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急速な経済的発展で働く場も増え、同時に女性の社会進出も伴って、家という場所には極論かもしれないけど子供と老人が取り残された。
勿論、それは全ての家に当てはまることじゃない。
結果として老人が孫の面倒をみる構図が出来あがって、微笑ましい光景かもしれないけれど、それはあくまで孫の面倒をみることができる元気がある老人のいる家に限られた構図でしかない。
それが出来ない老人という存在は、赤子と同じ、いやそれ以上に介護という名の手間を必要とする事もある。
それは決して悪いことではない、人として老いた時それは当然の事実でしかない。
だけれど、子供と老人しか残っていない家で、子供も老人も共に人の助けを必要としているのに、その手がないという現状……それは少なからず社会問題として取り上げられさえしている。
(そういえば、そんな事授業で聞いた気がする。)
子供と老人たちの好奇の目に晒された後、レイチェルさんに紹介されたローズハウスの責任者だという、ユーナ・レシェットさんから、そういった社会問題に小さくとも助けの手を差し伸べるためにこのローズハウスがあるのだと、この施設の存在意義を私は聞いていた。
孤児院と老人ホームの混合施設の存在を私は知らなかったのだけれど、現実にもそれはほとんどないらしい。
どちらか片方に特化した方が色々な事が上手く回るし、施設としても面倒が少ない。
「だけれど、こういう形にして私は良かったと思っているのよ。身寄りのない子供にとって、ここの大人は甘えられたり、叱られたり限りなく家族に近い存在になるし、大人にとっては子供を見守ることで生きがいを見出したりする。全ての人に当てはまることじゃないけれど、それぞれが良い刺激を与えあっていると私は考えているの。」
「今のお話で言う所の【大人】…というのは、ご老人達の事を差すんでしょうか?」
「ええ。老人という言葉を使うと、彼らは気を悪くするから。子供たちと区別するために、スタッフたちは老人たちを総称して【大人】ということが多いの。」
なるほどと話を聞きつつ、私から見れば彼女も十分にその『大人』の一員なのだけれどと思ったりして……だけど、小さく丸い体に、薄化粧をしてワンピースに身を包みコロコロと明るく笑いながら話す姿は、こう言っては失礼かもしれないがとても可愛らしく、これまでご老人と言う存在と関わったことのなかった私に親近感を抱かせた。
「それにしてもここがどういう場所か知らされずに来たのでは、驚いたでしょうねえ。まったくマリアも人が悪いわぁ。」
「レシェットさんはマリア教師の事をご存じなんですか?」
妙に親しげないい方に首をかしげる。
「レシェットではなく、是非ユーナと呼んで頂戴。ええ。よおく知っているわよぉ。あの子は小さい頃、この近所に住んでいてね。子供の頃は毎日のようにここの庭で遊んでいたの。」
そう言ってうっそうと茂る小さな森のような広い庭を窓から見つめた。
庭は外から見ると手入れのされていない庭の様に感じられたが、こうして屋敷の中から見るとそれはある意味計算されている造りなのかもと私に思わせた。
子供の頃だったら秘密基地にしたいような背の低い木の影、うっそうと生えているかのように見せつつも子供たちが走り回ることができるように避けられた草、意外と美しく整えられた花々。
(うん。悪くない)
芸術的ではないにしても、遊んだり探索するにはうってつけの庭に違いない。私は心の中で何ともなしに頷いた。
ちなみに私が今いるのは建物の1階で、ユーナさんの執務室的な場所らしい。大きな窓から庭がよく見え、今も子供達が庭を駆けまわり、それを老人たちが微笑ましげに見守っている。
「ここの子供以外も出入りが自由なんですか?」
「勿論、ちなみに子供だけじゃないわ。大人だって、学生だって出入り自由。だから、貴方もここにいるのでしょう?」
「はあ。」
「ここは誰も否定しない、誰しもを受け入れる場所。実際、ここで生活をしているのは今、ここにいる内の大体三分の二くらいの人数なの。結構、近所の人が遊びに来てくれるのよ。」
にこにこと微笑みながらそう告げる彼女のこの施設に関する話は延々と続き、それに対して私はとりあえず『はあ』と気の抜けた相槌を打ちつつ段々とその話に飽きてくる。
なので話半分で聞きつつ意識を他に飛ばし、何気なく窓の外を見ていると視界を横切る異物に目を見張った。
それはまるで一枚の絵。
優しい木漏れ日の中、想像もできないくらい美しい少女が車椅子を押して庭を歩いている。
(……綺麗)
同じ茶色の髪なのに、ふわふわの長い髪はつややかで、深い緑の瞳は大きく長い睫毛に囲まれ、白い肌にバラ色の頬……何から何まで完璧な美少女から私は目が離せない。
「貴方には子供の遊び相手や大人たちの話し相手をしてもらおうと思っているの。学生さんは中々遊びに来てくれないから、きっと喜ばれるわ。」
「あ、はい!」
しかし、私が美少女に見惚れている間も続いていたユーナさんの言葉にはっと我に帰る。
「ちょうど今から昼食なの。食堂に皆集まるから、一緒に行きましょう。」
その言葉に促されて席を立つ、そうしながらちらりともう一度窓を見ると、美少女は既にいなくなっていた。
(私と同じ奉仕活動なのかな?)
だったら是非お友達になりたいものだと、その時の私は呑気に考えていた。
▼▼▼▼▼
食堂での食事はまさに戦場の如く……だった。
子供と大人とではなく、これじゃあ子供と大きな子供だと私は思った。
スプーンを持つことすらできない手で食べる食事は、そこらじゅうに食べかすが飛び散り、介助者の手がないと言って駄々をこねるお爺さん、食事がまずいと言って皿をひっくり返すお婆さんまでいる。
子供たちの方が余程、静かに綺麗に食事をしていると、私は始めている光景に戸惑いを隠せなかった。
そして、それは食事に留まらない、普段の生活においてもやれオムツが濡れた。歩けないから車椅子を押せ。トイレに連れて行けなど、文句と言うか彼ら大人の要望は後を絶たない。
それをレイチェルさんを始めスタッフの人たちは笑顔一つでテキパキとこなしていく。
戸惑っている私の方が物知らずで、これが当たり前のことなのだと言わんばかりに、なんの文句も抵抗もなく。
そんな姿は私にとって本当に尊敬する他なく、私と言えば何もできないまま子供たちの遊び相手や、大人たちの話し相手を務めただけで、酷く疲れてしまってその日は終わった。
「今日はお疲れ様!初めてのことばかりで疲れたでしょう?」
「いえ…本当に何もできなくてすいません。」
来た時と同じ笑顔のレイチェルさんと、酷く疲れた顔をしている私とでは何が一体違うのだろう?
「何言っているの!子供たちは遊んでくれるお姉ちゃんにはしゃいでいたし、大人たちは私たちじゃゆっくり聞いてくれない話ができる若い娘さんが来てくれて、本当に喜んでいたのよ。」
「そうだったらいいんですけど。」
「本当本当!じゃあ、また来週よろしくね!もう、日も落ちるし気を付けて帰ってね!」
「はい。今日は本当にありがとうございました。」
レイチェルさんに一礼して私はローズハウスを後にした。現在、夕食の真っ最中なので、私の見送りは彼女一人だ。
(そういえば、あの迷路の路地をまた帰るのか。迷わずに帰れるかなぁ)
疲れた頭でぼんやりとそんな事を考えていた時、夕暮れに長く伸びる他人の影が俯いた私の視界に入る。
それに気が付いてふと視線を上げると、すっかり頭から抜け落ちていたけれど、庭で見た美少女が私の目の前を横切っていた。
私は何も考えず、気が付くと彼女を呼びとめていた。
「あ…待って!」
その時、私がどうして彼女を呼びとめたのか、その理由を私は自分で答えることが出来ない。
もしかしたら、自分と同じような疲れを感じているかもしれない少女と一緒に何かを分かち合いたかったのかもしれない。
それともた、ただ目を見張るほどの美少女とお近づきになりたかっただけかもしれない。
だけど、どんな理由が私の中にあったかは定かではないが、何にしても私は【彼女】に声をかけた。
「何?」
振り返る美しい少女、後に私の人生において大きな存在となる彼女との出会いを、私はその後何年たっても鮮明に覚えている。
彼女の視線は愛らしい顔とは裏腹に酷く眼光鋭いもので、私が思わずたじろいでしまったことだって、昨日のことのように覚えている。