12-3
お父さんは私に甘い人だった。自分でそう断言できるほど、私は甘やかされて育った。だけど、それは『だった』という全てが過去の話。
お父さん、ユーディス・デュヒエは昔はレディール・ファシズで暮らしていたけど、フィリーのお父様であり、前世界王ケルビン様がオルロック・ファシズに亡命した時に一緒に付いてきたらしい。
お父さんはケルビン様の従者の一人で、亡命にも誘われ、その後もケルビン様のために働いていた。そして、オルロック・ファシズでお母さんと出会い、結婚して私が生まれた。
そうして、親同士が主従関係とはいえ、オルロック・ファシズではそういった堅苦しい事も少なく、私とフィリーは家族ぐるみで付き合い、幸せに暮らしていたと思う。
だけど、ケルビン様が前世界王で、フィリーが次の世界王である事はオルロック・ファシズにいても変わらない。
彼らがオルロック・ファシズにいる事で世界王を失ったレディール・ファシズは衰退を続け、人々は世界王の復活を望んでいた。そして、お父さんはそれを無視できなかった…と私に言ったのだ。
『リリナ。お父さんはね、苦しむレディール・ファシズの人々を無視することはできないんだ。その声を聞いて彼らを助けるために、フィリー様が戻られる決心をしてくださった。私はそれを助けたいと思う。そして、お前もその助けになって欲しいんだ』
突然の言葉、突然の告白だった。
『銀色の髪に赤い瞳。お前の魂は巫女と同じ色をしている証拠だ。世界王の対になりし巫女。フィリー様の巫女はお前しかいないだろう。お前は彼の伴侶となるのだよ』
だから、一緒に来るのだとお父さんは優しく、甘い言葉で私に囁いた。
それはとても重要なことなはずなのに、まるでその日のお茶菓子は私の好物だから否と言うはずがないな?とやんわりと決めつけられているようでもあった。
だけど、フィリーの事は勿論。レディール・ファシズの事も、良くは知らないけれど、困っている人がいて、私で何か役に立つというのなら何かがしたいと思うのは当然の事で…私はお父さんの言葉通りに巫女になることを決めたのだ。
その決断は今でも間違っているとは思わない。
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「体の具合が優れないそうだな」
挨拶もなく開口一番に放たれた言葉は、私の体調を気遣っている内容とは裏腹にとても冷たい声に彩られていた。
オルロック・ファシズでは私を溺愛していたお父さんとは別人のようなその様子。彼はレディール・ファシズに来てから私に冷たくなった。理由は分からない。
昔から細身だったけど、こちらにきて病的に細く青白くなった顔には消える事のない隈、緩むこともない目元には常に険しい眉間の皺が刻まれ、唇は笑みを形作ることを忘れてしまったように一文字に結ばれている。
ベッドの上からそんなお父さんを見つめながら、私はこの人は実は私の知るお父さんとは別人なのではないかと馬鹿な想像をした。
寝不足と疲労でいい加減に頭が動いてないんだと思う。だけど、そんな事はお父さんの知ったことではないらしくて、ぼんやりとしている私に小さく舌打ちをする音が聞こえた。
「…返事もできないのか。まったく…体調管理もできないとは巫女として失格だぞ」
「ごめんな―――」
咄嗟に謝ろうと口を開いた途端にぎろりと鋭く睨まれて、私は身を竦ませた。
「も、申し訳ありません。お父さん」
「私の事は枢機卿と呼びなさいといってあるだろう。巫女とは世界王を支えるために、神のためだけの存在となったものの事。お前が巫女になった以上、私とお前の親子の縁は切れた」
それだから?私とお父さんはもう親子じゃないから、そんなに私に冷たいのだろうか?
彼の態度はいつ会ってもこんなふうに変わらないままだけど、私はそれでもお父さんの面影を覚えているから、いつかオルロック・ファシズにいた頃のように私に微笑んでくれるんじゃないかと言う甘い期待を抱いては、こうしてそれを打ち砕かれる。
彼のいない所ではお父さんが大好きな娘のままで、彼と二人になればその違いに身を竦ませて怯えている。
諦めればいいのに、諦められず。かといって、お父さんに反対することもできない。私は彼の前では永遠に幼い娘のままなのかもしれない。
「まあ、いい。それより、いい加減に覚悟は決まっただろうな?」
最近のお父さん(いや、私が巫女になってからずっとか…)は、いつだってこうして私に尋ねる。
「そ、れは―――」
それに対する私の及び腰な煮え切らない態度もいつもと同じだ。そして、お父さんはいつものように無表情な顔を、鬼のような形相へ変える。
「いい加減にしろ」
低い声が一段と低くなり、鋭さは心を切り裂く。
ベッドに上半身だけ起こしていた私の肩を痛いほど掴み、お父さんは詰め寄った。
「お前は巫女としての役目を果たす気がないのか!?次代の世界王を産む。それは巫女にとって一番大事な役目だ。全てを承知したうえでお前は巫女になったのだろう!!」
「で、でも、フィリーはっ」
恐ろしさに涙が出そうになる。だけど、私はフィリーの名を呼び、その姿を思い浮かべて彼から勇気をもらうように声を絞り出した。
「フィリーはいいって言ったわ。お父さん、フィリーは私が嫌ならしなくてもいいって言ってくれたのよ」
そう言って懇願する私を見て、お父さんは固まり、そして私から静かに手を放した。
もしかして、お父さんはこれで許してくれたのだろうか?そうよね?フィリーが良いというものを、お父さんが駄目だというはずがない。
お父さんが強硬だったのは、私が巫女として役割を果たせていないと、教会から私を守るため。だけど、フィリーが守ってくれるというのなら、お父さんだって―――
「分かった」
だから、その了承の言葉が出た瞬間に、ここ最近の疲れや苦しみが忘れられるほどうれしかった。
お父さんの真意が分かったし、何よりこれ以上お父さんに叱咤されることがないというのが本当にうれしかった。
だから、傍にいたお父さんの腕に抱き着きたくて、そっと手を伸ばした。だけど、それは無情に跳ね除けられた。
「お・とうさん?」
「枢機卿と呼べと言ったろう。巫女よ」
その声は今までよりも一層低く、元々感情が見当たらなかった声であったはずなのに、更に冷たくて感情のない声というものが存在するのだと知った。
そして、私を見下ろしてくる表情。そこにはオルロック・ファシズで私がお父さんと慕った人の面影は微塵もなかった。
まるで知らない人を、いや、汚い物でも見るような表情で私を見るこの男の人を私は知らない。
「儀式の準備には最短で一ヶ月ほどかかる。今日から丁度一ヶ月後だ。分かったな?」
「え?」
「お前が永遠に決断できないというのなら、もう、良い。私が決める。最初からこうすれば良かった」
心臓が大きく音を立てた。
お父さんの、いや、目の前の男の人の言葉を理解したくなくて私は首を横に振った。
「世界王を身籠る儀式【神籠りの儀】は一ヶ月後の夜だ。それまでお前は世界王との接触を禁じる。見張りをつけるから、この部屋から一歩も出るな。分かったな?」
「い・や。いやよ!お父さん!!どうして!?」
ジワリジワリとせり上がってくる恐怖と不快感、怒りがかつてないほど大きな声で迸る。だけど、そんな私に対しても動じることなくお父さんは表情を変えずに私に背を向けると部屋を出て行こうとする。
「待っ―――あ」
ベッドから降りてお父さんを捕まえようとしたけど、体力を奪われている私は足がもつれて床に倒れこんだ。お父さんはそんな私に一瞬だけ視線を送ったけど、そのまま私を助け起こすこともなく部屋を出て行った。
突き付けられた事実、無情な父親、立ち上がることもできない自分に、全ての絶望を一身に背負ってしまったような気すらして私は大きな声で悲鳴を上げるように泣いた。