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愛していると言わない  作者: あしなが犬
第一部 現在と過去
48/113

7-5

 式は教会の総本山である大聖堂で執り行われる。

 相手が例えオルロック・ファシズの人間だろうが、世界王と王妃の結婚式は代々この場所で行われていた以上、それを曲げることは俺が許さなかった。

 教会も言いたいことは山ほどあるだろうが、オルロック・ファシズからの援助の行方を考えれば、表面上王妃を冷遇することはできず、通例通り結婚式は大聖堂で執り行われることとなった。


「世界王フィリー・ヴァルト陛下のお成り!」


 巨大な大聖堂の入り口が高らかに上がった声とともに、俺の前で開く。同時に数百人単位の列席者が立ち上がって頭を下げた。

 その間を中央にひかれた赤い絨毯の上を歩く。

 荘厳な彫刻、美しいステンドグラス、教会という欲にまみれた存在を覆い隠す厳かさと神聖さが確かにこの大聖堂にはある。

 だが、その厳かで神聖な空間もここにいる列席者たちには、まるで興味がないらしい。

 下げられた頭に隠された表情を見ないでも分かる。オルロック・ファシズの王妃を娶った俺への疑心や蔑み、侮り、様々な負の感情がこの場を支配している。

 この八年、そんな感情の中に身を沈め続けた。慣れはしたが、当たり前だがいい感情は湧かない。


(せめて、アイルフィーダがこれに気が付かないでいてくれるといいんだけどな)


 そんな事を考えつつ、アイルフィーダを待つ祭壇の前に辿りつくと、既にその場に立っていた人物に話しかけられた。


「陛下。今日の喜ばしき式を執り行えることを誇りに思いますよ。」


 現教皇ヘリオポリスである。


「ああ、よろしく頼む。」


 一見するとどこにでもいそうな爺さんだが、教皇という地位に付いて丸二十年になる狡猾な相手だ。

 教皇はその任期10年が限度とされ、任期が終わるたびに選挙によって次の教皇を選ぶ。また、権力の入れ替わりが激しい教会内において、教皇は任期途中で変わることも今までは少なくなかったらしい。

 だが、非常時や教皇にふさわしい人物が現れない場合に限っては、前教皇がそのまま次の教皇を続けることがある。

 ヘリオポリスはその例外的な2期を教皇として勤め上げた老獪なのだ。

 少なくとも俺はその長い眉毛の奥に隠れている白く濁った瞳が、底知れぬ深く鋭い黒い光を湛えることを知っていた。

 互いに思っていることなんて微塵も出さず、そうしてにこやかに会話をしていると、唐突にパイプオルガンの音が大聖堂に響き渡った。

 天井の高い大聖堂内に響く、澄み切って深みのある音に迎えられて、俺が入ってきた入口に白いベールに覆われた人影が現れる。

 オルガンの音が幸せな音を鳴り響かせているというのに、全ての人間が息を潜め、大聖堂内は一気に緊張感で張りつめた。

 そんな中、長いベールを引きずりながら、しずしずと歩みを進める花嫁は一人だ。

 本来、花嫁は親族によってその手を引かれて花婿の元までやってくるのが慣習らしいが、生憎彼女にはそれに該当する人物がいない。レグナにでもその役割を任せようかと思ったが、彼女自身に断られたらしい。

 『らしい』というのも、実の所、彼女がレディール・ファシズに入って数日が経過しているのだが、花婿は花嫁に結婚式前は会うことを禁ずるという、これまた古い慣習のおかげで彼女を直接会うのは鏡越しの対面以来になるから、俺が直接断られた訳ではないのだ。


『どうせ身体一つで嫁いできたのだから、結婚式も身体一つで歩けるって言われたわ。意外と肝の据わったお嬢さんね。』


 オーギュストはそう言って笑みを浮かべた。

 そう、身一つで嫁ぎ、こちらでは後ろ盾一つないアイルフィーダ。

 彼女は望んで俺の元に嫁いできてくれているのかもしれないが、そもそもこの状況に追い込んだのは八年前の俺の罪だ。彼女が真に望んで嫁いでいない事くらい分かっている。

 そして、彼女が俺を恨んでいることも…当たり前だよな、あんな仕打ちをされて恨まれないと思う方が馬鹿だ。

 それを更に利用しようと考えているなんて、俺はどれだけ悪い人間だと自分でも呆れる。だけど、それでもこのレディール・ファシズにおいて彼女が頼れるのは恐らくそんな悪い俺だけだ。

 だから、せめて俺だけは彼女の味方でありたいと思う。彼女を守りたいと思う。この感情は嘘じゃない。

 それで許してくれとは言わない。そう思うのは単なる俺の傲慢で、アイルフィーダからすればこんな感情を俺が持つことすら許せないに違いない。

 だから、オーギュストやレグナを使って俺という存在を感じさせないように、色々と手を回そうとした。


(今回は断られたみたいだけどな)


 そう思いながら列席者たちからの無言の圧力に屈することなく、背筋を伸ばし凛とした姿でこちらに歩いてくるアイルフィーダを見つめる。


(確かに肝は据わっているようだ)


 彼女が元軍人であるという経歴は知っているが、例え軍人であろうが周り全てが敵だと思っても可笑しくないこの状況に、怯えた表情一つ見せない彼女に心の中で感心する。

 かくして、俺の元までたどり着いたアイルフィーダに腕を貸し、俺たちは教皇が待つ祭壇へと歩みを進めた。

 型通りの祝福の言葉、そして、夫婦となるために互いに宣誓をし、指輪を交換し、誓約書にサインをする。そして―――


「それでは誓いの口づけを」


 向かい合ったアイルフィーダが僅かに身をかがめ、俺は彼女を覆っているベールをそっと捲る。

 つい先日、鏡越しに見た時より数段美しく磨きあげられた顔。

 王妃としての礼節を表すため肌は極力見せず、しかし、体のラインを美しく見せる真白の花嫁衣裳。それは一見しては分からないだろうが、これでもかというくらい贅を尽くさせた。ちなみにそれに関しては国民の血税ではなく、俺の副業からの収入で賄った。

 花嫁衣裳に贅を尽くすことで権威や権力を示す事の愚かさが分からない訳ではないが、この場にいるほとんどの人間がそれによって相手を測る人種ばかりである以上、それに対抗するためには必要な事だった。

 サイズだけ予め情報としてもらった後、デザインや装飾に散々口を出して出来上がった花嫁衣装はアイルフィーダに良く似合っていた。

 だが、そんな思考もアイルフィーダの視線をまっすぐ受け止めた瞬間に停止する。

 黒みがかった茶色の瞳は、何処にでもある平凡な色であるにもかかわらず、恐怖も憎悪もなく、決然とした光を宿している。その静かな強さは、彼女に触れることを躊躇させた。

 だが、その瞳がすぐに閉じられたことで俺はすぐに正気を取り戻す。

 肩を抱き、顔を寄せる。

 閉じられた瞳、落ちる睫毛の影、化粧によって薄らと色づく頬、俺を待つ艶やかな唇。


―――ドクン


 女との口づけなんて別に緊張することでもないのに、俺の口づけを待つアイルフィーダの表情に何故か妙な胸の高鳴りを感じた。

 柄にもなく緊張しているらしいと思いつつ、唇が触れ合う瞬間に俺も瞼を閉じた。瞬間に唇に感じた柔らかい感触。高鳴っている胸がふわりと暖かい何かに包まれた様な気がした。


「これで誓いはなりました。ご列席の皆様、ここに新しき、そして尊き一組のご夫婦が誕生いたしました。盛大な拍手をもってご祝福ください!」


 教皇の言葉とともに湧き上がる大きな拍手、パイプオルガンの響き、合唱隊の讃美歌。それまでの静寂が嘘のように大聖堂は偽りの幸せに包まれた。

 だが、偽りであるはずのその雰囲気に俺は自然と笑みを浮かべることができた。

 いつもは意識してしか浮かべられない表情が自然に出てくることに戸惑う。だけど、不思議と悪い気はしなかった。

 だけど、手を取って隣に並んでいるアイルフィーダの表情を見た瞬間、その気持ちがあっという間に消える。

 その顔に笑みなどあるはずもなく、偽りに沸き立つ列席者たちを静かに見つめる表情には、彼女を待ち受ける彼らからの謂れのない迫害を恐れる様子は見られない。それでも張りつめているように見える表情は、アイルフィーダを気丈だが儚げに見せた。

 そう思った瞬間、何を考えるより先にその手を強く握りしめていた。どうして、そうしたかは分からない。

 だけど、俺が手を握った瞬間、僅かに体をこわばらせたアイルフィーダだったが、彼女がその手を握り返すことはなく、その視線が俺に向くことも無かった。

 何故だか、その事が無性に辛いような気がして、だけど、俺の顔はずっと笑っていて…自分がとても気持ち悪くて愚かな生き物のような気がした。

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