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愛していると言わない  作者: あしなが犬
第二部 現と虚ろ
68/113

9-2

 それは圧巻な光景だった。


「これが聖骸せいがい


 零れた言葉は無意識。喉元までせり上がってくるのは、興奮とも恐怖とも区別のつかない感情。

 とにもかくにも、それはあらゆる意味で私の想像を超えて、現れたのだ。

 それは一言でいうなれば巨大な蛇。しかし、同時にそれを蛇である…と断言することに、非常に違和感を覚えた。

 大きさは見上げるだけで首が痛くなるほど、とぐろを巻くしなやかで大きな体は、全て固く青白く光る鱗に纏われ、剥き出しになった牙や毒々しいほどに赤い舌は人間よりも遥かに大きく、血走った瞳は一睨みされただけで、石にでもされてしまいそうな迫力がある。

 私の中の分類でいえば、それは不入の荒地を支配する魔物に近く、だが、それは今までにお目にかかったこともない、超ド級の、姿を見た瞬間に逃走を図るレベルの魔物である。

 だけど、今、私は逃げもせず、ただ呆然とそれを見上げている。そんな私の後ろから合いの手が入る。


「聖骸・サルパニトゥム。水を司る聖獣のむくろです」


 私が逃げもしない理由はそれが言葉の通りに『骸』、すなわち死体に過ぎないから。どれほどに強そうな存在だろうが、死んでいる相手に逃げる必要はない。


「今にも動き出しそうで…迫力に圧倒されますね」


 しかし、死んでいる、動くはずがないと分かっていても、目の前の存在は侮ることを許さない強さと恐怖を放ち続けている。

 死してなお、これほどの強さを剥き出しにしている目の前の聖獣が、一体どういう状況で果てたのだろうか?

 威嚇か、攻撃しようとしていたかは定かではないが、牙をむき出しにして口を開き、不思議な色をした瞳を見開いたまま固まったその姿。…そう、それは骸というよりは、その瞬間に時を止められたといったほうがしっくりくる。だからこそ、私はこれを前に不安に駆られてしまうのだろう。


「レディール・ファシズでは当たり前の姿ですが、オルロック・ファシズでお育ちになられた王妃様には新鮮なのかもしれませんね」


 その言葉に私はようやく聖骸を見上げることを止めて、声の人物を振り返った。

 私の視線に気が付いて穏やかに笑うロマンスグレーな御仁。名をレヴィド・シモンという、教会の枢機卿の一人で、今私がいるエルザード神殿の責任者でもある。私は公務の一環として聖骸サルパニトゥムの安置されているこの神殿を訪れ、彼の案内を受けていた所であった。


「ええ。とても感動しております。聖骸は見てみたいと思っておりましたので、今日は念願がかなって嬉しいです」


 シモンは私が上辺だけでそういっていると思っているかもしれないけど、念願だったというのは本当だ。

 実際にこうして本物を見るのは初めてだけど、話はいくらでも聞いてきた。レディール・ファシズだけが独占する聖骸という存在は、オルロック・ファシズにとっては憧れに近い感情を抱かせる。

 それが何故かと言うと、この聖骸。ただすごいなーと鑑賞するだけの存在ではない。なんと、聞いて驚くことなかれ、これ自体が巨大な魔導力を秘めたエネルギーの塊なのだ。

 レディール・ファシスがこの干からびた大地で、何不自由なく豊かな恵みと魔物に襲われない平和を享受できる理由は、神の恩恵というオルロック・ファシズの人間としては信用ならないあやふやな理由ではなく、この聖骸という名の巨大な魔導力が理由であるというのが、オルロック・ファシズでの一般的な見解で、私もそれを信じていた。

 とはいえ、先日の一件で神もまた魔導力の塊だと分かった今、別の見解もあるかもしれないが、実際にレディール・ファシズでは聖骸から魔導力を得て、荒れ果てた大地にエネルギーを送り込み、人々が豊かに暮らしていける方法を確立しているので、何にしても聖骸がレディール・ファシズにとって重要であり、オルロック・ファシズにとっては喉から手が出るほど欲しい存在であることは間違いない。

 何しろ、この聖骸、あまりに大きすぎるそのエネルギーは尽きることを知らず、湯水のようにレディール・ファシズでエネルギーを使っても余りあるほどで、大地を豊かにするだけでなく、街の明かりなど暮らしに必要な魔導力も全てが聖骸からの供給だというのだ。

 オルロック・ファシズでも科学の力などで発展と遂げてきたとはいえ、エネルギーという面に関しては、なるべくエネルギーを使わない技術の開発を進めたり、省エネルギーを推奨している部分も多いのだ。


「ハハハ。そう言っていただけるとご案内する甲斐がございますな。しかし、ご存じとあれば私などの説明は不要ですかな?」

「いえ。私が知っているのは噂の域を脱しないものばかりでしょう。枢機卿のご説明を受けられる機会など、そうはありませんもの。私のように知識のないものにお話しすることは大変かと思いますが、是非お願いいたします」


 自分で言っていて何でこんなにへりくだらないといけないんだと思いつつも、教会のお偉方が私をどういう目で見ているのか理解していれば仕方ないし、仕事だ任務だと思えば大して苦にならない。

 しかし、難しいもので謙り方が下手だったり、相手が警戒心が強ければ、却ってその後の相手の態度が硬化して色々と面倒になる―――が、今回は成功したらしい。


「王妃様は勉強熱心でいらっしゃいますな。それでは僭越ながら、少々お話しさせて頂きましょう」


 私の謙りに機嫌を良くして笑うシモンを見れば、それが分かる。(まあ、この笑顔が演技という可能性も否定できないが、それはそれで仕方ない)

 そもそも、どうして私が教会の神殿に来ているかと言えば、つまるところ、視察という名の勉強というのが名目だ。

 王侯貴族が教会を視察するということは、特段珍しい事ではないけれど、それがオルロック・ファシズ出身の世界王妃となれば、視察というより教会についての勉強という側面が付随してくる。

 今までは後宮に軟禁状態だったため、勉強という面はファイリーンによる講義のみだったが、先日の誕生祭以降、後宮から出ることも護衛付きであれば認められるようになり(今も枢機卿の他に護衛が十人弱が周りにいる)、こうして実際に色々なものを見ながら様々なことを勉強できるようになった。

 ファイリーンの講義は分かりやすいが、実際に見て触れてたほうがが、やはり身に付くものも多いので是非に…とフィリーより枢機卿に打診して今回の視察となった。


「【聖骸】とはその名が表す通り聖なる骸。古の時代、神が生み出した聖獣の骸と言われております。王妃様の認識としては大きな魔導力の塊…といった感じでしょうが」


 暗に教会にとって重要である伝承部分なんて興味ないでしょうと言われて返答に困る。

 仰る通りオルロック・ファシズの人間にとって聖骸とはエネルギー源といった印象しかないのが正直なところだ。しかし、ここでそうですねと素直に頷くのも対面が悪く、とりあえず小さく笑って誤魔化す。


「確かにそれは聖骸にとって大きな一面ですからな。では、その他にも聖骸に実用的な面があるのはご存知ですかな?」

「実用的な面…ですか?いいえ、知らないです」


 私が首を振るとシモン枢機卿は下に視線を向けた。

 聖骸サルパニトゥムは神殿の内部に安置されているのだけど、その大きさは建物数階に渡るほどである。

 実際の神殿は五階建てで、サルパニトゥムはその全てを吹き抜けにした場所にあり、私たちはその顔が見やすい四階部分の回廊で話をしている。よって、下を覗き込むと一階部分が見える。


「ちょうど、今それが始まるところのようですね」


 その一階部分で何やら人が集まっていた。

 集まっているのは黒っぽい服を着た集団。視力が良い私は服装の様子から、魔導師のようだとあたりを付ける。

 その中でも一番高位だと思われる年嵩の魔導師はサルパニトゥムを背にして、その傍に立ち、彼の前に数人の魔導師が列を作っている。その魔導師たちは、明らかに私よりも若い者が多いように見え、更に皆が皆、何やら緊張した面持ちでそわそわとしていた。

 何が始まるのだろうと見守っていると、列の先頭にいる若い魔導師が跪く。その魔導師に年嵩の魔導師が手をかざすと、突如としてサルパニトゥムが青白く光を発し、若い魔導師もそれに共鳴するかのように光を発するではないか。

 何が何だか分からないまま見つめるしかないでいると、ワッと喝采が起きた。


「あれが魔導受胎です」

「魔導受胎…それは何なのでしょう?」


 聞きなれない言葉に先を促す。


「そもそも魔導師とは魔導術が使える者のことで、魔導術が使えるから魔導師ではありません」

「どういう意味です?私には違いが判りませんが…」

「すなわち、例外を除いては生まれつき魔導術が使える者はいないと言う事です。人間は等しくエネルギーである魔導力を持っておりますが、それを術として発動することができるのは、一般的に【魔導受胎】を受ける必要があるのです。故にオルロック・ファシズでは魔導術を使えるものはいないはずです」


 確かにオルロック・ファシズに魔導師はいない。(レディール・ファシズより亡命してきた人々は除くが)


「魔導術とは人智を超えた偉大なる神の技。それを扱うには神に許しを得る必要があるのです。それが魔導受胎。ああして聖骸の魔導力と自らの魔導力を共鳴させることで、魔導術を使う事ができ、人ははじめて魔導師となる」


 再びサルパニトゥムが淡く光り、歓声が聞こえてくる。また、新しい魔導師が誕生したらしい。


「なるほど、レディール・ファシズで魔導師が特別視される理由がこれでよく分かりました。彼らは神に選ばれた者ということですね…魔導受胎を受けられれば誰しも魔導術が使えるのですか?」

「理屈はそれであっていますが、魔導受胎は誰もが受けられるものではありません。保有魔導力が高いものでなければ受胎に耐えることができませんから。そのために魔導師になるには人並み外れた魔導力、その後、持っている魔導力を増やす鍛錬を行った者のみが、ああして晴れて魔導師になれる訳です」


 要は努力も必要だが、持って生まれた部分が大きく左右する訳である。

 自分もああして魔導受胎を受けたと、やんわりと自慢を始めたシモンの言葉を右から左に流しつつ、


(なら、私なんか問題外だわね)


 なんて自嘲する。

 別にものすごく魔導師に興味があった訳じゃない。…じゃないけど、先日、目の当たりにした魔導術同士のぶつかり合いや、魔導の強大な力を前に、自分が無力だと悲観とまではいかないが、魔導についての自分の非力と無知を実感せずにはいられなかった。

 せっかく、周りには魔導については詳しい人間が多いのでこれを機に、体を鍛えるのを再開するだけではなく、魔導に関しても勉強をしようと考えていた矢先に突き付けられた事実。

 魔導師としてスタートラインを切り、輝かんばかりの笑顔で喜びを分かち合う若者たちを見つつ、私はこっそりと憂鬱な気分に小さくため息をついたのであった。

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