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何も反応しないアイルフィーダから逃げるようにベッドにもぐり込んだその夜、俺は眠ることもできず、ただじっと夜が明けるのを目を閉じて待ちながら考え続けていた。
(俺はどうして傷ついている?拒絶される事なんて、今まで何回もあったじゃないか)
生まれて初めての拒絶は人間として認められなかった幼少期、仮の家族、実の母親……案外俺は誰かに受け入れられたことの方が少ない。
その度、傷つかなかった訳じゃない。それでも自分なりに乗り越えてきた。大人になってその傷に気が付かないふりをするのだって上手くなった。
なのに、アイルフィーダに無関心という名の拒絶を突き付けられて、みっともなく狼狽えている自覚がある。
(どうして?)
その理由に当てはまる言葉が、感情が浮かんでは、自分の中で違うと思いなおす。
―――認めろよ。アイルフィーダに自分を見て欲しいんだよな?話しかけて欲しいんだよな?笑いかけて欲しいんだよな?
浅ましい願望が頭の中で自分で自分を嘲笑する。
(そんな願いを思う資格すら俺にはないのに?)
先ほどの感情の抜け落ちたアイルフィーダの瞳が忘れられない。彼女をああしてしまうまで追い込んだのは俺だ。その事にあんな彼女を目の当たりにして初めて気が付いた自分が愚かしい。
―――聞き分けのいいことを言って、それでアイルフィーダがお前を許してくれるとも?八年前も、今もお前は彼女を傍に置いておきたいだけなんだよ。その感情はどこからくる?よく考えろ
(やめてくれ。聞きたくない)
―――なあ、いい加減認めろよ。アイルフィーダを愛しているんだろう?自分で言ってたじゃないか
確かに俺はその言葉を告げた。だけど、それは感情の伴わないただの言葉にすぎない。
(『愛している』?『愛』を分からない俺が?ありえない!だって、そうだろう?いつ?どこで?アイルフィーダの何を俺は愛したというんだ?何一つ答えられなくて、何が『愛している』だ)
―――いつ?どこで?何を?知りたければ、教えてやるよ。よーく見ろ
その言葉とともにぼんやりとして映像が浮かぶ。
それは八年前の記憶、次々に脳裏によみがえるアイルフィーダとの思い出。
出会ってから左程長い時間を共有した訳じゃないのに、彼女は様々な顔を俺に見せてくれた。ぼーっとした顔や笑顔、怒ったり、泣いたり、俺を真剣に叱ったり心配もしてくれた。
『フィリー』
ニーアとして生きながら、それでも自分の本当の名前を読んでほしいと自分から願ったのはアイルフィーダだけだった。彼女に名前を呼ばれるだけで何故だかほっとした。
よみがえるアイルフィーダとの思い出に、自分がこれほどに彼女との時間を鮮明に覚えていたことに驚く。そして、その一つ一つに穏やかで温かい気持ちになる。
―――どうして?
だけど、まだその答えは返せない俺に笑顔だったアイルフィーダが霧散して、こちらを強く射抜く視線が俺を睨みつけた。
『貴方に【神を殺す】覚悟はあるの?』
俺の願いを口にしたあの日。それを聞いたら、アイルフィーダは俺を怖がるか、泣くだろうと思っていた。彼女が俺に怯えればいい、離れていけばいい、そう思って俺は真実を彼女に突き付けた。
だけど、返ってきたのは逆に俺がビビるほどの強い視線と言葉。
(ああ、この時、どうしようもなくこの目が欲しいと思った。この目に俺を見ていて欲しいと思ったんだ)
そして、俺は今、唐突に自覚する。『いつ』とか『何処』とか『何』とか、そんなんじゃない。
(俺は『アイルフィーダ』が好きなんだ)
彼女との思い出の一つじゃない、彼女の何かじゃない、そこには理由も理屈もなくて、『アイルフィーダ』を形作る全てが俺に作用する感情。
小難しく考えていたのが馬鹿みたいに、簡単にそれが確かに俺の『愛』だと『恋』だと理解する。
それは八年越しに自覚した俺の初恋…になるんだろうな。
だけど、それは既に叶う叶わないという時は通り越して、自分自身で最悪の形にしてしまった。
―――いいじゃないか、それでもアイルフィーダは俺の妻。良かったな、初恋の相手が奥さんになってくれて
浅ましい願望、昏い欲望がくつくつと嗤う。それに身を任せれば幸せなんだろう…俺だけは。
『フィリー』
真っ暗な闇に飲み込まれそうになったその瞬間、アイルフィーダに名前を呼ばれたような気がして、はっとして俺は目を覚ました。
どうやら延々と悩んでいる間に眠ってしまっていたらしい、どこまで起きて悩んだことで、どこからが夢の中の事なのかはっきりしないが、自分の気持ちだけははっきりした。
広いベッドの上でこちらに背を向けて眠っている人。長い髪がこちらに広がっている。
彼女が起きないことをいいことに俺はそれを一房手に取ると、さらさらとその感触を楽しんだ。
(君は俺の妻…だけど、君は永遠に手の届かない人。アイルフィーダ、俺が君にできる事は何だろう?)
俺を闇に突き落とすほどの激情を与えるのが彼女なら、こんなにも誰かを自分が慈しむ感情を持っているのだと教えてくれるのも彼女。
その感情の出所が分からずに苛々した時もあったが、それを理解した今、俺はそれに冷静に対処することができる気がした。
アイルフィーダに許されるとは思わない。許されたいとも思わない。だけど、今の俺はただ彼女のために何かがしたいと只管に願った。
▼▼▼▼▼
「はあ?!!」
翌朝、俺の執務室にオーギュストの大声が響く。
基本的にこの部屋には俺と秘書官のオーギュスト、ウォルフの3人が詰めて減らない書類を片付けているのが常だが、今は朝が早すぎるためウォルフはいない。
「側妃を娶るって…あんた、それをしないためにアイルちゃんを王妃に据えたんじゃなかったの?」
心底驚いた顔をするオーギュスト。彼を驚かせたのは、俺が告げた計画の修正だ。
アイルフィーダを王妃にする事で、妃を差し出そうとする教会や貴族たちの要請を拒否する予定だったのをやめ、何人かの側妃を迎えるように指示を出したのである。
「アイルフィーダは時機を見て後宮から出す」
「え……えええ!?ちょっ何考えてるのよ!離縁なんて今更できる訳ないでしょ!」
いよいよ本気で怒りだす一歩手前の顔のオーギュストというのは、顔と言葉が本当にちぐはぐだ。迫力のない言葉にも拘らず、その形相はレグナを凌ぐ強面だ。
ウォルフ辺りはそれにいつも半泣きになっているが、いい加減見慣れている俺はさして何も思うところもない。
「誰が離縁するといった。俺はアイルフィーダを後宮から出すと言っただけだ。それをした後は彼女の影武者を立てる。アイルフィーダという名前のオルロック・ファシズの女はずっと俺の妻でい続ける」
俺がアイルフィーダのためにできる事はいくら考えても少なくて、あの後、寝ずに考え続けてきっとアイルフィーダが望んでいる事で俺にできるのはたった一つだけだと結論付けた。
―――それは彼女を俺から解放してやる事
それで全てを償えるとは思えないけれど、俺から解放されれば少なくとも昨日みたいな表情をさせなくても済むはずだと思った。
だけど、離縁はできない。
でもそれはアイルフィーダと離縁できない訳ではなく、オルロック・ファシズから娶った王妃を離縁できないというだけの話。
要するに後宮に存在しなければならないのは、あくまでオルロック・ファシズの王妃という存在であって、それはアイルフィーダという個人ではない。
彼女がいなくなったとしても、王妃の存在があり続けるように全てを装えば、何事もなく物事は流れていくに違いない。
「勿論、入れ替えがバレる可能性はゼロじゃない。だから、それを少しでも減らすために後宮に側妃を入れる。木を隠すなら森の中だ。たくさんの華々しい妃の中なら、オルロック・ファシズの人間である故に引き籠りの王妃の存在は自然と目立たなくなる。儀式や行事もオルロック・ファシズの王妃ではなく、教会や貴族から娶った側妃の方が喜ばれるだろうしな」
淡々と告げるだけの俺にオーギュストも冷静さを取り戻したようだが、困惑と戸惑いの色は拭えない。
「アイルちゃん以外は娶らないって言ってたじゃない。なのに何で?」
「妃を娶らない王になってもいいが、リリナカナイがこのまま儀式をしないとなれば、次代世界王のための【名もなき王】をせっつかれるだろう。そのためにも誰かしら妃は必要だ。まあ、お前の仕事を増やして悪いとは思う。無論、今すぐという話じゃない。後宮を出た後のアイルフィーダの行先も考えてないし、彼女の希望も聞いてやらないとな。時機も難しいし、側妃の選出も時間がかか―――」
「そういうことを言っているんじゃないの!あたしが聞きたいのは、どうして急にそんな事をあんたが言い出したかってことよ!!」
オーギュストが何を問うていうのか分からないではなかったが、それに答える気はない。
肩を上下させている彼を黙って見つめ返すだけでいると、さすがに長い付き合いで俺の気持ちを大体察したのか、酷く大げさに溜息をつく。
「……分かったわよ。もういい。それで?他の事には修正はないんでしょうね?やめてよ、もうあんまり時間ないんだから」
「大きな修正点はない。ただ、アイルフィーダを後宮から出すにあたって、あんまり顔を表に出すことは避けたほうが良いだろう。予定していた行事はキャンセル。後、誕生祭も舞踏会は代理を立てる」
アイルフィーダを後宮から解放した後、影武者となる女を表に出すことはほとんどないだろうが、入れ替えがばれる可能性は少しでも低くしておくに困ったことはない。また、アイルフィーダもこちらの内情を多く知られてしまった後では後宮から出すに出せなくなる。
俺から解放してやれるその日まで、アイルフィーダには後宮の中で大人しくしてもらう他ない。
「行事はともかく舞踏会まで?」
「舞踏会は俺を囮にした罠だ。危険が伴う。何かあって彼女が怪我をしたら大変だろう」
そもそも俺がオルロック・ファシズの王妃を娶ると決めて計画したのは、世界王に対する不穏分子の炙り出しとその一掃だった。
近頃、世界王に目新しさを感じなくなったのか『打倒、世界王!』という声を聞くことが多くなった。
もちろん、こんな軽い感じでもなければ、大っぴらに言われていることでもない。
だが、刺客が現れたり、脅しの類も増えた。今のところ未然で防げているが、この現状は無視できない。
―――その動機の大部分を占めるのが、俺の【出自】だろうとあたりを付けている
俺がオルロック・ファシズの育ちであること。そして、俺が【正当な世界王】ではないこと。
レディール・ファシズが安定しつつある今、俺をもはや用無しと判断し、俺を【正当な世界王】として認めない人間たちは、俺を消し、新しい世界王を造るつもりなんだろう。
そんな彼らにとって俺がオルロック・ファシズの王妃を娶る事は、更なる悪行。その悪行を許せない奴らは、必ず今まで以上の何かを仕掛けてくる。
その機会があるとしたら、昨日の結婚式か数か月後に控えた誕生祭。
結婚式については警備を殊更厳重にした事もあり、いくつかの問題は発生したが、何事もなく終わらせることができた。
対して誕生祭では向こうが狙いやすいように隙を作り、奴らを一網打尽にする計画でいる。そのための種まきはもう済ませた。
(さて、どう出てくるか。何が出てくるか楽しみだな)
そんな事をつらつらと考えて、自分の思考に没頭していると目の前にオーギュストの顔が迫る。
「……近い」
「おだまり。ちょっと、勝手に自己完結するのはよしてよね」
言いながらオーギュストは俺の襟首をつかむと、自分の方に引き寄せた。
「そんだけ大事にしちゃってるアイルちゃんをあんた本当に手放せるわけ?後悔しない?」
「後悔してももう遅いだろう。8年前、最悪の形で置き去りにした俺をアイルフィーダは許さないだろう。彼女にしてやれるのは、これくらいだけだ」
「あんた…それを気にして?だって、あれはあんたじゃなくて―――」
「やめろ」
オーギュストの手を力づくで跳ね除けて俺は彼を黙らせる。
「俺さえ誘わなけれれば、アイルフィーダは傷つかずに済んだ。それは俺の罪。それ以外の何物でもない」
そうして背を向けた俺にオーギュストがそれ以上何も言わない事にほっとする。何か言われたら俺は今自分で言った決心が揺らぎそうだった。
後書きは活動報告にあります。