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『第三の箱庭』
オルロック・ファシズの人間だろうが、レディール・ファシズの人間だろうが、行ったことのない人間にとっては、その存在はお伽噺か噂程度の曖昧な存在でしかない。
それは第三の箱庭が両陣営に無関心であり、接触を試みようとしたことがない事、そして、その存在が容易に足を踏み入れる事の敵わない荒地の中にあることが大きいだろう。
ちなみに第三の箱庭と一括りに呼称されているから紛らわしいが、荒地に巨大国家がデデーンと存在する訳ではない。
だだっ広い荒地にはそれこそ家族単位の小さな集落から、規模としては都市並みのものまで、数限りない集まりが存在し、それらは協力関係にあったり、敵対したりしながら共存している。第三の箱庭というのは、そのあり方を良く理解していない、陣営の学者などが勝手に付けた総称に過ぎないのだ。
なので、『第三の箱庭が~』と言ったところで、それは必ずしも荒地の総意でないという事を常に頭の中に入れておかなくてはならず、荒地の中の一つの集まりを知っただけで、第三の箱庭全てを理解したとは到底言えない話なのだ。
よって、イクシズは私が第三の箱庭に精通していると言ったが、私が知りえる情報というのもその全てに至る訳もなく、彼の問いに100%答えられる自信はない。
「それで聞きたい事って何?」
だから、気が乗らないとは言わないけど、協力できなかったら仕方ない。私はそんな軽い気持ちだった。だけど、そんな気持ちは一瞬で吹っ飛ぶ。
「偽王が消えた」
発せられた言葉は私に対して親切な質問ではなかっただろう。端的なそれは質問の体裁すらとっていない。
だけど、その言葉の意味を私は瞬時に理解した。また、それが分かる私だからイクシズも、煩わしい説明を抜きにして、ただその事実だけを告げたのだろう。
「消えたって…どういう事?」
「言葉通りさ。駐在員からの定時連絡で、偽王の力がレーダーから消えたという報告があった」
「<シャンドラ>から何か連絡はないの?」
「<シャンドラ>の駐在員から、その定時連絡を最後に連絡が付かなくなっている」
いよいよ、きな臭い予感がしてきて、私は眉間に皺を寄せる。
<シャンドラ>というのは第三の箱庭の中でも大きな力を持つ集まりで、偽王を指導者とする都市だ。
そのため、ここ十数年で急速に第三の箱庭と関係を深めてきたオルロック・ファシズとしては、シャンドラとの関係を密にすることは急務であり、2年前常駐の駐在員を置くことになったのだ。
なんて説明すると平和的な関係に見えそうだが、それはあくまで建前だったりする。
そこに至るには様々な確執があり、数年間まで戦争状態であったことは記憶に新しく、未だに強い緊張状態にあることは言うまでもない。
そんな関係であるシャンドラが一方的に連絡を絶った。そこから導き出せる答えは少ない。
「シャンドラに追加で部隊は派遣したの?状況確認は?」
「第五部隊を一週間ほど前に送ったが、これも連絡が取れなくなり、音沙汰がない」
一部隊を送って連絡が取れず、音沙汰もない。
事故や魔物の襲撃、その理由は色々な可能性が考えられるかもしれない。だけど、ここまでの話を聞いて一番可能性があるのは―――
「シャンドラがオルロック・ファシズを裏切った?」
「現状ではそう考えざるを得ない。更には偽王がレーダーで感知できないという事は、シャンドラから彼が外に出たという事。そもそも、それ自体、戦後条約違反だ。軍部も議会も今回の事を非常に重く受け止めている。シャンドラ、いや、第三の箱庭が再びオルロック・ファシズに牙をむいた…と」
「ちょっと、待って。シャンドラがその状態だからって、第三の箱庭全体の総意じゃないことは分かっているでしょう?他とは連絡が付かないの?」
先に説明したように数年前まで、オルロック・ファシズとシャンドラは交戦状態にあった。間違ってほしくない。交戦状態にあったのは、シャンドラだけであり第三の箱庭全てではない。
オルロック・ファシズはシャンドラの『とあるモノ』が欲しく、シャンドラはそれを決してオルロック・ファシズには渡したくなかった。
オルロック・ファシズは全面降伏を要求した。ここで対したのが力のない集まりであれば、とっとと降伏して話は終わっていたかもしれない。だけど、幸か不幸かシャンドラにはオルロック・ファシズに対抗するだけの力があったのだ。
結果、二つは交戦状態に入る。
戦いには2年以上の時を有し泥仕合の様相を呈した。最終的にはオルロック・ファシズが勝利をおさめる形となったが、それはほとんど引き分けと言っていい。
何しろシャンドラの力を舐めまくっていたオルロック・ファシズとしては、ここまで戦いが長引き、軍部が疲弊すること自体が想定外だった。噂では後、数カ月戦いが続いていたら軍部は崩壊していた可能性が高かったというのだから、その疲弊具合の酷さが分かるだろう。
よって、戦後、シャンドラに置く駐在員という名の監視の軍人たちすら二、三十人配置するのがやっとであり、今回のような危機的状況に対してそれを押さえておくだけの軍事力を置くことすら叶わなかったのだ。
また、その疲弊の要因の一つとして、戦時中、基本的にシャンドラとその他の集落の違いを分かっていないオルロック・ファシズの軍部は、シャンドラを攻めていると思いながら、関係ないその他の集落も襲撃することも少なくなかった事が上げられる。
シャンドラ程の力を持つ町は少なく、襲われた町や集落をオルロック・ファシズは一方的に蹂躙するだけだったが、それでも軍部は物資や人員を割かない訳にはいかない。
そして、基本は対荒地の魔物の対策しかとってこなかった人々にとってオルロック・ファシズの軍部は想定外の侵略者であり、その傍若無人さは彼らの平穏を根こそぎ奪っていき、一方的な暴力は振るっている方だけではなく、それを与えている軍人たちの精神も疲労させていった。当時の軍人で生き残っている人のほとんどは、二度と軍に戻ろうとはせず、精神的に参ってしまった人も少なくないと聞く。
私はその悲劇とも惨劇ともいえる状況を目の当たりにしていたので、軍部に入ってまず訴えたことはシャンドラとその他の集落の違いを認知させることだった。だというのに―――
「そんな事はお偉方には関係ないんだろう。彼らにとって他の集落が何といおうと、シャンドラが敵になれば、荒地すべてが敵になる。せめて、他の集落からシャンドラの情報でも入ればと思ったが、それもなくてな……」
「私が訴えてきた事は相変わらず無視されているのね。これだから軍部の頭でっかちはっ!」
「お前の言いたいことは分かる。だが、偽王とシャンドラに何が起こっているか分からない現状では、オルロック・ファシズを守るためにもシャンドラと再び戦争になる可能性が高くなる。そうすれば、また、第三の箱庭全部に戦火が広がる……俺はそれを止めたいんだ。頼む、力を貸してくれ」
言いながら、無表情ながらにイクシズが頭を下げる。
「私だって気持ちは同じよ。だけど、今の私にできる事なんて―――」
そもそも第三の箱庭について申し送りできることは、全て情報部の人間に申し伝えてある。
「分かっている。俺だって散々考えた。だけど、お前に頼る他に思いつくことすらできなかったんだ。情けないと思ってくれていい。だが、お前なら偽王と直接の面識もあるだろう?シャンドラで何が起こっているか予想は付かないか?」
オルロック・ファシズとしては先遣隊が帰ってこない以上、次に送る部隊はシャンドラとある程度の事を起こしても大丈夫な程度の軍事力を持たせるのだろう。
万が一にシャンドラが再びオルロック・ファシズに反旗を翻す意思があるとして、シャンドラにはその覚悟があるのだろう。だけど、他の第三の箱庭の集落はどうなる?シャンドラに追随する集落ばかりだとも思えないし、多くは関係ないのにまた戦いに巻き込まれることになる。
脳裏をよぎるかつての戦時中の様子に私は首を小さく振る。あんな惨状は誰だって望んでいる訳がない。
「私だって協力を惜しむつもりはないわ。だけど、偽王とシャンドラと連絡が取れないというだけでは、可能性が数限りなくて絞りきれない。言っておくけど、レディール・ファシズに来てから私は第三の箱庭とは連絡一つとっていないのよ?」
「……そうだ。それは理解している」
「だったら、まずは私がこっちに来てから連絡が取れていた時の事を教えてくれない?そこから気が付くこともあるかもしれないし」
言えば、イクシズも心得たように私が軍を辞めてからのシャンドラの情報を教えてくれる。
冷静な彼ならとりあえず、すぐに私にその話をしてもよさそうな所を、いきなり答えを要求してくるなんて無茶ぶりをしてくるあたり、見えないけどイクシズも動揺しているのかもしれない。
彼もかつての戦いに参加している以上、思うところがあるのは間違いない。自分を落ち着かせるように一つ息を吐くと、イクシズは語り出した。