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愛していると言わない  作者: あしなが犬
第一部 現在と過去
62/113

8-9

 かくして、その後、ほんの数秒項垂れたまま固まっていたフィリーだったけど、落ち込んでいる(何が理由かは分からないけど)状況じゃないのは分かっているらしい。気持ちを切り替えるように、大きく息を吐いて私から離れると状況説明を求めた。

 それに応じて私は手短にケルヴィンとのやり取りや、フィリーが球体に取り込まれてからの事を話すと、彼は僅かに考え込んで口を開く。


「あの男は俺が<闇の階>を起こすことを前提に、アイルを妃として送り込んだのか…どうして、俺自身が想像しえない事態をあの男は知っていたんだ?」


 問いかけているようにみえるが、その実、フィリーは自分の思考に没頭しているようで、独り言のようにぶつぶつと早口に言葉を重ねる。

 人とは微妙に思考する方法が違うのか、頭の回転は以上に早いけど、思考するときのフィリーはいつもこんな感じだったなと思い出す。


「そもそも、<闇の階>を止めるのにアイルが最善だという理由は……なるほど、だが、それはどうしてだ?カルラと名乗った<神を天に戴く者>も、それらしいことを口にしていたな。………アイル、何か心当たりはないのか?」


 そんな調子だったのに、急に話しかけられても普通は簡単に反応できないものだと思う。だけど、幸いに私は八年前の感覚を取り戻しているのか、意外とすんなりとそれに答えられる。


「何が『なるほど』なのか知らないけど、現状と関わりそうなことで、今話したこと以上の話を私は何も知らないわ。それより、<闇の階>が発動すれば世界王の命が危険だって聞いていたんだけど…何ともないの?」


 せっかく、自分の思考から戻ってきてくれたのだ。聞きたいことは今のうちにと、一番気になっていた事を尋ねた。

 今は顔色も良く、苦しんでいる様子もないので忘れそうだったけど、私が焦っていた大きな要因は、フィリーの命に関して時間がないと思っていたからだ。

 すると、やっと本当の意味で思考する頭から通常へと切り替わったらしく、一瞬だけ目を見張って口元だけ笑う。


「心配してくれて、ありがとう。とりあえず、今は何ともない。【むこう】の神域の時は、死ぬかと思うくらい苦しかったけど、【こっち】の神域に知らない間に付いた途端に何ともなくなった。そもそも俺自身も何が起こっているか全然分かってなくて、アイルの話を聞いて初めて<闇の階>が発動していることに気が付いたくらいだし…まあ、異常事態であることはすぐに分かったが」


 いいながら、フィリーはすぐ傍にある扉と、そこから止まる気配もなく放出され続ける水を見て顔を険しくする。丘の下にはもはや水溜りの域を超えて、水嵩が段々と増えてきているのが見えた。


「ちょっと、待って。【むこう】の神域とか【こっち】の神域とかって…どういう意味?」


 私の質問に答えてくれるのは嬉しいが、微妙に言葉足らずなのか、はたまた私が物を知らないのかは定かではないけど、このまま話しつづけられても意味が分からないので私はとりあえずフィリーにストップをかけて、疑問をぶつける。


「ん?ああ、神域っていうのは、そもそも神と現の接点、その全てがそう呼ばれていて、実際にはこの世界にいくつか神域と呼ばれる場所がある。俺たちがさっきまでいた場所は、神と世界塔の接点。そして、ここは神と俺の接点。俺はここで神と繋がり、この場所があるから神と魔導力を共有できている」

「じゃあ、やっぱり、ここはさっきカルラに襲われてた場所とは違う場所ってことよね?」

「そういうことだな。少なくとも、同じ空間には存在していない」


 雰囲気は同じだけど、違う場所だと感じた私の直感は間違ってはいなかったらしい。だけど、


「だったら、どうやって私たちはこの場所に来たの?特に転移魔導を使ったわけでもないのに…」

「推測だけど、それはアイルが触れたという球体が<選びの門>だったと考えるべきだろうな」


 聞き覚えのない言葉に眉を潜めると、フィリーは一つ頷いて説明を加えてくれる。


「<選びの門>っていうのは、アイルが世界塔から神域に至った時に通った扉がそれだ。神域は神と関わりのある者以外を許さない絶対領域だ。それ以外を排除するために、神域には<選びの門>からしか入れず、門は神域へと至ろうとする者を選別し、神と関わりのない者は神域ではなく別の空間に飛ばしてしまう」


 ちなみに通常、このフィリーの神域に至るには、フィリーが魔導で造った<選びの門>を通るしかなく、世界塔の門のように常に存在しているものではないらしい。あの球体はフィリーの中で溢れる神の魔導力を世界に流すために発生した門で、<闇の階>の一部ではないかとフィリーは推測した。

 そこまで<選びの門>の説明を受けて、なるほどと思った。不思議には思っていたのだけど、世界塔の神域に着いた時、だから同じ扉を潜ったというのに、騎士は神域にはいなかった訳だ。…うん?待てよ?


「え、だけど、じゃあ、私とカルラは?」


 神と関わりのある者…カルラは知らないけど、少なくとも私は絶対に違う。ぎょっとして目を剥いた私だが、それをフィリーは冷静に切って捨てる。


「それは今は答えが出ない問いだろうな。多分、そこにあの男がアイルを最善だと言った理由があるんだろうが」


 言われて、自分が神と関わりがあるのかもしれないと頭の片隅で考える。だけど、これまでの人生を振り返っても、そんな要素は何一つなく、自分が気が付かないくらい些細な事で案外簡単に神とは関わりを持てるのかと混乱した。


「自分も入れているんだからと、神と関わりのある人間が意外に多いんじゃないかという想像はすぐに打ち消せ」


 すると、私の想像を見透かしたようなフィリー言葉がそれをばっさり切り捨てた。


「神との関わりがある人間は、世界王とそれを産む巫女しかいない。今のところはリリナカナイすらその資格を持っていない。それ以外の人間に資格があるはずがないんだ」

「でも―――」

「そうだ。でも、アイルはここにいる。その理由は分からない。だけど、神域にはいる事ができる…それがアイルこそが<闇の階>を止めることができる最善の理由なんだろう。しかも、お前は魔導力の吸収能力を持つ。あの男が現状を何処まで予想しているかは知らないが、あまりにも好都合すぎる存在なんだよ、アイルは」


 フィリーの言う所の好都合とやらの意味は分からないけど、とりあえず、私の力で<闇の階>を止めることができるのは間違いないらしい。

 最重要問題として<闇の階>を止める事は勿論だけど、私もフィリーもそれだけでこの状況を納得できるほど、お人よしではない。


(何が何でもケルヴィンを締め上げて吐かせるべきだったかしらね?)


 初めからあの男の頑なさを知っているために聞き出すことを諦めたことを、心の中だけで冗談めかして悔いる。でも、それは<闇の階>を止めてからでもできる。私はその時のことを考えて、ぽきりと指の関節を無意識に鳴らす。


「アイル?」


 その音が聞こえたのか分からないけど、私の名を呼び首を傾げるフィリーには誤魔化すように薄く笑った。


「それで?フィリーは<闇の階>を止める方法に見当がついているのよね?だったら、まずはそれから片付けよう。貴方が言うように、ここで色々話していても何も解決しそうもないし」


 できるだけ明るく言ったつもりだったけど、フィリーの表情はやはり曇る。

 私が何を言おうと、フィリーとしては私を巻き込んだ罪悪感を振り切ることはできないんだろう。その気持ちも分からなくはないので、何も言わずにフィリーを見守る。

 かくして、苦しげな様子のまま一つ目を閉じて、再び瞼を開いた時、彼の表情はフィリーではなく世界王のものとなっていた。

 美しいと思う姿の中に、近寄りがたい厳しさと強さを讃える表情を、私は少しだけ寂しいと思った。

 フィリーはそんな場違いな私の心情とは裏腹に、淡々と本題を語りだす。


「この神域は神と俺の接点だと言っただろう?だが、神域とはあくまでも接点であって、神は実際にはこの場所にはいない。ここには神に通じるものがあるだけだ…その通じるものというのが、この水が流れで続けている扉だ。この扉の向こうに神はいて、神の魔導力がある」


 だけど、今はその扉から大量の水が溢れ出ている。


「じゃあ、この水って―――」

「そうだ。これが神の魔導力だ」


 音を立てて、傾斜を流れ、丘の下に溜まり、もはや湖のようになっているこの水が魔導力だと言われても、私はいまいちピンとこなかった。

 足元で冷たい水の感触や、飛び散る水飛沫は普通の水と変わらず、先程までの嵐のように私を傷つけることも、圧力すらも感じない。神の魔導力という、恐らく濃密な気配を私は一切感じていないのだ。

 もともと魔導力を吸収できても、それを扱えない私だけど、あの嵐には大きな魔導力の気配を感じていたというのに、恐らくそれよりも濃いであろう神域の魔導力を微塵も感じないなんてあり得る事なのだろうか?


「言っておくが、こんな風に水が大量にあふれ出てくることなんて、今まで一度もなかった。いや、この扉が開いていること自体が一度もなかった」


 ふいに沸いた疑問に意識を持って行かれそうになるのを、フィリーの言葉にそれを追いやる。

 彼は掌をかざすと、そこに何の変哲もない一つの鍵を出現させた。多分、魔導力で作られている鍵だろう。


「これはこの扉の鍵だ。俺の魔導力で作られたこの鍵でしか、扉は開くことはできない。だけど、これを使ったことはこれまで一度もなかった。神へと繋がる扉は絶対に開いてはいけない…それは世界王にとって絶対の理なんだ」

「だけど、神との接点を閉ざしてしまっては、その魔導力を使うことはできないでしょう?それは貴方に神の魔導力が必要ないという事?」


 その割には先程の舞踏会での戦いっぷりは、常人とはかけ離れているように感じた。


「扉に鍵がかかっていても、それでは抑えられない魔導力が隙間から溢れていたんだ。扉の隙間から少しずつ漏れ出す水、魔導力があれば世界王としての強さは十二分だった。逆にそれ以上の魔導力は強すぎて制御ができない。なのに、この神域に突然引き摺りこまれたと気が付いた時には、扉があいてこの状態だ。鍵を再びかけようにも、水の勢いがすごすぎて扉を閉められないんだ」


 そこでフィリーに声をかける前の、彼の不思議な行動の辻褄が合う。同時に自分がなすべきことが見えてくる。


「私はこの水…ううん、魔導力を吸収して扉を閉められるように勢いを殺せばいい訳ね?」

「すなまい。神からの魔導力は流れてくる一方で、こちらから調節ができない。そのためにこの扉と鍵があるんだが…」


 理由は分からないけど、それが誰か、何かによって開けられていた…状況を考えるならそれをしたのはカルラになるのだろうか?

 彼は私同様に何らかの理由で神域に入れるのだから、この場所にも来る事ができると仮定して、だけど、鍵は?フィリーの魔導力で造られた鍵がなければ、扉が開かないのであればカルラにもそれは無理だと考えるのが妥当か。

 これまた、結局のところ情報が少なすぎて答えは出そうにもない。

 そんな事ばかりで段々と苛々してく短気な自分を戒めるように、首を横に振った。


「じゃあ、さっそく―――ねえ、その前にあと一つだけ聞いてもいい?このままの状態が続くとどうなるの?」


 <闇の階>は世界王を殺し、世界を滅亡させる。そんな脅し文句に怯えていたが、フィリーはピンピンしているし、まあ、あの魔導の嵐は大事かもしれないけど、この神域の様子を見る限り世界の滅亡なんて文字は全く感じない。


「この神域の大きさは、そのまま俺の魔導力の保有量だ。今は門から漏れ出している魔導力だけしか現実には影響がないだろうが、魔導力がその限界を超えた時、俺と共に神域は崩壊…この扉と現実が直結して、尽きない魔導力が世界にだだ漏れになる。それが<闇の階>なんだろうな」


 更に言うと、現状、この神域から出る門はないらしい。要するに実はフィリーも私もこの場所に閉じ込められている状態で、このまま尽きない魔導力という名の水で神域が水没した時、私たちはなす術もなく溺死する運命。


「……」


 淡々と事実を告げるフィリーに対して、私は咄嗟に水嵩が増え続ける丘の下を覗き込んだ。

 先程までは見えていた森の木々の緑が水の下に沈んで見えなくなり、波立つ荒々しさが、頂上からでも確認できるほど近づいてきている水面。

 それを目の当たりにして、背中につうっと汗が冷たく滑り降りた。


(あれ?今の状況、結構焦らないといけないところじゃないの?)


 フィリーの余裕っぷりに、勝手に現状がそれほど大変ではないと思い込んでいた私は、ここにきてフィリーと再会する前の焦りが甦り、同時に何も言わないフィリーに恨みがましい感情が湧いて出る。

 でも、今はそれを口に出して口論している時間も惜しい。

 もうあと数秒しか時間がないという訳ではないけど、扉を閉めるのは少しでも早いに越したことはない。私は無言のまま、扉に体を向けた。


「眉間に皺が寄ってる」


 そんな感情がそのまま顔に出ているらしい、フィリーは世界王としての顔を崩し、苦笑しながら自分で自分の眉間を指さした。


「どうして、そんなに余裕なの?」

「余裕なんかない。これでも結構焦ってる。自分の不甲斐なさに苛ついてもいるし、訳分からなくて混乱もしてる」

「見る分には平然としているみたいだけど?」


 言いながら、つい数十分前までの私ならフィリーにこんな口調で、こんな事を言わなかっただろうなと思った。状況が状況だけに、お互いに開き直った感が強く、八年前の二人に戻ったような気すらする。


「まあ、八年も世界王なんてやってたら面の皮も厚くなるってことだろう。それを言ったら、アイルのほうが機嫌は悪そうだけど余裕そうに見える」

「私は―――」


 だけど、それは錯覚だ。

 互いに遠慮がなくなったように見えても、フィリーにも私にも、互いにまだ隠していることはいくらでもある。心だって許していないし、信じあえてもいない。だけど、それは当然の事なんだと思う。

 何しろ私たちの間にある繋がりは、今の私とフィリーが築いたものじゃなくて、それはあくまで八年前の私達が築いたものに過ぎない。それが全く意味のないものだとは言わない、だけど八年という歳月は、決して短くもない小さくもないんだ。

 要するにそれはとても優しくて、切ない思い出だけど、現実にはあまりに不確かで、あやふやな記憶でもある。少なくとも今の自分の全てを預けるには及ばないってことなんだろう。

 それが寂しと思う、だけど、私はそれに正直安堵もしている。


(…フィリーに対する答えが見つかったかも)


 なんて、つらつらと自分の心情を確かめていたら、不意に先程のフィリーの告白らしいものへの返事が思い浮かんだ。そして、それは私の中で非常に納得できるものだった。


「アイル?」


 変なところで言葉を切った私をフィリーが訝しむように名を呼ぶ。それに沈黙したまま首を振って、私はとりあえず<闇の階>を止めるべく放出され続ける水に手を近づけた。

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