11-6
「『神に見捨てられた』?」
困惑の色を隠そうともしない声音でそう呟いたのは誰だったのか。反応を直視したくなくて視線を落としていたから、分からない。
その素直な反応は予想の範囲内ではあったけど、やはり嫌だなぁと思う一方で、その疑問は私の正体…というほど大したものじゃないけど、それが理解できていないという事で何となくほっともする。まあ、すぐに分かってしまうんだけど。
レディール・ファシズではオルロック・ファシズよりも認知度や差別意識が強いんじゃないかと危惧していたけど、それは一部の事なのかもしれないと認識を改める。
ともかく、これ以上サルマンに好き勝手言われたり、皆の思考を誘導されるのも癪である。私は沈む気持ちを奮い立たせて、画面の向こうの彼女に視線を戻した。
「サルマン。そんな抽象的な言い方は科学者にあるまじきものなんじゃないの?要するに私が【無魔導症】なんだとはっきり言ってしまえば早いのに」
【無魔導症】とは読んで字の如し、魔導力を持たないというか、持てない病気・障害のことだ。
この世界のありとあらゆる生物は魔導力を有していて、その魔導力は基本自分の体で作っている。魔導力を作ることは生物が生きていく上で必要不可欠な事であり、人間だけでなく、動物であろうが、植物であろうが、昆虫であろうが、はたまた大地やその辺に転がる石ころにだって魔導力を作る。作れなければ世界に存在ができない。(その作り出せる魔導量には生物差、個人差がある)
なのに、近年、何千に一つの確率で全く魔導力を作れない生物が現れ始めた。これは人間に限ったことではなく、全ての存在に共通した。
研究者はそれを無魔導症と名付け、研究を始めたが、その発症理由。改善方法共に全く不明。そもそも、病気や障害だと言いつつも、無魔導症の生物は基本的に生きる事に事欠かないという事実も特筆すべき点だろう。
本来なら生きる糧として自分の中で生み出し続けるその力。それを持たぬ生き物は理屈からすれば、産まれた瞬間に息絶えてしまうだろう。だけど、【無魔導症】の私はこうしてぴんぴんと生きている。その理由は―――
「いやねえ、アイルフィーダ。科学者ほどロマンチストな人種はいないものよ?まあ、端的に言えばその通りだけど。それじゃあ、味気ないでしょう?」
真っ赤なルージュが笑みを形作って、ザワリと胸が騒ぐ。
それを感じて、いや、その前から私は確信していた。私はこの女が嫌いだ。いや、誰であろうとドクター・サルマンが嫌いだ。
「彼女の能力は研究者の間では、【魔導吸収能力】や【吸血能力】なんて色々言われているけど、それは要するに無魔導症の症状にすぎないわ」
「症状って―――」
「あら?皆さんは無魔導症についてはあまり良くご存じないのかしら?そこからご説明したほうが良いのかしら?」
戸惑う声にころころと小気味良くサルマンが笑う。
「そんなもん、知っているに決まっているだろうが」
それにムッとしたようにレグナが反論したが、フィリーやオーギュストは事実を吟味するように沈黙を守っている。二人が何を考えているか知りたいような気もしたが、私は視線を外して考えないようにした。
「無魔導症の人間が増加傾向にあることはレディール・ファシズでも問題視されている事項の一つだ。生まれつき魔導力を作れない…治ることのない病。だが、それだからといって魔導術が使えないということ以外、特段生活に支障はないんだろう?まあ、差別の対象にもなっている事は否めないが」
【神に見捨てられた人間】、サルマンのこの例えは別に私が特別な出自だとか、ものすごい運命を背負っているとか、そんな大げさなものではなくて、単に無魔導症を表すレディール・ファシズでの隠語にすぎない。
魔導力は神が与えた人間への贈り物と考えているレディール・ファシズでは、無魔導症の人間は神から贈り物をもらえなかった【神に見捨てられた人間】だという事らしい。
隠語とはいいつつも、それは無魔導症の増加と共に認知度が高くなっていると聞いていたから、サルマンの言葉にすぐに私が無魔導症だと気が付くかとも思ったんだけど、皆すぐにピンとはこず、意味深な物言いに困惑してしまったようだ。まあ、その言葉の字面だけ考えれば、どんな大きな告白が待っているのかと身構えるのも仕方ない。
「なるほど、生きるのには支障がない…と、では、彼らはどうして何事もなく生きていられるのかしら?」
「え?」
「生物が生きるためのエネルギーが魔導力よ。ほとんどの生物はそれを自らの中で造りだしている。なのに、無魔導症の生物にはそれができないのよ?なら、彼らはどうして生きていられるの?」
サルマンの問いかけに、一同が間違えようのない答えに辿り着く。皆、先日の舞踏会での私が起こした惨状を思いだしている事だろう。
「……他者から魔導力を吸収しているのか」
「他者というのは語弊があるわね。基本的に無魔導症の生物が必要とする魔導力は非常に少ないというデータがあるわ。それは大地や植物が空気中に排出している魔導力で十分まかなえる量。彼らは基本的にはそこから自分たちが生きるための魔導力を得ているのよ」
「だが、王妃は!!」
「私も基本、指輪さえ外さなければ人から魔導力を奪う事はないわ。今、魔導力を吸い取られているような感覚がある?」
人聞きが悪いことを言うなと、レグナを睨みながら私は指輪の嵌る手をヒラヒラさせた。
「そう。その指輪、先先代のサルマンが与えた制御装置さえあれば、アイルフィーダもごく普通の無魔導症の人間と変わりないわね」
「王妃は何者なんだ?」
一瞬だけ静まった部屋に響く緊張感を孕んだ問いかけをしたのは……オーギュストだった。
「何者?説明した通り、アイルは基本的には普通の無魔導症の人間よ?」
その緊張感を嘲笑うかのようなサルマンの呆れを含んだ声に、オーギュストの声色が低くなる。
「だが、その『普通』の前には『基本的には』『指輪さえあれば』という言葉が付くのだろう?私が聞いているのはその理由だ。答えろ、サルマン」
まあ、オーギュストの疑問はもっともすぎるものだろう。
無魔導症の人間を見たことはあっても、彼らが人間から魔導力を吸収する場面なんて見たことがあるはずがない。
「あらあら、良く見たら貴方はオーギュスト・ロダンね?相も変わらず貴方はニーアの傍にいるのね?それは貴方の忠誠心?罪悪感?それとも歪んじゃった友情とも愛情とも似つかわしくない執着?」
「!?」
「ふふふ、先代たちから貴方たちの話は沢山聞いているのよ」
サルマンが何を知っているか分からないけど、その言葉に飄々としているオーギュストの雰囲気ががらりと変わった。殺気立つ気配に彼の近くにいたレグナやウォルフが顔を強張らせる。
「そんな話は今は―――」
「そうね。今は関係ないわね」
だが、この場にいないからか、はたまた彼の殺気なんて気にしたことでもないのか、サルマンはあっさりと話を元に戻した。
「確かにアイルの無魔導症の症状は制御が必要なほどに強いわ。強い…というのにも語弊があるわね。普通は生きるのに必要なだけしか吸収できない魔導力をそれ以上に吸収し、ましてやそれを自ら制御することもできない。もし、その制御装置がなかったら、どうなるか貴方たちは知っている?」
「いや…」
「制御装置がなければアイルは生きている限り魔導力を吸収し続け、最後は彼女が保有できる魔導力の限界を超えて死に至る。この力は彼女にとって戦力にもなるでしょうけど、命を奪う危険も孕む諸刃の剣。強い無魔導症というよりは、正常ではない無魔導症と言った方が正しいわね」
大体、無魔導症に強いも弱いもないだろう。
魔導力を有している生物には、その造りだせる量に差があるから強弱があるだろけど、無魔導症は魔導力0以外には有りえないし、基本的に吸収できる魔導力は多くすることも、少なくすることもできず、本当に必要最低限だけなのだ。私のように無理やり変えられた無魔導症の人間以外は。
「ちなみに、どうしてアイルが正常ではない無魔導症かといえば答えは簡単よ。ちなみに、彼女も昔は正常な無魔導症の人間だったのよ?だけど、彼女は魔導力研究所での実験の結果、正常ではなくなった。それで答えになるかしら?」
母親がいなくなって、私はすぐに魔導研究所に入れられた。多分、4、5歳の頃。それからずっと無魔導症の被験体として私は実験を受け続けてきた。
「レディール・ファシズでは無魔導症を差別したり、問題視するだけで大した研究も行われていないみたいだけど、オルロック・ファシズでは、というか私はこの現象に非常に興味があるの。だから、長い時間をかけて研究を続けてきたわ。そして、色々面白い事が分かってきた。アイルの力はその極一部。私の研究が立証された結果にすぎないわ」
『極一部』『結果に過ぎない』…まあ、サルマンにとってはそれに尽きるだろう。話の流れから、この話題を避けて通れないのは分かっていた。
だけど―――と、私は強く拳を握りしめた。
甦る記憶から逃げたくて瞑った瞼。その裏にすら焼きついた記憶。それは私にとって口にするのも、思い出すのも辛い過去。
あの頃があったから、今の自分がある。そう知っていても、私はこの先、自分の口からその過去を語ることはないと思う。
それはその過去を忘れたいからかもしれない。だけど、多分、同時にあの時を忘れたくないからだとも分かっていた。
しばらく、サルマンに会っていなかったから大丈夫だと思っていたけど、やはり本人を目の前にすると抑えきれない感情が私を揺さぶる。
「今となってはアイルと同じ能力を秘めた無魔導症の人間も少なくないのよ?どう?人間兵器として中々に有効だとは思わない?」
『人間兵器』?誰が?私が?あの子が?
サルマンの言葉に一々腹を立てることがどれだけ愚かで、怒りに打ち震える事がどれだけ労力の無駄かは分かっている。
だけど、ふつふつと記憶と共に湧き上がる感情に、体中に力が入り音を立てて軋んだ。
「今の子たちには更に改良を加えて―――」
「いい加減にっ」
更に言葉を続けようとするサルマンに我慢できなくなって、私が声を上げた瞬間だった。
―――ガンッ
大きな鈍い音が部屋中に響いて、私だけじゃなくて全員が彼を振り返っていた。珍しくサルマンも大きく目を見開いて、彼を見ている。
「に、ニーア?」
それまで何の反応も見せていなかった突然のニーア、もといフィリーの突然の行動に誰もが驚きを隠せない。
にこにこと笑っているというのに、その手にはいつ抜いたか分からないけど抜身の剣が床を抉って、しかも、熱を発しているのか蒸気を上げている。
「ニーアではありませんよ。ドクター?私は現世界王フィリー・ヴァトルだと先程申し上げましたよね?」
丁寧な言葉、優しげな声。にこやかな笑み。
なのに、何故だかその全てに恐れおののきたくなるような気分になったのは、どうやら私だけじゃないらしい。部屋にいた全員が一歩フィリーから同じタイミングで後ずさったのだから。