第十章 虚ろ(リリナカナイ視点)10-1
目の前の世界が現実だと誰が断言できるのだろう?
夢で見た出来事が虚ろだと誰が証明できるのだろう?
<SIDE リリナカナイ>
「ちょっと、待ってください!」
気が付いたら発していた声はホール内で大きく響く。その大きさに自分で驚いた。
途端に向けられる無数の視線。
それが言葉もなく咎められているような気がして、少しだけ…怖い。だけど、私は負けないようにグッとお腹に力を入れた。
「この告解の儀は罪を問われている人が、自ら罪を犯したか犯していないか告白するためのものだと聞きました。だけど、アイン枢機卿は司教の言葉に頷いているだけで、まだ自分の言葉では何も言っていません」
と、ここまでは告解の儀の間にずっと考えいたことなので言葉がスラスラと出てくる。だけど、勢いで声を出したから続きをまだ考えていなくて詰まってしまう。
「…えっと、だから、あの、このまま彼を罪人だと決めつけるのは早いんじゃないかと私は思うんですけど」
だけど、考えを纏める時間を下さいなんて言えなくて、つっかえつっかえで言えた言葉は、こんなに改まった場所で発言するには問題有りな言葉になる。もう、何ていうか…自分の思っていた事をそのまま言葉にしてしまった感じ?
巫女としてこんな言葉遣いじゃダメだって、いつも気を付けているつもりなのに、私はいつでも肝心な所で上手く喋れない。
それを自分でもすごく自覚していて、失敗しちゃう度にすごく落ち込む。
経験を積めば上手くなると周りは慰めてくれるけど、巫女になって数年。全然進歩がない自分に、こういう場に一生慣れる事はないんじゃないかと怖くなる。
だけど、今はそんな心配をしている場合じゃない。私の言葉でアインの今後が大きく変わってくるかもしれないんだから。
ホールの中心で目を丸くしてこちらを見上げる彼に、少しでも安心してもらえるように笑って見せた。
アインは私がレディール・ファシズに来て巫女候補として立った時から、私の世話を色々と焼いてくれた人物だ。
こちらにフィリーと共に渡って、フィリーは世界王としてすぐに認められた。だけど、オルロック・ファシズ育ちの私が巫女として認められるにはフィリー以上の壁があった。
銀髪に赤い瞳。
それさえ生まれつき持っていれば、誰しもが巫女になれる可能性がある。
珍しくはあるけど、絶滅的にありえない取り合わせじゃない。だから、私と同じ髪と瞳を持つ同じ年頃の少女たちが、巫女候補として何人か選出された。
彼女たちはオルロック・ファシズで何も知らずに育った私と違って、生まれながらに巫女になるべく教育を受けた人たちで、髪と瞳の色以外は私とは何もかもが違った。
立ち振る舞い、知識や教養、言葉遣いや…ともかく巫女として求められる全て。言っていて悲しくなるけど、未だにそれらが身についていない私と違って、彼女たちは完璧にそれらを身につけていた。
そんな彼女たちを差し置いて私がどうして巫女となったのかは、未だによく分からない。
ひょっとしてフィリーが私を推してくれたのかも…と思ったのだけど、巫女の選出に関しては教会に一任されているため、世界王には何の権限もないらしい。お父さんにしても、今は枢機卿の地位にあるけど、当時はまだ教会に入ったばかりでそんな力があったとは思えない。
その辺りは未だに分からない部分ではあるんだけど、そんな巫女候補時代に私に色々な事を教えてくれたのがアインなのだ。
オルロック・ファシズ育ちの私を敬虔な教会信者らしく始めはかなり嫌悪し、冷たく当たられたこともあったけど、色々とぶつかっていくうちにお互いに分かり合えた部分は多くて、気が付けば私にとって彼は相談事も気軽にできる頼れるおじ様のような存在になっていた。
枢機卿として登りつめた自分に対して厳しくて、真面目な秀才タイプ。何よりも神を信じ、神を信じている自分を信じる彼が、神の子である世界王を害することに手を貸すなんて信じられない。
これは早々に事を終わらせてしまいたい教会の陰謀に違いないと気が付いた私は、このまま一人罪を背負わされるアインを見捨てる事なんて絶対にできなかった。
「巫女様…しかし、アイン枢機卿は罪をお認めに―――」
「ですから、それは貴方の言葉に頷いているだけ…いいえ、頷かされているだけにすぎないでしょう?」
アインに質問をしていた司教の言葉を、ぴしゃりと撥ね付ける。
ホール全体に動揺が広がる中で、自分でも自分の言っている事が正しいかなんて分からない。だけど、私が戸惑っている姿を見せちゃいけない。見せたら負けだ。
『リリナカナイ様。貴方は巫女です。貴方の言葉は、神の言葉に等しいことをお忘れになりませんよう。貴方が迷えば、全てが迷います。貴方が間違えば、全てが間違う…貴方は重々その重さを認識して言葉を発せねばなりませんよ』
優しくも厳しい言葉をくれた人は、オルロック・ファシズで離れた母を思わせる人。
その言葉をいつだって覚えているつもりなのに、気が付けば私は自分の心のままに言葉を発してしまう。
その度に本当は後悔してる。
その度に本当は迷ってる。
その度に本当は怖くて仕方ない。
だけど、巫女として発してしまった言葉を取り消す方法を誰も教えてくれない。巫女としてじゃない言葉の発し方を誰も教えてくれない。
本当は後悔や迷いや怖さがあるなら、言葉を発するべきじゃないのかもしれないけど、目の前で困っている人がいるのに私はそれを見過ごせないから。
「アイン枢機卿…私は貴方の言葉が聞きたい」
私は自分を信じて言葉を、思いを止めない。止めたくない。
そんな気持ちを強く持ってまっすぐに見下ろしたアインの瞳が揺らぐ。
お父さんよりもずっと年上の男の人なはずなのに、頼りない子供のような表情が全てを物語っているように思えた。
「わ、私は―――」
喘ぐように掠れる声。だけど、彼はそれを飲み込む。
きっと、本当は助けて欲しいんだと思う。無実だと訴えたいんだと思う。だけど、教会より罪を認めろと強要されて彼は逆らえないだけに違いない。
それでも自分の口で罪を認める言葉を発さないのが、彼なりの最後のプライドのように私は思えた。だったら―――
「今までの話を聞いて、私はアイン枢機卿が罪人だっていう確証があるとは思えなかった。証拠もないのに彼を罪人にしてしまう事こそが、私は罪だと思う」
ざわり…と、私の言葉を受けてホールが大きくざわめく。
そもそもそれが信じられない。何の証拠もないままに、罪のない人を裁こうとする教会の傲慢。それをフィリーと何度正そうとしても、受け入れられないもどかしさ。
今はまだその全てを正すことも、助けることもできない。巫女だなんて崇められているけど、私ができる事なんてほとんどないから。だけど、目の前の人をこのまま黙って見捨てる事なんて私にはできない。
敵意とは違う。だけど、ホール全体は明らかに私の意見が信じられないといった雰囲気の中にいて、私はたった一人の味方である横に座るフィリーを見る。
フィリーならきっと私よりも良い言葉、強い態度でこの状態を打破してくれる。そんな信頼が私にはある。でも、フィリーは私じゃないものを見ていた。その先にいるのは―――
「巫女よ」
ざわめくホールを一瞬で沈める静かだけど、威圧感のある声はヘリポリスの声。彼は私を真っ直ぐな視線で射抜き、フィリーはそんな私を見るヘリオポリスを見ていた。
「貴方の仰ることは理解しました。なるほど…確かに一理あると感心しました」
相好を崩し、一転柔らかい口調になるヘリオポリス。
厳しい人ではあるけど、彼は基本的には優しい人だと分かっていたので、その言葉に安堵の息が漏れる。これで例え他の人間が反対したとしても、教皇である彼の意見が早々覆るとも思えない。
後は彼の采配に任せれば、きっと大丈夫。
「ならば、アイン枢機卿。貴方の告白を聞きこう。グレイブ司教、君は少し下がりなさい」
その声にアインを追いつめるように質問攻めにしていた司教が数歩下がり、彼が一人ホールの中央に残される。
後はアインが自分の無実を告白すれば……
「……」
静まり返るホール内。誰もが彼の言葉を待っているというのに、一言も発しない。
「…アイン枢機卿?」
焦れた私は自然とその名を口にしていた。
落ちた声は静かすぎるホール内に、やけに大きく響いた気がした。だけど、私はそんな事を気にする気持ちもなかった。
彼は名を呼んでも何も口にしないどころか、俯いたまま顔すら上げようとしない。
何となく嫌な予感がして、私は更に言葉を重ねた。
「どうしたの?さあ、貴方の言葉で真実を―――」
しかし、この告解の儀においてアインがこれ以上言葉を発することはなかったのだ。
サブタイトルをみてすぐにお分かりだったと思いますが、やってしまいましたリリナカナイ視点。
読者の皆様からのご意見はいろいろあるかと思いますが、物語の構想時点から実はリリナカナイ視点をやろうと考えていたので…色々厳しいご意見もあるかと思いますが温かく見守って頂けると幸いです。