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心理描写において非常にネガティブな部分があります。苦手な方は避けて頂きますようお願いします。
「―――そういう訳で教会はアイルについてフィリーたちが何かを隠しているんじゃないかと疑っているの…それが教会の杞憂だって分かってもらえれば、アイン枢機卿についても再調査してくれるって」
リュファスからの齎されたヘリオポリスの申し出を話しながら、私は無意識に周りにいる人々の顔色を窺っていることに気が付く。
それは隠し事なんてされてない…そう信じているはずなのに、私は何処かで皆を疑ってしまっているための無意識の行動。
「だ、だから、アイルに私―――」
それにハタと気が付いた時、襲ってきた自己嫌悪に発した声が震えた。
「分かったわ。じゃあ、とりあえずは私が教会に舞踏会の時の事を話せばいいのね」
「い、いいの?」
だけど、そんな私に気が付いた様子もなく笑顔であっけらかんと承諾するアイルフィーダに、私は思わず聞き返した。
「勿論。別に教会に隠している事なんてないもの。それだけで、アイン枢機卿を助けることができるなら協力するわ」
「……うん!ありがとう、アイル」
その戸惑いも躊躇いもない返事に、私は心がパアっと晴れる。
リュファスからの申し出を話している時も、誰も動揺している様子はなかったし、アイルフィーダもこんなにも簡単に了承するのだ。やっぱり、私が聞いている通りの事が真実で、皆が隠し事をしているという疑いこそ、教会の勘違いだったんだと確認できて本当にほっとする。
同時にこんなに簡単に揺さぶられてしまった自分に深く反省。口には出さないけど、心の中で皆に謝る。
「アイル、何を勝手に―――」
そんな風に私とアイルフィーダが笑い合っていると、フィリーが何かを言いかけた。
するとアイルフィーダは私に背を向けて、椅子から立ち上がったフィリーに近づくと彼の手を取った。瞬間、フィリーの顔が赤らんだように見えた。
「ね?フィリーも協力するわよね?」
そして、小首を傾げ、フィリーに問いかけるアイルフィーダに赤くなった顔が何かを耐えるような表情になった。だけど、その表情をすぐに消すとフィリーも私の提案に頷いてくれた。
うん、これで全部、私が望んだとおりに事が進む。
「……」
なのに、どうしてだろう?
私には背を向けていて表情は分からないアイルフィーダ。レディール・ファシズで苦しい立場であるオルロック・ファシズ出身の王妃なのに、教会からの事情聴取のような事を快く受け入れてくれた彼女に私は申し訳ないと思う罪悪感と、感謝の気持ちで一杯だ。
だけど、そんな彼女を見下ろすフィリーの表情に再び心のざわめきを感じてしまう。
それはいつも私に向けられる優しくて暖かな表情じゃない。何となく少しだけ強張ったような苦笑。さっき、彼の瞳に感じた熱もない。だけど…それは私が今まで一度だって見たことのない表情。
私はきれいなフィリーが好き。優しくて、温かい笑顔を向けられるだけで本当に幸せな気持ちになれる。
だから、独り占めできないのは少しだけ残念だけど、フィリーにはいつだって、誰にだってそういう表情を浮かべていて欲しいって、私は思っていた。そして、ここ最近はそれが現実になって本当に良かったと嬉しく思っていたの。
―――なのに、なのに、なのに…フィリー、私は……
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「リリナ?」
呼ばれた声にはっと我に返った。
「な、何だった、ビビ?」
今はもうフィリーの執務室ではなくて、再び私の自室。部屋には私とビビだけ。ランスロットは私を送り届けた後、他の仕事があるからと退室している。
「もうっ!聞いていなかったの?だから、結局、陛下はベルネル司教の提案にどう仰っていたの?」
ビビとランスロットは私に付いて執務室の前までは来てくれたけど、部屋には入らなかった。
私としては二人が執務室にはいる事は何の問題もないように思うんだけど、世界王の領域は基本的に世界王付きの人間しか入れないものらしく、巫女付きの二人は廊下において私だけが執務室に入ったのだ。
だから、ビビはまだ事の顛末を知らない。
「アイルフィーダが教会と話をすることになったよ」
「本当!?やったじゃない!じゃあ、アイン枢機卿の告解の儀はきっと再開されるわね!!」
「……うん、多分ね」
喜ぶビビに対して、歯切れの悪い私に彼女が眉を顰める。
「何?どうしたの……もしかして、陛下が許可してくださっても、王妃がそれを断るかもしれないって心配しているの?」
「え、ちが―――」
「大丈夫よ!いくら王妃が嫌がっても、陛下に逆らえば―――」
「違う!!」
咄嗟に言葉が出なかった私も悪いけど、何も言っていないのにビビが決めつけるように告げるアイルフィーダへの悪意を含んだ憶測に大きく叫んでいた。
「リ…リリナ?」
戸惑ったようなビビの声と表情にはっとして、私は取り繕うように自分の顔に笑みを浮かべる。
「急に大きい声出してごめん。えっと、でもね?違うの。聞いて、アイルはね、私が入ったら偶々執務室にいて、私の話を聞いたら、すぐに彼女から教会と話してくれるって申し出てくれたの」
「あ、そう…なの?」
「だから、そんな風に彼女を悪者にしないで」
気が付けば、ビビを責めるようにそう言っていた。
私の言葉に戸惑った表情を浮かべるビビに私は自分の失言を理解して気まずくなる。
いつだって私の絶対的な味方でいてくれる彼女。私とは色々な意味で対立するような立場にあるアイルフィーダを敵視するのは、私のため。
いつもはそれが分かっているから。皆にアイルフィーダ自身の事を知ってもらって、好きになって欲しいという思いがありつつも、やんわりとしかみんなの言葉を否定してこなかった。
だけど、今、私はこれほどにまでないほど強い言葉でアイルフィーダへの悪意に牙をむいた……それはアイルフィーダのため?
「と、ともかく、アイルは快くアイン枢機卿を助けるために協力してくれるんだから、悪く言わないで」
捲し立てるように言って、傷ついたような表情を浮かべるビビから視線を逸らす。そうして、自分の心と言葉がちぐはぐな事に気が付く。
アイルフィーダのためを思って告げる言葉なら、もっと堂々とビビの顔を見てはっきりと言えばいい。なのに、まるで何かの言い訳をしているかのように、焦って言葉を紡ぐ自分。それは…どうして?
自分で自分に問いかけて、そんな自分を嘲笑うように酷く冷静な自分が囁いた。
―――分からないふりはやめなさいよ。本当は分かっているんでしょう?アイルフィーダに嫉妬していることを
『嫉妬』
全てを愛し許さなければいけない巫女が抱いてはいけない感情。だけど、私の中に宿った感情に一番近い名前はそれだった。
結果は全て私の望んだとおりになった。アイン枢機卿を助けるために、アイルフィーダが教会から先日の一件についての事情聴取を受ける事に了承してくれた。感謝をしても、嫉妬をするなんて私が巫女でなくても、してはいけない事くらい分かっている。
だけど、私は嫉妬する自分を止められない。そして、これほどに強い感情を感じて、私は初めてずっと胸の底で眠っていた醜くて、最低な自分に向き合うことになった。
私は多分、ビビが言葉のように本当はずっとアイルフィーダを、彼女を、もっと悪役にしたかった。
守られるだけの彼女。何もしない彼女。それを擁護しつつ、私はアイルフィーダより優位になっていられることの優越感に浸っていた。
気が付かないままに、アイルフィーダを自分より下に見て、だけど、そんな自分を誰にも知られたくなくて、表面上は彼女を擁護しているような態度をとった。
同時にそんな彼女に嫉妬もしていたのだ。自分が優位に立つために、アイルフィーダが守られるだけで良し、何もしないで良しとしたくせに、それが羨ましいとも感じていた。
フィリーをアイルフィーダにとられてしまうかもしれないという、不安に押しつぶされそうな心が働いた無意識の防御措置だとしても、その考え方はあまりに自分勝手すぎて、本当に自分が嫌になる。
だけど、私の姑息な思いに気が付かないで私に優しく協力的なアイルフィーダ。そして、彼女の傍にいるフィリー。そんな二人を見ていて、膨れ上がりすぎた嫉妬に大きく動揺した私。
ビビの言葉に過剰に反応したのも、図星をつかれたから。彼女の言葉は、そのまま私の言葉だった。だけど、それを認めるのが嫌で、私はビビに心無い言葉までぶつけてしまった。
(最低、最低、サイテイ!!!)
心の中で力の限り自分を罵り、目をつぶり膝の上に置いた拳を握りしめた。
「リ、リリナ?」
「……ごめん。少しだけ一人にして」
ビビは少しだけ私に何か言いたげな表情を向けていたけど、結局、何も言わないまま部屋を出て行った。
(ごめんね、ビビ)
心の中だけで呟き、大きく息を吐く。
本当はビビにも謝らないといけないけど、こんなに動揺した自分じゃ、ちゃんと謝れない。少しだけ荒れ狂う自分の心の内を落ち着かせたかった。
ビビが部屋を出て行って近くに人の気配がなくなると、私は机に覆いかぶさり、声を出さないように泣いた。
それに無駄なプライドと笑われてもいい。こんな憎くて、どうしようもない自分を私はビビだけじゃない。誰にも見られたくなんてなかった。
活動報告にて今後の更新について連絡させて頂いておりますので、目を通していただけると幸いです。