10-4
私がフィリーと初めて会ったのは、私が十一歳。フィリーが十五歳の時。
「リリナカナイ。ケルヴィン様のご息女のニーア様だ。ご挨拶なさい」
彼はまだニーアという名前で、少女のふりをしていた。
ケルヴィンおじ様とお父さんは昔からの友達で、私も小さい頃からおじ様の家に何度もお邪魔したことがあった。だけど、ニーアという少女に会ったのは、その時が初めて。
ケルヴィンおじ様に子供がいる事は知っていたけど、私が知っているのはオリヴァーという名前の私よりうんと年上のお兄さんだけだったはずで……だから、ニーアを紹介された時、すぐに『あれ?』と思った。
彼女について複雑な事情があることは、その唐突な登場と、ケルヴィン様に似すぎた面差し、そして、それ以上の詳しい説明がない事から何となく理解する。
だけど、私は目の前の彼女に夢中になることで、そんなぼんやりとした違和感もすぐに忘れた。
ふわふわの亜麻色の髪、大きな青い瞳、血色のいいバラ色の頬、彼女は私のお気入りの人形に良く似ていて、浮かべている表情は冷たかったけど、そんな事が気にならないほどに彼女は綺麗で綺麗で…。
彼女の何が私を突き動かしたかは分からないけど、その瞬間、私は何が何でもニーアと友達になりたいと強烈に思ったのだ。
「ニーア、ニーア」
だから、どうしていきなりおじ様に娘ができたのだろうかなんて気にすることも無く、ただその名を呼んで彼女に付き纏った。
断じて言っておくけど、あの頃はまだフィリーが少女のふりをした少年だなんて知らなかった。ただ、綺麗なニーアの傍にいたかった。それだけだったの。
とはいえ、あの頃のフィリーは私が鬱陶しかったに違いない。うん。私もあの頃の自分が相当に鬱陶しかったと思うもの。
だからだろう…フィリーは基本私に冷たかった。
投げられる言葉に思いやりはなく、無視されることだって日常茶飯事、だけど、それでもめげずにいた私に最後はニーアが、フィリーが折れた。次第に呆れつつも、私と会話してくれるようになったし、少なくとも私を拒否する事はなくなった。
というか、フィリーは本当はとても優しい人だから、他人に対して絶対的に冷たくなんてできない人なんだと思う。
どんなに冷たくしても、私が本気で泣き出す前にはさりげないフォローがあったし、本当の意味で私が傷つく言葉は絶対に口にしなかったから。
綺麗で、かっこよくて、優しいニーアは、幼い私の自慢の友達で憧れだった。
そして、ニーアという少女がフィリーという少年であったことを知った時、それは恋愛感情というものに変わっていった。
―――だから、嬉しかった
フィリーが世界王として立った時、その横に巫女として居られる自分が。
運命だと思った。
フィリーが世界王になって、私が巫女になって、そして、ずっとずっと二人で愛し合って世界を幸せにしていけるって、そんなハッピーエンドの物語が始まったんだと私は信じていたの。
▼▼▼▼▼
扉を開けて視界に飛び込んできた人物の名前を呼んだ私の声は、驚きに掠れた。
「ア…イル?」
リュファスとの面会の後、とにもかくもにまずはフィリーと話をしなくてはと思い立ち、私はフィリーがいるかも確かめることなく、彼の執務室へと急いだ。
本来は巫女と言えども世界王相手に約束もなく突撃訪問することは、あまり褒められたことじゃない。
それでも、会いたい人に気軽に会えないことが我慢できなくて、私はこうしてよく思い立ってはフィリーに会いに行く。
そんな私の行動を止めようとするファウル兄妹を半分引き摺りつつ辿り着いた場所にフィリーはいてくれて、そして、何故だかアイルフィーダもいた。
だって、まさか、この場所でアイルフィーダに会うなんて思ってもみなくて。会いたいと思っていたから喜ぶべきはずなのに、唐突な再会に戸惑いを隠せない。
「リリナ…久しぶり?」
だけど、それはアイルフィーダも同じようで、驚いた表情を隠さないままに彼女は私に少しだけ笑って見せた。それに私も笑みを返しつつ、驚きが先行して気が付かなかった違和感に眉を顰めた。
「えっと…その恰好はどうしたの?」
レディール・ファシズで何度か会った時、彼女は王妃に相応しいドレスを身に纏っていた。
アイルフィーダは私と違ってスラリと背も高くてスタイルもいいから、ドレス姿はとても良く似合っていて、会う度にひそかに羨ましく思っていたり。
なのに、今、目の前にいる彼女はドレスじゃなくて、教会の司教がよく纏うローブを着ている。
「ああ、これ?えっと、まあ、色々事情があって。……っ!それよりフィリーに用事があるんでしょう?」
その事情を知りたいんだけど、アイルフィーダはそれを曖昧に笑って誤魔化すと、ものすごい笑顔で私に尋ねてくる。
「う、うん」
「じゃあ、私はお邪魔でしょうし、すぐに退室を―――」
その何だか迫力ある笑顔に圧倒されて頷くと、彼女は更にワントーン声を高くしてそう言うと、そそくさと部屋を出ていこうとした。
「アイルフィーダ。まだ、話は終わっていない」
だけど、そんな彼女をフィリーにしては珍しい固い声が引き止める。
「フィリー?」
その声に私は戸惑って彼の名前を呼ぶ。
執務室の奥でいつもの席に座っているフィリー。その姿は見慣れているはずなのに、声と比例するような厳しい表情は見慣れたものじゃなくて、何だか不安になる。
(ひょっとして二人は喧嘩をしているの?)
事情は分からないけど、二人の間に漂う雰囲気がどうもピリピリとしたものであることに気が付く。
同時にこの間、私がアイルフィーダを呼び出したときも、フィリーはアイルフィーダに冷たかったことも思い出して、私は戸惑う。
フィリーはアイルフィーダの待遇や環境には気を配っているはずなのに、直接対する時の態度がこれじゃあ、彼女が誤解をしてしまう。
二人が一緒にいる所に居合わせることがほとんどなくて知らなかったけど、ひょっとして二人はいつもこんな風にぎくしゃくしているのだろうか?
私は咄嗟に部屋にいるオーギュストを見る。彼は私と視線があったけど、ニコリと小さく笑うだけで何もしてくれる気配もない。
彼が意図するところが何かは分からない。だけど、この状況、フィリーに物申せるのは私しかないという事なんだろう。
「あ、あの―――」
「それで?リリナカナイは何の用だい?」
何を言っていいか纏まらないまま声を発しようとした私に、被せるようにフィリーが尋ねる。
向けられる視線も、声も、先ほどまでのアイルフィーダに対していた物とは違う。私に向けられる、優しくて暖かいもの。
それをどうかアイルフィーダにも向けてあげてと思いつつも、好きな相手が自分じゃない誰かに優しくしているのを見るのは少しだけ辛くて―――
「あ、うん」
ちらりとドアノブに触れたまま動かないアイルフィーダを見る。こちらに背を向けているので、表情は見えないけど、きっと悲しそうな顔をしているに違いない。
そんな様子に自分の狭量さに罪悪感を感じて、私は改めてフィリーに向き直る。
「私が後から来たんだから、私の話は後でいいよ。それよりアイルフィーダとの話があるなら先に…それともう少し彼女にやさ―――」
「アイルフィーダとの話は少し長くなりそうだから、先にリリナカナイの用件を聞こう。大丈夫、アイルフィーダにはその間は部屋で待っていてもらうから。な、アイル」
『彼女に優しくして』と言わせてもらえることなく、フィリーが私の言葉を遮った。いつもは穏やかに、ゆっくりと会話をするフィリーとは違う態度に私も言葉が出てこない。
「…………はい」
そして、長い沈黙ののちに了承を示すアイルフィーダ。
その声が微妙に震えているような気がして、私はオロオロとしてしまう。
「で、でも……」
フィリーにもアイルフィーダにもかける言葉も出てこなくて、役立たずな私が口ごもっていると、アイルフィーダが小さく息を吐いてこちらに向き直った。
「気にしないで、リリナ」
にっこり…と、彼女が浮かべるのは、完璧な晴れやかな笑顔。
だけど、きっと、その裏ではフィリーの言葉に態度に傷ついているに違いない。なのに、それを表に出さない彼女を尊敬した。
私にはきっとできない。
幼い頃のままフィリーに冷たくされたら泣いてしまって、だけど、それでもフィリーの近くにいたいから、また、懲りずにフィリーの後を追うんだろうけど、泣くことも無く笑顔を作れるアイルフィーダのように強くはなれない。
その強さに尊敬を持つとともに、私はその強さに悲しさを覚える。
アイルフィーダは強いかもしれない。だけど、ここで彼女は弱い立場の人なのだ。それを守るべきフィリーがそれをせずに、彼女を傷つけているなんて…!
アイルフィーダがいる前では言えないが、後で彼女との話が終わったら、フィリーを怒ってやらなければ…そう心に決めつつ彼に視線を向けた瞬間だった。
(……あ)
フィリーはこちらを見ていた。
澄んだ青緑の不思議な光を宿す瞳には私が知るいつも通りに優しさが溢れている。だけど、その中に私が知らない色が浮かんでいる。
いつだって冷静で、穏やかで、優しくて、そんな彼の瞳はいつだって凪いでいたはずなのに、私ではなくアイルフィーダに注がれるその視線には、私が今まで感じたことのない熱があるような気がして…。
―――ドクン
その熱みないなものを感じた瞬間、私の心臓が嫌な音を立ててなった気がした。
更新が滞ってしまい申し訳ありませんでした。
恐らくしばらく不定期な更新になる予感が……2月ごろには以前のような頻度で更新できると思いますので、気長にお待ちいただけると幸いです。更新していない間も本作を覗きに来てくださった皆様。コメントを下さった皆様。本当にありがとうございました。