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愛していると言わない  作者: あしなが犬
第一部 現在と過去
49/113

7-6

「父さんの事、母さんの事、憎いと思ったことはないの?」


 そう尋ねた俺に笑いかけた継母の顔は悲しく、切なく、美しい女の顔だった。



▼▼▼▼▼



 俺は幼い頃、家族とは引き離されて育った。理由は簡単、俺が『実験体』だから。

 世界王と巫女を含めたレディール・ファシズの人間の亡命、オルロック・ファシズ側は表向きその亡命を手放しで受け入れたとされているが、その裏では両者の間に様々な契約が取り交わされた。

 その一つが世界王の研究という名の人体実験。

 世界王の身に宿る強大な魔導力を研究することをオルロック・ファシズ側は望み、あの男はそれを受け入れた。

 だが、俺が生まれ俺に世界王としての素養があると分かるやいなや、その役割は俺に移ることとなり、物心つく前から俺は研究所で育った。

 実験、研究、検査、何を調べるためにされているか子供に分かる訳もなく、俺はただただされるがまま。何も感じない検査から、苦痛を与えられる実験や実戦まで、人間ではなくモルモットとして扱われた。

 そうした人間は俺だけではなく、研究所には魔導の発展、ひいてはオルロック・ファシズの発展のために人体実験の被験者として大人も子供も老いも若きも集めれられていたが、その存在が明るみに出る事はない。

 オルロック・ファシズの発展はそうした人間たちの犠牲の上に成り立っている……まあ、この話はよそう。正直、俺もあまり思い出したくはない。

 そして、その後、俺が13歳になって俺は初めて自分に家族がいて、父親が世界王であることを知る。


「君は今日からニーアと名乗るんだ。可愛い僕のニーア」


 全てがいけしゃあしゃあと俺を迎えに来たこの男の身代わりかと思えば、俺の中に強烈な殺意が湧いたとしても誰が責められるだろう?

 それでも差し出された手を取らなければ、俺は研究所から出ることは叶わない。それがどんなに屈辱的な事であろうとも、俺にその手を取る他の道はなかった。

 その日から俺はニーア・ヘインズという名の少女として生きる事となる。


 かくして、連れて行かれたのは、男が俺を生んだ母とは別の女と一緒につくった家庭だった。

 継母となる世界王妃であったエルフィナと異母兄オリヴァーは、どのくらい俺の事を知っているかは分からないが、突如として現れた俺を新たな家族として歓迎した。

 彼女らに反発する感情はあったが、問題を起こせば研究所に戻されると脅され、監視もついていたため、ただひたすら大人しくすることしかできない日々。

 それら全てが胡散臭く、家族として受け入れられても何処か疎外感を感じつつ、それでも、生まれて初めて与えられる家族、平穏、優しさ、その全てに俺は戸惑いながらも次第に夢中になっていった。


 そんな中でほとんど家に寄りつかない実の父より、浮気相手にも等しい他の女と夫の間の子である俺にすら、実の子と同じような母性を注ぐエルフィナに俺が懐くのは当然のことだった。

 彼女は生まれて初めて俺に優しくしてくれた女性。その感情はいつしか母を恋しがる幼心の延長だっただろうが、淡い初恋のような感情に成長し、母とは呼ばず彼女の事を『さん』付で呼んでいた。

 しかし、実父に利用され、研究所でモルモット扱いされて育った俺は警戒心も強く、本当の意味ではエルフィナにすら心を開けずにいた。

 だけど、彼女を信じたいと愛されたいという思いから、俺は彼女を試すことにした。エルフィナの本当の心が知って、裏切られるんじゃないかという不安に苛まれることなく、エルフィナを好きになりたかった。


―――貴方は俺を愛してくれていますか?


 だから、聞いた。


「父さんの事、母さんの事、憎いと思ったことはないの?」


 それはひいては『俺を憎んでいない?』と聞いているのと同じだった。

 エルフィナにとって『浮気相手の子おれ』は憎むべき相手だろう。幼いながらにも、自分の生い立ちはあの男から全部聞いていてたから、それは理解していた。

 それでも俺に優しくしてくれるエルフィナ。その優しさを信じたかった。それは俺に向けられる愛情なんだと思いたかった。だけど―――


「あるわ。今だって憎い」


 俺を見下ろすエルフィナは今までに見せたことのない表情を浮かべていた。


「私はケルヴィンを愛しているんだもの。私だけを愛してくれないケルヴィンも、ケルヴィンの愛を奪い続ける巫女様も、私は憎い」


 明るくて、穏やかで、優しくて、そんなエルフィナが見せた苦しげな表情とその言葉に俺は凍りつく。


「本当は貴方にこんなこと言うべきじゃないのは分かっているの。不安…なのよね?ケルヴィンも巫女様も今は貴方を親としてちゃんと愛せる状態じゃない。ずっと、一人でいて誰も信じられない…辛いよね?苦しいよね?」


 抱きしめられて自分の思いを言い当てられる。


「だから、私が愛してあげたかった。優しくしてあげたかった。フィリー、貴方を癒してあげたかったの」


―――ああ、エルフィナは俺を理解してくれている、俺を愛してくれるんだ


 ほっとした。嬉しかった。

 腕をそろそろと彼女の背に回そうとする。


「だけど、貴方には全部お見通しだったのね。だから、聞いたんだよね?どうしたって、ケルヴィンと巫女様の子供でしかない貴方を見ているのが辛い私に貴方は気づいてしまった」


 だが、腕は彼女の背に届かないまま固まった。


「ごめんね?ごめんね!貴方は何も悪くないのに!!」


 涙声になり俺に謝罪し縋り付くエルフィナ。俺はその腕からそっと離れて、彼女の涙を拭う。


「謝らないで、貴方の方こそ何も悪くない…変なことを言ってごめんね、『お母さん』」


 そう告げる俺に一層顔をくしゃくしゃに歪めてエルフィナはもう一度、俺を抱きしめた。妙に冷静な感情のまま俺は彼女にされるがままになる。

 自分を愛してくれない彼女に落胆した思いはあった。だけど、それは絶望というほどの深いものでもなく、彼女を恨もうとも思わなかった。


(仕方がないよな)


 何より俺の中にはあきらめの気持ちが強かった。彼女はあの男の妻であるのにも、俺という厄介者の母親になるにも善良すぎたのだ。

 以後はエルフィナと取り立てて何があったという訳でもなく、表面上だけは穏やかな親子を演じられたと思う。


 だけど、以来、俺は『愛』という不確かで、あやふやで、それでいて何よりも強く、不可思議なその存在に疑問を持つ。

 あの男を愛する二人の女、母とエルフィナ。そのどちらとも子供を作り、二人を独占するあの男。

 あの男の胸中なんて知らない。母も病んでしまい、その心は分からない。だけど、エルフィナは苦しんでもなお、あの男を愛しているという。

 彼女だけを見てくれない男を愛しながら恨み、その行動の一つ一つに喜びながら悲しむ。

 そんな相反する二つの感情に引き裂かれて苦しんでも『愛』はなければならないものなのか?大切なのか?それは本当に『愛』なのか?

 そもそも『愛』とは何なのだろう?


 俺はエルフィナに愛されたいと思った。

 だけど、それは優しくされたかっただけ。満たされない子供の自分が駄々をこねただけ。きっと、これはエルフィナがあの男に求める『愛』とは違う。

 それはあくまで感覚的な直観だけど、現に彼女に愛されないと分かっても、俺は彼女があの男を愛し続けるようにエルフィナを想いはしなかった、愛されたいとも思わなくなった。


 それは『愛』の度合いの問題なのか?それとも『愛』する年齢の問題なのか?

 どういう風に思ったら『愛』なんだ?どこからが『愛』で、どこまでが『愛』じゃないんだ?

 それは誰かに聞いていいことなのか?誰かがいつか教えてくれることなのか?


 答えが出ないまま時がたち、友人ができ、仲間ができ、彼らを大切だと思うことができるようになった。だけど、俺が抱く大切だと思う感情と周りの人々が『愛している』『好きだ』と言っている感情は違った。

 俺は答えが出ないそれが次第に『恋愛感情』という名が付く『愛』だと分かるようになり、だけど、それにそういった名前が付き、様々な話を聞くようになっても、自分の中でその感情が理解されることはなかった。

 そして結論が出る。


(俺は誰も愛せない人間なんだろう)


 だから、分からない。

 ならば、仕方ない。世の中色々な人間がいるのだから、『愛』が分からない人間がいても仕方ない。そうして、それ以上考える事を放棄した。


「愛している」


 だから、彼女と夫婦となった初めての夜、その言葉を告げることに戸惑いがあったのは事実だ。

 その意味の分からない言葉を、感情の伴わない言葉を、嘘ばかりつき続けているアイルフィーダに言いたくないと思った。

 だけど、それでも俺は―――



▼▼▼▼▼



 結婚式の後、延々と続く儀式や宴会が終わり、現在俺は所謂『初夜』を迎えるために、後宮でアイルフィーダに与えた部屋の前にいた。

 後は目の前の扉を開けて入るだけなのだが、そこで俺は立ち止まって思い悩んでいた。


(……部屋に入ってアイルフィーダと何を話せばいいんだ?)


 立ち止まったまま動かない俺に警備兵が訝しげな顔をしているのは分かっていたが、それを気にするより直面した問題が重要だった。


―――八年前のことを土下座して謝るか?


 そう考えて、首を横に振る。アイルフィーダから謝罪を求められれば別だろうが、謝ったところでそれは俺の自己満足に過ぎない。俺の気分が軽くなるだけで、彼女に与えた苦しみがなくなる訳じゃない。


―――世間話でもすればいいのか?


 例えば『花嫁衣装がに似合っていた』とか『これからよろしく』とか?……違うだろう。

 彼女にとって憎い相手でしかない俺とアイルフィーダが喜んで世間話をするとは思えない。

 さて、どうしたものかと寝室の前で一人悩んでいたが、そこでふと気が付く。


(……別に無理してアイルフィーダと会話する必要はないんだよな。)


 俺も彼女も目的があって結婚した。そこに感情はない。

 お互い目的が達成できれば、会話など、関係など必要ない。アイルフィーダにとっては寧ろ俺なんかとは関わり合いたくもないだろう。

 俺は俺で彼女との結婚で動き出した諸々で、これから寝る間も惜しいほど忙しくなるのは目に見えている。


(疲れたし、アイルフィーダから特に何もなければ、今日はとっとと寝よう)


 そもそも表面上は夫婦になったが、次代の世界王がいないため本当の意味では俺とアイルフィーダは夫婦になることはできない。アイルフィーダも俺に抱かれたいとは思っていないだろう。


(よし)


 部屋に入ってからの方針は決まった。

 声をかけるにかけれずにいた警備兵に笑みを向けて場を取り繕うと、俺はまるで挑むような気持ちで扉のノブに手をかけた。


『あ』


 扉を開けた瞬間に、その音に気が付いて振り向いたアイルフィーダと対面して同時に声を上げる。


『……』


 そのまま二人して沈黙……何だ?何を言えばいい?

 言葉が咄嗟に出ずに、何か話すことはと探すためにアイルフィーダをまじまじと見て、また言葉に詰まる。

 後はお互い寝るだけだという事もあり、花嫁衣装と同じく真白の寝衣を着ているアイルフィーダ。しかし、花嫁衣装とは違い、どこか艶めかしい寝衣だけを纏う立ち姿に、知らず知らずのうちに音を立てて唾を飲み込む。


「陛下、今日はお疲れ様でした」


 しかし、そんな俺の邪な心を打ち砕くかのごとく、アイルフィーダの冷たい声が響いた。

 その声に俺もやっと言葉を発することができるようになる。


「……君も疲れただろう。お互い今日は早く休もう」

「はい」


 アイルフィーダに合わせて俺も固い口調と声になる。

 だが、その声に了承を示し目を伏せたアイルフィーダに比べれば、その固さはまだまだ軽いほうだろう。

 一人レディール・ファシズに来た緊張と不安か、はたまた俺に対する感情ゆえか、結婚式や儀式の時以上に強張った表情は見るに堪えないほどだ。

 こんなに緊張し続けていてはアイルフィーダがすぐに体調、いや、精神的に病んでしまうのは明らかだ。


(何でもいいから彼女の緊張を解すために何かできないか?)


 頭の中には女性が喜びそうな優しくて気の利いた言葉がいくつも思い浮かぶ。

 だが、それを言うのが俺では緊張を解すどころか、アイルフィーダの反感をかうだけだ。


(いや、例えそれが怒りだろうが、憎しみだろうが、ここはアイルフィーダに感情を吐露させた方がいいのかもしれない)


 緊張したまま感情をため込むよりも、それが負の感情だろうが表に出したほうが精神衛生上宜しいはずだ。

 そう思い直して、それでは何を言おうかと思考を巡らす。

 考えながら、お互いに沈黙したまま突っ立っているのもおかしいので、部屋の奥の寝室へと躊躇いなく足を向ける。

 アイルフィーダの部屋は代々王妃に与えられる部屋のため、部屋数もその豪華さも随一だ。

 しかし、久々に開かれることとなった後宮ゆえに、内装などには少し手を加えることにした。その際、俺も口を出したので何処に何があるかは大体把握していた。

 そんな俺の背中についてくるアイルフィーダの気配を感じながら、そういえばと八年前の記憶の一つが思い出された。


『好きな相手に言われるなら毎日だって嬉しいに決まっているでしょ』


 その言葉の意味など分からない自分には全く共感できない言い分を、妙に自信満々に言い切る今よりも年若い少女のアイルフィーダ。

 八年前はそれを正直に口にしたら、こちらが勘弁してくれと思うくらい、こんこんとそれについて語られた。それを思い出して笑いそうになり、だが、思いついた言葉が言葉だけに顔を顰める。

 だけど、ベッドの前まで来て改めて向かい合ったアイルフィーダの悲愴なまでの表情を見て、戸惑いを捨てる。

 中途半端に優しい言葉をかけて躱されるよりは、彼女の動揺を誘うくらい威力のある言葉の方がいい。

 そして、俺に怒ればいい、憎しみをぶつければいい。

 許されたいとは思わない。それでアイルフィーダの気持ちが一瞬でも軽くなればいい。


「愛している」


 そう言って、そっと彼女をそっと抱き寄せる。

 薄い生地越しに伝わる体温に胸が一瞬だけ高鳴り。しかし、すぐに返ってくるだろう怒号かヒステリーを予想して、それはすぐに忘れたふりをした。


「?」


 だけど、沈黙したまま予想した反応は一向に返ってこない。不思議に思って俺はアイルフィーダの肩を離してその顔を覗き込む……そして、愕然とする。

 そこにあるのは怒りも憎しみもない、全ての感情が抜け落ちた表情。


(ああ…アイルフィーダは俺に感情を動かさない)


 恨まれているんじゃないか、憎まれているんじゃないか、なんていうのがそもそもおこがましかったのだ。

 それすら通り越して、彼女の中で既に俺は感情を動かすほどの相手でもない。そう突きつけられて、俺は言葉を無くした。

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