7-8
仕事が終わり、就寝できる時間は深夜を過ぎていた俺の日常は、結婚してから一変する。
早い時間ではないが、深夜よりは早い時間に後宮に入りアイルフィーダと同じベッドで眠る。それがここ数カ月の俺の日常になった。
その日常には何か特別な理由がある訳でもなく、義務がある訳でもなく、ただ、解放すると決めたはずなのに、それでも、いや、それ故にアイルフィーダの傍に少しでもいたいという、みっともなくて情けない感情のため。
更にみっともなくて情けないのは、『愛している』と告げたところで、返事どころか反応すら返ってこない言葉を言い続けている自分。
理性では繰り返したところでアイルフィーダが返事をするどころか、無感情な顔の下で愚かな自分を軽蔑しているだろうと分かっている。
それでもアイルフィーダを解放すると決意した以上、彼女の傍にいられる束の間だけでも自分に正直でありたかった。
だけど、『愛している』以外の言葉を尽くしてアイルフィーダに想いを告げない俺は、何処かでアイルフィーダに本気で拒絶されるのを恐れているのだとも分かっている。
俺の言葉がアイルフィーダに届いていない、信じられていない。だからこそ、返ってこない返事に俺はある意味安心して、馬鹿の一つ覚えのように言葉を囁き続けることができた。
それが何処までも自己満足で、エゴの塊のような行為でしかないとしても。
と、まあ複雑な葛藤に悩む日々の中、仕事量は結婚前と変わらない。寧ろ近づいてくる誕生祭のために仕事は日増しに増えていっていた。
そんな状況で深夜までしていた仕事を、早く切り上げて終わる訳がない。仕方がないので、その分を早く仕事に取り掛かることにした。ちなみに普通の朝早くでは間に合わないので、夜明け前から。
深夜を過ぎアイルフィーダが寝てしまってから後宮に帰っても、朝、彼女が起きる頃に慌ただしく仕事に出なければならない。それならば朝がどんなに早くなろうと、少ない時間であろうとも夜のほうが落ち着いてアイルフィーダと同じ空間にいられると思ったのだ。
そんな夜明け前に起き出す俺に始めアイルフィーダは付き合おうとしてくれた。それが嬉しくない訳はないのだが、俺のせいで尋常ではない早起きをさせるのは申し訳なくてやめさせた。
それにその一度だけ遭遇した寝起きのアイルフィーダが、いつも俺に対する緊張感で張りつめた様子とは違って無防備すぎて、正直そんな彼女が近くにいて自分が何をしでかすかが怖かった。
恐怖を現実にしない為に俺ができる事と言えば、朝は後ろ髪を引かれつつも、ただただ彼女から逃げ出すように後宮を後にすることだけだった。
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城からほとんど出る事がなくとも多忙を極める世界王の務めの一つとして、週に一度、謁見の間に俺は行かなくてはならない。
その場所は名の通り、世界王が人々に謁見を許す場所だ。
謁見と言っても、とりたてて有意義な話がされる訳でもなく、世間話や上辺だけの言葉が行きかうしかない、それは要するにそれは世界王という偶像崇拝を象徴したようなものだと俺は思う。
神像を拝むのと同じ、人々は世界王に謁見することを名誉とし、それを求めているにすぎない。
ちなみに謁見は教会によって取り仕切られ、謁見の人数と謁見時間も管理されている。俺の仕事と言えば、豪華な謁見の間で玉座に座り、次々にやってくる貴族や商人に笑顔と愛想を振りまき続けるだけなのだ。
下らないとしか思わない行為だが、長年培われた鉄壁の笑顔は俺の感情をすべて隠し、今日も次々と謁見をこなしていた。
また、謁見では巫女が同席することが多く、今日も横にはリリナカナイが座っている。
世界王と巫女をセットにすることで、謁見の価値を更に上げるのが教会の目的だろう。噂によると謁見を申し込むのには、教会に多額の寄付をしないといけないらしい。
「ね、今の人、派手な服装だったね」
「ああ」
謁見の合間にリリナカナイが身を寄せて他愛もない事で笑いかける。
彼女とは俺がニーアとなった頃からの付き合いだ。明るく素直でいい娘だと思う一方で、良く言えば天真爛漫、悪く言えば無知で無神経だと感じていた。
巫女として美しい容姿に愛らしい性格、汚れた道なんか歩いたことも無い、ただただ誰からも愛され、それ以外を知らない存在。きっと、普通の人間はそんな彼女に惹かれるんだろう。憧れるんだろうと思う。
だが、正直に言うとあまりに違う生い立ちとその存在に、彼女から好かれているのは分かっていたが、俺はむしろ苦手意識を感じていた。
「そういえばアイルフィーダは元気にしている?」
その苦手意識はリリナカナイとアイルフィーダの関係を知ってから、より一層強くなった。
「ああ。元気だ」
だから、尋ねてくる無邪気な笑顔に嘘をつく。本当は食が細くなっていると侍女から聞いているし、顔色も良くないのを知っている。
だが、それを言ってリリナカナイがアイルフィーダを見舞うと言い出す危険を冒したくなかった。リリナカナイに彼女と関わりを持たせたくなかった。
「良かった!じゃあ、そろそろ私たちの計画を実行に移しても大丈夫よね?」
「計画?」
「アイルフィーダにオルロック・ファシズの宣伝に一役買ってもらう計画よ」
はしゃぐように言われて、リリナカナイにアイルフィーダを娶るために告げた偽りの計画を思い出す。
「公務の予定を組んでいたけど、警備上の問題でフィリーが全部白紙に戻しちゃったでしょう?それは仕方ないけど、このままずるずると後宮に隠れたままじゃ、アイルフィーダも表に出るに出れなくなると思うの」
周りが見えずに話を続けるリリナカナイの頭越しに、今日の謁見を取り仕切るリュファス・ベルネル司教と目が合う。
若干28歳で司教という地位まで上り詰めている男で、本当ならばとうに次の謁見を始めてもいいはずであろうが、俺にリリナカナイと会話を続けてくださいと言わんばかりに穏やかな笑みを深くする。
「リリナカナイ、その話はまた―――」
何を言い出すか分からないリリナカナイの話を教会の人間に聞かれるわけにはいなかい。
「大丈夫。リュファスは私たちの味方よ。教会が見張っていて中々話ができないだろうからって、こうして時間を作ってくれているの」
『ね?』と言って振り返るリリナカナイに細い目を更に細くするリュファス。
二人の間に何があったか分からない俺には、それだけで彼を信用できるはずもなく、その胡散臭さに眉を顰め、同時に簡単に教会の関係者を信じるリリナカナイに閉口する。
(だから、リリナには何も言えないんだ)
しかし、リュファスもいる手前、ここはとりあえずリリナカナイに話を合わせるべきだろう。
「……そうか。それで?」
「あ、それでね。誕生祭にしても代役を務めるのは構わないんだけど、やっぱりアイルフィーダに出てもらったほうが良いんじゃないかと思ってるの。フィリーが言いにくいんだったら、私から言ってもいいよ。大体、アイルフィーダだってオルロック・ファシズからわざわざ嫁いできたんだし、何の覚悟もないとは言わせないもの。風当たりが強いくらい、私とフィリーで守ってあげるって教えてあげれば、きっと出てくれるわよ」
これは俺がアイルフィーダ側に立って物を考えているから思うことかもしれないが、リリナカナイの言葉にはアイルフィーダを支えようと言いつつも、自分が優位に立ち、彼女を非難する色があるような気がしてならない。
それに内心ではむっとしつつ、それはおくびにも出さず俺はとりあえず彼女の言葉に頷いてやる。そして、自分から話すから決してアイルフィーダに近づくなと言い含めて話を早々に切り上げ、リュファスに中断していた謁見を再開させた。
「フィリー陛下、リリナカナイ様、この度はお目通り叶いまして恐悦至極に存じます。私、ユース・テリアと申します」
現れたのは壮年の紳士。名前から導き出される情報によれば、確か教会と強い繋がりを持つ伯爵の称号を持つ貴族。
伯爵は深みのある顔に笑みを浮かべつつ、暫くはあたりさわりのない言葉を交わしていたが、それが途切れ、本題が始まる。いや、それは伯爵にとっては何でもない会話の内だったのかもしれない。
「それにしても早いですな。もうオルロック・ファシズから王妃を娶って数か月。そろそろ、王妃をかまわなくても問題ないのではないでしょうか?」
疑問形で問われたが、俺はそれには答えず笑うだけに留める。
この伯爵だけではなく教会や貴族からは、娶っただけでオルロック・ファシズへの義理は果たしたと、後宮に通う俺を非難とまではいかないが、それをやめるように言う声は後を絶たない。
操り人形の世界王を演じている以上、それに表だって反抗することはできないが、それらには何一つ言及することなく、俺はこれまでやんわりと躱し続けてきた。
まだ、結婚して数カ月ということもあり、教会や貴族も笑いつつも後宮通いをやめない俺に鋭い追及はしてこなかったが、テリア伯爵は彼らより一歩踏み込んできた。
「汚らわしいオルロック・ファシズの人間に費やす時間がおありならば、横におられる美しい巫女様と励んで頂いて、次の世界王をこそ早くお見せ頂きたいものです」
そのニヤニヤと笑いながら吐き出されたあからさまな言葉にリリナカナイは顔を赤くし、警備の兵が驚いた表情を浮かべる。
表情を変えなかったのは俺とリュファスだけだったが、俺も内心では静かな怒りを感じていた。
この手の話題、『次期世界王』を望む声はこれほどのあからさまではないにしろ何度も聞いてきたが、王妃についてはっきりと『汚らわしい』とまで言われたのは初めてだった。
「テリア伯爵、それは私に対する侮辱の言葉と取っていいのか?」
顔は変わらず笑顔だろうが、声が自然と低くなった。
まさか、侮っている俺がこんな風に切り返してくるとは思っていなかった伯爵は目を見開く。
「い、いえ、まさか私が侮辱などするはずが!私が言いたいのはオルロ―――」
「王妃は私の妻だ。彼女を侮辱することは私を侮辱するのと何が違う?」
染みついたレディール・ファシズの人間の考え方を変えるのは難しく、オルロック・ファシズに対する差別はそう簡単になくなることはないだろう。結果、アイルフィーダへの風当たりを完全に無くすことは、今の俺にはできない。
だが、こんな公然の場で堂々と彼女を侮辱されて、アイルフィーダを想う男としても、今後も存在し続けるオルロック・ファシズの王妃のためにも、笑顔でそれに頷けるはずがない。
「ベルネル司教」
「は」
動揺する貴族から視線を外さぬまま声をかければ、リュファスが俺の前に腰を折る。
「お前は今の伯爵の言動をどう思う?」
「オルロック・ファシズという存在が私たちにとって不浄というのは間違いないでしょう」
リュファスの言葉に伯爵が顔を輝かせる。
「ですが、王妃様は教会が認めた世界王妃に違いありません。それを公然と批判されるは、世界王及び教会を批判するのと大差ありますまい。それに世界王と巫女様の事をあのように揶揄されることは私としては遺憾でなりません」
よく言うと思いつつも、リュファスならばこう言うだろうと当たりを付けていた俺は、口をパクパクさせる伯爵に更に追い打ちをかける。
「ならばこれ以上の話を聞く気にはなれない故、後は司教に任せる。それ相応の処分を伯爵に与えろ。私は気分が悪くなったので今日はもう退出する」
「畏まりました」
どうせ予定ではこの伯爵で最後だ。
処分と言っても大した事はないだろうが、精々伯爵には肝を冷やしてもらおうと殊更不愉快な顔のまま席を立つ。
また、処分をリュファスに任せる事でリリナカナイが味方だと言う所の真意を見極めさせてもらおうと頭の隅で考えていると、伯爵が叫ぶ。
「陛下っお待ちください!!私は皆が思っている事を代弁―――」
「黙れ!」
このまま見送っていれば良かったものを、ただでさえ苛ついている俺を逆撫でするように追いすがる伯爵に声を荒らげる。
どうせ演じ続けた世界王とは違う行動に今は出ているのだ。少しくらい仮面を外しても構わないだろうと、伯爵を睨み付けた。
伯爵は顔を一気に青ざめさせ、謁見の間にいるリュファス以外の人間の全ても、俺の普段とは違う様子に息を飲み、空気は一瞬で凍りついた。
「貴公の話を聞く気はないというのが聞こえなかったのか?これ以上、私を怒らせるな」
ほんの僅かに魔導を含ませて威嚇してやれば、へなへなと崩れ落ちるように伯爵が床に座り込み、先程まで取り澄ましたような紳士顔が恐怖に歪む。
それを見てようやく溜飲を下げた俺は、いつもの鉄壁の笑顔に戻すとただ一人通常通りのリュファスにもう一度声をかける。
「では、後は頼んだぞ」
「畏まりました」
そして、伯爵への興味はなくなり、平然と答えを返すリュファスがこの後どうするかを楽しみにしつつ俺は静まり返った謁見の間を後にした。
活動報告に後書きがあります。