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「そういう訳で近々、教会から事情聴取を受けることになるから、今日はそれにあたって最低限知っておかなくてはならい事を教えて欲しいの」
アイン枢機卿の告解の儀が終わって数日後、私はここ暫く枢機卿との面会などで忙しかったため、会っていなかったファイリーンを後宮に招き、事情を説明し協力を仰いだ。(事情とはいっても、色々と端折った感じで先日の舞踏会での詳しい部分は伏せてあるけど)
先日、話し合った…というか、半ばオーギュストと私で無理やり押し切った形で警護の人間を近くに配するという条件で事情聴取には私一人が行くこととなった。
だけど、実際の事情聴取に際して、基本的にまだまだ不勉強な教会やらレディール・ファシズ事情をおさらいしなくてはと思ったのである。
誰が出てくるか、何が飛び出してくるか分からい以上、何かを聞いてそれが重要な事だと分からないと困るし、思わぬことを言ってしまって後々問題になっても大変だ。
一朝一夕で全てを理解できるんだったら、今更焦ったりしていないけど、やらないよりやった方がましだろう。
「……はあ」
美しく化粧された顔を盛大に歪めて(それでも綺麗なお顔は崩れない)ため息をつかれる。
最初はそういった不快感を露骨に出す態度に怯えていたが(だって、綺麗な人に嫌われるのって嫌じゃない?)、ファイリーンと接する時間が長くなるにつれて何となく理解する。彼女は『ツンデレ』なのだ。
この『ツンデレ』なる言葉を教えてくれたのはルッティなんだけど、私の理解が間違っていなければ、本当は相手と仲良くなりたいのに、照れ屋が行き過ぎるてつい強硬な態度になってしまうという不器用な人の事を指すらしい。
そして、ときにその『ツン』な仮面が剥がれて『デレ』っとなるとか、ならないとか…上手く説明できなくて申し訳ない。なにせ色々熱く語られたけど、半分も理解できなかったので解釈は違うかもしれない。
何しろルッティ曰く、『ツンデレ』は美味しいらしいけど、私にはその辺りが全く分からない。
ともかく、このファイリーンの『ツン』な態度が実は『デレ』な裏返しかと思えば、それに一々怯えるのも馬鹿馬鹿しく、却って彼女が可愛く見えるから不思議である。
「まったく、貴方という人はここまでの私の講義をきちんと理解されていれば慌てなくても良かったものを」
「ごめんなさい」
まったくもって仰る通りなので、言い訳も釈明もできない。素直に謝ると、きりりと冷たい表情が崩れて、ほんのり頬が紅潮する。ルッティ曰く、これが『デレ』?らしい。
「ま、まあ。そのように反省なさっていらっしゃるならよいのです」
「えっと、それはまた教えてくれるってことでいいの?」
微妙に分かりにくい彼女の意思表示に思わず聞いてしまうと、ぴくりと崩れかけていた表情が引き締まった……顔は赤いままだけど。
「言っておきますが、仕方なく!ですわよ?貴方が恥をかくだけならまだしも、貴方が私の生徒である以上、貴方の恥は私の恥となるのですから!!だから、仕方なく教えて差し上げるのです!!」
どうやら、教えてくれるらしい。ほっとしつつも、一々つっかかってくるファイリーンを面白いなと思いつつも、難しいなぁと内心で苦笑する私であった。
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まあ、予想はしていたけど、以上のような始まりであった本日の講義という名のしごきは、かつてないほどの厳しさを極めた。
私も今回は本気で学ぶ姿勢だったので辛いばかりではないけど、もともと勉強とか得意な方ではなかったので精神的な疲労感が重たい。
「ふはあ…ほっとする。ルッティ、美味しいお茶をありがとう」
「いいえ!」
だから、こうして休憩に入った時のお茶を飲んでほっとして吐いた息が思わず大きくなる。
「アイルフィーダ様、はしたないですわよ」
「あーごめんなさい」
「『あー』は余分です」
「……ごめんなさい」
休憩と言えど、こんな感じで完全に気が抜ける訳ではないけど、それでもファイリーンのツッコミも勉強の時ほどの鋭さはない。
なるべく、長い時間を休憩していたいなぁなどと思いつつ、ルッテイの甲斐甲斐しい給仕の元でお茶を啜り、菓子に手を伸ばし、疲れを伴っているので何となく無言になっていると、ポツリ…とファイリーンが唐突に口を開いた。
「本当は勉強などと言うのは口実なのでしょう?」
「どうして?」
「教会に関する勉強など、私でなくても陛下がもっと適切な人材をいくらでも用意できるでしょう。そこを敢て『謹慎中』の私を呼び出す理由がありません」
淡々としているようで固さを孕む声は緊張を伝えていた。ちらりと彼女に向けた視線には、いつも自信に満ち溢れた彼女とは違い感情が抜け落ちたような表情が映った。
「だけど、『謹慎中』っていってもファイリーンが何か問題を起こしたわけじゃないし、今まで勉強を見てもらっていたのが貴方だったわけだし、私がお願いした…とは思わないの?」
答えは返ってこない。だけど、カップを握る手に僅かに力が入ったのが見え、私ははぐらかすのをやめた。
「……まあ、腹の探り合いをしていても始まらないわね。ちなみに勉強を見てもらいたかったっていうのも本音なのよ?そこに違う目的がなかったとは言わないけどね」
笑顔を向けながら『本音』と告げた言葉がとても軽く聞こえ、それが明らかに言い訳であることはが丸わかりで、言っていて自分で悲しくなる。
頭のいいファイリーンの事だ。私の思惑なんて聞かずとも分かっていただろう。
それでも、彼女はこうして私の要請に応えてくれた。……いや、そんなのは私にとって都合がいい捉え方で、ファイリーンにとっては、強制的に私に呼びつけられたに過ぎない。そして、呼びつけておいて本題に入らず、私はそれを彼女自身から言い出させた。……その方が私にとって話がしやすいから。
ずるい人間だと自分で自分が嫌になる。
そんな私を糾弾するかのように、ファイリーンはまっすぐに私を鋭い視線で射抜く。
「では、お聞きになればいいのです。姉が…マリア・アルスデンの事を私が何か知っていないかと」
マリア・アルスデン伯爵夫人、いや、正確には伯爵未亡人になるのだろうか?彼女が実はファイリーンの実姉だというのは割と有名な話らしい。私は以前、本人から直接聞いていたが。
年齢が離れていたことと、姉の方が結婚したこともあり、あまり姉妹仲が良かったわけではなかったらしい。だけど、それでも互いの家を行き来したり、社交場で会えば話し合ったり、普通の姉妹と変わらない風ではあったという。
そんな彼女が舞踏会以降、消息を絶った伯爵夫人を匿っているのではないかという推測は想像することが難しくはない。
だから、それを聞きたいだけなら、私は恐らくファイリーンをこうして呼び出しはしなかっただろう。呼び出して問い質すより、彼女の周辺を調べた方が早いからだ。
「そうね。巷の噂だとアルスデン伯爵夫人は教会に匿われているらしいけど、伯爵夫人には表立った処分もないのに、貴方だけ謹慎となった事が何となくそれでは説明が付かない気がするの……何か知っているなら教えて欲しいわ」
そう。私が引っ掛かったのは、教会がファイリーンを謹慎として外部との接触を制限したこと。
これはすなわち、彼女の近くに伯爵夫人がいる可能性ではなく、ファイリーン自身が何らかの事情を知っていることを示しているのではないだろうか。それも教会にとって、それを知られることが不味い事情をだ。
まあ、あくまでこれは全て推測を域を出ないけど、何となく気になってフィリーに教会にゴリ押しさせて、今回の勉強会が実現した訳である。
「だったら、勉強なんてせず、会ってすぐにそれを聞けばよかったのです。私は…嘘は大嫌いですの」
まっすぐに見つめ返される視線に、何となく私のズルい部分を蔑まれているような気がした。
ファイリーンの高潔というには、あまりに潔癖な性質は、ズルくて弱い私には若干眩しすぎて、思わずそれを避けるように苦笑するしかない。
「何が可笑しいのです」
「ううん…何でもない。だけど、色々教えてもらいたかったのも本当だったりするのよ?ファイリーンの講義は厳しいけど、いつも的確で効率よく教えてくれるもの。ありがとう。あと、姑息な手を使って貴方を呼び出したことは謝るわ。ごめんなさい」
座ったままというのも礼儀にはかなっていないのかもしれないけど、小さく頭を下げれば戸惑ったようなファイリーンの気配。
私はそのまま畳み掛けるように問いかける。
「それで貴方は何を知っているの?アルスデン伯爵夫人は本当に教会に匿われているの?それとも別の所に?」
本来ならば告解の儀でアイン枢機卿と共に裁きの場に出てきているべき女性だ。実際、フィリーたちも現れるのではないかとも睨んでいたらしい。
だけど、その名前は告解の儀で一度も出される事すらなかった。教会は彼女が先日の一件に一切関わっていないとしたのだ。
しかし、あの舞踏会でのサプライズ企画は本来アイン枢機卿ではなく、アルスデン伯爵夫人発案であり、様々な計画は全て彼女がたてたものだということは、様々な証言からはっきりしている。
あの企画が【神を天に戴く者】の襲撃と関係がある可能性が高い以上、アイン枢機卿より寧ろ彼女の方を調べるのが筋というものなのだ。……だけど、その消息は現在一切不明。
教会が伯爵夫人の行方を探す訳でもなく、その存在自体を舞踏会の一件から消したことから、教会が彼女を擁護していると推測するのは簡単なのかもしれない。事実、私もそうかもしれないと思う部分もある。
だけど、それにしたってどうにも不自然な部分が多い。その裏には一体何があるような気がした。
「姉は攫われました」
だけど、返ってきた真実は私の想像を超えていた。