12-7
想定できない状況での、突然の爆発音に心臓が止まるかと思うくらい驚いた。
だけど、それは私だけではないらしく、いつも超然としている女も目を見開いて驚いていた。私は彼女がこんな表情もできるのだと、非常時なのに思わず感心する。
だけど、そんなのんきな思考も次の瞬間に消えた。目の前の女と私の間に立ちはだかるような黒い影が現れたのだ。
「侵入者だ!!」
「すぐに応援を呼べ!!」
ガラスが割れた音で異常を察知した兵たちが部屋へ雪崩れ込み声を上げ、侵入者に対して武器を突き付けた。その対応の速さに安心して、だけど、次の瞬間にそれは焦りに変わった。
黒いマントのようなものに身を包んだ人影の容姿とか表情とか、そんなものは一瞬の事では分からない。ただ、マントの陰から覗けた強烈に昏い瞳の色を見た瞬間に、私は自分が勝てないことを悟らされた。
「何者だ!?」
「大人しく投降しろ!」
取り囲みながら侵入者に近づいていく兵たちに、私は咄嗟に静止を叫ぶ。
「だめっ…近づかない―――」
だけど、それは言い終わる前に意味をなさないものになる。何が起こったか分からない、侵入者を取り囲んでいた兵たち全てが血を流して、バタバタと倒れて行ったのだ。
茫然とその光景を見るしかなかった私を、侍女たちの悲鳴が現実に戻す。侵入者の目的は分からない。だけど、部屋の中にいた兵の全てが倒されたのだから、今は戦えるのは多分私だけだ。
(応援が来るまでは、何とか持ちこたえなくちゃ)
思いながら、持っていた自分の杖を握りしめた。
「あんたじゃ僕には勝てないよ。分かってるでしょ?」
耳に飛び込んできたのは澄んだボーイソプラノ。
同時にかぶっていたマントを外して現れた姿は、まだ十代の中頃だと思われる少年だった。
姿だけ見れば、相手は子供なんだから兵たちの方が強いに決まっている。だけど、実際に倒された兵たちと、少年だと認めても消えない私の直感が底知れぬ強さを感じさせた。
「心配しなくても、僕が用のあるのはあんたじゃなくて、あんたの中にある【乙女の魂】の方だから」
「?」
【乙女の魂】?意味が分からなくて眉を顰めたけど、少年は大して私には気を留めていないようで、その視線をすぐに逸らした。
「だけど、乙女の魂に会いに来て、お前に会えるとは思っていなかったな…ファイリーン」
「カイン……」
互いに見つめあう二人。張りつめた空気は口をはさめるような雰囲気ではない。
「お姉さまは無事なのですか?」
「僕がマリアを傷つける道理がないだろう?」
「ですが、貴方はお姉さまを攫った」
「攫ったわけじゃない。保護しただけさ」
交わされる言葉は私が知らない情報。分かる事は彼女の姉はあのアルスデン伯爵夫人であることだけで、それをこの少年が攫った?
「詭弁を言わないで」
「どのみち、マリアが僕に協力した事実は変わらない。そうである以上、レディール・ファシズに置いておくのは危ないだろう?」
アルスデン伯爵夫人が協力した?それは…あの舞踏会の事?
だったら、彼は<神を天に戴く者>の仲間と言う事になる。その事実にはっとした。彼をこの場に留め、捕える事。それができれば、色々なことが明らかになる。アイン枢機卿の無実だって証明できるかもしれない。
私は怯え震えるような気持を奮い立たせて、杖を握りしめる手に力を込めた。
(どうか、私に力を―――)
私は祈った。
「誰に?」
呟くのは私にしか見えない女。彼女は気が付けば、私の背後に回っていた。
「誰に願うの?」
(誰に?そんな事、知らないわ)
女の言葉なんかに耳を傾けている余裕はなくて、反射的にそう答えた。視線はファイリーンと対峙するカインと名乗る少年から離さずに、私は早く早く応援が来ればいいとひたすらに願った。
こちらを注意していないけれど、不用意にカインに攻撃を仕掛けようとは思わない。ううん。思えなかった。
「………」
私に彼女に構う余裕がない事を察知したらしく、彼女もそれ以上は言葉を発しなくなる。代わりに少年がファイリーンからこちらに視線を向けた。
「まあ、マリアに関して知りたいことがあるなら、後でゆっくり話してあげるよ。僕は僕の用事を優先しないと…」
そして、驚いたことに少年は侵入者だという事すら感じさせない優雅さで、恭しく頭を一つ下げたのだ。
「お初にお目にかかる。魔力の源を司り、また同時に縛り続ける乙女の魂の欠片よ。私の名はカイン…どうか、私の言葉を聞いてほしい」
「?」
カインが私に向かって発した言葉に首を傾げる。
「ああ、あんたに言ってるんじゃないよ。僕が今、声をかけたのは、あんたの後ろにいる彼女にだよ」
「っみえ、見えているの?」
私以外には誰にも見えないと思っていた女がカインには見えているらしい。私の言葉にカインはしっかりと頷いた。
「勿論、そもそも僕は彼女に会いに来たのだから」
カインはそう言って私の横を通り過ぎて、女に手を差し出した。これは嘘でもはったりでもなく、彼にも彼女が見えているという事だ。
そして、何より彼女と言う存在が私の想像上の存在ではなく、他の人にも確認できる何かであるという事でもある。
私はその事実に愕然とする気持ちになった。
だけど、驚いているのは私だけではなく、彼女もまたカインに見られているという事実は驚くべきことだったらしい。目を見張った後に彼女は彼を睨みつけた。
「貴方は誰?」
「僕は名乗ったはずだけど?まあ、いいか、君が知っている言葉で言うなら、僕は人の王の末裔」
「偽王!」
「君らから見たらそういう事になるね」
その姿は隙ばかりが目立つ、いつでも襲って下さいと言わんばかりだけど、彼の放つ不気味な雰囲気にのまれてしまって私は一歩も動けずに二人の会話を聞いているしかない。
二人だけで通じる会話に私は目を白黒させるしかない。だけど、女が見えていないファイリーンは更に訳が分からないと言ったように怪訝そうな顔をしている。それはそうだよね、女が見えてなければカインは何もない空間に向かって、一人で話しているようなものだもの。
「僕は名乗ったんだから、君の名前を教えてくれる?」
「……」
問いかけるカインに対して女は何も言わない。そういえば、彼女について私は何者なのかと問いかけたことはあっても、名前は聞いたことがない。
言いたくないのか。それとも名前がないのか…だけど、押し黙る彼女の表情が硬い事からそれを告げることを拒んでいるのが分かる。
カインもそれは分かっていて、それでも更に彼女に名を告げるように畳み掛ける。だけど、それはどうして?
「名乗りたくないなら、それでもいいさ」
口を噤む彼女にカインは微笑んで、それ以上の追及を止めた。
だけど、その笑みは瞬時に消えて、私が彼が動くことを察する前に手を彼女に向かってかざした。
すると女は崩れ落ちるように意識を失い床に倒れた。
「何をす―――!?」
咄嗟に声を上げた私。だけど、叫んだ言葉を最後まで口にする前に自分の異常に気が付いた。
グラリと揺らぐ視界。酸欠のように、急に息が苦しくなって、頭がもうろうとした。それでも意識を保っていようと必死になっても、突然の事に動揺してパニックになる。
「巫女様!!」
立っていることもままならなくて膝をつく私に、ファイリーンが駆け寄る。カインを前に危険だというのに、私を心配してくれる彼女に来ては駄目だと言わなくてはならないのに、もう、体が思うように動かない。
「名前を知れれば色々手っ取り早かったんだけど、まあ、何事もそう上手くはいかないよね…だけど、僕も、世界も我慢の限界が近いんだ。君で全ての鍵を開けさせてもらうよ」
カインが語る言葉の意味を私は何一つ理解できない。
だけど、その全てが私にとって良くないということだけは意味が分からなくても、すぐに分かった。
崩れ落ちる視界に最後に映ったのは、私を助けようとするファイリーンの腕をつかむカイン。その表情は私が今まで出会ったことのない昏いものだった。
―――暗転、同時に頭に響くたくさんの女の笑い声が怖くて、怖くて、怖くて仕方なかった
これにて第12章は終了。次回からアイルフィーダ視点に戻ります。