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11月11日……1

■十一月十一日



 朝。久しぶりに来た学校は、随分と荒れ果てていた。

 蟲が退却したから落ち着いてはいるものの、そこらじゅうに瓦礫や校舎の残骸が転がっている。校舎も形こそ残っているが、表面は細かい傷でボロボロだ。


 そんな中で住民が、煤に汚れた顔のまま休んでいるのだ。

 みんなの表情は様々だ。泣いていたり、やり場のない怒りを誰かにぶつけていたり。中には、ぽっかりと魂が抜け落ちてしまったような人もいる。


 ここはどこの戦場なんだろう?

 昨日まで、平和で安穏とした生活を送っていたのが嘘のようだ。


「……母さん、どこに居るのかな」


 無事にここまでたどり着いているとは思うけど、やっぱり心配だ。とりあえずリコと会ってからでもいいから、探してみよう。

 と、考えながら歩いていると――


「……柚彦?」


 後ろから誰かに声を掛けられる。

 ……この声は、まさか!


「母さん……!?」


 そう、母さんだ! 母さんが、昨日と変わらない姿でそこに立っている!


「良かった、無事に辿り着いてたんだね!」

「ええ、貴方がくれた手袋があったから……。でもアレ、黒づくめ人達に没収されちゃったわ。ごめんなさい……」

「いいよ。あれは元々、彼らに借りたものだからさ」


 しょんぼりとしている母さんの肩を、ぽんぽんと叩く。


「それより貴方、昨日はどこに行っていたの? 学校に来ると思っていたのに、全然来ないから心配していたのよ!」

「ご、ごめん。昨日は家に居たんだよ。僕達が合流すると、この学校に巨大生物が集まっちゃうからさ」

「あら、そうなの……?」


 良く分からないながらも、母さんは曖昧に頷いてくれる。

 だが、すぐにこの状況を思い出したのだろう。厳しく表情を引き締めると、僕と真正面から向き合った。


「そうだ。今日はちゃんと説明してもらうわよ。貴方が何をしているのか……貴方が何を知っているのかを」

「……うん、分かった」


 母さんの言葉に、僕はしかと頷く。ここまで来たら話さないわけにはいかない。


「あのね母さん。驚かないで聞いて欲しいんだけど……」


 僕はすぐさま、これまでのことを母さんに説明した。

 みんなが巨大生物と呼んでいるのが何なのか。

 椿が一体、何者なのか。

 僕が今、何をしているのか。

 一部を除いて、母さんが知りたがっているであろうことを全て話した。


「…………」


 説明が進むにつれて、母さんはだんだん感情を失っていった。初めは驚いたり、訝しげに眉をひそめたりしていたのに、今は僕の言葉を咀嚼するように頷いているだけだ。

 僕の話に対して、母さんがどんな感想を抱いているのかは分からない。客観的に考えれば母さんの方がショックを受けているはずなのに、何故か僕がドキドキしていた。


「……っていう、ことなんだけど」


 そう話の締めくくりにつぶやくと、間髪いれずに母さんが聞いてくる。


「なんで、もっと早く言ってくれなかったの?」


 ……と。


「それは……」

「夜遅くに帰って来た日……貴方、言ってたわよね。遅くなったのは、自衛隊に事情聴取されていたからだって。私が心配するようなことは何もしてないって」

「う、うん……」

「どうしてあんなことを言ったの? いつもの貴方だったら、あんなふうに嘘をついたりしないじゃない」

「…………」

「いつもの、貴方だったら」


 ぐさりと突き刺さる、その言葉。

 記憶喪失になってから今まで、昔の話をされても僕はあまり気にしなかった。色々不具合はあるけど、生きていけるなら別にいい、と気楽に考えていた。

 その理由が今、分かった気がする。

 それは……みんな、昔の『僕』と今の『僕』の違いに驚くだけで、否定しなかったからだ。


「昔より取っつきやすくなったね」

「前より話しやすくなったね」


 そんなふうに、上辺だけでも『僕』を認めてくれていたからだ。

 でも、今。この人は、本当の意味で昔の『僕』と今の『僕』を比べているんだ。


 ……『昔』の僕の話をしているんだ。


「いつもの僕、かぁ……ふふっ」


 そう考え付いたら、何故か口元に笑みが浮かんでいた。理由は分からない。ただ、意味不明のもやもやが心の中に渦巻いていた。


「じゃあ、逆に聞きたいんだけどさ。『いつもの貴方』『いつもの貴方』って簡単に口にできるほど、母さんは僕のことを理解していたの?」

「……え?」

「もしかしたら僕は、今までも上手に嘘をついていたかもしれないよ? 母さんが気付かなかっただけで、たくさんの嘘をついていたのかもしれない。人として最低な嘘つきだったのかも」


 一息でそこまで言うと、僕は見下すように母さんを睨みつけていた。

 頭の中には、昨日の出来事が走馬灯のように流れている。


 ……昔の僕はどうなのか知らないけど、少なくとも今の僕はとんでもない嘘つきだ。


「そうじゃないって、本当に言い切れるの?」

「…………」


 僕の容赦ない問いかけに、母さんは絶句してしまった。

 吐き捨てられるような感情の吐露に、頭が処理しきれないんだろう。先ほどまで強い光を宿していたはずの目が濁りかけている。


『……おい』

「…………」

『おい、貴様!』

「……あ」


 椿に、揺さぶり掛けられるように怒鳴られて、我に返った。

 ……僕は今、何を言ったんだ?

 母さんは、ただ僕を心配してくれただけなのに……!


「ご……ごめん母さん、言い過ぎた!」

「…………」


 すぐに謝るけど、母さんは唇を噛みしめて俯くだけで。

 どこかで見覚えのある表情に見惚れそうになるも、慌ててかぶりを振った。今は、変な感傷に浸っている場合じゃない。


「本当にごめん。でも僕、これから異端審問官に会いに行かなきゃいけないんだ。だから話はまた、帰って来てからに――」

「待ちなさい」


 早口でまくしたてていると、母さんが凛とした声で割り込んでくる。


「私も、行きます」

「え? でも……」

「息子が体を張って戦っているんですもの。黙って見ていることなんて、できません」


 そう言い切った時の母さんの顔は、さっきまでの弱弱しいものとはまったく違っていた。

 ああ、そうか。この人は母親なんだもんなぁ……。

 と、今更ながらに納得した僕であった。


   ◆◆◆


 ――会議室。

 指定されていた部屋まで行くと、そこには大勢の人が集まっていた。

 リコとコルちゃん。雪柳。大勢の異端審問官に――


「ミス・トルケマダ。対策会議はまだ始まらないのかね?」

「申し訳ございませんミスター。あと一人、来る予定なのですが……」


 見知らぬ、誰か。

 厳かにリコに話しかけているのは、ダンディーな雰囲気のオジサンだった。

 こんな状況だっていうのに、高級そうなスーツを身に纏っている。制服が煤けてぼろぼろになっている異端審問官に囲まれているせいか、変に浮いて見えた。後ろに、綺麗なオバサンが影のように付いているし。

 そのオバサンの奥にも、偉そうな人達がずらりと並んでいる。


「ねぇ、あれ誰?」

「市長さんよ、立花市長。その奥に座ってるのは、多分警察とか自衛隊の人達ね」

「あ、そうなんだ……」


 椿に聞いたつもりが、母さんから間髪入れず返事が返ってきた。

 そんな感じで入り口でまごまごしていると、


「来た来た! おっそいわよ柚彦!」


 リコが気付いてくれたみたいだ。手をおいでおいでと動かして、僕の席まで誘導してくれる。


「ほら、アンタの席はここ! 早く座りなさい!」

「う、うん……」

「あれ? その後ろの女は……?」

「柚彦の母の、菫と申します。息子が置かれている状況を知りたいので、この場に同席させて欲しいのですが」

「ふーん……ま、いいんじゃないの?」


 リコは相変わらず緩かった。普通だったら、部外者は追いだしたりすると思うんだけどな。

 そんなわけで、母さんと並んで椅子に腰を下ろしたんだけど、


「ミス・トルケマダ。そちらの方は?」


 あっちはあっちで、僕のことが気になったんだろう。着席した僕を見ながら、立花市長が聞いている。


「こちらは夏見柚彦さんと、そのお母君の菫さんです。柚彦さんは今回の作戦に協力していただいているんですよ。対蟲の能力者として非常に優秀な方なので」

「ふーむ……」


 立花市長は、品定めでもするかのように僕をじろじろ眺めてくる。だが、すぐに視線を自転車に移すと、


「あの自転車は? なんで建物内にあんなものを?」

「ああ。実はあれが、彼の武器でありブレインなのです。口も利けるんですよ?」

「自転車が?」

「ええ。だってアレの正体は、蟲ですからね」


 その一言で、立花市長の顔色が一気に悪くなる。


「む……蟲、だと? そんなものを招き入れて大丈夫なのかね?」

「問題ございません。彼女は夏見柚彦に使役されておりますから、反逆などできるはずがないのです」


 そう言って、リコは椿に振り返る。


「ねぇ、椿?」

『ああ。人を殺す趣味はないな』

「……!」


 椿が喋っただけで、会議室内が一気に騒がしくなる。

 母さんも、不思議そうにキョロキョロと辺りを見渡していた。そっか。昼間に椿と話すのは初めてだっけ。


「し、しかし……蟲というのは、昼間は動けないものじゃないのか? なのに喋れるなんて、相当強力な蟲なのでは……?」

「不安は分かります。ですがミスター、彼女は特別なのです。彼女のことは私が保証いたしますので、ご理解くださいませ」

「……そ……そうか。君がそこまで言うのなら……うむ……」


 立花市長はまるで、化け物でも見てしまったかのような顔をして視線を逸らす。

 ……まぁ。今の状況じゃ、そういう反応になるのも分からなくもないけどさ。


「さて。それじゃあ作戦会議……始めましょうか」


 くるりと全員の顔を確かめるように見渡すと、リコが静かに宣言した。


「コルチカム。まずは説明をお願い」

「うス。じゃあまず、分かってることから述べていきやすけど……。昨日だけで死者は二十二万人。これは全員、蟲に吸収されたものと見て間違いないっス。んで、生存者はこの学校に避難している四千人のみっスね」

「……え」


 この時点で、再び会議室内にざわめきが起こった。

 だって、死者二十二万人って大災害レベルじゃない? そんなことが今、ここで起こってるなんて……。

 でもコルちゃんは、淀みなく報告を続けていく。


「そんでもって、市の境界に出現した青い壁の影響により市外への脱出、連絡、通信が不可になりやした。また逆に、市外からの侵入も不可能みたいっスね。よって、人間が『蠱毒の器』に入れられたのは確定っス」


 さらりと軽いノリで告げられた事実に、僕達は茫然とするしかなかった。誰もが目の前の現実を受け入れられず、黙っている。


「また、昨日柚彦サンから報告のあった魔法陣。調べてみたら確かにありやした。詳細は不明っスが、目視できるのは夜間だけみたいっスね。どうも、日光やネオンなんかの強い光に当たると見えなくなるみたいで。昨日、街のネオンがあらかたぶっ壊れたんで、そのせいで発見できた可能性大っすね。なので、蠱毒発動時にはすでに存在していたのかもしれやせん。下手に触ると術のバランスが崩れて大惨事になりかねないんで、この魔法陣にはノータッチでいきやしょう」


 そこまで一息で言うと、コルちゃんはみんなの反応を見るように目を動かす。


「ってぇことで、以上っスかね?」

「……なぜ」


 そんな中、立花市長が渇いた声を上げた。


「なぜ、こんな状況に陥ったんだね……?」

「そりゃーもちろん、術者が術の構成を変えたからっスよ」


 当たり前のことのように、コルちゃんが答える。


「理由は、そいつに直接聞かないと分からないっスけど」

「なるほど……な」


 どこまでもマイペースなコルちゃんの対応に、立花市長もただ頷くことしかできない。

 秘書らしき人に差し出されたハンカチで額を拭うと、


「で、何か対策は考えているのかね?」

「もちろんです、ミスター」


 その問いには、リコが自信満々に答えた。


「まず昼間は、生存者の確認のため市内を探索します。この時同時に、放送なんかで呼び掛けてもらえると非常に助かりますね」

「分かった。手伝わせよう」

「そして夜間は、異端審問官の半数を学校の守護に回します。昨日の働きっぷりを見ていただければ分かると思いますが、我々の蟲に対しての防衛率はかなり高いです。ご安心を」

「ああ……それは信頼してる」

「ありがとうございます」


 立花市長の言葉に、リコはにっこりと模範的な笑みを浮かべる。


「そしてその一方で……特殊呪文の生成をしようと思います」

「……特殊呪文、だと?」

「ええ。昨日、新たに人間が蠱毒の器に入ったということは、蠱毒に付属されていた術が一つ消去されたということです。蠱毒という術は、その生き物がなんであれ、器に突っ込んだら問答無用でバトルロワイヤルさせるものですからね。今まで人間が除外されていた方がおかしかったのです」


 と、リコは、ちらと市長に目配せをして、


「ですから、その付属されていた術と似たような術を作り、発動させれば――」

「また、人間は蠱毒から除外されるのか!」

「その通りです」


 立花市長に同意するように、リコは大きく頷く。


「まぁ、特殊呪文の雛型を夜までに完成させられるかどうかは、別の問題っスけど」

「コルチカム、この作戦を提案したのはアンタでしょ? 絶対に間に合わせなさいよ」

「へ、へーい……了解っス」


 と、異端審問官主従が聞き捨てならないことを言っていたが、幸いにも市長の耳には届かなかったようだ。市長は後ろの秘書と、今日の予定について話している。


「あの……でも、いいんですか? それって、リコさんにしてみたら異端に手を染めるってことなんじゃ……?」


 そんな中、おずおずと意見してきたのは雪柳だ。

 確かにリコの異端への嫌悪っぷりを考えると、心配するのも分からなくはない。

 するとリコは、余裕たっぷりに微笑んで、


「邪法に手を染めるのは本意ではありませんが、今は人命救助が最優先です。住民を守るためなら、我々は手段を選びません」


 と言い切ったのだった。

 リコとは思えないその発言に、雪柳は切り返す言葉すら見つからないようだ。無言で目をぱちぱちしていた。


「けど……大丈夫なの? そんなものを作っても、犯人にすぐ消されちゃうんじゃない?」

「そうっスねぇ。そういう危険性もあると思いやすよ」


 僕の疑問には、コルちゃんがのんびりと答えてくれる。


「でも、作った瞬間に消されるってことはさすがにありえないっス。最速でも、術の構成を理解するまでに一日二日は掛かるでしょうから。それだけ時間が稼げれば、蠱を全て片付けることは可能っスよ」

「なるほど……」


 なんだかんだ言って、異端審問官って頼りになるよね。たった一日で、これだけ説得力のある対策を考えてくれるんだから……!


「というわけで、今夜は残りの戦闘員を駆使して特殊呪文を発動させます。柚彦さんもこちらの班に組み込む予定です。術の発動中に、蟲の退治と特殊呪文作成班の警護を行なってもらいたいので」

「…………っ」


 リコがそう言った瞬間、視界の隅で、母さんが不安そうに手を握るのが見えた。

 ……そっか。息子が戦いの最前線に行くなんて聞いたら、そんな反応もするよね……。


「ご安心ください、菫さん」


 リコもその様子が見えたんだろう。話を中断して、母さんと向き合ってくれる。


「柚彦さんと椿の戦闘能力は、現時点でもトップクラスです。負けることはまずありえません」

「で、でも……!」

「お母様の気持ち、よく分かります。息子さんが心配ですよね。ですが、息子さんには少しでも多くの蟲を殺してもらわなくてはならないのです。この異変は、蟲を最後の一匹にしてしまえば自然と解けるものなのです。そうすれば、あの壁もなくなるのですよ?」

「し、しかし……それに、柚彦がどう関係してくるんです? ただ戦うだけなら、貴方達だけでもできるのでは?」

「ああ、その説明をしておりませんでしたね。実は今回、その『最後の一匹』は、そこにいる椿にする予定なのですよ。椿は他の蟲と違って、人間との意思疎通が可能ですから」

「……椿、さんが……」


 母さんは、椿のことを複雑そうな顔で眺めていた。

 これまで息子である僕を守ってくれたことを感謝するべきなのか、それとも戦いに巻き込んだことを恨むのか、その感情のせめぎ合いにあっているらしい。


「安心してよ、母さん」


 そんな母さんに、僕は力強く話しかけた。


「僕が、この戦いを終わらせてみせるよ。もうこれ以上犠牲者は出さない。みんなのためにも、母さんのためにも。そして、椿のためにも……」


 先ほど聞いた、フィクションのような死亡者数が僕に自覚させてくれた。この戦いは、早く終わらせるべきだって。僕にその力があるのなら、使うべきだ。それが椿を生き残らせることにも繋がるんだから……!


「……そう」


 すると母さんは、諦めたふうに息を付いた。だがその表情は、先ほどと違い安堵に満ちたもので、


「分かったわ。貴方の決めたことだもの、信じて待ちます」

「ありがとう、母さん……!」

『…………』


 そのやり取りを、椿はただ黙って見守ってくれていた。


「なるほど。それで我々の安全は確保できるようだな」


 と、区切りのいいところで話に入ってきたのは市長だ。


「だが、それでは蠱毒の術が解けるだけではないか。先ほどから話を聞いていると、君達は蟲退治の話しかしていない」

「何か問題でも? それが今回の依頼ではないですか?」

「忘れているのか? 君達に頼んだ依頼はもう一つあったはずだ」

「ああ、犯人捜索のことですか」


 市長の追及に、リコはしれっと答える。


「その点なら心配はいりません。アタシ達も、すでに犯人の目星はついておりますから」

「……そうだったの?」


 それは僕も初耳だ。


「ならば、その人物を教えてくれ。そうすれば我々も協力できるかもしれん」

「申し訳ございません、ミスター。それだけはできません」

「なぜ?」

「その人物が犯人だと断定できるまでは、疑惑を口にするわけにはいかないのです。現場に、いらぬ混乱を招くことになってしまいますから」


 勿体ぶった口調で、リコは言う。


「この国出身の名探偵の中にも、そういう……慎重で有能な人物がいると聞きましたよ。ええと、ジャパニーズホームズじゃなくて……ねぇコルチカム、なんだったっけー?」

「知らねぇっスよ、そんなん」

「……今は、小説の話をしているのではないのだが」


 どうやらリコは、犯人について真面目に話す気はないようだ。今の受け答えから、その姿勢が十分に伺えた。


「あ、すみません。でもとにかく、今後もそんな感じで動いていきます。よろしいですね?」

「…………ああ」


 市長も、これ以上話しても何も得られないと判断したんだろう。しかめ面をしながらも、大人しく頷いていた。


「じゃ、他に意見がある人はいる?」


 リコの問いかけに、誰も答える者はいない。


「そ。じゃあ今日はこれで終わりね。この後仕事が入っている者以外は、夜に備えて休息を取ってちょうだい」

「はっ!」


 そんな感じで、朝の会議は終わってしまったのだった。

 全員が言われた通り動き出している中、誰かがポンッと僕の肩を叩く。


「柚彦。ちょっと話があるんだけど」


 ――来た。リコだ。


「うん? なぁに?」


 なるべく何でもないように振り返ると、リコはちらりと後ろの母さんを見やる。

 今からする話を母さんに聞かれたくないんだろう。視線がそう物語っていた。


「……ごめんね、母さん。リコと話があるから先に行ってて」

「分かったわ」


 さすがに母さんも、この場の空気を読んでくれたようだ。申し訳なさそうに頭を下げると、校舎の外へと行ってしまった。


「リコ。話って何?」

「アンタ……昨日、アタシの部下から手袋を受け取った?」


 開口一番。リコは予想通りのことを聞いてきた。

 昨日、『あいつ』に殺された異端審問官の話か……。


「え? そりゃあ受け取ったけど……」

「そう……その時アイツ、元気そうだった?」

「うん。普通だったよ?」


 困ったことに僕は、リコの言う『アイツ』がどんな人なのか知らない。

 ……気をつけろ。

 僕が知るはずのない情報を口にしてはいけない。なるべく普通に。何も知らないように振る舞うんだ。


「実はアイツと、あれから連絡が取れないのよ」

「嘘っ!? そうなの!?」


 条件反射で叫び声を上げてから、すぐに考え込む……フリだ。


「じゃ、じゃあその人、ひょっとして帰りに何か遭ったんじゃ……!」

「そうかもしれない」

「でも、異端審問官って手袋を持っていたよね? だったら普通、蟲にやられたりしないんじゃ……」

「そうなのよ。だから、やられたにしても誰にやられたのかが気になってて……」


 ここであの男の話を持ち出すべきだろうか?

 最初にあいつの居場所を探ろうとして、異端審問官が二名帰還しなかったのは周知の事実だ。だから、あの男の話題を出してもおかしくはない。


 ……いや。やっぱり、具体的な名前を出すべきじゃないよな。

 こういう時はぼんやりと、おぼろげな話をしておくに限る。


「ねぇ、リコ。今日の昼間、一般人の救助をするんだよね?」

「ええ、そうだけど……」

「その時に、彼のことも一緒に探してみたらどうだろう」


 リコを安心させるように、僕はにっこりと笑う。


「異端審問官がそう簡単にやられるとは思えないから、その人もどこかに潜伏してるんじゃないかな? 大丈夫だよ。きっとすぐに、見つかるさ」

「……そう、ね。きっとアイツも、大丈夫よね……」


 僕のポジティブさに釣られたんだろう。リコも曖昧に微笑んでいた。

 ……ああ、可哀相に。その人はもう、どこにもいないというのに。


   ◆◆◆


 一時間後。

 本来ならぐっすり休まなきゃいけないのに、僕はまた会議室へと赴いていた。

 一人、どうしても尋ねたい人が居たのだ。


「あ~ん。もう、ここの回路がこうなって、ああなって……」


 会議室の隅っこで、ボールペン片手にうんうんと唸っているのはコルちゃんだ。その周りでは、異端審問官が資料を開いてはコルちゃんにアドバイスをしている。

 特殊呪文を作っているんだ。


「コルちゃん、ちょっといいかな?」

「ひゃっ!?」


 軽く肩に触れた途端、コルちゃんは猫のように飛び上がった。同時に、周囲にいた異端審問官の視線も僕に集中する。


「あ……あれ、柚彦サンじゃないっスか。どうしたんスか」

「呪文の作成、上手く行ってるかなーと思って。ちょっと様子を観に来たんだ」

「あ~。そ、そうスか……どうもっス……」

「もしかして、上手くいってないの?」

「……うス」


 僕の問いかけに、コルちゃんはこくりと頷く。可哀相に。目が泳ぎまくっていた。


「あ、で、でも雛型は作れたんスよ! 俺だって聖庁で対異端の研究をしてただけはありやすし! ほら、見てくださいよこの特殊呪文! どーっスか!?」

「ほんとだー! それっぽい感じだねー!」

「でしょでしょ!? 褒めてくれてありがとっス!」


 ノートいっぱいに描かれた呪文に拍手を送ると、感極まったコルちゃんがガバッと抱きついてくる。

 何この人、超暑苦しい。


「でも、これだけじゃ完璧とは言えないんスよね。人間を異端から遠ざけることはできても、蠱毒から除外できるとは限らない……」

「どうして? 急ごしらえだから?」

「何言ってんスか。俺達、超絶エリート異端審問官っスよ。時間さえもらえれば、異端の真似事なんて余裕っスよ」


 自慢をさらっと言いながら、コルちゃんはぴらぴらとノートを振りまわす。


「そうじゃなくて、蠱毒に関しての資料が足りないんス。実は聖庁って、今まで西洋で活動していたから、処刑したことあるのも西洋系の異端者ばかりなんスよ」

「じゃあ、東洋のものは専門外ってこと?」

「そうっス。だからこの呪文も、異端の術全般にそれなりに効果は出るけど、蠱毒に特効ってワケじゃないんス」

「ああ、そういうことかぁ……」

「とりあえず今日は、この呪文で行ってみるしかないっスけど……。これじゃあ、その場しのぎにしかならない可能性大っスね」

「じゃあこれ、使う?」

「へ?」


 怪訝な眼差しで僕を見やるコルちゃん。そんな彼の前に、僕はどさどさと本を並べていった。


「実は昨日、家で蠱毒に関する書物を沢山見つけたんだ。ほら、僕の父さんって民俗学者じゃない? だから探してみたら結構あってさ」

「あらま。ほんとっスね」


 その内の一冊を手に取りながら、コルちゃんは独り言のようにつぶやく。


「どう? 使えそう?」

「…………」


 コルちゃんは僕の問いに答えず、物凄い勢いでページをめくりまくっていた。

 同時にガリガリとペン先を削る勢いで、ノートに呪文を構成し直している。その姿は、先ほどまでの阿呆っぽい人とは別人のようだった。


「こ、コルちゃん?」

「どうやら、貴方の差し入れてくださった本が役に立ったようですね」


 一人で動揺していると、横から異端審問官達が話しかけてくれる。


「ありがとうございます、柚彦殿。貴方のおかげでより精巧な呪ができそうです」

「さ。そろそろ柚彦殿はお休みください。夜の作戦は、貴方のお力に掛かっているのですから」

「う……うん、ありがと」


 そんな感じで異端審問官達に気遣われ、僕は会議室を後にした。

 今まで話す機会が無かったけど、異端審問官にも優しそうな人が多いんだな。

 昨日、僕に手袋を届けてくれる予定だった人も、そうだったのだろうか。


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