコの命令に、柚彦はただこくりと頷く。

 タイミングを見極めるのが難しそうだけど……もう、ここまで来たらやるしかないだろう。


「で……首尾よくオオスズメバチを駆除できたら、迅速に住民をツインタワー内に避難させるってのが今回の作戦の流れだよね?」

「ええ。だけどこの作戦を実行するに当たって、一つ問題があるのよね」

「……秋丁字、のこと?」

「そう」


 苦々しげに口元を歪め、リコは同意する。


「オオスズメバチが野良最後の蟲だってことは、秋丁字にも分かっているはずよ。だから、必ず邪魔しに来るはず……」


 確かに、僕達を引っかき回すためだけに出張してきたあの男が、こんな土壇場で静観しているはずがない。また柚彦に精神的苦痛を与えにやって来るに決まってる。


「秋丁字は、今どこに?」

「市内に潜伏しているわ。ずっと部下が見張っているから、居場所は分かっているの」


 忌々しそうに舌うちをしながら、リコは答える。


「この一日で、ドロセラもかなりの数の蟲を殺していたらしいわ。だから、この間以上の強敵になっていると思って間違いない」

「そんな……一昨日の状態でも十分強かったのに……」


 あの辛かった戦いを思い出す。

 僕が錯乱していたせいもあるけど、ドロセラの防御は鉄壁と言えるものだった。だって、至近距離で銀の矢を一斉掃射してもピンピンしてたんだよ? そんな相手に、どうやって攻撃を通せばいいんだよ。


「だからこそ、オオスズメバチを盗られるわけにはいかないの。オオスズメバチは絶対にアタシ達が倒すわよ。あれを倒した方が、蠱毒の覇者になるといっても過言じゃない」


 僕の不安が透けて見えたのだろうか。リコが確信を持って言い切る。


「言っておくけどアンタ達、自分の命もしっかり守りなさいよ。オオスズメバチにも、ドロセラにも……殺されたら、終わりよ」

 脅しを掛けるようなリコの言葉に、全員頷くことしかできなかった。


   ◆◆◆


 お偉いさんに説明を終えた後、僕達は作戦実行に向けて準備を進めていた。

 一般の人達も、今日が運命の分かれ道だと薄々感づいているようだ。みんな校舎の中で、追い詰められた獣のように瞳をぎらぎらと輝かせている。


「柚彦、行ってしまうのね……」

『ああ……』


 そんな中、柚彦は母さんと最後の挨拶を交わしていた。

 ここで別れたら、次に会えるのは蠱毒の術が解けた後だ。二人は傍から見ていても分かるほどに、名残惜しそうに、そして切なげに言葉を交わしていた。


「無理しないでね。異端審問官の皆さんに迷惑は掛けないようにね?」


 自転車に手を置きながら、母さんはふわふわと宙を浮かぶ息子を見つめる。


「……絶対に、帰ってくるのよ?」

『ああ、任せてくれ』


 母さんが多くの言葉を投げかけるのとは正反対に、柚彦は短い一言を返すだけだ。

 せっかくなんだからもっと話せばいいのに、とは思うんだけど……。やっぱりそこは親子なのかな。それだけでも母さんは満足げに微笑んでいる。

 そんなふうに、僕が傍観者モードに入っていると――


「ええと。貴方は……椿ちゃん、でいいのかしら?」

「は、はい!?」


 まさか、話しかけられるとは思わなかった! 挙動不審に姿勢を正すと、僕は母さんと向かい合う。

 実は暴言を吐いて以来、僕はちゃんと母さんと話していなかった。というか、僕の方が意図的に母さんを避けていたのだ。


 ど、どうしよう。目が泳ぐ。心臓がバクバク言ってる。

 心臓が口から飛び出しそうなほどの緊張感の中、母さんはにっこり微笑むと、


「柚彦のこと、よろしくね」


 そっと、僕の手を握ってくれる。


「あ……」


 本来なら、僕の手じゃなくて柚彦のものを握りたかっただろうに。

 でもその手は、以前と変わらず温かくて。柔らかくて。それだけなのに何故か感慨深くなってしまう自分が居た。


 ……そうだ。これで最後かもしれないんだから、言いたいことはちゃんと言っておこう。変な未練は残したくない。


「この間は、本当にすみませんでした」

「何が?」


 母さんはキョトンと首を傾げる。


「僕、菫さんに酷いことを言ったでしょう。『菫さんは、僕のことを理解していない』って」

「ああ、いいのよ」


 僕が何の話をしているのか思い当たったんだろう。母さんはふっ、と寂しそうに微笑む。


「椿ちゃんの言っていることは間違ってなかったもの。だって私、息子の中身が入れ替わっていたのに、ちっとも気付かなかったのよ。これじゃあ母親失格ね」

「そ、そんなことはありません……!」


 しょんぼりと項垂れる母さんの手を、僕は慌てて握った。


「菫さんは、ちゃんと僕と柚彦を見分けていたじゃないですか。『いつもの柚彦だったら』違う反応をするはずだって、分かっていたじゃないですか。だから……」

「ダメよ、椿ちゃん」


 僕の励ましを遮って、母さんは強くかぶりを振る。


「私、最初に言ったわよね。自分の子供に畏まった口調で話されると、嫌だって」

「え? でも……それは、僕が『夏見柚彦』だと思っていたから……」

「今まで通り『母さん』でいいのよ」


 僕の迷いを見抜いているのだろうか。母さんは僕に言い聞かせるように繰り返す。


「だって椿ちゃんは、柚彦が選んできたお嫁さんでしょ? だったら私の娘も同然じゃない」

「……え?」


 母さんのまさかの発言に、頬が一気に熱くなった。

 お嫁、さん? 僕が? 柚彦の? およ、およよよ、およ……!?


「今はちょっと身体が入れ替わっちゃってるけど……ほら、服装もウエディングドレスっぽいし。うん、何も問題ないわ」

『いや。私はこいつのことなんて何とも――』

「柚彦は黙ってなさい」

『ぐ……』


 柚彦の冷静な対応に寂しくなりつつも、僕は母さんと向き直る。


「まぁ、今のは冗談としても……。私、椿ちゃんのことは本当の娘みたいに思ってるのよ」

「本当に……僕なんかを、です……か?」

「ええ。だってこの数日間、一緒に暮らしてきた仲じゃない」


 僕を包み込むように、また母さんは手を握り締めてくれる。


「私は知ってるわ。椿ちゃんがお手伝いを沢山してくれるいい子だってことも。思っていることがすぐに顔に出るクセに、柚彦のことになると嘘が上手になることも。私を守るために戦ってくれたことも。そして甘えん坊なことも」


 くすくすと笑いながら、母さんは指折り数えている。


「最初は、柚彦と全然違うなぁって困惑してたけど……そんな椿ちゃんを、私も好きになっていたのよ。もう一人の子供としてね」

「……母さん」

「だから、椿ちゃんも必ず帰ってきてね?」

「……うん」

「約束よ?」

「……うん!」


 気が付いたら、目の縁に涙が溜まっていた。


 ――嬉しかった。

 僕なんて、息子のフリをしていた化け物だって分かったのに。こんな僕を受け入れてくれた母さんの気持ちが、ただただ嬉しかった。


「あらあら、椿ちゃんは泣き虫さんね」


 微笑んだ拍子に零れ落ちた涙を、母さんは笑って拭ってくれた。


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