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この世界の大半は死の世界【不入の荒地】で覆われている。
神の恩恵があるレディール・ファシズの領域【神の揺り籠】と、科学によって発展を遂げたオルロック・ファシズの領域【緑土】とは、何もかもが違う大地。
寒暖の差が厳しく、食べ物や飲み水もない。更には魔物が跋扈する荒れ果てた大地。人が生きる事が厳しく、辛い場所。
それでもその大地に生活している人間はいる。
もっとも、それを知る人は少ない。というか、彼らは<荒地の蛮族>と呼ばれ、存在自体がお伽噺のようにあやふやだ。
何故、荒地に比べれば楽園ともいえる二つの陣営に属そうとせず、死の大地で生きようとする人間がいるか、その疑問に私は答えを持たない。
だけど、その存在が実在していることは確かだ。そして、彼らは今もあの大地で逞しく生きている。
さて、どうして突然、こんな説明を始めたかと言えば、ファイリーンの話に続く。
「教会がカインや姉の事を隠そうとする理由は、恐らくカインが<荒地の蛮族>だからでしょう」
私はレディール・ファシズでその言葉を聞こうとは思いもよらなかったので、声には出さなかったが内心では驚いていた。
理由はいろいろあるけど、オルロック・ファシズでも荒地に人間が生きているという事実は自治議会や軍部など、一部の人間のみが把握していて、一般的には知られていない。(噂やお伽噺はある)
ましてや、教会が支配するレディール・ファシズにとってオルロック・ファシズ然りだけど、神を捨てたものは許されざる存在だ。
オルロック・ファシズについてはその存在が大きすぎること、また、敵対する存在の確保として存在自体は認めているが、<荒地の蛮族>そして、彼らが住まう領域【第三の箱庭】については、情報統制によりお伽噺にすらその名前は出てこないと聞いていた。
実際、背後ではルッティが『アイルフィーダ様、何のお話ですか?』なんて疑問を投げかけてくるのだから、その認識は間違っていないのだろう。
それをどうしてファイリーンが知っているのか。私は彼女に続きを求めた。
「教会はカインの登場で今回の一件に<荒地の蛮族>が関わっている事に気が付いたのでしょう」
カイン・アベル=<荒地の蛮族>が成り立つほどの人物らしい。同時に恩人でもある男と、ファイリーンは何処で知り合ったのだろう?と疑問が頭をもたげる。
「<荒地の蛮族>【第三の箱庭】…教会はこの二つに非常に敏感です。怯えていると言っていいほどに。だから、それらに関わるくらいなら、全てを知らないふりでアイン枢機卿のせいにして幕引きをしてしまうのが彼らにとってのベストな選択なのでしょう」
「怯えるって…どうして?信仰とかけ離れているのは分かるけど、それならオルロック・ファシズ同様に敵視すればいいだけの事でしょう?」
私が<荒地の蛮族>や【第三の箱庭】について知識があるのは、オルロック・ファシズの軍人だった事など、浅からぬ縁があるからだ。だけど、ファイリーンが示唆するレディール・ファシズとの因縁めいた部分は見当もつかない。
「本気でそのように仰っているのですか?アイルフィーダ様は【第三の箱庭】については私よりお詳しいはずなのに」
先程から彼女にしては珍しく奥歯に何かが挟まったような物の言い方。更には理由は知らないけど、彼女は私が何かを知っている前提で話を進めたがっている。
その理由に心当たりがなくて、同時に彼女が『何』を知っているのか警戒する。
「オルロック・ファシズの軍人だったから。まあ、普通の人よりは知っていることも多いわね」
「軍人……そうなのですか?」
「ええ。ファイリーンはその話をしているのではなかったの?」
どうやら、私の軍人時代の話を持ち出したい訳ではないらしい…では、ファイリーンは私に何を言わせたいのか。
戸惑ったように視線を揺らす彼女は、私が見たことがないように頼りなく、悲しそうな表情を一瞬だけ浮かべると、それをすぐに消した。
「……申し訳ありません。アイルフィーダ様、今の話はまたお忘れください」
明らかに落胆した様子のファイリーンに、私の中の戸惑いがますます大きくなる。
だけど、私のあずかり知らない所で、私のことで勝手に得心したり、落胆されたりされるのは何となく気分が悪い。問い詰めるつもりはないけど、その辺りをはっきりさせたくて視線を落とす彼女に声を掛けようとした瞬間だった。
部屋にノックする音が響き、次の瞬間には扉が開く。
「アイル、話があるんだ……と、まだアルマ博士の講義は終わっていなかったのか。すまない」
現れたのはフィリー。
ちなみにアルマ博士というのはファイリーンの事。彼女の本名はファイリーン・アルマで博士号をお持ちなのだ。最初は私もそう呼ぼうと思っていたのだが、何故だかファイリーンに名前で呼ぶように言われて、『アルマ博士』とは呼んだことは無い。
「ごきげんよう陛下。この度は謹慎中の身にも関わらず、私を再び王妃様の講師として頂いたことのお礼を申し上げます」
のんびりと座ったままの私とは違い、ルッティはすぐさまフィリーの席を用意し、ファイリーンは立ち上がるとそう言って優雅に一礼する。
「いや、こちらこそ無理を言って申し訳なかった。……何?微妙に機嫌が悪い?」
ファイリーンににこやかに声を掛ける何とも間の悪いフィリーに、『空気を読め』なんて内心、悪態をついていると、どうやらそれが顔に出ていたらしくフィリーが眉を片方だけ上げる。
「別に何でもないです。それより話って?昼間から後宮に来るなんて珍しい」
基本、毎晩後宮に来ているフィリーだけど、昼間に来ることはほぼないと言っていい。彼は彼で日々、仕事が忙しいのだ。それなのに、伝言ではなく彼がわざわざやってくるという事は何かがあったと思っていいのだろう。
するとフィリーはファイリーンをちらりと見やる。
「アイルにすぐに来てほしい所がある。勉強の途中で悪いが、一緒に来てくれないか?」
言いながら用意された席に座ることなく、私に手を差し出してくるフィリーに、私は首を横に振る。
「私、今はファイリーンから話を聞いていて―――」
「アイルフィーダ様。私の話なら後でも大丈夫ですわ」
フィリーが私に何の用があるかは分からないけど、それよりいよいよ核心に迫ろうとしているファイリーンの話の方を優先しようとしたけど、それをあっさりと断られた。
「陛下に遠慮しているのではありません。私もお話しするにあたって、少し自分の中で色々な事を整理する時間が欲しいのです。アイルフィーダ様にきちんとご説明したいので」
一見すると優しい気遣いのようにも思えるが、ファイリーンの先からの私に対する含みのある言葉や戸惑ったような様子から、その言葉通りに受け取るのも難しい。
(ここはファイリーンに冷静になられる前に色々聞いておきたい所なんだけどな)
それでも悲しげな様子を隠すことができないファイリーンに、これ以上の追及も可哀そうな気がする。さて、どうしたものかと迷っているとフィリーが座ったままの私の耳元で囁く。
「オルロック・ファシズのドクター・サルマンから連絡が入っていて、アイルを出してほしいと言っているんだ」
その囁かれた内容もさることながら、耳元にかかる息のくすぐったさに私は驚いて立ち上がる。
「いきなりっ耳元で喋らないで!」
「アイルは耳が弱いのか」
「ち、違う!」
妙に嬉しそうに言われて、勢い良く言い返すけど、それが却ってフィリーの想像を確信へと変えてしまう事に後から気が付く。
私の馬鹿!と自分で自分を罵ったけど、後悔先に立たずである。爽やかに笑いつつも妙に癪に障るフィリーの表情と、その後ろで輝くばかりの笑顔でこちらを見ているルッティに頭痛がした。
その横でさぞ白い目でこちらを見ているだろうファイリーンを予想したけど、そこには私たちの事なんてまるで目に入っていないかのような心ここにあらずな姿。
やはり何かあるは思いつつも、サルマンの名を出されては私もフィリーに従わない訳にはいかなかった。
「……じゃあ、少しフィリーと行ってくるけど、ファイリーンはこのまま私の部屋にいてくれる?ルッティも一緒に」
「分かりましたわ」
「かしこまりました」
声をかければいつも通りの完璧な美しい微笑みを見せるファイリーン。だけど、部屋を出る瞬間に閉まっていく扉越しに見た彼女の表情は、とても悲しそうで、辛そうだった。
(何がファイリーンの心を苦しめているの?私にかかわる事なの?)
考えても、パタンと音が鳴って閉じられた扉でファイリーンの姿が見えなっても何も思いつかないまま、
「いくよ、アイル」
「あ…うん」
とりあえずフィリーに急かされるままに、私は後宮を後にするにしかできなかった。
久々ですが拍手の小話を新しくしました。
皆様の記憶に古くなってしまっているとある人物視点のお話です。本当は閑話<声に出して言いたい>にしようと思って温めていたものだったのですが、時機を外したので拍手に回しました。ご興味がありましたら見て頂けると幸いです。
また、アルファポリス様のwebコンテンツ大賞に参加させて頂いていたんですが、何もお知らせしていなかったのにもかかわらず投票して頂いた皆様、本当にありがとうございました。更新も遅いのにもかからず、たくさんのポイントが入っていて感謝の気持ちで一杯です。
長々と続いてしまっている物語ですが、これからもよろしくお願いいたします。