8-4
出口の見えない上り階段に騎士が纏う甲冑の音が大きく響く。
揺らめく松明の明かりが点々と灯された薄暗く狭い階段。それを一列になって上り続ける事……どれくらい経ったんだろうか?
延々と続く同じ景色…というか、騎士の背中を見続けるだけなので、段々と時間の感覚が曖昧になってくる。
だけど、上り続けた時間と距離が短くない事は確かだ。まあまあ自信がある私の体力が何となしに底へと近づいているのを感じつつある。
そもそも今の服装も悪い。ヒールを階段に引っかけないように、纏わりつくドレスで態勢を崩さないように……駆け上がるだけの騎士達より、様々なことに気を配りつつ走る私は必然的により体力を奪われるのだ。
本当はこっそり運動不足かなと思いつつ、そんな言い訳を胸のうちで呟き、とりあえずは明日から体力作りに勤しもうとこっそりと決意する。
(それにしてもこの階段…ちゃんとどっかに繋がっているんでしょうね?)
途中に階段から他に通じる出口の一つもなく、レグナ達に会うことも無ければ、侵入者からの待ち伏せもない。段々とこの階段を上り続けていいのだろうかという不安に駆られているのは、多分私だけじゃないはずだ。
何一つ常識が通用しない世界塔。同じ入口から入っても、別々の場所に繋がっているという可能性だってあるだろう。
その可能性を考えずに階段に飛び込んだ訳ではないが、改めてこの世界塔という存在の厄介さを思い知らされる。
(大体、得体の知れない世界塔を我が物顔で使っていること自体が危ないのよ)
あまりの厄介さに、思わず今更どうしようもない事を思ってみたり。
確かに神が建てたという伝説の塔はレディール・ファシズにとって、加護とか権威の象徴のようなものだろう。それは理解できる。
だけど、使いこなせないその存在に世界王や巫女の部屋があったり、今回のような大々的な舞踏会を催すのは安全面で問題ではないだろうか?
今回の一連の事柄も世界塔でなければ、あんな檻が現れたり、こんな風に後を追ってもこれが正しい道なのか不安になる必要はなかったかもしれない。
勿論これは全て仮定の話で、事が起こってしまった今となっては考えても仕方ない。
だけど、こんな風に考えて自分の心の中だけでも愚痴っていないと、フィリーを追っているというのに、その足跡すら感じられず、じりじりとせり上がってくる焦燥感に押しつぶされそうなのだ。
(大体、何が『神』よ。世界王の危機に何もしてくれないくせに)
発散できない焦りは次第に、私にこんな愚かな考えまで抱かせる。
『神』という存在がいる訳がないと、完全否定する気は毛頭ない。だけど、私はレディール・ファシズの人々のように、ただそれだけを信じ、敬う事などできない。
寧ろリリナカナイのように『神』がフィリーを守ってくれるから大丈夫だなんて、絶対信じられない。
まあ、レディルー・ファシズの人々もその全てが、リリナカナイのように盲目的に神を信じているだけではないのだろうとは思う。
だけど、城の中での私というか、オルロック・ファシズの人間を差別する様子から、それは信仰というよりは、もはや常識として彼らに根付いているのだろう。
『神』『教会』『世界王』『巫女』…私にとってはただの言葉でしかないそれらが、レディール・ファシズの人には特別な意味を持ち、信仰と尊敬の対象となる。
それが脈々と受け継がれてきたある種の洗脳のようなものであると、外から眺めれば明白であるとは分かっていても、ただ信じていることが悪である訳もない。
(だけど、そのために他人を傷つけることは罪じゃないの?)
私に対する差別の事を言っている訳じゃない。
今回の舞踏会での襲撃にフィリーを攫った暴挙。何が目的なのかは未だに不明だけど、<神を天に戴く者>という大層な名のもとに、世界王から神を解放するとのたまう集団。
信仰、信念…言葉は違えど、人は自分の願いのために何かをなそうとする。それは悪くない。何もしないまま、願いがかなわないと嘆くより余程いいだろう。
だけど、それをなそうとする時に、誰かを傷つけていいのだろうか?いや、誰かの願いがかなう時、それが他人の不幸となることはよくあることだ。全ての人間が幸せになる願いなど、世の中にそう沢山ある訳じゃない。
だからこそ、願いを叶えようとする時、人は誰かの願いと衝突し、戦うこととなる。そして、その戦いに勝った者だけが願いを叶える事ができる。
だけど、勝ったから正義ではない事を、自分の願いの代償に戦いに負けた者が傷つき倒れた事を人は知っていないといけない。
大義を振りかざして舞踏会を襲い、フィリーを攫った<神を天に戴く者>にとって、これは正義なのだろう。何一つ罪悪感も抱かずに剣を振りかざし、他者を傷つける。
だけど、それは大義があろうが、信念があろうが、暴力は暴力だ。それはその暴力を受けたものからしてみれば、許しがたい悪行。
(フィリー…無事でいて!)
その暴力にフィリーが傷つけられることが怖い。
それが現実になった時、自分は何を想い、どうするのだろう?想像がつく自分の行動に僅かに首を横に振る…駄目だ。それをしては私がここに嫁いだ意味がない。
フィリーへの想い、苛立ち、様々に思うところはあるけれど、ともかく、今はただフィリーの無事だけを願おうと、うだうだしていた思考を切り替えようとした時だった。
「出口だ!!」
騎士が張り上げた声にはっとする。
延々と続く薄暗い階段の先に、眩い光が漏れている出口が確かに存在する。
「敵が待ち伏せているかもしれない。気をつけろ」
剣を抜き、次々に光の中に消えていく騎士たちに続いて私も最後の階段を駆け上がった。
「!?」
目が眩むほどの光が溢れる。
咄嗟に瞼を強く瞑り、腕を顔の前に翳した。幸いに光はすぐに消えたが、眩んだ瞳にすぐに視界が回復しない。
それゆえだろうか、視界を補うように嗅覚が敏感になったらしく、普段気にしない空気の匂いに違和感を覚えた。
ひんやりと冷たい空気に交じる、草の匂い…ここは建物の中じゃない?
次第に回復する視界にも、目に優しい緑が飛び込でくる。私は世界塔の中を駆け上がったというのに、どうやら外に出てしまったらしい。
うっすらと霧がかかり周囲全てが見渡せる訳ではないけど、巫女の離宮のような庭園というには広々とした草原とすぐ近くには川が流れ、その奥に森が広がっているのが確認できた。
「やはり、お前は辿りついたか」
聞き覚えのない男の声にはっとして振り向くと、そこには黒づくめの男と―――
「フィリー!!」
男の足元には気を失っているらしく、倒れているフィリーの姿。
「世界王の命が大事なら動かないでもらおうか?」
駆け出そうとした私を牽制するように倒れるフィリーに剣を突き付ける男。それに奥歯を噛みしめながら、私はざっと周囲を確認し眉を顰める。
突然外に出たことに驚いて気が付かなかったが、一緒にいたはずの騎士たちが周りに誰もいない。
確かに私は彼らと同じ出口から出たはずだ。……にも拘わらず、この場所にいるのは私と男とフィリーだけ…他の侵入者やレグナや騎士たちは?
「騎士たちを何処にやったの?」
男は一見すると年齢不詳だった。
黒い服の上からでも筋肉質な体であることと、極端に若くも老いてもいないことは分かるけど、長い前髪に隠された表情からは何も窺い知ることができない。
ただ、こちらを油断なく伺う様子から、この男こそが私の能力を知っている侵入者だと辺りを付ける。
そうでなくては丸腰の女ひとり相手に、フィリーに剣を突きつけてまで牽制する理由が見当たらない。
「黙っていないで答えて」
私の問いにだんまりを決め込む男に言い募る自分の声が、焦りの色を帯びていることに苦々しい気持ちになる。
ドレスにハイヒールを履いて武器の一つも持たず、味方の一人もないこの状況。目の前には敵がいて、助けたい相手は気絶して剣を突き付けられている……はっきりいって絶体絶命。
だけど、私がそんな風に思っている事を悟られるわけにはいかない。虚勢だろうが、強気でいなくてはなるものもならなくなる。
私は歪みそうになる表情を引き締めつつ、後ろ手で指輪に手をかける。武器がない以上、私にあるのは指輪を外した時の能力だけだ。
「教えてやってもいいが、その代わりに指輪から手を放してもらおうか」
「っ!」
内心で舌打ちしつつも、フィリーに突き付けられる剣が近づくのを見て私は両手を顔のあたりまで上げた。
「騎士が何処に行ったか…だったな。簡単だ。偽りの神域で我が同胞と戦っている事だろう」
男の言葉はこちらの質問に答えているようで、その言葉は酷く分かりにくい。
単なる口下手か、それとも分かるように言うつもりなど元々ないのか、表情が分かりにくい上に、抑揚なく平坦に言葉を紡ぐ男に私は異様な雰囲気を感じ取る。
「偽りの神域?」
「この地、神域を容易に侵されることのないように創られたのが偽りの神域だ。この場所には本来選ばれた者だけが辿りつく事ができる」
「選ばれた者?」
男と私とフィリーに共通するものがあるという事?
「言っておくが選ばれているのは俺と世界王だけだ。お前は【この世にあらざる者】だから選びの門が偽りの神域へお前を飛ばすことができなかったに過ぎない」
「それはどういう―――」
聞き返そうと言葉を紡いでいると、気を失っていたフィリーが身じろぎする気配にはっとする。こちらを向いて倒れていた彼は目を開いて、数秒視線を彷徨わせた後、私に気が付いて体を素早く起こす。
「動くな」
だけど、立ち上がろうとした瞬間に目の前に剣を突き付けられて動きを封じられる。だけど、その剣には見向きもせず彼は怖いくらいの表情で私を見つめてくる。
「どうしてっ、ここにいるんだ!」
その強さに、吐き出された苦しげな声に私はたじろぐ。
「ど、どうしてって、貴方を助けに―――」
「すぐに戻れ!」
言葉は強いが顔色は悪い。
どうして倒れていたかは分からないけれど、気を抜けばきっとすぐに倒れてしまいそうな顔色でフィリーはなおも言葉を続ける。
「ここはお前が来る場所じゃない。こいつは俺に危害を加えることはないから、大丈夫だから、早く―――」
「そんな事、できるわけないじゃない!!!」
それは私を傷つけたくないという優しさから?私が足手まといだからという迷惑さから?
確かにフィリーを心配していた私の気持ちなんて、フィリーにとっては知ったことではないんだと思う。
だけど、どうみても大丈夫じゃないフィリーを置いて自分一人逃げるができるだろうと思われていると思うと、無性に自分が見くびられているような気がして、この時、一般的な女性がどんな反応をするかなんて考えも至らず、ただただ腹が立った。
結果、今まで築き上げた王妃の仮面を自分からかなぐり捨てた自分がいた。妙に清々しく、素の自分に戻った感覚で唖然とするフィリーに笑ってみせる。
「大人しく私に助けられて。貴方には言いたいことが山ほどあるから」
言いながら私は躊躇いなく指輪を引き抜く。
男がフィリーの首筋に脅すように剣を当てた。
「やれるもんならやってみなさい。フィリーが言ったように、まだフィリーには手を出せないんでしょう?だったら、私が戸惑う理由はないわ」
言いながら高いヒールも脱ぎ捨てて、勿体無いと階段では我慢していた、纏わりつくドレスのスカートを破って足さばきをよくする。
味方の援護が期待できそうもない以上、私も本気を出さないとこの場を切り抜けられないと本能が叫んでいた。
更新遅れ気味でしたが、今後は多分元に戻ると思います。
拍手の小話もリニューアルしましたので、興味がありましたら。久々にあの男が登場です(笑)