表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Parent or al  作者: 有馬千
9/10

きゅー



「ただいまー」

 メイド姿のタイガが家に帰ってくると、ローラはリュックに物を詰めながらため息をついているところだった。憂鬱な色をした顔。

「あぁ、おかえりタイガ」

 けれど、その顔はタイガの帰りで微笑に変わる。

 強くも優しい、母親の笑みだ。

「きちんと買えた?」

「うんっ」

 タイガは頷いてカバンを見せる。その中のものを一つ一つ確認して、それがきちんと全部そろっているのを確認してから、ローラはタイガの頭を撫でた。

「よくできたわね」

 くすぐったそうに、幸せそうにタイガが笑う。

 愛おしそうにローラがタイガを見つめて、

「ねぇタイガ。両親を――探しに行くのよね?」

 その言葉に、タイガはこくりと頷いた。

 寂しそうな顔をして…それでも確かに頷いた。

 今日タイガが買ってきたのは、その準備の品――例えば服であったり、例えば塩漬けした保存の利く肉であったり。

 そして、今日出航する船のチケットだ。遠い遠い、異国へ旅立つ船のチケット。

 ローラとアルが貯金を使って買ってくれた、大事なチケット。

 タイガが虎の姿になって、警察は本格的に"密航者の少年"の調査を始めたらしい。

 突然街中に現れた虎と、虎の尻尾を持つ少年。どちらも不可思議で、不可思議だから結び付けられた。

 アルはしばらく隠れればほとぼりも収まると言ったけれど。

 ローラはいつまでもいてもいいのよ、と言ったけれど。

 それでも――タイガは旅に出ることにした。

 この家が暖かすぎて。

 忘れかけていた、旅へ。

「両親が見つかっても、見つからなくても。ここはあなたの家よ。だから、あなたが帰りたくなったときに、いつでもここに帰ってきなさい」

 そう言って、ローラがタイガを抱きしめた。

 例え血がつながっていなくても。出会って一月しかたっていなくても。

 ここはあなたの家だから。

 そう言ったローラの言葉が嬉しくて。

 優しすぎて。

 タイガはぽろぽろ涙をこぼして、おかあさん、とそう言った。

 涙が溢れて止まらなかった。

 そうして二人は泣きながら、しばらく抱き合った後で離れた。

 鼻や頬が赤くなっているのを互いに笑って、

「さぁ、着替えてきなさい。いくら警察の目をごまかすためでも、旅立ちにそんな服じゃいけないわ」

 手首の辺りで涙を拭いながらローラが言う。こっくり頷いてタイガは着替えをしにいった。

 はぁ、とひとつ息をついて、ローラはタイガのカバンを引き寄せた。そうして、タイガのカバンにお守りを括り付けておく。

 馬のひづめに留まったてんとう虫の、かわいらしいお守りだ。

 フェルトを縫って綿をつめた、タイガが虎の姿になったあの日、無事を祈って作ったもの。

 例の一張羅に着替えてきたタイガが、お守りをみて不思議そうな顔をする。

 おいで、とローラはタイガを手招きして、隣に座らせる。そうして二人でお守りを手に持って、ローラはまずてんとう虫を指差した。

「てんとう虫はね、マリア様の 慈愛(Affection)の象徴なのよ」

「じあい?」

「ええ。そうね…愛よ。私はタイガを愛してる。わかりにくいかもしれないけれど、アルもそう。誰かを大切に思う心よ」

「じあい、じあい、慈愛…」

「そうよ、タイガは言葉を覚えるのが上手ね」

「これは?」

 そう言って、タイガは馬のひづめを指差した。

「これは、馬のひづめ…爪ね。馬の力強さで、病気や怪我からタイガを守ってくれるのよ」

 タイガはじっとそれを見つめた。

 やわらかく膨らんだお守りを手に持って、じっと。

「さ、タイガ。もう行かないと」

 ローラがタイガの背中をぽん、と叩いて促して、ようやくタイガはお守りから手を放す。

 ローラはタイガの背中を見て、尻尾が出ていないかを確認してから立ち上がり、そうして二人はゆっくりと歩き出した。

 手を繋いで、ゆっくり、ゆっくり。

 別れを惜しむようにして。

 一緒にすごす時間を思い出に焼き付けるようにして。

 けれど、そうしてゆっくり歩いても――歩き続ける限り、やがて港へ辿り着いてしまう。

 ボォォ――

 汽笛が鳴る。船へ乗り込む人々が、周囲で別れを告げている。

 それは激励であったり、或いは涙で濡れた別れであったり。

 大きな船だ。黒と白とで色塗られた、立派な船。欄干は階段状で、その脇で船員が乗客の流れを整備している。

 その中で二人は、ただお互いの手を握って、船を眺めていた。

 乗客が少なくなって、出発の時刻ギリギリになっても。

「出港しますよ?」

 そうして、船員が言って、タイガはしょんぼりとした顔で船に乗り込もうとした時に。

 バタバタと、不恰好に走る音が聞こえて。

 二人は同時にそちらを向いた。

 仕事中なのに。

 それでも、きっと来ると思っていた相手。

 はっ、はっ、と荒い息で、スーツも髪もくちゃくちゃにしてネクタイもかなり緩めた、情けない姿で走ってくる――夫であり、父親だった。

 アルは二人の前まで走ると、がくがくと震える膝に手を置いて何度か大きく呼吸をした後。

「――行くのか」

「うん」

 アルが言葉を選んだ一言は、想いを込めた一言は、そんな軽い一言で返された。

 と、と、と。

 とタイガは軽やかに船の欄干を上っていく。

 光が差して。

 その眩しさに、思わずアルは目を細めた。

 まるで――その光に飲まれるようにして。

 タイガは階段を駆け上っていく。

 アルは自分でも気づかないうちに手を伸ばそうとして――。


 大人なのに、ごめん。

 見本になれなくてごめん。

 何も教えて上げられなくてごめん。

 父親らしくなれない僕で、ごめん。

 でも。

 それでもお前と一緒にいて、楽しかったんだ。

 ローラが幸せそうな顔をするのが、嬉しかったんだ。

 だから、行くな。


――行くな、タイガ。


 いくつもいくつも言葉が沸いて、喉から溢れそうになる。

 けれどそれらを全て飲み込んで――


 伸ばしかけた手を、ゆっくり下ろした。


 下ろした手を、ローラが握る。アルもその手に指を絡めて。


「行って来い、タイガ!!」

「行ってきます!!」


 大きな声で送り出す。

 いってらっしゃい、とローラが言った。ほんの少し、涙の混じった声だった。

 アルはローラの肩を右手で抱き寄せて、そうしてタイガを見送った。

 左手をあげて。

 ぶんぶんと元気よく振る、タイガの手に応えて。

 ズボンに隠していたトラの尻尾がぽろりとこぼれた。黄金瞳が光に輝く。

 空が青かった。

 その青さがあんまり眩しくて。

 アルの視界が、ぼやけて、滲んだ。


――行って来い、タイガ。


 いつか、両親を見つけるために。


 いつか帰ってくるために。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろう 勝手にランキング
クリックで投票です。気に入りましたら投票よろしくおねがいします。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ