11月11日……2
そして、時は満ちて。
街が夕闇に閉ざされてから、僕達は街の中心部にやってきていた。
「作戦内容は簡単。コルチカムとバルデスが特殊呪文を発動させ、その間に全員で蟲をブッ殺しまくる。学校に向かう蟲を減らすためにも、椿には囮になってもらう。誰かが意図的に邪魔してきたら、そいつも削除! 特殊呪文は蠱毒との連動性を深めるため、夜の内に作業を完了する必要があり! 以上!」
例の如く、リコの簡潔な作戦説明ののちに僕達は行動を開始した。
「祖は蟲の寵児にして白の炎帝……」
コルちゃんは、高層ビルの屋上に陣取って呪を唱えている。
その横では、バルデスと呼ばれた異端審問官がノートを片手に何か囁いているようだ。多分彼は、カンペの役割をしているんだろう。
「八つの首塚にて、喘ぎ泣く悪魔の狂乱……」
コルちゃんの口にした言の葉が、光り輝く文字となって上空に散らばってゆく。
これが、異端の術なんだ。木の葉が散っているみたいで綺麗だな……。
「余所見してんじゃないわよ!」
空を飛びながらぼーっとしていると、ぶわっと炎を撒き散らしながらリコが突撃してきた。何かと思ったら、その一撃で背後に居たオオスズメバチを吹き飛ばしてくれたらしい。
い、いつの間に狙われていたんだ……!?
「ご、ごめんリコ。ありがとう!」
「しっかりしなさいよね! この辺の蟲、全部アンタ達を狙ってきてるんだから!」
リコは、鞭のように槍を振りまわしながらオオスズメバチを燃やしまくっている。
その戦いっぷりは、初めて会った時よりも数段キレを増しているようだった。彼女も、蠱毒の器の中で成長しているらしい。
「柚彦も柚彦だけど……椿! アンタもしっかりしなくちゃダメじゃない!」
リコの叱咤に、僕は自転車に乗ったままくるりと振り返る。
『…………』
するとそこには、暗い瞳で目を伏せている椿が居て。
一応銀の膜を展開してくれてはいるものの、顔が真っ青だった。
「椿はちょっと、調子が悪いみたいなんだ。許してあげてよ」
「ふーん……そうなの?」
そう。椿は今日、ずっとこんな感じなのだ。
昼間から口数は少なかったけど、夜になってもそれは変わらなかった。僕の呼び掛けにもほとんど答えてくれない。昨日の夜は、持ち直したと思ったのに……。
「ひょっとしたら、オオスズメバチばかり討伐しているせいかもしれないわね。アイツら、殺しても殺しても力が吸収できないし。それで、力を消費する一方になってるのかも……」
「オオスズメバチのこと、やっぱりリコも気付いてた?」
「当たり前でしょ。今日だけで何十匹狩ったと思ってんのよ」
リコは鼻の下を擦りながら、得意げに微笑む。
「まぁ、無理をしない程度に戦ってくれりゃあいいわよ。アタシ達でサポートはしておくから――」
と、リコが腰を上げた瞬間だった。
「って……何なのよ、コレ」
――魔法陣が、光ってる。
いや。コルちゃんが唱えている呪は光っていて当然なんだけど……そうじゃない。
昨日発見した、地面に描かれている魔法陣が急に光り出したのだ。
「コルチカム! 詠唱はそのまま続けなさい!」
同じく異変に気付いたコルちゃんが口を噤もうとするが、リコが止める。
一人であわあわしている僕と違って、リコはすでに状況を把握しているようだった。
「コルチカムの呪とあの魔法陣はまったく別物のはずよ。よほどのことが無い限り、連動しているとは思えない。だからこれは……他の術者が、この魔法陣をどうにかする呪を形成してるのよ」
次第に光を増していく魔法陣を睨みつけながら、リコは説明してくれる。
「つまりそれって、昨日みたいなことが起こるかもしれないの?」
「そうかもしれませんねぇ」
場にそぐわない、おっとりとした低い声。
リコからもらえると思っていた返答が、何故か後ろから飛んでくる。
条件反射で振り向くと――
「みてみて、パパ。あいつ、ちょうまぬけづらしてる」
「こら、ドロセラ。そんなことを言ったら失礼でしょう?」
隣のビルの屋上に、茶色く変色したスーツを着た男が立っていた。その横には、ふわふわとした犬耳の少女が寄り添っていて。
――『あいつ』、だ。
昨日、車庫で出会ったあの男が……そこに居る。
「それより、パパが上手く呪文を組みたてられるか見ていてくれないかい?」
「うん、わかったの!」
なんで、こいつらがこんなところに居るの?
しかもなんで、異端の書を手に持って、何かを詠唱しているの?
「何を……しているのかしら?」
リコもすぐに、異常事態が発生したと理解したようだ。
訝しげに顔をしかめながら、手袋で身の安全を確保していた。他の異端審問官も、そして僕も、それに習って手袋を身に付ける。あいつと話すのに邪魔が入ると困るからだ。
「アンタ……この間、覆面を付けていた男よね? 今までどこに居たの?」
「ずっとこの街に居ましたよ。貴方達が気付かなかっただけで」
呪文を唱えている合間にも、男は器用に返答する。その様子を確認してから、リコは小声で話しかけてくる。
「間違いないわ。こいつが、地面の魔法陣をいじってるのよ」
「そう……みたいだね」
「でもおかしいわね。なんでアイツらは、蟲に感知されてないのかしら? しかもアタシ達の包囲網を潜り抜けて、使役している蟲をあそこまで成長させるなんて……何か仕掛けがあるとしか――」
そこまで言って、リコは気が付いたようだ。男と少女が身に付けている、黒い装飾品の正体に。
「……それ、まさか……エンリケとディエゴの……」
「えんりけとでぃえご? なぁに、それ?」
「数日前、アンタ達の後を付けて行ったアタシの部下よ! なんでアンタ達がそれを持ってるの!? 今、あの二人はどこに!?」
「ああ、なんだ。彼らのことですか」
どこかで聞き覚えのある会話に、胸が痛くなる。
この後宣告されるであろう言葉が、分かってしまう自分が嫌だった。
「それなら安心してください。しっかり食べておきましたから」
「うん、すっごいおいしかったね。パパ!」
「っ……!」
ぎりり、と血が出そうな勢いでリコは歯を食いしばる。
会話の流れから予想は付いていたけど、感情が追い付かないんだろう。憤怒に顔を歪ませながら、リコは槍を強く握りしめていた。それに合わせて周囲の異端審問官達も、徐々に男との距離を詰めていく。
「……まさか、アルブエスを殺したのもアンタ達なの?」
「だから、おなまえでいわれてもわかんないよぉ。だぁれ、それ?」
「昨日、単独行動をしていた異端審問官よ。金髪で、青い目をした男で……」
「ああ。あの、二枚も手袋を持っていた彼のことですか?」
「……は?」
「いや、だから。手袋を二枚――」
そう言いかけて、男は口を噤んだ。
……僕と、目が合ったから。
黙っていろ。余計なことを言うな。お前が喋ると、せっかく作り上げた話の辻褄が合わなくなる……。
「ああ、そういうことになっていたのですか。貴方は本当に救いようがありませんね」
僕の表情を見て悟ったんだろう。男はため息混じりに囁くと、異端の書をぱたりと閉じた。
すでに会話の対象は、リコから僕へと移っている。
「夏見柚彦君。貴方はそうやって生きていくことにしたのですか? これからもずっと、何も言わずにいるつもりですか? 貴方は私の言葉を覚えていないのでしょうか? 私は言ったはずですよ。全てを思い出せ、と」
「…………」
「記憶喪失だから仕方がない。そう言いたい気持ちは分からなくもありません。でも貴方のずるいところは、その記憶喪失さえも利用してだんまりを決め込んでいるところですよ」
『…………っ』
いいんだよ、椿。君が気に病む必要はないんだ。だから、あいつの言葉なんて聞かなくていい。
僕は絶対に、何も思い出さないんだから。大丈夫なんだから。
「……ちょっと待って。アンタ、柚彦のこと知ってるの?」
「もちろん、知っておりますよ。良く……ね」
含むように言いながら、男がおぞましい笑みを浮かべている。
……気持ち悪い。思い出せ思い出せって付きまとってきて……まるでストーカーのようだ。
「柚彦――」
「知らないよ」
何か聞きたげな、リコの言葉を遮るようにつぶやく。
それは、湖に小石を投げ込むような小さな一言で。
「こんな人、知らない。勝手に知り合いぶって、馴れ馴れしく近寄ってきて。その上、殺そうとしてくる失礼な人なんて僕は知らない。そもそも僕は、あの人の名前すら知らないんだもの。それで知り合いとか名乗るだなんて、おこがましいよね」
でも言ってから後悔した。
例えつぶやきが小さなものでも、言ってしまえば波紋は勝手に広がっていくのだ。時間が経てば経つほど、それは大きくなってしまう。
リコの視線を感じる。
異端審問官達の緊張に満ち満ちた息遣いが聞こえる。
遠くでは特殊呪文が、コルちゃんの低い声で紡がれていく。
そして――
「きゃっ……!?」
男と少女の様子を探ろうとした途端、耳元を轟音が通り過ぎた。
「チッ……! 外した!」
どうやらリコが、男に斬りかかったらしい。黒いマントを翻した彼女が、華麗に向こう側のビルに着地しているのが見えた。
「いきなり何すんのよぉ、このばばあ!」
その攻撃は、少女が間一髪のところで防いだようだ。幼い顔を憎悪に歪ませて、少女はメキメキと体を大型犬のそれに変えていく。その背に、男が軽く飛び乗っていた。
……え? どういうことなの……?
「何がなんだか分からないけど、あの魔法陣に手を出されるのはヤバいっしょ! 生け捕りにすんわよ、アンタ達!」
「はっ!」
リコの号令に、異端審問官はビシッ! と敬礼をかましている。
そして次の瞬間には、男を狙い撃ちにせんと次から次へと突撃していって――
……戦闘が、始まった?
今の会話の流れで……どうして?
「柚彦! アンタはどうすんのよ!?」
展開に付いていけずに固まっていると、リコがすぐ隣に降り立ってくる。
「アタシ達と共に戦うの? それともコイツの味方をするの? さっさと選びなさいよ!」
リコの問いかけは、実にシンプルだった。
僕の思考にも過去にも興味はない。敵か味方か……知りたいのはそれだけなのだ。
「行くわよ、アンタ達!」
僕の答えを待つことなく、リコはまた飛び立っていく。
「第二刑罰・狭い壁!」
全身に紅蓮の炎を身に纏い、リコの一撃が繰り出される。
しかしその全身全霊を込めた攻撃も、犬の前に軽く弾かれてしまう。
「おそいおそい。トロくっさいなぁー」
「は、反応速度が前と段違いじゃないのよ……!」
それでもなんとか体制を整えながら、リコは異端審問官達と連携して戦っていく。
「……そう、だよ、ね……」
そんな戦いを眺めながら、僕は漠然とした想いに支配されていた。
「僕が今、何をするべきなのか……どうしたら、また持ち直せるのか……その方法は……」
ぎゅっと拳を握りしめる。
……ああ。リコの言う通りだよ。なんで僕は、こんな簡単なことに気付かなかったんだろう。
「ドロセラ、正面」
「はーい♪」
ドロセラと呼ばれた犬が、異端審問官にその大きすぎる拳を振り上げようとしていた。
――そうだ。
こいつらさえ消しちゃえば、全部辻褄が合う。
そう思いついた瞬間。僕はペダルを思いっきり踏み込んでいた。




