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Parent or al  作者: 有馬千
3/10

さん



 それからおおよそ一ヶ月。

 タイガはせっせとアパートの廊下を箒で掃いていた。

 最初はローラに言葉を教わりながら、家の中を掃除したり、洗濯物を畳んだりしていたのだけど、それでも時間は余ったので、ローラとアルへの恩返しにと、アパート全体を掃除している。

 別に二人がアパートの管理人というわけではないけれど、家を掃除したから、次は家の周りを掃除する。そんなタイガの当たり前。

 今日の服は例の、タイガがもっている一張羅。

 ローラに洗濯してもらったおかげで、今はお日様のにおいがする。

 がちゃ、と扉が開いてアパートから住人が出てきた。ぴく、とその音を聞き分けてタイガは顔を上げ、

「おはようございます」

 ぺこり。タイガが箒を両手に持ったまま頭を下げた。

「あぁ、おはよう」

 ひげ面のおじさんがにこにこと返す。

 ゆったりとした足取りで出勤するおじさんを見送って、タイガも箒で掃きながら、階段をゆっくり下りていく。

 数週間前、突然掃除をしているタイガを見つけたときは驚いたものの、今ではアパートに住む誰もがタイガを知っていて、今や馴染みの風景となっていた。

 ぴく、とタイガがまた足音に気づいて、

「おはようございます」

 ぺこり。

「おはよう。今日もありがとね」

「いってきまぁーす」

 母親が会釈をし、子供が元気に手を振って、タイガも彼女らに手を振り見送った。

 掃除をするいい子ちゃん。

 ズボンから伸びる尻尾がなんなのかは分からないけれど、メモとお金を渡せばお使いとかもしてくれる。

 タイガに対する評価はだいたいそんな感じ。

 それについてあんまり、ローラはいい顔をしなかったけれど、社会になれるためにもなるし、とアルが言ったのでとりあえずは黙認している。

 ともすればつまみやお酒をパシらせようとするので、アルの言うことは聞かないように、と言い聞かされているけれど。

「やばいヤバイやばいヤバイ!遅刻する!!」

 バタン!!と大きな音を立て、

「いってらっしゃい」

 と呆れたローラの声に送られてアルが自宅を飛び出した。

「がんばってー」

「気楽でいいよなぁ!!」

 タイガがひらひら手を振って、アルは半泣きでばたばた駆け出し仕事に向かった。

 きらくってなんだろう。タイガは首をかしげて、どうせわからないのでせっせと掃き掃除に戻る。

 ただ、あとでローラに聞いてみよう、と心の中にメモはしておいて。

 そうして一階まで掃除を終えたら、タイガは一階、一番奥の部屋のインターフォンを押す。

 ジー、という呼び出し音の後、しばらくそのまま待っていると、扉がガチャリと音を立てて開いた。

「なんだいまたきたのかい?」

「きた!」

 箒を両手で大事そうに抱えたまま、タイガは元気に言う。

 ふん、と鼻息を鳴らすのは一人の老婆。しわだらけのやせた体で、ドアノブを杖代わりに、腰をくの字にしながら立っていた。

 老婆の奥に見える部屋は少し薄暗く、いくつもの目が部屋で光っている。

「ま、いいさ。ただし小遣い何ざやらないよ」

「うん」

 こっくり、タイガはうなづいて、老婆と一緒に部屋に入る。

 持っていた箒を、玄関に立てかけていると、にゃーにゃー、部屋の中にいたたくさんの猫が鳴き、タイガの足に擦り寄った。

「まったくあたしにはちっとも懐きやがらないくせに」

 老婆が渋い顔をする。タイガは猫たちと部屋のものを踏まないように慎重に進んで、そうしてやっぱり掃除を始めた。

 いつ来ても猫達の毛ですぐに汚れる老婆の部屋。

 老婆は嫌な顔一つせず掃除を始めるタイガに、口をへの字に曲げてふん、と鼻息一つ。

 よっこらせ、と億劫そうに安楽椅子に腰掛けた。

 タイガが老婆にひざ掛け毛布を手渡すと、

「一応礼はいっとくよ」

 不機嫌そうにそう言った。タイガはこっくり頷き、掃除に戻る。

 タイガのゆらゆら揺れる尻尾に、猫達が果敢に飛び掛る。時折ぶら下がられて、タイガはにゃっ!!と小さく跳ねるが、それでも意外に猫達に怒ったり追い掛け回したりはしない。

 散らばったものを片付けて、洗い物を終えるとタイガは座って猫達にブラシをかけていく。

 タイガの周りに猫がわらわらと集まって、順番にタイガの下にブラシをかけてもらいにいき、順番待ちの間はタイガの尻尾に飛びついてみたり、猫同士でじゃれあったりしているのを見ると、なんだかタイガは猫達の親のようにも見えた。

「あんたこのアパートの全員の部屋を掃除してんのかい」

 老婆がしわがれた、不機嫌そうな声で言う。

 タイガは、ん?と不思議そうな顔をして、

「ちがうよ」

 答えた。老婆はますます不機嫌そうな顔をして、

「じゃぁなんであたしの家を掃除しに来る?いっとくが金目のものなんざないよ」

「だって、おばあちゃんが掃除してっていったから」

 あん?と老婆はしかめっつらで記憶をたどる。

 言われてみれば確かに、アパートの廊下を掃除するタイガに、「ご苦労なこったね。何が楽しいやら、どうせならあたしの部屋の掃除もしてくれりゃいいもんを」とか言った覚えがある気がする、が。

「じゃぁなんだ、あんたは頼まれれば誰の家の掃除もするってのかい?」

「うん?」

 不思議そうに頷くタイガに、けっ、と口汚く老婆は吐き捨てた。

 パイプの先に刻みタバコを入れて、マッチで火を点ける。紫煙をふぅー、と長く吐き出しながら、タイガの動きに不審な――例えば盗みを働いたりとか――動きがないか見張る。

 タイガの善意を信じるにも、タイガの言葉を信じるのにも、老婆は長く生き過ぎた。

 それでもタイガはめげる様子などちっとも見せず、猫のブラッシングを終えて、今度は床を掃除し始める。

 ブラシをかけて落ちた猫の毛を集めて捨てて――ふと。タイガは机の上の写真立てに視線を向けた。

 色褪せた写真。一組の男女が映っている。

「これだあれ?」

「あたしの連れさ。もう何年も前に逝っちまったがね」

 つまらなさそうに老婆が答えた。彼女の咥えるパイプから、ぷかぷか煙が宙を舞う。

「逝った…?」

「死んだんだよ。70年も生きたんだ。死ぬのなんて珍しくもない、当たり前の出来事さ」

 そう――当たり前。当たり前だよ。

 老婆はそう、言い聞かせるように繰り返した。

 安楽椅子に揺られながら、つまらなさそうな顔をして。

 ただ、

「似てるね、この人」

 タイガの言葉に、驚いたように目を開く。

 ぱちくり、不思議なものでも見るようにタイガを見て、

「はっ、どこがだよ。初めて言われたよそんなセリフ」

 けれどもやっぱり吐き捨てるようにそう言った。

「でも、笑顔がおんなじだよ」

 タイガが優しい声で言う。子供の甘い表情で。

 老婆は片眉を上げ、しばらくタイガを見つめていたが、やがていつものように、ふん、と鼻息一つ鳴らして。

「ふん――どうだかね。それよりあんた、そろそろ昼飯時だろう」

「おなかへった!!」

 言ってやると、元気一杯にタイガが言った。両手を挙げて、子供っぽく。子供だけど。

 だから、うんざりしたように老婆は言う。

「あぁあぁそうだろうさ。だからってあたしゃあんたの飯なんざ作らないからね。さっさと自分の家に戻りな」

「おばあちゃん、またね」

「またね、ね。まぁあたしは別に拒まないさ。あんたが悪事をしない限りね」

 そんな老婆の態度にも、タイガは結局嫌な顔ひとつ見せないまま、ばいばい、と手を振りタイガは部屋を出て行って。

 がちゃん、と閉まった扉の音を聞く。よっこいせ、と安楽椅子から体を剥がし、机や壁に手をつきながら、老婆は扉に鍵をかけにいく。

 たったこれだけの動作にも億劫さを感じてきた。苦々しさを感じながら、今来た道を逆戻り。よっこらせ、と安楽椅子にまた腰掛けて、パイプを吹かす。

「似てる、ね。長く暮らせばそりゃ似るもんさ」

 ふぅー、と。

 吐き出した紫煙は長く部屋の中を漂った。

 色褪せた写真に写っているのは、まだ若かった――そう、老婆と彼女の夫が、まだ互いに30代だった頃の写真。

 ピクニックに行ったときの写真だ。お気に入りのワンピースを着て、真っ白な幅広帽子を手で押さえて。

 そう、お気に入りだった幅広帽子が飛んでいきそうになって、思わずいつものしかめっ面をしてしまった。

 その直前まで、笑えていたのに。

 だから、白と黒の色褪せた写真に写っているのは、優しそうに笑う彼女の夫と、しかめっ面の彼女の顔。

 それを見て似ているだなんて。

「変な子だよ」

 にゃー、と猫達が扉にむかって鳴き声をあげ。

 老婆はただ、安楽椅子が揺れるに任せて目を閉じた。

 瞼の裏の、彼女の夫を見つめながら。

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