11-10
ともかくファイリーンに話を聞かなくては始まらない。急いで後宮に戻るべく部屋を出ると、エドが廊下で立っていた。どう見ても、私を待っていた風だ。
「あれ?何でいるの?」
思わず思ったことがそのまま口をついて出ると、ムッとして顔を顰めるエド。彼も大概、私には遠慮というものがない。
「あんたは王妃なんだ。ここまでは陛下がいらっしゃったから良かったが、一人で後宮まで戻らせる事ができるか」
「なるほど」
イクシズと話していて、すっかり軍人時代の感覚になって自分の今の立場を忘れていた。何となく決まりが悪くて、誤魔化すように笑いながら言葉を続ける。
「えっと、とりあえず、ファイリーンを待たせているし急いで後宮に戻ろうと思うんだけど?」
下手に出て確認を取る様に問いかけたが、返事もせずにエドは無言で私に背を向けると歩きだす。異を唱える訳ではないので、了承という事なのだろう。
何となくイクシズとの会話の内容を問い詰められると思っていたので、無言なエドに拍子抜けの感もあるけど、話すことも無いので無言のままでいると、珍しく彼の方から声がかかった。
「なあ、あんたは昔、魔導研究所にいたんだよな?」
「あ、うん。そうよ」
「……俺もあそこの出身だ。陛下にはあの場所から連れ出してもらった恩義がある。それだけじゃないが、その時の事があったから俺は一生、あの人にお仕えする覚悟をした」
へえ、そうなんだと思いながら、『なんで突然そんな話をしだしたの?』と問いかけそうになるところを、エドがまだ話す気配がして何とか飲み込む。
「俺は魔導力の研究のためというより、人間兵器のためのモルモットで、研究成果を試すために実験と称して、荒地の魔物と戦わされることが多かった」
「そう」
エドの話がそこから何処に繋がるかは定かではないけど、彼の言っている事は理解できたので相槌を打つ。
彼の言う所の実験は私も経験がある。
「あんたも分かると思うけど、荒地の魔物相手に成果を試すにも、出くわす相手のレベルは運次第だ。弱い相手に当たればいいが、どんなに強くなっても人間である以上敵わない相手だって荒地にはゴロゴロいる」
仰る通り。そんな相手には出会わないよう祈るのと、出会ったらすぐさま逃げるか隠れるかするしかない。まあ、その類の魔物はともかくデカいと相場が決まっているので見つけやすいのが有り難い所だが。
「いつだったか、俺は運悪く逆立ちしたって敵わないような魔物にぶち当たった。研究者どもはモルモットの生死なんて気にするような輩じゃない。寧ろ死に物狂いの時の方が実力以上の能力を発揮するからと、そんな状況を喜んで、戦う事を躊躇する俺にさっさと戦えと催促してきやがった」
聞きながら、『あ~分かる』と自分も経験した状況に心の中で強く頷く。
「戦っても殺されるのは目に見えてる。逃げた所で使えない実験体だと処分される。どっちにしたって死から逃れられない」
エドが静かに立ち止まる。
狭い廊下ではエドが立ち止まってしまえば、私は前に進むことができない。真正面からぶつかる視線は、これまでにないほどまっすぐに私を射抜いた。
「だから、俺は戦って死ぬことを選んだ。研究者どもにゴミみたいに処分されるよりは、魔物に食い殺される方がまだましだと思ったんだ。死ぬ覚悟だったが、想像以上に魔物は強くてあっという間に殺されかけた。だけど、そこで助けが入ったんだ」
「あ、それがフィリー?」
恩義を感じていると言ったのは、その辺りが大きいのかと思って問いかけたら、あっさりと首を横に振られる。
「陛下は実験体だろうが、世界王の血を引く最高級の実験体だ。荒れ地に出す様な危険な実験をさせられるわけがない」
言いながら、気が付けば私に向かってエドは指を突きつけていた。
「あんただよ。王妃」
「……」
「荒地で俺が命を懸けても倒せなかった魔物を殺した女【被験体No.0】」
「急に何を言い出す―――」
「被験体Noは被験体になった順から付けられるが、被験体の人数を正確に把握し調整するために、前の被験体がいなくなれば繰り上がる変動制をとってる。だが、そのNoは1から。0は被験体Noにはない番号だ。No.0。それは既に被験体Noから除外されていたのに、想定外に生存していたあんたに付いた有りえない番号」
私の言葉を遮る様に言い切るエドに対して動揺を見せるようなヘマはしないけど、観念するしかないかと口を噤む。
「ずっと、似ているとは思っていた。だが、アンタを、No.0を見た記憶は十年以上前だし確証はなかった。それが、今日、はっきりした。あんたがかつて被験体であった事実、そして、あのイクシズと親しげだったことがその証拠だ。イクシズが【戻ってきたNo.0】のお目付け役だっていうのは有名だったからな」
【戻ってきたNo.0】っていう言い方は初めて知ったけど、研究所の人間なら隠してもいなかったから私の過去を知っている人間がいる事に驚きはしない。
寧ろフィリーたちが私の事を知らないことの方が奇跡に近いのか。いや、彼らクラスになると、私の過去というのも大したことじゃなくて、知っていて知らないふりをしているだけだろうか?
だから、油断していたというか、意表を突かれた。まさか、このタイミングで、エドに言われるとは思ていなかったのだ。
「俺が初めてあんたを知ったのは、研究者から聞いた話だ。十数年前に計画されたとある大規模な実験。百人近くの被験体が同時に実験を行って、結果、ほとんどが死んだって話だ。だが、同時に生き残った何人かの被験体は研究者たちから逃げ出した。研究所史上、全てが有りえない大事件」
あの実験は大失敗だった…と、後からサルマンが吐き捨ているように言ったことを覚えている。
あれはサルマン主導ではなく、他の研究員が行っていたものだけど、責任者であるサルマンが結局は全ての責を負う事となったらしく、得られたもの以上に彼にとっては失うものが大きかったらしい。
「実験の詳しい内容までは教えてもらえなかったが、結果、脱走した被験体たちは第三の箱庭に逃げ込んだものが多いと聞く。だけど、逃げ出しても、結果としては研究所に捕まえられた。あんた以外は。その後、どうしてあんたが研究所の追跡を振り切っていたのか、どんな生活をしていたのかは知らない。だが、俺が窮地に陥った時、研究所から逃げ続けているはずなのに、あんたは荒地で偶々その場に居合わせて俺を助けた」
はっきり言おう。エドを助けたという記憶はない。
だけど、似たような状況に遭遇して、少なくはない人数を助けた覚えはある。多分、エドが言っているのはその一つなんだろう。
当時、荒地の中の集落の多くを行き来していた私は望んではいなかったけど、第三の箱庭の人間や、エドのような研究所の被験体が魔物に襲われている状況に陥ってる状況に出くわすケースが何度かあったのだ。
まあ、そのまま見捨てるのは目覚めが悪いので、助けられるものはできる範囲で助けるように心がけていた。
「研究者たちはあんたが逃げ出した被験体だって知ってた」
「まあ、それを認識する装置みたいなのを体に埋め込まれているからね」
それは研究所にいた全ての被験体に当てはまる事だろう。サルマンの悪趣味で取り出すことは不可能だというそれのせいで、逃げられても隠れる事は不可能だった。だから、私のように逃げ出せたけど他の仲間は捕まった。
「それでもあんたは研究所から逃げ続けた。追いかけられても捕まらなかった……なのに、そんなあんたがそれから数年後、突然研究所に現れたんだ。No0が捕まったと聞いても信じられなくて、だが、俺はイクシズ達と一緒にいたあんたを見てそれが現実だと分かった」
これまでエドが私に妙に頑なだったのは、フィリーに対する感情だけでなく、今、彼が語っている部分が疑心暗鬼としてあったのだろう。
「なあ、あんたに会うことがったら聞きたいと思ってたことがあるんだ」
だから、私に対して確信がもてた今、エドが何を聞いてくるのか非常に怖かった。正直、聞かれて困ることの一つや二つどころじゃなくある。言いたくないことだって山ほどある。
フィリーたちがその辺りを追及してこなかったのでラッキーと思っていたのに、フェイントもいい所である。
「あんたは一体、何者なんだ?」
それは端的な問いかけのようで、非常に抽象的な問いかけでもあった。
「言っとくが、世界王妃だとか、そんな回答を求めてる訳じゃない事は分かっているよな?俺が聞きたいのは、あんたの立ち位置…いや、どうしてあんたがその立ち位置に立っていられるかということだ。あんたは魔導研究所にも、第三の箱庭にも、前世界王にも繋がり、今は陛下の近くにある。ただの普通の人間が、これほど多くの世界に重要な存在と繋がっている立ち位置に立っていられる?」
言いながらぐっと肩を掴まれた。
エドなりに色々私の事を勘ぐって、溜めこんでいたものがあったのだろう。興奮している彼からはいつもの冷静さが失われている。だけど―――
「おかしいって言われても、私が特別な存在じゃないのは、さっきのサルマンの説明でもわかるでしょう?無魔導者も今じゃ大して珍しい人間じゃ―――」
「そんな事、信じられるか!」
肩を掴む手に更に力がこもって痛い。
色々と思い込みが激しいエドに付き合って、ファイリーンから話が聞けなくて苛々し始めていた私は、目を細めて彼を振り払おうと体に力を込めた…その瞬間だった。
―――ピーピー
突然、場にそぐわない電子音が聞こえて、私もエドも我に返る。
私は何の音かも分からなかったけど、エドには何かがすぐに分かったらしい。耳の片方だけに付けたイヤリングに手を当てている。
「はい。ええ、王妃と一緒です。今から後宮に戻るところで―――」
一人で何かに向かって返事をしている……どうやら、あのイヤリングは通信機のようなもののようだ。エドに何か連絡が入ったのだろう…と、とりあえずはほっと息をしていると、エドが大きく叫んだ。
「後宮に賊が!?」
有りえないと言わんばかりのエドの言葉で、大体を察した私は彼を狭い廊下の壁に押しやって駆けだした。
「うわ!え、あっ…まて!!」
背後から呼ぶ声が聞こえたけど、そんなものに振り返っている暇はなかった。
先日の後宮襲撃に加えて、舞踏会での一件、後宮や城はより一層警備を厚くしていた。ヤウの結界はより強力なものになったし、転移装置らしきものは全て撤去したはずだ。
完璧とは言えないのかもしれないけど、それに近い形で城は守られているはずなのだ。そこに『賊』?
―――予感がした
只管に嫌な予感。
私はそれに押しつぶされそうになりながら、ただ、後宮へと駆けた。
色々と気になるところですが、これにてアイルフィーダ視点による第十一章は終了です。ここまで読んで頂いてありがとうございました。次回からはエド視点による閑話を挟んで第十二章になります。
実はエド視点による閑話はつい先日まで拍手小話にしていたものを修正加筆したものです。本編にあんまり関わらないかな…と小話に回しましたが、第十一章の最後の最後でエドが出張ったので閑話を本編に持ってきます。小話とだぶる部分はありますが、内容はかなり加えるのでそちらを見て頂いている方も楽しんで頂けるかと…。ちなみに前後編になる予定です。
拍手小話については新しいものに差し替えています…とはいっても、かなり短いお遊び企画なので期待しないでくださいね。(という訳で拍手は更新されましたが、『愛していると言わない』小話集の方は更新していません)
そして、その後の第十二章はアイルから再びリリナカナイ視点へと変わる予定です。更新が遅くて中々話が進まず申し訳ない限りですが、のんびりでも進んでおりますので今後も『愛していると言わない』にお付き合い頂けると幸いです。