9-3
聖骸はレディール・ファシズに四体存在する。
エルザード神殿にある水の聖獣サルパニトゥムの骸
ドルマニア教会にある土の聖獣ヤンシェ・シグの骸
ザイサナック大聖堂にある風の聖獣ディンシャールの骸
ヴィシャル・ウルド聖跡にある火の聖獣アサルルドゥの骸
「四体の聖骸は神都アッパー・ヤードの東西南北に配置され、その中央にある世界塔を守護する役目を負っております。世界塔はそもそも神の居城でもあるので、聖獣たちは骸になってなお、神を守っているのです」
こんなでかい魔物が四体もいるのか…と、どうにもレディール・ファシズの人のように信仰の対象として聖骸を考える感覚のない私は、ただただぞっとするだけだ。(ちなみに全部の聖骸がサルパニトゥムのように巨大な獣かは定かではないけど)同時に先程から考えていた疑問を口にする。
「お話の途中で申し訳ないのですが、質問してもよろしいですか?」
「ええ、勿論です。何でしょうか?」
「聖獣はこれほど強そうなのに、どうして死んでしまったのでしょう?」
聖獣を私が理解する生物という枠組みに嵌めていいかは分からないが、寿命や病気で死に至った可能性もあるだろう。だけど、このすぐ間近に迫るサルパニトゥムは、、少なくともそういった理由で死に至ったようには見えない。
「王妃様は世界王が如何にして誕生したかご存知ですかな?」
一瞬『それはどちらの意味ですか?』と咄嗟に口にだしそうになって、私はその言葉を飲み込んだ。
まさか、シモンは【世界王が魔導力の塊である神を制御するための存在】だと私が知っているとまでは邪推していないだろうし、そもそも私が知ったその真実がどこまで周知の話なのかも分からない。
私は無難にファイリーンから習った伝承は知っていることを伝えた。
「そう。世界王とは神と初代巫女の間に産まれた神の子。ですが、どうして神の子が誕生するに至ったかが問題なのです。世界王が誕生する以前、神に楽園を与えられた人間たちは楽園を巡って争いを始め、ついには楽園を独占しようと神にまで刃を向けた。神は怒り、悲しみ、絶望しました…そして、人間に限りない愛と恩恵を与え続けた神は、全てを破壊する邪神へと姿を変えました」
神が邪神へと変身するなんて、中々に斬新な展開だと思いつつも、その辺り、何となくファイリーンから習ったような気がしてならなかったり?
だけど、フィリーとの関係が一番ぎくしゃくしていて、申し訳ないけど全く身も入らずに講義を受けていた時期があって、まさにその時期にこの話を聞いたような気がするだけで、全く鮮明な記憶が浮かんでこない。
そんな事実をファイリーンに知られたら大目玉というか、あの高飛車な態度で色々と捲し立てられるのが目に浮かぶ。
それならば…と、その分をここで取り戻してしまえとばかりに、私が知りたい部分とは全く繋がりなさそうな話だけど、身を入れて話を聞くことにする。
それに伝承は所詮は真実ではないし、興味も持てないけど、これはレディール・ファシズの人々にとっては真実であり、彼らの根幹部分に大きく影響を与える要素の一つだ。彼らの中で生きていくのであれば、私はそれを知っておく必要があるだろう。
「邪神は人間たちに粛清を下すため<闇の階>を発動させ、世界の全てを闇へと還そうとしました」
「<闇の階>」
それは神の持つ膨大な魔導力の暴走による世界の破滅。
「ええ、<闇の階>。神がお与えになる罰です。伝承によると闇が空を覆い、その闇が魂を取り込み、生物という生物は魂の抜け殻となって、大地には累々と骸が積み上げられたそうです。また、取り込まれた魂は闇の中を永遠に苦しみ彷徨いつづけます」
世界の終りに等しい禍とは聞いていたが、その効果のほどは知らなかった。
魂を取り込む…か。この間はそんな気配はなかったけど、完全な発動じゃなかったから?それとも、伝承が違うということだろうか?
「さて、話が一瞬ずれましたな。かくして<闇の階>は発動し、闇が世界を覆いました。闇に魂を取り込まれ、次々に人が動物が物言わぬ骸に成り果て、世界が混乱と絶叫に支配される中、まだ、魂をその身に宿していた一人の女人が懇願します。もう一度、人間に生きる機会を与えてほしいと、邪神に神に戻ってくれるように希ったのです。そのためなら自分は何でもするから、どうか…と」
神様相手にあまりに自分勝手というか、人間勝手なことを訴えるとは、中々に度胸のある女性である。
私が神なら一度自分に刃を向けるような相手にそんな事を言われたら、更に逆上しそうな気がしてならない。まあ、神と私じゃあ力も立場も状況も全く違うので、一括りで考えちゃいけないんだろうけど。
さて、そんな事を言われて神はどうしたのか?
「邪神は女人に言います。『何でもするというのなら、自ら死んでみせろ。そうすれば、今残っている人間たちは許してやろう』…神は始めから女人も、人間も許すつもりはありませんでした。女人は所詮、自分が助かりたいから命乞いをしているに過ぎないのだから、世界が助かったところでそれが自分の命と引き換えであれば、自分の命がどうあっても助からない。そうと知れば、絶望して泣き叫び、自ら死を選ぶことなどあるまいと」
てっきり、この後は神が最後のチャンスをあっさりと上げてしまうのかと思いきや、中々に残酷な話の展開に私は意表を突かれる。
「ですが、女人は邪神の思惑とは裏腹に死を決断します。しかし、その言葉を信じられない邪神は自らが持っていた剣を突き付け、すぐに目の前で死を迫りました。口だけならば誰でも嘘をつけることを邪神は知っていたのです」
神が与える死なら簡単だろう。<闇の階>が発動しているというなら、何もしなくてもいずれ魂が取られて死んでしまうのだから。
なのに、邪神は残酷だ。それを知っていながら、その死が訪れるより先に自分で自分を殺すことを強要するなんて。
女性は自殺という行為の愚かさに、恐ろしさに、苦しさに、悲しさに…怯え震える事はなかったのだろうか?
それをしたところで自分は助からず、何もしない人々だけが生き残る。そんな不本意で不公平な要求に女性はやりきれなさを感じなかっただろうか?
自らの願いとはいえ、生きたいと思う気持ちは皆同じだろうに、どうして…自分だけがと思わなかっただろうか?
「しかし、彼女は躊躇いすらなく自らをその剣で貫きました。邪神はその彼女の潔さ、無垢な魂、人々を救いたいと言う切なる願いに心を打たれ、人間を許し神へとその姿を戻したのです。そして、二度と人間が愚かな事をしないように女人を甦らせると、彼女との間に子供をなし、その子供を人間たちの導く存在とするようにしたのです。お分かりですね?その子供こそが初代世界王レインバック・ヴァトル様であり、その女人というのが初代巫女ローゼ・ロゼリア様です」
そんな自己犠牲としか言えない行為は、私には偽善でしかないような気もする。それは私が自分本位過ぎるからなのかもしれいない。
同時に美しい伝説にしなくてはならない故に、これほどの自己犠牲が前面に押し出される展開になったのだろうとも思う。
そうは分かっていても、こういった神の前には人間という存在が非常に軽くなっても当然だという感覚は、どんなにレディール・ファシズの人間になじもうとしても、共感できない部分だ。それにしても―――
「あの」
「分かりにくい所がありましたか?」
「いえ、分かりにくいと言いますか、結局、聖獣が死んだ理由というのは何だったのでしょう?」
ひょっとして『共感できんなー』と戸惑っている間に、さらりと説明が終わってしまっていたんだろうか?
「ああ!そうでしたな、元々はその説明でした。いやいや、つい熱が入ってしまっていて王妃様の疑問に答える肝心な部分を忘れておりました」
ぽんと手を一つ叩いて、全く悪気がない様子でシモンは続ける。
「結論から言いますと聖獣は<闇の階>によって骸になったのです。<闇の階>は人間だけでなく、生きとし生きる全ての生物の魂を取り込みます。それは聖獣も例外ではなかった訳です」
「では、この聖骸は魂がない入れ物に過ぎないという訳ですか?」
「そうなりますな。しかし、神が造りしその体は聖なる魔導を身にまとい、我々に恩恵を与え続けてくれているのです」
自分の手柄でもあるまいに、妙に胸を張ってシモンが最後にそう締めくくる。
「……」
何だか非常に後付風味が残る伝承な気がするのは私だけだろうか?いや、伝承自体がそういうものだから仕方ないのだろうか?
なんて、微妙に腑に落ちない部分を抱えつつも、せっかく説明してくれたシモンにそんな事をいっても険悪になるだけだろうと、その辺りは飲み込んで私はもう一度サルパニトゥムを見上げた。
今にも私を丸のみにしても、おかしくない迫力と躍動感を宿すこの魔物に魂がない?
見た瞬間にせり上がった恐怖は、逃げろと訴える本能は、いくつかの死線を潜り抜けてきたからこそ、感覚的なものにすぎないけど、私にとっては重要な判断材料だ。
魂のないそれにそんな大それたものを感じたのは、私の感覚が鈍っているのか?それとも―――
「それでは次の場所にご案内いたしたいのですが、よろしいですかな?」
思考の海に沈んでいた私を、シモンのそんな問いかけが引き上げる。
「あ、はい。よろしくお願いいたします」
今日の一応視察の名目がある以上、聖骸の見学だけじゃなく神殿全体を案内してもらう予定となっている。
とりあえずはここで考えても仕方ないかと心中で区切りをつけ、また、夜にでもフィリーに聞いてみようと切り替える。
(あ!フィリーって言えば)
と、そこで私は今日のこの視察の本来の目的を思い出した。
説明部分が長くて申し訳ありません。次回より物語が動き出します。