10-2
「リリナカナイ様、お茶です。温まりますよ」
言葉と共に目の前に湯気が立つカップが置かれ、ふんわりと甘い香りが広がった。それを感じて、そういえば告解の儀が終わって自分の部屋に戻ってきたのかと思い出した。
そんなぼんやりとした鈍い頭でそのカップを置いた手の持ち主を見ると、にっこりと笑う私と同じ銀髪の少女。
同じとはいってもそれは色だけで、ふわふわと扱いにくい私と違って、まっすぐで艶やかなその髪を私はいつも羨ましいと思ってしまう。
「ビビアン、ありがとう」
お礼を言った声は自分でも元気がないとすぐに分かった。無理やり浮かべようとした笑顔も引きつる。
「どうかされたのですか?」
それを見たビビアンの表情が曇る。
ここで何でもないと言っても、巫女になってからずっと私付きの侍女をしてくれているビビアンにはそれが嘘だとバレちゃうだろう。
巫女として簡単に弱音を吐くわけにはいかない。
そう気を付けているはずなのに、この時の私はたぶん弱っていたんだと思う。言うつもりのない弱音が簡単にポロリと零れてしまう。
「私は間違っているのかな?」
「え―――?」
「あ、ごめん。うんと何でも―――」
「そんな顔して、そんな声で何でもないなんて言わないで下さい」
取り繕おうとした全てがビビアンの優しい言葉で遮られる。
「あ、え…う?」
「私では何の役にも立たないかもしれませんが、話を聞くくらいはいくらでもできます。言いたくないのであれば無理に聞き出そうとはいたしません。ですが、もし話すことで少しでもお気持ちが晴れるのであれば…話してくれると私は嬉しく思います」
迷いなくこちらを見つめるビビアンの表情に、のしかかっていた心の重みが少しだけ軽くなる。
そうだ…よね。私一人でモンモンと悩むより、誰かに話したほうが色々と整理できるかもしれない。
「ありがとう、ビビ。あのね?聞いてほしい事があるから、聞いてくれるだけでいいから…席に座ってくれる?」
ビビというのは彼女の愛称。
本当は侍女を愛称で呼んだり、話をするために同じ席に着くなんて巫女の態度としては褒められたことではないけど、今は自室で私とビビアンしか部屋にはいない。
小言がうるさい古株の侍女達がいないこういう時にだけ、私とビビアンは巫女と侍女じゃなくて、ただの友達になれた。
「今日…アイン枢機卿の告解の儀があったでしょ?」
「そうだったわね。そこで何かあったの?」
ビビアンも友達モードに変わってくれたらしく、敬語がなくなる。
いつだってビビアンが敬語を使わずに友達でいてくれればいいのにと思っているし、口に出して訴えたこともあったけど、ビビアンはそれにいつも苦笑して首を横に振った。
私より二つも年下のはずなのに、そういう時の彼女は私より余程大人びていて何だか悔しい。
「何かあった訳じゃなくて、何もなかったの。全部、教会の思い通り。舞踏会の一件はアイン枢機卿一人の罪になってお終い」
「そう。前評判通りになった訳ね。それで?リリナはそれの何が気に入らないの?」
「……全部」
淹れたてのお茶が入ったカップは握りしめると熱いくらいだったけど、手先が冷え切っていた私にはとても温かく感じた。
「全部って…だけど、リリナだってその結末は予想していたんでしょう?」
「予想していたからって受け入れられるかは別問題だよ。ビビだって彼がどれほど真面目で敬虔な教会信者かは分かっているでしょう?そんな彼が世界王に仇なすなんて絶対ありえない」
「それは…そうかもしれないけど、でも演技だったかもしれないじゃない。人間なんて、いくらでも嘘がつけるものよ。アイン枢機卿も真面目で敬虔な教会信者を装いつつ、裏では神を裏切っていたのかもしれないじゃない」
ビビアンの言っていることは、私だって考えた。それで強引に自分の中で納得しようとも思った。だけど―――
「だったらもっと自分に疑いがかからないように手引きするでしょう?あんなやり方じゃあ、誰だってアイン枢機卿が関わっているって思う。彼だって馬鹿じゃないんだから、それを隠すくらいしてもいいはずよ。それにあれはアイン枢機卿がアルスデン伯爵夫人が企画してくれたことを実行しただけで……」
ビビアンに対して言葉にしつつ、私はここでハタとアイン枢機卿だけが矢面に立って忘れていたけど、もう一人の人物の事を思い出す。
「なるほど。確かにアイン枢機卿が黒だったら、こんなにすぐにばれる様にはしないか」
「うん。それに今、自分で言っていて改めて気が付いたけど、アイン枢機卿はあくまで【アルスデン伯爵夫人の企画】だった私とフィリーの誓いの儀式を舞踏会で実行しようとしただけ…なんだよね」
あの日、私な何も知らなかった。
世界王誕生祭でさまざまな儀式が終わり、疲れつつも楽しみだったフィナーレを飾る舞踏会。毎年、フィリーと踊れる楽しいひと時が待ち遠しくて、そわそわと落ち着かない気持ちでいた。今年からはその役割をアイルフィーダに譲らなくてはいけないと思っていたから、その気持ちはいつもより強かったかもしれない。
そんな時、もたらされたサプライズ。
結婚が許されない巫女と世界王のために、公式じゃなくても内輪でも私とフィリーに誓いの儀式をプレゼントしてくれたアイン枢機卿を始め、周りの人たちの暖かさが嬉しかった。あの夜は私にとって思い出深い日になるはずだった。
―――なのに、全ては<神を天に戴く者>たちによってめちゃくちゃにされた
思い出される人々の悲鳴、怒号、剣戟…そして、私を庇って倒れたアイルフィーダ。
アイルフィーダがあの場にいた理由も、どうして私を庇ったのかも分からない。ただ一つ確かだと分かったのは、私が守らなくてはいけない人に守られ、助ける事どころか何もできなかったという事だけ。
だけど、アイルは不思議な力で傷を治し、フィリーはアイルを守るために敵に捕まってしまった。
あの力が何なのか、あれからアイルに会えていないから何も聞けていないし、フィリーに聞いてみても調査中としか答えてくれない。それはどうして?
何かを隠されているという漠然とした不安が、何一つ知らされない焦燥が、誕生祭からずっと私の中で膨れ上がり続けている。だからだと思うんだけど、最近夢見が……
「―――ナイ。リリナカナイ?」
「え?あ?ごめん、何だった?」
呼びかけられる声にはっとした。
誕生祭の時のことから、どうやら段々と違う事を考え込んでしまっていてビビアンを無視してしまっていたらしい。
「ううん、私から何かを言ったわけじゃないよ。だけど、急に黙り込んで思い詰めたような顔をしたから…私こそ、考え事をしている時にそれを中断させてしまってごめんね?」
「何言っているの?そんなの全然いいよ!寧ろ別の事考えだしちゃってて、ビビに声をかけてもらって助かったくらいだよ!」
意識して出した明るい声は、何だか自分でも無理しているようなものなってしまう。
駄目…こんなんじゃ、ビビアンを心配させてしまう。巫女は全ての人を支えるためにいるはずなのに、私は自分の身近にいる人ですら心配さてしまう。
「…リリナが巫女としていつも明るく振舞おうとしていること、私は分かってる。辛い時も悲しい時も貴方はいつだって周りの事を第一に考えて行動していた」
「ビビ?」
「だけど、せめて私…ううん、巫女付きの者たちの前では無理に明るくしなくてもいいんだよ。巫女だって人間だもん。悲しければ泣いていいし、ムカついたことがあったら怒っていいと私は思う。巫女が人々の支えであるように、私たちは貴方の支えでありたいから」
ビビアンが気が付けば痛いくらいにカップを握りしめていた私の手の上から、その手を重ねた。
侍女として頑張っているその手は、白く細いけどどことなく固くてカサカサしている。だけど、触れ合った部分から暖かさが滲んでくるような気がした。
「……ありがとう」
ジワリと涙で目の前が歪む。すごくすごく嬉しくて溢れようする涙。
だけど、涙なんか流したらビビアンを心配させてしまうと、それを堪えて私は笑う。それを見てビビアンは、仕方ないなというような顔をしてハンカチで私の涙を拭ってくれた。本当、これじゃどっちが年上か分からない。
「それで?確かにアルスデン伯爵夫人の事も気になるけど、それより告解の儀でアイン枢機卿は何か言わなかったの?あの人、自分が正しいという事に自信がある人だし、罪に問われたりしたら私は無実を訴えるんじゃないかと思っていたのに」
「あ、それは―――」
私はかいつまんで事情を説明する。
教会の横暴に対して我慢できなくなってアインを助けたいと声を上げたこと。
それに対してヘリオポリスがアインに発言の機会を与えてくれたこと。
そして、その機会があったのに何も言わずに告解の儀を終えてしまったアインは、そのまま罪人として捕らわれてしまったこと…。
私は最後まで納得できずに調査したり、告解の儀をもう一度開いてくれるように頼んだ。アインにも何か言ってくれるように願った。だけど、どちらも叶わないまま終わってしまった。
誰が見ても正しくない、間違った判断で罪人にされてしまう友人を私は何もできずに見送るしかできなかったのだ。
「そう…アイン枢機卿は何も言わなかったんだ」
「だけどっ、そんなのおかしいでしょ!?」
証拠もなく、全容も解明されていないまま、先日の一件をアインが一人で被る形で終わってしまったやりきれなさに私は思わず叫んだ。
「ええ。そうね」
「でしょ?なのにっ…フィリーもお父さんも仕方がないって、どうしようもないって言うのよ?!」
告解の儀が終わって、それでも納得ができなくて私はフィリーとお父さんにアインを助ける手段がないか相談した。
だけど、二人ともアインの無実を証明することには消極的だった。むしろ、この件にはもう関わるなと言われてしまったのだ。
「お二人ともリリナを心配しているのよ。あまり教会に反対しすぎたら、貴方だって―――」
「そんなことっどうでもいい!自分の身くらい自分で守れるわ!私はアイン枢機卿を…自分の身近にいる人を守りたいだけなのに……どうして二人とも協力してくれないの?」
フィリーもお父さんも私なんかより力を持っているはずなのに、私より頭がいいはずなのに、どうしてそれを使って困っている人を助けようとしないんだろう?そんなの間違っている。絶対に…!
ビビアンは何一つ悪い訳じゃないのに、彼女に八つ当たりするようにそんな風に彼女に言葉を吐き出していた時だった。
「そんな大声出していると、他の巫女付の者たちが不安がるよ」
そんな明るい声の持ち主は―――。