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11月10日……3

 リコより一足早く壁付近に移動すると、壮絶な光景に出くわしてしまった。


 ……遅かった。

 確かにそこには、街から脱出しようと荷物を抱えている人が大勢集まっていた。

 だが、そんな人達を全長十メートルはあるゲジが、雑兵を蹴散らすが如く暴れまわっていたんだ……。


「ひゃあっはははは! 新鮮な餌がこんな傍にあったなんてよぉ! 気付かなかったぜ! あっひゃひゃひゃひゃ!」


 その場に響く、不快な笑い声。

 見た目はごついゲジだが、人語を話せるようだ。


 そのゲジの周りに、おびただしい数の死体が転がっていた。ざくろのように真っ赤に弾けた頭。ぐしゃりと潰された胴体。切断された細く小さな手。ゲジが複数の足を動かすだけで、血が、肉片が、そこらじゅうに飛び散っていく。


「あ……」


 しかもその全ては、一瞬にして蒸発してしまった。残ったのは、彼らが身に付けていた衣服だけ。そして、力を吸収したゲジは更に一回り大きくなっていく。


 ……ああ、決まりだ。

 人間も……蠱毒に組み込まれてしまってる。


「でもこの餌共、あまり美味くねぇなぁ。これだけ殺して、この程度の成長かぁ。割に合わねぇ~……」


 さっきまで死体があった場所を、ゲジが縦横無尽に動き回っている。

 それを見て、改めて気付かされた。

 この蠱毒という術は、敗者から死さえも奪うものなんだ、と。

 敗者は勝者に吸収されて、永遠にその一部として生きていかなくちゃならない。死者を弔いたくても、蠱毒は骨の一かけら――いや、髪の毛一本すら残してくれないんだ。


「……くそっ!」


 完全に、頭に血が上っていた。

 怒りのあまり、グリップを握りすぎて手が白くなる。


『おい。貴様、何をするつもり――』


 遅い。

 椿が声を掛けてくれた瞬間、僕は手袋を脱ぎ捨てていた。


「ん? なんか美味そうな匂いが……」

「だあああああああぁあ!!!!」


 椿の匂いに釣られて、ゲジの動きが止まる。

 その刹那、僕は自転車ごとそいつの頭に弾丸の如く突っ込んでいた。タイヤの前輪が節の間に入ったのを見計らって――勢い良くハンドルを切る!


「…………かっ!?」


 すると下衆なゲジの頭は、呆気なく地に落ちてしまった。頭を失った体は未練がましくビチビチと動いていたが、すぐに光となって消えてしまう。


「殺った!」


 空中でブレーキを掛けて旋回した勢いで、僕は拳を握りしめていた。

 よし、自転車もきちんと力を吸収して淡く輝いている……。


『馬鹿者、後ろだ!』

「え」


 椿の声に振り向くと、視界いっぱいに網目状の糸が広がっていて――


 ――新手だ!


 そうと気が付いた瞬間には、すでに粘り気のある糸に絡め取られていた。


「な、なんだよこれ……!」


 寸でのところで椿が銀色の膜を出してくれたものの、囚われているのには変わりない。それでも、なんとか脱出しようともがいていると、


「へぇ~……人型の蟲かい。珍しいねぇ」


 新手の正体は、全長五メートルはありそうな女郎蜘蛛だった。

 マンションの壁に長い脚でへばりついているそいつは、普通の蜘蛛と違って、節くれだった長い首が付いていた。さっきのゲジといい、こいつといい、日が経つにつれ蟲達にも個性が出てきたということか?


「小さい癖に、いい香りがするじゃないかい。銀色の膜も飴玉みたいで美味そうだ。どれ、あたいが頂いてやろうかね」

「くっ……やめっ……!」


 そのまま女郎蜘蛛は、僕達を引き寄せようとする。

 が――!


「ばあぁーか! 調子に乗ってんじゃないわよ!」


 そこに躍り出てきたのは、リコだ!

 手袋を片手で脱ぎながら、人間とは思えない跳躍力で僕と蜘蛛の間に割り込む。すると、燃え盛る槍の穂先に触れて、糸がぶちぶちと切れてゆくではないか。


「チッ! 人間の分際で……! どこから来やがったんだい!?」


「んなのどうでもいいでしょ!? それより、アタシの名前はぁ……『火刑台上のリコリス』様だっつってんでしょ! こんのクソ蟲!!」


 リコは落下する勢いのままマンションの壁を蹴ると、今度は一直線に蜘蛛に突っ込んでいく!


「燃えろおおお! 第二刑罰(ポエナドゥオ)狭い壁ムールスストリクトウス!」


 瞬間、烈火の炎が地面から走るように蜘蛛の身体を付きぬけた!

 さすがに下からの攻撃は予測していなかったのだろう。蜘蛛は抵抗する間もなく真っ二つになってしまった。


「あ、ありがとうリコ……!」

「いいってことよー。アンタの判断は間違ってなかったわ」


 地面に華麗に着地したリコの元へ向かうと、リコは満面の笑みでサムズアップしてくる。


「それより、いくら蟲の気を引きたいからって手袋を捨てないでくんない!? これ、マジで高いんだから!」


 そう激昂するリコの手の中には、黒い手袋が握られていた。僕が捨てたのを、わざわざ拾ってくれたらしい。


「ご、ごめん……つい……」

「次やったら没収するわよ!?」

「そ、それだけは勘弁して!」

『とりあえず、貴様は早く手袋を付けてくれ。せっかく落ち着いたのに、私に引き寄せられて新手が来ては困る』


 そういえば最初、椿に群がってヤバいくらいの蟲が集まっていたよね。確かに今、あんなことになられたら困る……!


「さぁて、生き残りは居るかしらんっと」


 僕が椿に手袋をかぶせるのを見届けてから、リコは周囲の探索に乗り出した。こちらに手袋の使用を促しておきながら自分が素のままなのは、住民とコンタクトを取るためなのだろう。


 ……しかし、寂しいな。

 さっき空から見た時には、あんなに沢山の人が居たのに。今では全然――


「あっ、み~っけ! ほらほら、あそこの店にみんな入ってんわよ!」


 だがリコは、すぐに人間達を見つけ出してくれたようだ。大通りの角にある喫茶店に、パタパタと走っていく。

 これがコルちゃんの言っていた、能力者特有の体温感知による索敵なのだろうか?


「みんなー! 助けに来たわよー!」


 リコは喫茶店の前に立つと、壊れかけのドアを勢い良く蹴飛ばした。それを思いっきりヒールで踏みつけ、ズカズカと店の中へと入り込む。


「ちょ、ちょっとリコ。いくら急いでいるからって、その対応は――」


 リコの後から店内に入り込むと、案の定。住民は僕達を恐れて、防護壁代わりのテーブルの奥に隠れてしまっていた。


「とりあえず蟲は追っ払ってやったわ! だから、さっさと出てきなさいよ!」


 と、リコが明るく呼びかけるが、


「ち、近寄るな! この化け物め!」

「あ、貴方がたは……何者なんですか!? さっき、巨大生物と戦ってましたけど……!」

「そっちの男の子は、自転車で宙に浮いていたわよ! 怪しいわ!」

「どっか行け! この……悪魔!」


 暴言と共に、鋭く石が放り投げられてくる。


「…………」


 ころころころ。自分の身体に当たることなく床に転がる石を、リコは真顔で見下ろしていた。その冷淡そうな横顔を見ていると、背筋に冷たいものが走る。


『おい、大丈夫なのかこの女は?』


 椿の言うことも一理ある。リコのことだから、またキレて槍を振りまわすんじゃ……?

 ――と、思ったら。


「申し訳ございません。興奮のあまり礼儀に欠いた話し方をしてしまいました」


 リコはまるで聖女のように微笑むと、物腰柔らかに喋り出す。


「ご安心ください。アタシ達は政府から派遣されてきた特殊諜報員です。皆さんを保護しに参りました」


 その言葉は、今までのリコとは思えないほど真っ当で。

 こ、これがリコ……!? この子、こんなふうに喋れたんだ!?


「この場に留まっていては危険です。アタシ達が誘導しますので、一緒に避難してください。街さえ出れば巨大生物も追ってきませんから――」

「無理よ!」

「出られないんだ! この街から! あの変な壁のせいで……!」

「どれだけ叩いても、車で突っ込んでも……壊れないんだよ!」


 テーブルの裏側から聞こえてきた悲痛な声に、僕と椿は顔を見合わせる。

 人間が蟲に吸収されているのを見た時から、もしかして……とは思っていた。もし人間まで蠱毒に組み込まれたんだとしたら、僕達はもう、この街から逃げられないんじゃないかって。


「状況は把握しました。では、早く避難しましょう」

「だから、あの壁がある限り無理だって――」

「壁の外ではありません。この地区には指定の避難所はないのですか? そちらに移動しましょう」

「え……?」


 突然のリコの提案に、住民だけじゃなくて僕も度肝を抜かれた。


「リ、リコ……急に何を言い出すんだよ。どこに行っても一緒だろ? この街の中に居る限り、僕達は蟲に捕食される運命じゃないか……!」

「はぁ!? アンタ、ばっかなの!?」


 くるりと振り返った途端、リコはいつもの粗暴さを取り戻す。


「アタシは、シロウト共が一か所に集まってくれれば守りやすいって思ったんだっつーの! 朝になれば、蟲も撤退するはずっしょ!? その程度の時間稼ぎ、異端審問官にかかったら余裕だっつーの!」


 リコの力強い言葉に、はっと我に返った。


「な、なるほど! そういうことか!」

「そうよ! で、さっきの質問だけど、どっかいい場所はないワケ?」

「えー……ええとー……」


 し、しまった。そういう記憶はすっぽり抜けてしまってる。


『学校だ』


 僕が考えを巡らせている間に、椿が迷いのない口調で答えた。


『この地区では、皿久米高校に集まるように決まっていたはずだ』

「あの学校かぁ……それなら割と近いわね。もし蟲が出たとしても、アタシ一人で余裕だわ」


 独り言のようにつぶやくと、リコはすぐに顔を上げる。


「話は聞いていましたね? 今から皿久米高校に移動します。アタシが誘導するので、付いて来てください」


 リコの有無を言わせぬ言葉に、住民は何も言い返せない。彼らがもぞもぞとテーブルの裏から這い出てくるのを見てから、リコは僕に振り向いた。


「じゃ、柚彦。アンタ、椿と一緒に囮になってきなさいよ」

「……へ?」


 当然のように命令されて、思わず目が点になる。


「お……囮って、何の?」

「もちろん、クソ蟲どもに対してのよ」


 まるで、おつかいでも頼むかのようなノリでリコは言う。


「忘れたの? 椿は、誰よりも蟲を引き寄せる体質だったじゃん。だから、アタシが住民を先導している間に近くにいる蟲をおびき寄せておいて」


 その言葉に、ついノリで頷いてしまいそうになるけど……ここはちゃんと、椿にも聞いておかなきゃ。大切な役目だけど、椿が嫌がることはしたくない。


「椿。ちょっとだけ危険な目に遭わせちゃうかもしれないけど……いい?」

『ああ。問題ない』


 今の状況を正しく理解しているんだろう、椿はすぐさま了承してくれた。

 ……やっぱり、椿は優しいな。自分が危なくなるっていうのに迷いすらない。

 だったら僕も、それに答えなきゃ!


「いいよ、リコ。囮の役目……僕達に任せて!」

「そ、ありがと」

「……でもさ。驚いたよ」

「何が?」

「リコ、普通に敬語を使って喋ってたじゃない。ああいう言葉遣いもできるんだね」

「あのねー……アンタ、アタシを何だと思ってんの?」


 僕の率直な感想に、リコは思いっきり顔をしかめる。


「アタシは、異端審問官の中でもエリート中のエリートなの。誉れある異端審問官の一人なのよ? 人の上に立つような人間が、敬語を遣えないはずないっしょ。アンタ、バカ?」

「うぐ……」

「ま、いいわ」


 言いたいことを言うと、リコは満足げにニッと微笑む。


「全住民の避難が終わったら連絡するわ。それまで、囮として飛びまわってなさい」


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