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愛していると言わない  作者: あしなが犬
第一部 現在と過去
52/113

7-9

 謁見の間から護衛を置いたまま出て足早に、それを追ってくる軽い足音に気が付く。


「フィリー、待って!」


 振り返った先にいたのは巫女の衣装を翻すリリナカナイ。

 幾重にも重なる純白のレースで作られている巫女の衣装は、豪華でありながら繊細、華やかでありながら清楚な趣がある。アイルフィーダの結婚衣装はこれと似た物にならないようにするのに苦労した。

 そんな事を考えている間に俺のすぐ傍までやってくると、リリナカナイは何か言いたげな表情でこちらを見上げてくる。

 何を言い出すか分からないリリナカナイに、思わず周囲に人のいないことを確認した。

 謁見の間には世界王と巫女専用の出入り口があり、そこから繋がる廊下は元々ほとんど人気がなく、今も俺たちを追ってくる気配一つも感じられない。


「ごめんね」


 そんな風に周りを気にしているとリリナカナイが唐突にそう言った。先ほどまで見上げられていたはずの顔は俯いて見えない。


「何の話だ?」

「な、何って…そのさっきの話よ」


 謝られる意味が分からなくて問い返すと、リリナカナイの耳が真っ赤に染まるのが見えて、ますます意味が分からなくなる。


「……私が儀式さえ終わらせていれば、あんな事言われることもないわ。フィリーにあんな似合わないことをさせて何だか自分が情けなくなって」


 だが、リリナカナイの話を聞いてその意味を知る。どうやら、彼女は俺が怒った真意を間違って解釈しているらしい。

 俺としては王妃を侮辱された事に怒ったつもりだったが、彼女はそれを『次期世界王』問題について俺が怒ったと思っているようだ。


「だけど、嬉しかったの。うん、不謹慎なのは分かってるけど、フィリーが私のために怒ってくれたの、嬉しかった」

「リリナ、それはち―――」


 どうにも違う方向へ話が進んでいることに気が付いて、俺が口を挟んだ瞬間、真っ赤な顔をしつつも真剣な表情のリリナカナイが言い切る。


「だから、私、儀式を受けるわ」


 胸の前で両手を重ねてまっすぐこちらを見上げる表情には、決意した強い眼差しが宿っていた。


「儀式を?だが、それじゃあ君は…」

「分かってる。私だって絶対に嫌よ。だけど、このままじゃあ今みたいにフィリーに迷惑がかかる。その方が嫌なの……私、貴方のためだったら」


(『俺のため』?)


 その言葉を聞いた瞬間に強い拒否感を感じて、伸ばされたリリナカナイの手を俺は咄嗟に避けた。


「フィリー?」


 俺を呼びかける声は気丈に振る舞いつつも不安げで、誰しもが守ってやらなくてはならないと思うものなのだろう。

 だが、俺の心にはそんな感情は微塵もなく、あるのは苦手を通り越した嫌悪にも似た感情。


「儀式を受けること、俺は賛成しない。『俺のため』…なんて言うなら、絶対にやめてくれ」


 受けるのが誰であれ、あんなもの普通の感覚を持った人間だったら賛成するはずがない。

 だから、俺もそれを拒否し続けてきたリリナカナイを擁護こそすれ、受け入れてくれなんて一度だって言ったことも無ければ、思ったことも無い。


(なのに、どうして急にこんなことを言い出した?)


「で、でも、私はっ」

「ああ、分かっている。悩んでそれを決めたというのなら受け入れるよ。君が決めた事を俺がどうこう言う権利はない。だけど、これだけはよく覚えておいてくれ。俺がそれを望むことは絶対にないし、君が儀式を受けても喜ぶのは教会と貴族の連中だけだ。嫌だと思うなら、絶対にするべきじゃない」


 リリナカナイの思考回路がどう動いて、突然こんなことを言い出したのか分からない。

 俺としてはあんな儀式、今後は一生無くなったところで構わない。寧ろ永劫に廃止したやりたいくらいだ。

 だが、同時に巫女に関しては例え世界王であっても、その行動は不干渉だし、実際、リリナカナイも大人なのだから俺がその行動の全てを管理するのは不可能だ。

 今はともかく、どうしてそういう考えに至ったかを聞き出して―――と思った時だった。


「あら、今日の謁見は意外と早く終わったのね。お疲れ様」


 互いに会話に気を取られ過ぎていたのか、突如現れたオーギュストにはっとする。


「なあに?二人して変な―――」

「へ、変な話してごめんね!私、行くわ!!」


 のんびりと首を傾げたオーギュストの横を、俺が止める間もなくリリナカナイは走り抜けた。

 一瞬、それを追ったほうが良いかとも思ったが、とりあえず、言うべきことは言っただろう。どうせ、立ち話では詳しい話は聞けないだろうし、次は巫女の離宮にでも行って話を聞こうと気持ちを切り替える。

 そして、リリナカナイが去って行った方から、オーギュストに視線を移すと何とも言えない気持ちの悪い、いや、人の悪い顔をして俺を見ている。


「何だよ?」

「べ~つ~に~?」


 妙に間延びした言い方が嫌らしさを一層引き立てる。


「言いたいことがあるなら、さっさと言え。大体、俺に用があってここに来たんだろう?」


 この廊下の先には謁見の間しかない。オーギュストは謁見が終わった俺を待伏せるためにここに来たことは容易に想像がついた。


「ああ、そうそう。あんたの側妃候補が大体出揃ったから、その報告に来たのよ。っていうか、あんたが流した噂すごい勢いで貴族と教会で広まってるわよぉ」

「だろうな、今日の謁見にも影響があったからな」


 テリア伯爵然り、他の謁見者然り、今日の謁見は終始オルロック・ファシズへの批判ばかりだった。皆が皆、その根拠のない不浄さを声高に叫び、テリア伯爵を除いてはそれらを笑って聞いてやれば満足して帰って行った。 


「『世界王フィリーはオルロック・ファシズと手を組み、レディール・ファシズを乗っ取るつもりだ!』なんて、あんまりにも突飛すぎて誰も信じないと思ったけど、案外、素直なもんねぇ」

「ちょうど、オルロック・ファシズの王妃を娶った時期でもあったからな。信憑性が増したんだろう」


 俺が不穏分子を炙り出すための布石の一つとして用意したのが、この噂だ。現状でもあちらが何かしら仕掛けてくるだろうとは思うが、その可能性を一つでも上げておきたかった。

 もっとも俺もオーギュスト同様、子供騙しなこの噂が信じられるかは半信半疑だったが、想像以上に効果があったようだ。


「それで、そんな俺にも側妃を差し出してきたのは?」

「はい、リスト」


 オルロック・ファシズと手を結ぼうとしている世界王。

 その噂が何処まで広まっているか定かではないが、噂が流れてから側妃の話が確実に減った。それはすなわち、レディール・ファシズをのっとろうとするオルロック・ファシズの世界王を見限っての選択だ。

 反対にその噂があってなお、側妃をと言ってくる輩こそ、オルロック・ファシズと結びつきがあると考えるのは難しい事ではない。オルロック・ファシズと結びついている、もしくは結びつこうとしている者だからこそ、そんな世界王に側妃を召し出そうとする。

 差し出されたリストに名の上がっている者の全てにそれが当てはまると考えるのは安易だろうが、そういった考えの者は必ずいる。

 先日のオルロック・ファシズからの援助の件も、捕まえた教会関係者の背後にいるはずの人物は、よほど隠れるのが上手いらしく、その影も見つからない。その手掛かりが掴めればと思って側妃選びついでに調べようとリストに目を通すが、意外とその数は多い。


「後でじっくり見させてもらう……というか、いい加減、その変な顔はやめろよ」


 触れて面倒な会話をするのが嫌で無視していたが、ずっとニヤニヤ笑っているオーギュストに半眼になる。


「だってぇ、フィリーったら巫女といい感じだったから、何があったのかと思って心配してんのよ」

「その顔が心配しているっていう顔か」


 どちらかといえば、他人の不幸を喜ぶ顔である。


「それにあれのどこが良い雰囲気なんだよ」

「あんたはいつも通りだったけど、あのじゃじゃ馬が顔を真っ赤にしてまるで乙女だったんだもん」


 オーギュストは俺の前ではそうでもないが、容姿とは裏腹に男勝りなところのあるリリナカナイを『じゃじゃ馬』と称することが多い。

 リリナカナイが女言葉を話すオーギュストを気持ち悪いと言った事が始まりだったような気がするが、二人は犬猿の仲だったりする。


「そうか?俺にはそうは見えなかったが」


 というか、ずっと俯いてたから顔はあまり見えなかった。


「ともかく!浮気とか気が多いのとか、それって女性に一番嫌われる男なんだから!あんたには愛しのアイルちゃんがいるんだから、他を見るんじゃないわよ!!」

「そういう奴が側妃のリストなんか持ってくるなよ」


 オーギュストは俺がアイルフィーダを諦めると言っているのに、こうやって何度も諦めるなとせっついてくる。

 俺の気持ちを慮って言ってくれていると思えば有り難い事なのかもしれないが、正直、アイルフィーダを諦めなければと切羽詰っている俺には辛いだけだ。


(アイルフィーダを俺から解放することは、彼女のためなんだ。それなのに―――『彼女のため』…か)


 何度も言い聞かせた自分へ言葉に、先程のリリナカナイに嫌悪すら感じた言葉が重なる。

 それが自分の傲慢だと分かっていて事を進めてはいるが、『彼女のため』なんて言葉が出てくること自体、俺はまだまだアイルフィーダを諦められていない証拠だろうと自己嫌悪に陥る。


「それはそれ!これはこれよ!あんたもいい加減、自分に素直になって一回くらい玉砕覚悟で告白くらいしてきなさい!!!」


 気分的にいろいろ考えて暗い俺に更に追い打ちをかけるように言われても、その言葉は胸に響かない。俺は適当にその後もオーギュストの追撃を躱しつづけた。

 だが、そう遠くない先に俺はその言葉に従っておけばよかったと思う事となる。



▼▼▼▼▼



「それでは皆様でフィリー陛下とリリナカナイ様の愛の誓いを見届けようではありませんか!!」


 リリナカナイの身の回りを取り仕切るアイン枢機卿の声に、わらわらと集まった誰も彼も同じような姿形をした貴族たちがわっと盛り上がる。

 今日は俺の誕生日、すわなち世界王の誕生祭だ。皆が祝ってくれるのは有り難いが、一日中続く行事に疲労も頂点を極めた後に催される舞踏会はただひたすら面倒な行事だ。

 一番多くの人間が同じ空間に集まるこの瞬間が、不穏分子が何かしら仕掛けてくる可能性が一番高いと考えたレグナは、この舞踏会に全精力を費やして警備を厳しくし、俺もそれに同意し警戒を強める。

 かくして、自分なりに気を張りながら巫女とのダンスを終えたと思った時、いきなり目の前でこの枢機卿が『サプライズ』などと言って、俺とリリナカナイに愛を誓えなどと言い出しやがったのだ。

 先日のアイルフィーダを襲撃した侵入者の件もあり、城内全体が厳戒態勢を敷いている中、騎士団にも報告せずにこの場でサプライズなどと、そんな事をしでかす輩の気がしれない。


(こんの…馬鹿がっ)


 表面上は穏やかな顔に少しの驚きを滲ませつつも、褒めてくれと言わんばかりにこちらを振り返る満面の笑みの枢機卿に内心で罵詈雑言を吐く。

 同時に予定ではこのまま自由にダンスを踊るはずだった貴族たちが、玉座の周りに集まりだすのに視線を走らせる。

 その中に紛れる騎士たちは無論だが、いる可能性がある侵入者たちも、俺とリリナカナイの愛の誓いとやらを見るという建前をかざして、距離を縮めてくる。俺の背後にいるレグナの元に、騎士たちが音を消しつつも慌ただしく様々な報告をする気配が感じられる。


(これも侵入者共の罠か?……アイルフィーダは?)


 本当ならば後宮で安全に過ごしてもらう予定だった彼女も、先日、侵入者に狙われたためにこの場に連れてくることとなってしまった。

 レグナの立てた作戦を実行するためには、後宮の警備の人員をかなり減らす必要があったため、その人数で狙われる可能性のあるアイルフィーダを後宮に残すよりはと舞踏会に参加させることになったのだ。

 しかし、王妃は既に舞踏会に欠席の旨を公表していたため、急遽変装し普通の貴族としての参加となった。

 周りは貴族と同じ数くらいの騎士がいるはずで、この舞踏会場ならば安全は保障されていると思いたいが、確認せずにはいられなくて、俺は服の袖に忍ばせておいた手鏡を周りに分からぬように盗み見る。

 鏡には舞踏会場に施した魔導により俺が思い描いた人物、アイルフィーダが映し出される。


(……まだこの騎士が傍にいるのか)


 貴族に変装するために金髪でいつもと雰囲気が違うアイルフィーダは、どうやら目の前の貴族の集団の中ではなく、離れた場所にいるらしい。人気がない場所で、先程彼女の腕を掴んでいた騎士と一緒にいる姿が映し出された。

 何やら会話を続けるアイルフィーダと騎士(魔導では音声までは拾えない)に、俺は自分がそれを面白くないと感じている事に気がつく。


「フィリー、どうしよう?私っ、嬉しくて涙が」


 面白くない気分のまま鏡を握りしめると、リリナカナイがそう言いながら俺の服の裾を握る。

 つい鏡に映る二人に意識を持っていかれていて、自分の置かれた現状を忘れかけていた俺は、そこで初めて自分に『面白くない』なんて思う資格すらない事に気が付く。


(妻の前で他の女と愛を誓おうとする男に嫉妬する資格があるはずもない…まして、アイルフィーダは俺に感情の一つも動かしてはくれないのだから、こんな事を想ったところで何一つ意味がないのに)


 深い自己嫌悪のままいつもの穏やかな笑みを顔に張り付かせれば、顔を赤らめながら照れたように笑みを浮かべるリリナカナイ。

 それを客観的に『愛らしい』とだけは感じる、他にも自分で制御できる程度の感情は彼女には感じる。

 なのにアイルフィーダを想うだけで湧いてくる深い自己嫌悪も過ぎた嫉妬も信じられないくらいの慈しみも、リリナカナイ相手には一つとて湧いてこない。今更ながらに改めて思い知る。


(俺は本当にアイルフィーダが好き…なんだな)


「それでは僭越ながら私がお二人の愛を永遠とするための宣誓を執り行わさせて頂きます」


 そうして、先日の結婚式に教皇による口上と全く同じものが述べられた後、俺は問われる。


「世界王フィリー陛下。貴方は巫女リリナカナイを生涯の伴侶とし、病める時も健やかなる時も愛し続ける事を誓いますか?」


 この間、隣にいたのがアイルフィーダであった時、俺は何も考えずにそれに『誓います』と答えた。その言葉を真にするつもりなどなく、気持ちの一つもなく答えた。

 そして、今も同じように、この状況でそれが必要であるというのであれば『誓います』と答える事ができたはずなのだ。これまでの俺なら。


「陛下?」


 問われた言葉に何も返さない俺に枢機卿が怪訝そうな表情を浮かべる。それを見ながら、手の中にある鏡を握りしめた。

 アイルフィーダを手放して、俺は政略上、側妃を娶るだろう。

 だけど、リリナカナイに愛を誓えと突きつけられて気が付いた。例え側妃が誰であろうと、皆同じだ。相手に人間としての好意を抱けたとしても、アイルフィーダ以外に愛せる人はいないだろう。

 永遠なんて言葉は好きじゃないから、もしかしたらこの気持ちも単に初めての恋に浮かされているだけで、いつか変わってしまう感情なのかもしれない。

 だけど、これは偽らざる俺の『今』の感情だった。そして、『今の感情』以上に俺を突き動かすものなどありはしないのだ。


「誓えない」


 そう思ったら止められなかった。


「―――は?」


 枢機卿が呆気にとられたような声を出し、その後、俺の言葉の意味を理解したのか顔中から脂汗を溢れさせた。


「フィ、リー?」


 大きな目を更に大きく見開くリリナカナイ。

 彼女に言葉を重ねようとして、視界の端に素早く落ちてくる光が見えた。瞬間的に危険を察知して、魔導障壁を発動させた。

活動報告に後書きがあります。

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