8-11
スカートの裾…よし、乱れていない。襟元の崩れ無し、顔にかかる前髪を整えて……最後に一つ大きく息を吸う。
「……よし」
小さく呟いて目の前に立ちふさがる扉をノックした。
▼▼▼▼▼
<神を天に戴く者>の襲撃を受けた夜が明け、更に一日過ぎた。
カルラが去った直後、痛みやら、疲れやら、混乱やら、体にずっしりとのしかかるものは多くとも、お飾りの王妃である私はともかく、世界王であるフィリーがそれを理由に気を失って全てを放り投げる訳にはいかない。
カルラが去ったとはいえ、<神を天に戴く者>全てが撤退した確証もなく、私はフィリーに付き合う事にし、神域を早々に後にすると、まずは逸れてしまった騎士たちを探そうという事になった。
彼らが飛ばされたであろう偽りの神域とやらはフィリーの案内ですぐに到着し、そこにはオーギュストやレグナを始めとした騎士たちが大小の怪我の程度はあったけど、全員が無事で揃っておりフィリーの無事を喜んだ。
だけど、カルラと同じく他の<神を天に戴く者>たちも撤退をしており、誰一人捕える事は出来なかったようで、後に詳しい調査をするだろうから断言はできないけど、現状ではカルラが告げたこと以上の真相は分からぬまま、後味の悪い幕引きとなるようだ。
そのまま舞踏会場に戻ると迅速な事後処理が行われ後で、貴族たちは既におらず、戻ってこない騎士たちを心配して第二弾の救出部隊が編成されていた所だった。それは無駄になってしまったけど、彼らも世界王の無事に安堵したようだった。
さて、まだまだ問題は山積だろうけど、とりあえずはこれで一段落と言えよう。私はあらためてフィリーと向き合い、話を…と思った。
うん、まあ、そんな状況じゃない…と言われればそうなのかもしれないけど、今まで何回そう思って私は言いたいことの一つも言えず、何も聞けずにここまで来たような気がしてならない。
だから、どこかでは無理にでも話をしないと…そうしないとずっと話をするタイミングを逃し続けるに違いないと思った。
なのに、フィリーは私が傷だらけなのを理由にルッティに私を押し付けると、後宮に戻るよう命じたのだ。
私は食い下がった。体は問題ないから、すぐに話をしようと。話がしたい…と。
そんな風に今までになく積極的に話をしたがる私に周りは不思議そうにしつつも、フィリーに私と話をするよう勧めてくれたのだが、
『俺にはまだ至急で確認することがあるんだ。それが片付いたら、必ずアイルの話を聞きに行く』
そう言って、視線すら合わないフィリーに私が戸惑った。冷たく、近寄りがたいフィリーというのが嫁いでからの彼のスタンスだったように思っていたけど、私を意識しつつも避けるような様子は初めてだった。
明らかにこれまでの私に対する態度と違う様子は、何だか体調が悪いようにも見えて、溢れるほどに満たされている魔導力で全回復している私はともかく、<闇の階>を起こしかけたフィリーは体のダメージがあるのかもしれないと思い至る。
さすがに体調が悪い相手に話をしろと詰め寄るのも心苦しい気がして、とりあえず私は後宮へと戻り、その夜、フィリーが来るのを待った。
『話を聞きに行く』といった以上、当然、フィリーが私の所に来るものだと思ったし、事後処理などがあるから日中ではなく、これまでのように夜、眠るために後宮に訪れた時に話すだろうと考えたからだ。
―――しかし、その夜、フィリーはこなかった
体の調子が悪くて来れなかったのかと心配したけど、今朝、ルッティに話を聞けばフィリーは朝一番から仕事を始めているという情報を得る。体調が悪いならば、朝一で働くこともないだろう。
(逃げたわね)
それはさっさと話をしてしまいたい私の言いがかり…なのだろう。
フィリーは事後処理で忙しく、話をしに来るとは言ったけど、確かにいつ来るとは告げていない。フィリーはもしかしたら、今夜来るかもしれず、昨日の今日で『逃げた』などというのはかわいそうなのかもしれない。
フィリーには悪いが、しかし、今の私にそんなお優しい考え方は難しかった。
『ルッティ、陛下にすぐにお会いしたいと伝えてくれない?』
その言葉に表情を輝かせたルッティであるが、心底残念そうに私に告げる。
『そのお言葉を待っていました…と言いたいところなんですが、アイルフィーダ様。昨日の侵入者を逃がしている以上、陛下が簡単に後宮にお出ましになるとは思えませんし、アイルフィーダ様をここからお出しする訳にもいかないんですよ』
『……私、まだ後宮から出られないの?』
警護という名の監視が続いているということにも、納得しつつも腹が立つ。
(昨日は誰のおかげで<闇の階>を止められたと思っている訳?)
いつもならしない傲慢な思考に、それが表に出て非常に冷めた口調になったのをルッティが聊か危ない表情で見つめてくる。
それに気が付かないふりをして、『分かったわ。仕方ないわね』とだけ返して、一人になりたいからと彼女を部屋から下げさせると、私はとっとと後宮から人で抜け出すことにした。
(待ってても来ないなら、こっちから行ってやる)
こちらをなめきっている後宮の警備を潜り抜けることは簡単だったし、フィリーの執務室の場所は歩いている使用人に声をかけて聞き出した。(そんな簡単に王の居場所をほいほい教えてしまうのもどうかと思うけど、とりあえず助かった)
かくして、私はフィリーの執務室の扉をノックするに至った訳である。腹の中に相当の苛々と溜めながら。
「はい」
扉の向こうから誰かが近づいてくる気配と共に、内側に扉が開く。色々と覚悟をして来たけど、いよいよ後に引けなくなって、ここにきて怒りが急速に萎んで小心者の心臓が大きく音を立てる。
だけど、不思議かな。私はそれが表情には出ない。
「王妃!?」
扉を開けて私を認めるなり、大声を出して驚くレグナに対して、心臓はバクバクのくせに、汗一つかかず笑顔で冷静な声がでるんだから。
「こんにちは」
そのまま中に入っていいと言われることもなく、私は驚くレグナの隙をついて扉の隙間に体を滑り込ませると、レグナの声にこちらも驚いたような表情で固まるフィリーとオーギュスト、あともう一人の文官(確かウォルフ)に笑いかける。
「突然申し訳ありません」
ファイリーンに仕込まれた完璧な淑女の礼を取り、顔を上げた私はにこやかな表情を引き締めてフィリーに視線を定める。
「陛下。お話があります。お時間を頂けますよね?」
とはいえ、彼らとて仕事の最中に押しかけられたのだ。私の突然の申し出に異を唱えたい気持ちはあっただろう。しかし、私が発する有無を言わさぬ雰囲気にフィリーが一つ頷くと、他の3人の男はそそくさと部屋を出ていく。
それを横目で見てから、今更だけどとりあえず確認。
「私と二人になっていいんですか?確か私、オルロック・ファシズの人間だからとあまり好意的には見られていないと思っていたんですけど。話はしたいですが、別に二人でなくても私は構いませんよ?」
「……後宮から出るなと伝えてあるはずだが、どうして?」
後で何か言われるのも嫌なので気を遣ったつもりだったのに、その問いには答えず酷く険しい顔でフィリーはそれだけ言った。
その表情と声は、舞踏会場と神域で少しは近づけたと思えた私の感情を萎えさせるのに十分な威力を持っていた。だけど、今ここでそれにビビって怖気づいていては、ここまで来た意味がない。
私は目に見えて不機嫌そうなフィリーを無視するように好戦的に笑った。
「私の実力は先日の騒動でお分かり頂けたでしょう?そもそも元軍人の私に対する監視の割には、後宮の警備はお粗末としか言いようがありません。どうして抜け出せたのかと言われても、あの程度なら造作も―――」
「いや、そういう意味じゃない。後宮の配置は確かに君に対する監視という名目もあるけど、それはあくまで重臣たちを納得させるためのお飾り程度だから、アイルにとって抜け出すのが簡単なのは分かる。それより俺に今更何の話があるんだ?」
私の言葉を遮って捲し立てられる言葉は、明らかに私に対して何かを含む言い方で、もともと燻っている火種が戸惑いより怒りを強く感じさせた。
「『今更』って何?私は話があると言ったわ。それをしに来たんだけど」
せっかく王妃モードに戻っていた言葉遣いも、途端に荒くなる。
「大体、フィリーも私に返事をしろって言ったじゃない。だから―――」
―――だから、来たのだ
返事を聞いてほしいと、話を聞いてほしいと、それを受け入れて入れるだろうと思って来たのに、フィリーは私のあずかり知らぬ理由でつんけんしている。
(一体、どんだけ私を振り回せば気が済むわけ?)
どうにも読めないフィリーの態度に、何だか理不尽すぎて私は苛立つやら、悲しいやらで彼を睨む。だけど、そんな私に対して返ってきた返事は想像していないものだった。
「返事ならもう分かってる」
頑なに私と視線を合わせずに、険しい表情に苦渋を滲ませてフィリーは続けた。
「だから、少し時間を置きたかった。受け入れられない事を覚悟していたはずだったのに、いざそれを突きつけられたら、どうしてだとアイルに詰め寄りそうになりそうで……落ち着くまで距離を置きたかった。情けないよな…ごめん」
何故だか急に謝りだすフィリー。そんな彼にどうにも話に付いていけなくて戸惑う私。
「え?いや、ちょっと、勝手に自己完結しないでっ!私、フィリーが言っている話が全然分からないんだけど。何?私っていつのまに返事してた?」
少なくとも私はそんな覚えもないし、それを暗に匂わせた発言もしていないはずだ。
妙な焦りを感じつつ言葉を返せば、フィリーも私との食い違いに気が付き始めたようで戸惑いの表情を浮かべた。
「……お前が王妃になったのも、俺を助けに来たのも『任務』のためだろう?それを利用したのは俺だし、そのおかげで<闇の階>を起こさずに済んだのも確かだ」
とりあえず、それに関してはきちんと礼を言わせてくれと律儀に頭を下げられる。
いやいや、それこそ『任務』なんだから、礼を言われることじゃ…とは思ったけど、ここでそれを言い出すと話が逸れるのでフィリーの話の続きを促した。
「だが、それは要するにアイルにとって全てが『任務』で『俺への感情』が何もないという事だろう?それが答えだと思った。俺たちは政略結婚で、だけど、気が付けば俺はアイルにどんどん惹かれていった…そんな資格はないと分かってても、気持ちを抑えきれなかった。政略とは関係なくアイルが傍にいてくれたらいいと思った。だけど、それは浅はかな俺の願望に過ぎなかったんだよな」
微妙に要領を得ないフィリーの言葉を整理すれば、要するに彼の舞踏会場での愛の告白を、私は知らぬ間に私がここにいる理由は『任務』でしかないとお断りをしているという状態という事でいいのだろうか?
それに何と言葉を返したものかと戸惑いつつも、私に何一つ確かめもしないで、自分の思い込みだけで、どっぷりと失恋の痛みに浸かりきっているフィリーに呆れる気持ち半分、同時に妙な既視感を感じた。
(私も同じか)