7-10
流血表現がありますので苦手な方は避けて下さい。
突如として現れた檻は貴族たちとともに、警備にあたっていた騎士たちの多くも捕えてしまう。
同時に玉座にも天井から鉄格子がものすごい速さで降ってくる。それを魔導障壁によって防ごうとするが、驚くことに鉄格子はそれを突き破ってきた。俺はリリナカナイと枢機卿を巻き込んで引き倒すと、それを咄嗟に避ける。
「フィリー!大丈夫か!?」
叫ぶレグナに視線を向けると、忽然と現れた侵入者たちとの戦いは既に始まっている。
檻の中で悲鳴を上げ助けを求める貴族たち、減らされた騎士たちの全ては現れた侵入者と戦い、鉄格子はなおも天井から音を立てて降り注ぐ。華やかな舞踏会は最悪の惨劇へと姿を変えようとしていた。
(どういうことだ?ヤウが妨害術を施していたにも関わらず、この鉄格子や侵入者たちを送り込んだ魔導がどうして発動する?相手にヤウ以上の魔導師がいるという事か?)
筆頭魔導師である以上に『三大賢者』の一人である彼より優れた魔導師がいるなどと想像もできなかったが、現実は目の前にある全てだけだ。
「レグナ!!騎士たちを動揺させるな。侵入者を全て殲滅しろ」
「分かってる!!!」
数では侵入者と変わらない騎士たちだが、この奇襲に動揺させられている状況では彼らも実力を発揮するのは難しいだろう。
そう考えて俺自身も戦いに出るべく、リリナカナイと枢機卿を鉄格子が襲ってこない玉座の奥に押し込めるとレグナ達の助勢に立ち上がろうとすると、背後からリリナカナイが俺を引っ張った。
「フィリー、さっきの―――」
「今、そんなことを言っている状況か!!」
一喝した俺にビクリと怯える様な仕草と表情に舌打ちしたい気分になりつつ、一つ息を吐いて自分を落ち着ける。
「話は後でいくらでも聞く。だが、今は現状をどうにかする方が先だと分かるだろう?リリナ、お前も戦える自信があるのであれば戦ってくれ。無いなら、このままここで隠れているんだ」
そう言って、リリナカナイの返事を聞くことも無く飛び出す。
まずは騎士を開放するために檻を破った方がいいかとも思ったが、それによって逃げ惑う貴族たちの安全を確保する方が面倒だと考えつつ、何よりアイルフィーダの様子が気になって手の中の鏡を見て息を飲む。
「っ!レグナ、この場は一旦任せた!!」
鏡に映った侵入者に襲われているアイルフィーダに一気に血の気が引いた。
(アイルフィーダを失うなんて、絶対に嫌だ!!)
彼女の幸せのためを思って手放すのとは訳が違う。彼女を永遠に失うかもしれないという現実に、激情にかられたままアイルフィーダに刃を向けた侵入者に相対した。
その勢いのままアイルフィーダに想いの一部をぶちまけてしまったのは誤算だったが、リリナカナイも戦いに参戦し、状況はそのまま一気に終息に向かうと思ったんだ。なのに―――
「アイルフィーダ!!!」
リリナカナイを庇い、侵入者の凶刃に倒れ行くアイルフィーダに目の前が真っ赤に染まり、俺にしつこく付き纏っていた侵入者が一瞬制御できなくなった魔導の爆発に吹っ飛んんだのを最後まで確認することもなく、俺は彼女の元に走った。
だが、その近くまで来てアイルフィーダを取り巻く空気が異様なことに気が付く。
彼女を切りつけた侵入者はもとより、近くにいた侵入者たちが何をされた訳でもなく悉く倒れ、更にはその姿は肌が土気色となり、皺と骨ばかりのまるで生気が吸われたようなものに変わってゆくのだ。
近づいた途端に俺自身も息苦しいような、体から力が抜けるような感覚に襲われる。それでも瞬時にそれを無視してアイルフィーダを抱き起す。
「アイルッ!!」
彼女の背に手を当てれば血が滴り、意識はなく血の気の失せた顔色をしている。
ともかく血を止めなくてはと魔導で傷口を塞ごうとして、なおも続く急激な倦怠感に気が遠くなりながら背に当てた手で傷口を探そうとして気が付く。
(……傷がない?)
血がべったりと付いているため見た目では分からなかったが、その背には傷一つないのだ。だが、俺の手に付いているのは間違いなくアイルフィーダの血のはずだ。
(傷を自己治癒したのか?)
意識がない彼女にそんな芸当ができるとは思えなかったが、それ以外に考えられない。
混乱しつつも、間近で見るアイルフィーダは顔色は悪いが、呼吸も脈も安定している。その事にほっと安堵しつつ、俺は周りで倒れる侵入者たちの変わり果てた姿に目を向ける。
今なお続く体から力が抜けていく感覚、生気を吸われたかの如く倒れる侵入者、そして、これだけの血を流すほどの傷を一瞬で自己治癒したように思われるアイルフィーダ。
「アイルフィーダ、君は―――」
「な、なんなの!?」
推測を口にしようとすると、座り込んだまま茫然としていたリリナカナイが悲鳴のような声を上げた。
「力が抜けていく!!何なの、この気持ち悪い感覚??」
混乱したように自問して、周りにいる干からびたような侵入者を気味悪そうに見つめ、その先にいる俺を、いや、俺の腕の中にいるアイルフィーダにまるで汚い何かを見るような表情を向ける。
「これをやっているのはアイルなの?」
まるで咎める様な声音に俺はアイルフィーダを抱く腕に力を込めた。それに比例して、倦怠感が強くなり意識が遠のきそうになるのを、アイルフィーダの持つ剣の刃を握る痛みでやり過ごす。
「フィリー!得体のしれない力は危険よっ彼女から離れて!!」
「何がだ?」
「何って?貴方もこの感覚を感じているでしょう!?すぐに彼女から離れないと、私たちもこの侵入者たちみたいに―――」
アイルフィーダに庇われたおかげで助かったリリナカナイのこの物言いに頭に血が上り、近づいてくる彼女を睨みつけた瞬間、何かが俺たちの間を遮った。
―――シャラン
響く鈴の音のような音とともに、現れた何かは俺に背を向けた男。
他の侵入者と同じように黒で統一されたシンプルな服装に、唯一左手に銀のいくつもの輪を組み合わせたようなアクセサリーを付け、動くたびにそれが鈴のような音を発する。
「当代の巫女は中々に勇ましいな」
揶揄するように笑った気配に男越しに見えるリリナカナイが一歩後ずさる。俺もアイルフィーダを抱えていなければ、同じようにしていただろう。
立っているだけで刺すほそに痛い魔導の強さは、今まで対した相手で一番の強さを怖さを感じさせた。
俺はその力に僅かに委縮したが、腕に抱いているアイルフィーダの重みに奮起して、彼女を床に静かに横たえると立ち上がる。
それに気が付いたのか、ちらりとこちらを振り返る男の眼光は鋭く、長い黒髪から覗く黒い瞳は深い闇を湛えている。
「やめておけ。お前と戦うつもりはない。巫女も剣を引け。この娘がお前たち二人の魔導を吸って、立つのもやっとの所だろう」
男は言いながらゆっくりとした動作で腰を屈めるとアイルフィーダの血溜りから何かを取り、そのままこちらに向かって歩いてくる。
警戒を強めながら睨みつけるが、男は一向に気にした様子もなく飄々とした感じで俺を通り過ぎ、アイルフィーダに向かって手を伸ばす。
それを黙って見ている訳もなく魔導を放とうとしたが、自分の体がまるで金縛りにあったかのように動けなくなる。
「動くなよ。心配しなくても、この娘に用はない。この暴走した力を止めるだけだ」
言いながら男はアイルフィーダの手を取ると、血溜りから取った何かを―――あれは彼女の指輪を、嵌めた。途端に体が軽くなる。
それにほっと息をつくと、アイルフィーダの手を取っていた男が彼女の体ごと抱き寄せた。
「だが、世界王フィリー・ヴァトル。お前には用がある。この娘の命が惜しくば、大人しく俺のいう事を聞いてもらおうか?」
「何が目的だ?俺の命か?」
アイルフィーダの首元に回された腕には武器の一つもありはしないが、男が放つ巨大な魔導の気配は武器などなくとも、見慣れない金の髪に覆われてその表情は窺えないがぐったりとしたアイルフィーダの命などいとも簡単に奪うだろう。
正面から見えた鋭い眼光と、額から左頬にかけて走る傷が妙に生々しい男の顔を俺は苦々しく睨み付けた。
「大丈夫か!?」
「レグナ、来るな」
そこへ他の侵入者が片付いたのか、レグナがこちらの切迫している状況を察して飛んできたが、俺はそれを制する。レグナも男の腕の中で意識がないアイルフィーダに表情を険しくする。
「お前の命に興味はない。だが、お前に少し協力して欲しいことがある。ただ、それだけだ」
「協力?これが人に物を頼む態度か?」
いいながら動かない体のまま、視線だけ散々たる舞踏会場を見渡してやる。
「そう言ってくれるな。こちらにはこちらの事情というものがある。それで?この娘の命と引き換えに協力してくれるのか?」
ぐっと首に回された腕を締め上げられ、アイルフィーダから苦しげな声が漏れる。
「……協力しよう」
アイルフィーダを見捨てる選択肢などありはしない。躊躇いなく告げた言葉にレグナとリリナカナイが声を上げるが無視をして男から視線を外せない。
(世界王としても、一人の男としても、自分の妻すら守れないでどうする)
「いい男の面構えだ。では、娘は返すから、一緒に来てもらおうか。ああ、……その前に倒れている奴らを起こさなくてはな」
俺の顔を見て男が口元だけで不敵に笑うと途端に金縛りにあっていた体の自由が戻り、アイルフィーダを押し付けられる。男はそのまま俺に背を向けて倒れた侵入者たちに屈みこむ。
それを見てレグナが男に剣を向けようとするのを、俺は首を振ってやめさせる。レグナでは、いや、魔導をかなり消費した俺やリリナカナイでも、今はまともにやりあってこの男に太刀打ちできる気がしなかった。
なにより『一緒に来てもらおうか』ということは、この場からは離れるという事だ。
彼女をこの場で返したという事は、このまま俺がしばらく大人しくしていれば、これ以上アイルフィーダを巻き込むことはない。
(良かった)
背中を切り付けられ、破れ血まみれになったドレスごとアイルフィーダを脱いだ自分の上着で包み、俺は彼女を抱きしめた。
未だに顔色こそ悪いが、抱きしめた体からは体温と心臓の音が感じられ、アイルフィーダが確かにここに生きていることを教えてくれる。それだけで心が温かくなった。
「それでは行こうか?」
離れがたい思いはあるが、彼女をそっと抱え上げて男に向かい合うと、先ほどまで生気を失って倒れていた侵入者たちが何事もなかったように、生気を甦らせてその後ろに控えている。思わず身構えた俺に男は笑う。
「奪われた魔導力を補充してやっただけだ。お前が協力してくれるというのであれば、これ以上、ここで戦う気はないから心配するな」
「……レグナ」
名を呼び、男を警戒しながら近づいてきたレグナにアイルフィーダを託す。
「アイルフィーダを頼む」
「どうするつもりだ?」
アイルフィーダを受け取りながらレグナが小声で聞く。
「あちらがどう出てくるか分からない以上、今のところノープランだ。だが、心配するな。一人で何とかする」
今までも、これからも仲間が傍にいようが、いまいが、最終的には自分の事は自分でどうにかしなくてはいけないし、どうにかしてきた。
相手が得体が知れなければ知れない程、誰かが傍にいるより自分一人で対処する方が遥かに気が楽に思えた。少なくとも誰かを巻き込むことはない。思いながら最後にアイルフィーダの顔にかかる髪を払い、その頬を撫でた。
そんな俺に何か言いたげな顔をするレグナだが、小さく頷くとアイルフィーダを抱えて一歩下がり、こちらを食い入る様に見つめるリリナカナイを騎士に命令して下げさせる。
「それにしても、オルロック・ファシズから押し付けられた王妃のために、こんな得体の知れない俺に従うなんて世界王も存外お人よしだな」
不意にそれまで黙っていた男がそう口を開く。
「そう思っているなら、どうしてアイルフィーダを人質にした?彼女を狙う?傍には人質にはうってつけの巫女もいたのに」
そうだ。同じ人質ならばリリナカナイでも良かった。なのに、この侵入者たちは悉くアイルフィーダを狙い続けている。その理由は何だ?
「狙った理由は言えんが、人質にした理由は簡単だ。この娘を人質にしたときのお前の反応が見たかった」
「どういう意味だ?」
意味が分からず語気を強めれば、男の後ろに集まった侵入者たちが殺気立つ。その中には俺が魔導で吹っ飛ばしたはずの侵入者もいた。
「神すらも操れぬ運命の糸…お前と娘がそれはそれで結ばれているのだよ。世界を真に解き放つために、娘はお前の傍にあり、お前は娘の傍にある」
(運命?)
そこに恋愛めいた甘い響きはなく、ただ不吉な予感が胸を塞ぐような感覚に俺は首を横に振った。
「何が運命だ。アイルフィーダと共にありたいと思うのは、俺が願ったから。ただ、それだけ」
失いそうになってその気持ちはより一層強くなった。
―――アイルフィーダと共にありたい
それは俺の浅ましい願い。叶うはずもなく、吐露する事さえ愚かな願い。
それがたとえ運命であったとしても、この気持ちは俺のもの。運命などという言葉で片付けられたくない想い。
言い切った俺に男は僅かに俯いてその表情を隠す。そして、再びこちらを向いた男の目に感情は消えていた。
「話は終わりだ。さて、共に来てもらおうか」
言葉と共に男に従う侵入者たちに俺は囲まれ、ただ一人連れて行かれることとなる。
後書きが活動報告にあります。