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12/11/07 誤字修正
「ねぇ、ローラ。僕の事愛してる?」
「あんまり。貴方の噛みまくって最後まで言えなかったプロポーズに、見ていてあまりにもほっとけないから結婚してあげるって返事をしたの忘れたの?」
確かに言ったけどそれは照れ隠しだと僕はずっと思ってたのに、とアルはひっそりと涙をこぼした。
あぁもうこういうところがほっとけない、とローラはため息一つ。同時に可愛いところでもあるんだけれど。
そういえば――あの濡れたハンカチはファインプレーだったのかもしれない。
どうやらアルは滑って転んだときにちょっと…そう、ほんのちょっとだけ粗相をしてしまっていたらしいので。
そういうわけで、アルとタイガはそろって風呂場に叩き込まれた。
最大の懸念だったタイガがお風呂を嫌いかどうかという問題だが――何せ尻尾が生えているし、ペットは風呂を嫌いなイメージがある――、タイガは気に入ってくれたらしくローラは思わず一安心。
だってちょっと臭ったし。
「あぁ!目にシャンプー入った!!」
「シャンプー?」
「シャワー!お湯だしてお湯!はやくはやくはやく」
「しゃわー?」
「シャワー!!さっきぼくお湯だしただろ!!ぎゃあ口にシャンプー入った!苦い!!苦い!!これ僕病気になったりしないよね!?」
「びょうき?」
「シャワー!お願いシャワーはやく泣くぞ僕泣くぞ!?」
「これ?」
「熱っつ熱ッ熱いッ!!熱い止めて!!止めて!!」
「止める?」
「あぁまだ目洗えてないしうわ沁みる目がー!!」
「こっち?」
「ぎゃあ!?待て今度は冷たいそれ水!水!冷水!」
風呂場から聞こえてくる喧騒に、いい年こいて本当に 家の夫は…、と思わず頭を抱えたが。
どうやらタイガは静かに普通に体を洗えたらしいのに。
ともあれそうしてすっきりした二人。タイガの服は替えが無いとのことで、だぼだぼになるがアルの服を貸し、
「なんでさ!!」
「だって話を聞いたら、貴方タイガに恩があるじゃない」
ぐぅの音も出せずスーツ一式を着替えたアルと――同じ色のスーツなんてもっていないのだ――、二人は机に座っている。
スプーンとフォークを持って胸にナプキンをつけたタイガは。キッチンからするいいにおいに黄金瞳を一層キラキラ輝かせ、さっきよりもぐっと子供っぽく映る。
「はぁもういいけどね…そうだ思い出した。なんで君は」
「はいはい、 梟は梟らしくもう少し思慮深くなって。まずはご飯よ」
どん、と大きな音を立てて料理が小さなテーブルの上に置かれた。3人分置くと、もうテーブルの上に花瓶もおけないが、それでも食べるのに困るほどじゃない。
拗ねた様に口を閉じるアル。各自に出されたお皿にはこんもりとカルボナーラのパスタが盛られている。豪快に切ったベーコンは一枚がデカいけれど、立ち上る湯気と匂いはとっても美味しそう。
少年はその美味しそうな匂いに瞳を輝かせて、パスタに手を伸ばそうとして、
「コラ!!」
ローラにしかられた。ローラが顔の前に手をやると、獣のようにびくっと怯える。
「ご飯の前にお祈りよ。主よ、あなたの慈悲に感謝してこの食事をいただきます。この食事を祝福し、私達の心と身体を支える糧としてください。父と子と聖霊の御名において、アーメン」
「アーメン」
普通アルがいうべきだろうに、ローラが言った。それをいつものことのようにアルはアーメンとだけいう。
タイガだけは不思議そうな顔で、ローラに言われてよくわからなさそうに
「あーめん」
と言った。その様子を見て、ローラがあら?という顔をしたけれど、タイガはそんなことより目の前のパスタに視線が釘付けで、
「いい?」
瞳キラキラ。ちょっとよだれがたれそうだ。
「ん?あ。あぁ、食べていいわよ。いただきましょう」
わーい、とタイガはぶすっとフォークをパスタに刺して、そのままフォークを引いた。
ぴちゃぴちゃとナプキンにソースがかかり、タイガの口周りをソースが汚して、そしてパスタはべちょっとお皿に逆戻り。
?とよくわからなさそうな顔をするタイガを見て、しょうがない、といった表情でローラが席を立ち。
「いい?フォークをさしたら、こうやってくるくる回すの。パスタがフォークに絡むでしょう?」
タイガの手を取り優しく教えてやる。
タイガはくいいるようにくるくる巻かれるパスタを見つめて、アルはそんな二人の様子をちょっと面白くなさそうに見つめた。
ぱくっ、とパスタを食べたタイガは、おいしー!と歓声を上げて、さっそくくるくる、フォークをパスタに絡めはじめた。
「そう、よかったわ」
ちょっとほっとしたような、なんとなくタイガの素性が知れたような気がして、ちょっと困るような…複雑な顔をしてローラは席へと戻る。
こっそりワインを取りにいこうとしたアルの頭を引っぱたきつつ。
よっぽどお腹がすいていたのか、ローラが半分ほどパスタを食べ終える頃にはタイガはぺろりとパスタを食べ終え満足顔。
手持ち無沙汰にぼんやり座るタイガを待たせるのも申し訳ない気がして、ローラも少し急いでパスタを食べる事にした。
アルはいつもの早食いでもう食べ終わっていて、
「で、どうして逃げたんだ?」
とタイガに質問した。
?と不思議そうな顔をするタイガ。
「アル、ちょっとまって」
「なんでさ」
「いいから」
パスタを食べ終え、アルと自分のお皿をシンクに入れて――タイガは自分で食べ終えた皿を運んでくれた。こういうマナーはあるらしい――もう一度机に座る。
不審顔のアルはほっといて、ローラはゆっくりとした口調で、
「タイガはこの国で産まれたの?」
聞いてみた。
タイガは不思議そうな顔をする。ついでにアルも。
二人そろって首を傾げるので、ローラはなんだか自分が教師にでもなったような気分になった。
「タイガは、英語が喋れるかしら?フランス語、イタリア語、ドイツ語…は、まぁ、私がわからないけれど」
タイガはやっぱり不思議そうな顔をするばかり。
やっぱりそうかなぁ、とローラは思いながら、
「タイガの知っている言葉を教えて?」
ゆっくり、聞き取りやすいように言う。そうするとタイガはこっくり頷いて、
「りんご、くだもの、うん、やだ、ボク、おそうじ、待て、行け、おじゃまします、いいこと、どういたしまして、ごはん、おいしい、ちょーだい、だから、もらえる…おなかへった!!」
指折り数えて楽しそうに言う。
アルはやっぱりわからなさそうに首をかしげて、あぁやっぱり、とローラはひとつため息をついた。
頬に手を当ててため息をつけばきっと絵になるのだろうけれど、そんなのローラの柄じゃない。
ため息はいつも、腰に手を当ててはぁとつく。
勿論ローラだって貴婦人風の、あのため息さえ色気を感じる仕草を真似ようとか、或いは憧れだけでもしたことはあるけれど、幼馴染というより弟みたいなアルと一緒に暮らしていると、ため息をつく機会が多すぎて。
あんまり頼りないものだから、せめて自分がしっかりしなくちゃとおもっていたらやっぱり、いつもの腰に手を当てたため息になってしまう。
それももうずいぶん前に慣れてるけれど。
そんなことを考えていたら、やっぱりため息が漏れてしまったので、無理やり気持ちを奮い起こす。
ため息は敵だ。幸せが逃げるって言うし。
「ねぇオゥル、どうして貴方はタイガを連れてきたのかは聞いたけれど、どうして追いかけっこをしていたのかは聞いてないわよね」
「あ、そうだ。そうそう、なんで逃げたんだよ!」
ガタン!!と音を立てて席を立ち言うアルに、きょとん、とした顔のタイガ。
ローラはペシ、とアルの額をたたいて黙らせて、
「だから、どうしてなの?」
「いやそれはこの子が娼館にはいっていったから!」
娼館って…と絶句するローラはタイガに視線を移す。
勿論そこにいるのは少年で、そういう場所に通う年には見えない。その逆で――そこで売る側というか売られる側というのなら、一応納得できはするけれど。でもそんな。
タイガはやっぱりよくわからなさそうな顔で、それでもなんとなく雰囲気を察したのか、
「掃除!ごはんもらえる、だから、掃除…」
はぁ?とアルは首を傾げた。
もしかして、と上辺に惑わされないように気をつけながらローラは冷静に考えてみる。
例えばタイガが想像通りこの国の言葉を知らなくて、ただ働く場所を探していただけだったとしたら、と。
掃除、という言葉を繰り返すのは、掃除以外の働く方法をしらない――あるいは、言葉が不自由だからできないからで。
お昼時に掃除をする場所なんてそもそもからして限られている。
カフェやレストランは店先を軽く掃除はするけれど、まさか書入れ時に本格的に掃除をするわけにもいかない。
だから昼間に掃除をするのは、どうしたって夜専門の店になる。
それは例えば酒場であったり、そして件の娼館であったり。
タイガが言葉も知らないような環境で育ったのか――それとも、異国からの来訪者であるのかは分からないけれど、とにかく言葉を少ししか知らないであろうことは分かっている。
それが言葉だけじゃなくて、色々な常識に対しても無知であったとしたら。
だから、娼館というものがわからないまま、そこで掃除をして働かせてもらおうとしていただけでは?
「掃除をして、ごはんをもらおうとしていたのね?」
言葉の全てを理解できてはいないように…少しだけ首をかしげながら、それでもこくこく、タイガが頷いた。ようやくアルも事態が飲み込めてきたのか、いったん納得したような顔をして――。
「いやじゃぁどうしてあの時逃げたんだよ!説明すればよかっただろ僕は掃除の仕事をしてる最中だって!!」
大声で言う。突然大声で言うものだから、タイガは少し驚いた顔で、
「わかんない」
それでも、口から出たのは同じ一言。
ちょっと怯えた、しょげた顔で言う。
「わかんないって…それくらいわかるだろ!?」
わかんないだらけの返事に苛立って、アルが怒鳴るように言い、びくっとタイガは怯えて泣きそうな顔をした。
「違うわよアル…何て言ってるのかが、わからないのよ」
言葉が喋れないから。分からないから。
あ。
とアルが気づいたときには遅い。
ローラは額に手を当てて、そうしてどうにかため息を我慢。
泣きそうなタイガに大丈夫よ、と言って頭をなでて。
「アル、娼館のオーナーに確認を取ってきて」
「え、でも」
「はやく!!」
とたたき出したアルがしばらくたって、すごくバツが悪そうな顔で戻ってきた。
「その顔を見ればなんとなくわかるけど。それで、事情を説明してきたの?」
「…警察で引き取ってくれって」
仕事をほっぽり出したことは確かなので、やっぱりそのまま雇ってくれたりはしないか、とここまではローラの予想通り。
そうでなくとも、何も知らない子供を娼館で働かせるのは気の毒だ。
娼館で働くというのは、それだけで偏見の目で見られるから。
「警察で引き取れるの?」
「身元が分からないから、一応施設に送ることは出来るんじゃないかな」
うん、そうしようと頷くアルを、ローラはきっ!!と割と本気で睨んで黙らせると、アルは塩をふられたナメクジみたいに縮こまって、口をもごもごさせて「施設だってそこまで酷いところじゃないさきっと」とかなんとか小さな声で言う。
一度は落ち着いたタイガの表情に、また不安の色が広がってきて、ローラはどうにか笑顔で安心させようとした。
苦いものと疲れの混じった笑顔になって、ますますタイガが不安そうに顔をゆがめる。
あぁ、もう。
ローラは一つ覚悟を決めて、タイガの頭を優しくなでた。
「ねぇ、タイガ。しばらく家にいなさいな」
「?」
きっとこの言葉の意味さえ伝わってない。
言葉を知らないから。
首をかしげるタイガに、困ったようにしながら、
「言葉を教えてあげる。安物だけどベットもあるわ」
そう言った。
アルが警察官だからこそ――迷惑をかけたからこそ。
理由や事情は分からないけど。
まずは聞くために、言葉を教えて、面倒を見る覚悟を決めた。
「え、家ベットは2個しか」
「あなたはソファー」
「ええええ」
情けない悲鳴を漏らすアルに、いい加減腹がたってひっぱたいておく。誰の所為だ誰の。
「何よ。そんなに嫌なら私タイガと一緒のベットで寝るわよ」
「それはだめ!」
泣きそうな顔でアルがいい、はぁもうまったく、とやっぱりローラは腰に手を当ててため息一つ。
アルと暮らす限り、ため息と親密になるのはもうどうしようもないのかも、なんて。
よくわからなさそうなタイガに、笑ってごまかす。
ぐぅ。
そんな中、響いた一つの音。
「…足りなかったかしら。おやつ、たべる?」
「たべる!!」
こんな状況で、それでもタイガはうれしそうだった。
思わずローラは瞳を細めて微笑んで、アルがそんなローラに情けない視線を向ける。
あなたは仕事に行ってきなさい、とローラはアルのお尻を蹴っ飛ばし、お菓子作りの準備をした。
お菓子作りなんていつ振りだろう。結婚してからはずいぶん作ってない気がする。
そんなことを考えて、少し楽しい気分になりながら準備をしていると、
「いいことする!!」
とタイガが元気に言った。
いいことする…少しローラは考えて、
「そういう時は、お手伝い、っていうのよ」
首をかしげるタイガに、おてつだい、とローラは繰り返す。
「おてつだい…おてつだい…お手伝い!!」
確かめるように何度か言って、こっくりタイガは頷いた。
それだけで、これからの生活がやっていけると――楽しいものになりそう、と。
ローラは微笑むことができた。
お母さんの、微笑で。