12-2
―――ねえ、貴方の本当の姿を教えてあげる
耳の奥から誰かがずっと囁いている。
それを聞きたくなくて、本当の姿なんて見たくなくて、私は耳も目も塞いだ。
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<リリナカナイ視点>
麗らかな朝日が差し込む部屋で暖かな湯気が立つ朝食を前に、私はぼんやりとしていた。
朝食が目の前にあるのだから、食べなくてはと頭では分かっていても動けない自分がいた。体も思考も、動くことを拒否していた。
動き出したら最後、私はあの事を思い出さなくてはいけない。それが嫌で嫌でたまらなくて、私はただぼんやりとしていた。
「一口でも召し上がってください。巫女様」
ビビアンの他人行儀な声が聞こえてくる。今は他の侍女達もいるので仕方ないけど、容赦がなくても明るく声をかけて欲しいと思った。
でも、そんな思考もすぐに溶けてなくなって、私は小さく頷いて言われるがまま、せめてスープくらいは飲もうとスプーンを手に取った。(迷惑はかけたくないもんね)
のろのろと遅い動作にも拘らず、侍女たちは優しげな表情のまま私を見守っている。そんな彼女たちに安心しながら、スプーンに口をつけようとした瞬間だった。
「でも、心の中じゃ、皆、貴方を軽蔑しているわよ?」
耳元で聞こえた声に、がしゃんと音を立ててスプーンを落とすと同時に、椅子から立ち上がった拍子にスープ皿自体をひっくり返してしまう。
「巫女様!」
侍女たちが悲鳴を上げながら駆け寄って、私の体にスープがかかっていないか見て、それがないと分かると片づけを始める。だけど、私はそれに謝ることも、大丈夫だという事もできない。何故なら―――
「うふふ、怖い顔をしているわ。巫女様?」
銀色の髪に赤い瞳をした女が楽しげに笑っている。無邪気さを装いながら、私が困るのを心底喜ぶその様子に、憎々しい気持ちが湧いてこないはずもない。
(いい加減にして!!)
その感情が巫女として恥ずべきものだとは分かっていても、今の私にそれを取り繕う気力もなく、感情のままに心の中で叫んだ。そう、『心の中で』。
非常に不思議な事なのだけれど、この女の人は私以外には見えないらしい…と気が付いたのは、初めて彼女に遭遇したあの夕暮れの翌日だった。
あの時、忽然と現れて消えた彼女を私は夢か幻だと思った。思おうとした。だけど、それは翌日に取り消さなくてはいけなくなった。彼女は今のように朝食時に、突然現れて私に囁きかけてきたのだ。
私は驚いて彼女に色々と話しかけ、侍女たちに兵を呼んで彼女を捕えるように言った。だけど、侍女たちの誰も私を不思議そうに見るだけで、何を言っているのかと困惑した。私が指をさす先に、誰もが何も見えないと言ったのだ。
そうして、私はこの女の人が私以外の誰にも見えない存在なのだという事を知った。
「とってもいい顔。笑顔の貴方より、私は今の表情の方が好きよ?だって、より貴方の本当の心を表しているんだもの」
それからというもの、彼女は毎日、私の前に現れるようになった。時間や場所は決まっていない。一日一回の時もあれば、四六時中傍にいることもある。そうして、ずっと私の心を逆なでするようなことばかり、笑いながら囁き続ける。
(……なんで?)
誰も見えない存在である以上、誰に言っても信じてもらえる自信もなく、相談もできないまま数日がたとうとしていた。
彼女がいつ現れるかビクつき、現れれば囁かれる言葉に疲弊し続ける日々に、私は次第に擦り減っていく自分を感じた。
限界が近づくにつれて、信じてもらえなくても構わない。誰かに相談しようと何度も思った。だけど、その度にブレーキがかかる。
(貴方は何が目的なの?もう、やめて…)
「い・や・よ。ねえ、それより、今日の夢はどうだった?素敵な夢だったでしょう?」
(やめて!!)
心の中で絶叫する。
そうだ。彼女の事を話すには、あの夢の事を話さない訳にはいかない。私が思い出したくもない、あの吐き気がするような夢。だから、言えない。それが例え親友のビビアンにも、大好きなフィリーにも…いや、二人が大切だからこそ私は言えない。
「ふふふ。何で嫌がるの?あれは貴方の願望を叶えた夢。それが見れて嬉しくないの?」
(あんなの…あんなの私の願望なんかじゃない!)
あれのせいでここ数日まともに寝られた試がない。目には濃い隈ができ、顔色も最悪だ。侍女たちは心配して医者を呼び、薬も出してもらったけれど一向に改善する様子もない。
―――リリナ
夢の話をされて、ついさきほどまで見ていた夢の残像が頭の中に浮かび上がる。甘い、蕩けてしまいそうな声。
同時に様々な映像が次々に浮かび上がり、私の頭の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜる。次いで混乱した意識に、呼吸が苦しくなり、私は胸を抑えた。
「巫女様!?誰か医者を!!!」
何が何だか分からなくなって、段々と暗くなっていく意識の端でビビアンが鋭く叫ぶのが聞こえた。
女が私を見てとても楽しげに笑っていた。
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次に目を覚ました時、傍にはビビアンだけが付いていた。
「起きた?気分は…まあ、悪いだろうけど医者を呼ぶ?」
周りに誰もいないので砕けた様子の彼女はいつも通りで、私がそれが嬉しくて気分は最悪だったけど、それに笑って首を振った。
どうやら、気を失ったらしいと気が付いて、久々に夢を見ないで寝たためか気分は悪いけど体は軽く感じた。
そして、女が部屋のどこにもいないことに安心して、私はビビアンから渡された水を飲みほした。
「朝よりは顔色はいいみたいね。全く最近、調子悪いのは知っていたけど、いきなり倒れるから吃驚したわよ?」
「ごめん」
「私はリリナから話そうという気持ちにならないなら、無理に話を聞こうとはしないつもりよ。だけど、皆、本当に心配している。陛下もさっき心配されてこちらに来たんだけど、あんたが寝ているって言ったら、そのまま帰られたわ」
ビビアンの言葉に思わず俯いていた視線が上がった。
「フィリーが?……何か言っていた?」
会えなかったのは残念だったけど、彼が私を心配してくれたというだけで心が温かくなる。
「体調が悪いなら無理をしないようにって、何かあったら伝言でもいいから伝えてくれって言ってたわ。陛下も王妃の事情聴取が近いから、いろいろ忙しいみたいよ?兄さんがそう言ってた」
「そう」
アイルフィーダの名前を聞いて、浮上した感情が急降下するのを感じた。
別に彼女が悪いわけではなくて、アイルフィーダに謝らないとと思っていたのに実行できていない事や、彼女に事情聴取などと言う重荷を背負わせた事への罪悪感をまだ自分の中で消化できていない事実を思い出したのだ。
少し元気が出たと思ったのに、再びふさぎ込んだような私にビビアンが気を取り直すように明るく言葉をかける。
「そういえばね。うちの母親がリリナに久しぶりに会いたいって言っていたわ。貴方が大好きなアップルパイを焼いて持ってくるって言ってたんだけど、気晴らしにどう?いつも同じ顔ばかりと顔を突き合わせていても気がめいるでしょう?」
「サーシャさんが?」
ビビアンのお母さん。正式にはサーシア公爵夫人は、私にとって第二の母親のような存在だった。
レディール・ファシズに来るとき、本当のお母さんとはお別れした。お母さんはオルロック・ファシズからは離れられないと言って、私とお父さんとは一緒に来なかったのだ。
辛くて悲しかったけど仕方がないと、最後まで一緒に行きたいと泣いた私をお父さんはそう言って慰めた。
こちらに来てすぐ、お父さんやフィリーとか知っている人は何人もいたけど、お母さんや故郷から離れ、更に巫女教育として教会に隔離されるようにして一人にさせられた私はホームシックにかかり泣いて過ごす日々が続いた。
そんな中、私に優しくしてくれたのがサーシャさんだった。彼女は銀色の髪に赤い目を持つ、先代の巫女を選ぶ際の巫女候補の一人で、私に巫女教育をするための教師として遣わされた人だった。
ビビアンのお母さんという事は、私のお母さんと同じくらいの年ごろのはずだけど、少女めいたような透明感のある優しげな女性で、私はすぐに彼女が好きになった。多分、別れたお母さんを彼女に重ねていたんだと思う。
彼女は優しいだけではなくて、厳しい所もあって、皆、私が巫女になってから巫女だからとちやほやする中、彼女だけは私の至らない部分に優しくも厳しく指導してくれていた。
そういえば、ここ数か月はフィリーの結婚や、舞踏会での襲撃事件などで慌ただしかったため、彼女にもあっていないことに気が付いた。
「うん…私も会いたいな」
「本当!?母も喜ぶわ。早速、伝えておくわね」
ビビアンの言葉に小さく笑いながら、私はサーシャさんになら私が今抱えている問題を話せるかもしれないと思った。
彼女なら絶対に私の秘密を誰かに漏らすようなこともないだろうし、巫女としての色々な秘密も知っている彼女には話しやすいと思ったのだ。
そう考えたら何だか気持ちが楽になって、お腹もすいてきたななんて考えていたら、部屋の外から控えめなノックの音が聞こえた。
ビビアンが対応して、外で少し誰かと会話をした後、私の所に戻ってくる。
「枢機卿がリリナのお見舞いに来ているわ。会えそう?」
「お父さんが?うん、今なら大丈夫。心配かけちゃったかな?」
娘の私が言うのも何だけど、あまり誰に対しても心配というものをしない父親が珍しいと思いながら、私は答えた。