01.異世界と灰色姫エレーゼ(視点:七海)
起き上がり頭の靄を振り払おうと首を横に振り、瞼を重そうに開けた。今は夜だった。室内に月明かりが差し込んでいるが、周囲は薄暗く静かだ。私は何時もの癖でベッドの横にある目覚ましを手で探したが見つからない。今度は灯りを求め立ちあがってみると乗っている寝台が妙に広いことに気付く。自分の部屋ではない。
目を凝らして見ても、覚えのある部屋には見えない。ぼんやりと月明かりでしか灯りがないのに、どうして言い切れるって…このベッドで分かるけど、部屋が異常に広い。私の部屋の数倍はあるだろう。七海の家は決して貧乏ではない。普通だ。だが、日本の住宅事情を考えれば異常な広さだ。覚めてきた頭にまず浮かんだのは、誘拐の一言だった。
「ここって……」
どこだろうと、別に返事が欲しくて言った訳ではなかったのだが、意外にも声が返ってきた。
『ああ…!やっと聞こえました。私の声が聞こえますか?』
この暗がりに人が居た事にまず驚いた。これが男なら怖いのだが、女性…いや女の子の声なのでほっとした。
「うん、聞こえてるよ。」
『すみませんっ、本当に――』
いきなり謝られた。彼女は自分が私をこの世界に呼んだのだという。えーと、いわゆる召喚と言うやつですか?(この子、声を聞いてて良い人みたいだけど……残念な子だったのかなー)とか思う。
『あの…残念、な人ですか?』
ぶっ!私は声にしてなかった…と思う。(何でちょっと思った事が…!?)いや、妖精さんの声が自然に出てしまったかもしれない。私は笑顔を作り話しかけ…る前に彼女が言った。
『妖精さんの声、というのは?何かの術ですか?』
「……ねぇ」
『はい?』
「あんたひょっとして、私の思ったこと分かる?」
『はい。あ、でも分かるのは貴女だけです。今貴女は私の体で話していますから。』
彼女によると、ここはヴァルリア国。交易が盛んな商業大国で、才覚ある現王の治世で栄えているのだと言う。そして驚いた事に、この世界には魔術があると言い出した。そんな、馬鹿な――と思っているのが分かると、彼女が灯りの灯し方を私に教え、そうして力ある言葉を唱えてみれば、柔らかな光が手のひらから室内へと広がり照らし始めるではないか。私は遠い目をした。
彼女は付け足した。簡単な生活魔術ならこの国の人間なら大抵は使えるし、また使えないと一般女性はお嫁に行くのに困るのだそうだ。掃除は風系・洗濯は水系・料理は火系、各系統の基礎の基礎だけ知ってれば大丈夫みたいだが、この世界の花嫁修行は大変なんだと思った。
そんなヴァルリア国は軍事大国というもう一つの姿がある。優秀な魔術師が軍に在籍しているからだ。だが軍で活用できる人材は、全体からすると数が多くない。本人の資質もあるが、教育費が高いためだ。だから一般市民ではそれだけ高等の魔術は使えない、一部の特権らしい。
彼女はエレーゼと名乗った。
エレーゼ・ド・イーアリル、子爵家の娘だと。
今、私は彼女の体で話している。正確に言えば、私の魂がエレーゼの体に入っているのだ。だがエレーゼの魂も体にあるから、2つの魂が1つの体を共有していることになる。
鏡台の前に座りながら、まじまじと今の自分の体を凝視する。白く線の細い端正な造りの輪郭に、真っ直ぐな背まである髪は銀糸で少し動くたびにサラサラと揺れる。小動物を思わせる大きな碧水晶の瞳に長い睫は西洋のビスクドールを思わせる凄く可愛い少女だった。
大丈夫ですか?とエレーゼの声で戻ってきた。
「……何とかね。差し当たってこの国を救ってくれ、とかいうんじゃ…」
『いいえ何も。』
何もない?良かった、じゃあ元の世界に戻してもらわないと。そう言うと彼女は悲しそうな声で再び謝った。
『この世界に貴女が来たのは恐らく私のせいです。帰し方も分からないんです。ごめんなさい…』
待て。「何でそれで召喚だけは知ってるの」って儀式とかしてた訳じゃなくて祈っただけ?それならってそんなの有りか、この世界。
『でも貴女が来る少し前、私は寝ていた筈だったのですが、空を飛ぶ翼の人に出会ったのです。私の願いを叶えてくれると言うので……儚くなりたいと伝えたのです。』
「儚くって……死にたいってこと!?」
こくん、と彼女は答えた。
「何でそんな事……」
『私は天の信徒なので、自害は許されないのです。伝えましたら天使様はこう言いました。「先ほど、別の世界で死んでしまった魂だが、この子は今もまだ生きたいと強く願っている。凄く強い魔力を持っているので器が中々見つからない」私の心が死にかけてた様で、貴女に譲って欲しいと申し出がありまして』
私は先程から口をあんぐりと開けたままで聞いていた。嘘でしょう……まさかの死にネタ?夕飯は暴食だーっと、意気込んでいたのを思い出した。その後急に暗くなって、冷たさを感じたとたん意識が遠のいていったような………
『あの、すみません。不謹慎でしたね、そうと確証はないのですが…』
「…いや、全然ショックじゃない訳ないけど……とりあえずここで生きてるし…」
実感がなかった。けれどこうやって違う少女になってここに居る。向こうでの最後の感覚は、もしかして何かの事故にあったのかも…本当に私は死んでしまったのか?色々な事が起こってショートしそうだ。
でも、まずは”この世界で生きていけるか”だった。言葉は通じるみたいだが、一般常識が余りに離れている。先の事より今が大切だ。色々考えるのは生活が落ち着いてからだ……私は自分にそう言い聞かせた。そうなると彼女はこれからどうなるのだろう。死にたいと天使に願った少女。
彼女は『おそらく、自然に消滅するのでしょう、私の生気が徐々に弱まっていますから。』とさらりと言う。心に重い物を感じた。殺してください、っていって了承する天使って何?
沈黙する。何て言っていいのか分からない。自分よりも若いだろう女の子が消えた後、新しい人生を送れって…?後味が悪すぎる。
『ち、違います……私は…ただ……自分が救われたかっただけなのです――ここから逃げたかっただけで…貴女に押し付けてしまった卑怯者なのですっ』
彼女の意識が私の中に入ってくる。涙が溢れるのに耐えている様な彼女の感情が、波となって私の頭を襲った――――