第八章 現在8-1
―――ねえ、本当はね。『愛している』と言わないんじゃないの
そう囁くのは、怖くてその言葉を言えない弱くて臆病な私。
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ふと気が付くと目の前で子供が蹲っていた。
声を張り上げて泣くことを忘れて、すすり泣く子供の姿は愚かで哀れだ。
(まあ、大声で泣いたところで何も変わる訳じゃなんだけど)
それを見下ろして嘆息する。
これは成長しない幼い頃の私。永遠に消える事のない深い深い心の傷。
『お父さあん…おか・あさんっ、どこにいるのぉ……?』
―――私は親に見捨てられた子供だった
エリーとその両親は後に私に家族というものを教えてくれた大切な人たちだけど、血は繋がっていない。実際に血の繋がった家族は別にいる。
昔は『あんな親』はこちらから願い下げだと強がっていた頃もあったけど、大人になってようやくこの泣き続ける子供の私を受け入れた。それはすなわち、両親に捨てられたことを引き摺り続けている弱い自分を認めるという事。
弱い自分が嫌で嫌で仕方がなくって、我武者羅に強さを求めた時期もあった。他人を寄せ付けない事もあった。だけど、最後には疲れ果てて仕方がないと諦めた。
どんなに忘れたふりをしたって、何でもないふりをしたって、それは私にとって大きな傷以外に変わることがなかったのだから。
だって、親という初めて愛してくれるだろう人間に拒絶された時、他に頼るもののない子供が傷つかない訳がない。それによって誰かを愛したり、愛されたりすることに臆病になったって仕方がない。
後の出会いや交流によってそれらは癒された部分も、成長した部分もある。それでも、親に捨てられたという事実は今も変わらないまま私の中で大きな劣等感として横たわっている。
『巫女になれないお前も、それを産めなかったあの女も私には用のない人間だ』
私と同じ瞳と髪の色をした父親は、そう言って母親と私を妻とも子供とも思わなくなった。
『どうして巫女色を持っていないの!?』
その事に絶望した銀髪に赤い瞳という巫女色を持った母親は、私を捨てて家を出て行った。
残されたのは私を子供だと思わない父親と、父親しか頼ることのできない幼い私。纏わりつく私に父親は晴れ晴れとした顔で言った。
『あの女がいなくなったおかげで、俺は彼女の所に行くことができる。ああ、心配するな。お前の次の行先はちゃんときめてある』
母親と私がありながら、父親は外に浮気相手を作って、母親が出奔したのを機にその相手の所へ行ってしまった。
幼い私には当時、そこまで分からなかったが、ただ父親もまた私とは一緒にいてくれないのだという事だけは分かった。
蹲る幼い私を挟んでかつて両親だった男女が視線を交らせることなく、自分の言いたい事だけを高々と叫ぶ滑稽な光景。見ていられなくなって、目を背けた先に人影が一つ。
『愛している』
そんな幼少期があったからかもしれない。視線の先で私に愛を告げる彼の言葉に過剰に反応してしまったのは。
同情なら同情でそれを流すことだってできた。憎からず想っている相手の言葉を嘘でも信じても、それを真にするように頑張ることだってできた。
でも、私がしたのはその言葉に意固地なって返事をしないという選択。
そこにプライドがなかったわけじゃない、悲しみがなかったわけじゃない。だけど、心の奥底では分かっていた。
フィリーに返事をできない本当の理由は、私が誰かを愛するということ以上に、誰かに愛されるという事を信じられないから。拒絶される事が怖くて、それが嘘だと言われたくなくて、フィリーの言葉の意味を問質さなかった。返事をしなかった。
それは成長しない私の弱さ以外の何物でもない。
(私もまだまだだな)
向き合えたと思っていた傷に、未だに怯えている自分が情けなくなる。
それでも、改めてそういった自分の弱さと向き合った時、不思議とフィリーの言葉を受け入れられそうな気がした。そして、八年前の出来事、彼と再会してからの事、彼の告白、それらが頭の中を過る。
(信じてもいいのかな?)
過去の傷に背を向けて、一歩フィリーへと足を踏み出す。
フィリーの言葉が嘘なのか真実なのか分からない。返事をしてまた傷つくかもしれない。
だけど、まずはフィリーの言葉を信じて返事をしなければ、私もフィリーも何も変われない。何が嘘で何が真実なのかも分からない。
「フィリー、私は貴方を―――」
心の中に閉じ込めた言葉が転がり落ちようとする。だけど、それは背後から聞こえた声に飲み込まれた。
『俺はリリナカナイや他の女性を妻とするかもしれない』
振り返った先には父親がいた。だけど、父親の口からはフィリーの声で、フィリーの言葉が発せられた。
信じたいと思う気持ちがグラリと揺れる。だけど、世界王という立場上、それは仕方のない事なんだと自分に言い聞かせる。
(それでもフィリーは言ってくれた。愛しているのは私だけって……いや?もっと、違う言葉だった?)
色々と混乱が過ぎる中での告白だったので、私も記憶が曖昧だ。
自分の記憶を整理しようと『愛している』と言うフィリーに背を向けて、まだ言葉を発する様子のフィリーの声で話す父親に向き直った。
『彼女らに異性として好意を抱くことも否定しない』
(なぬ?好意って何?それって恋愛感情ってこと?)
思った瞬間に眉間に皺が寄った。
(要するに私も愛しているけど、他の女も愛しているってこと?)
思わず身を乗り出して凝視したことで焦点が合わなくなったのか、父親の顔がぼやける。私は目をごしごしと手でこすった。
途端にその顔は父親ではなく、告白をした時のフィリーそのままになる。
『だけど、その誰もアイル、君以上に想う相手は誰もいない』
真剣な顔で告げられる、思わず赤面するような言葉。だけど、その腕の中には銀髪に赤い目をしたリリナカナイが現れる。
真っ赤な瞳で責めるように睨み付けられ、告げられる言葉。
『巫女じゃないくせに』
通常の私ならばその言葉に巫女色を持つリリナカナイに母親を重ねて、動揺してしまうんだろう。だけど、今の私にはその動揺を上回る感情が突き抜けようとしていた。
プルプルと震える腕は悲しみ故でも、絶望故でもない。
「フィリーの浮気者~~~~!」
それは取り繕う事も、他の誰に気を使ったでもない、久々に叫んだ心の声。
もしかしたら、フィリーを浮気者発言することは私の独りよがりなのかもしれない。許されることじゃなのかもしれない。
だけど、ここは私の心の中だ。心の中でくらい、恥も外聞もかなぐり捨てて叫んで何が悪いの?
ふつふつと湧き上るフィリーへの怒りに、先日のランスロット相手以上に切れてしまった自分を私はヒシヒシと感じた。
後書きは活動報告にあります。